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・さあ逃げよう!

今回長いです

・さあ逃げよう!


「もう拳が痛いから殴りたくない」

「頑張って! もうそこまで水が来てるんですから!」


 はりきって壁殴りを決行したものの、割りと早めに限界は訪れた。


 傷んだコンクリの壁は薄く、全力かつちょっとお祈りして、魔力も込めた拳でなぐった所、ヒビを入れることには成功したのだ。


 しかしそれは見る間に修復されていってしまった。最初のうちは怒りに任せ、いたちごっこをしていたが、疲れと痛みで根が上がった。


「こんなときばっかり心霊現象っぽい真似しやがってぇ」

「窓が割れたら、水を汲み出せたりできたんだけど」


 西ちゃんの言うことは、次善策としては有りだ。しかしガラスって殴り割ると、残った部分が皮膚を切り裂いたりして、迂闊にやると大怪我するから、正直やりたくない。


 なんでそんなことを知ってるかって?


 異世界で役所が襲撃された際に、窓ガラスが割られたことがあった。その残りを撤去しようとして、調子に乗ってやってみたら、そうなったんだよ。


 なんでそんな割れ方と残り方をするんだと、当時はかなりのショックを受けた。


「でも硝子の破片で怪我しそうだから、出来てもやりたくないね」


 そうだぞ。もうそろそろ室内に、水が入ってきそうなくらい危うい状況で、そんなことを言ってる場合じゃないけど、体を労ってくれ。


「何か私たちでも幽霊を攻撃できる方法ってないのかな」

「日はもう少し慈しみの心を持ったほうがいいと思うな」


 ミトラスがやんわりと女子を非難する。そうなんだよな。現代っ子は供養の意味を、知らなかったりするもんな。


 故人に対してお経を上げて、南無南無してやることを、単なる宗教上の慣習としか、思ってなかったりするもんな。


 ん、お経?


「そうだお前ら、お経を読み上げてみろ」

「あ、その手が有ったか!」


 気付いたミトラスと、疑問符を浮かべる小学生二人。今は道徳的な部分は端折るとして、俺は彼らに思い付きを説明した。


「お経って単なる宗教上の慣習とかじゃなかったんですか」


「むしろこっちが呪われそう、それに宗教だって結局人類の創作じゃない」


「自分は創作物から離れろって言ってたくせに」

「ああああああああああもおおおおおおおおおお!!」


 今すぐこの二人をそこの水に蹴りこみたい衝動に駆られる。この頭でっかちどもには、その意味が伝わってない。これが文化の世代間格差か!


「お経じゃなくてもいいよ、可愛そうな死人のためにお祈りしてやるとか、鎮魂の為の祝詞を壁に書くとか、そういう思いやりを見せてやれば、勢いが殺げるんじゃないかってこと!」


「だったら黙祷でいいじゃない」

「そうだな。じゃあやれ、でないとそこに蹴りこむ」


 怒りを隠さずに言うと、そこは流石に現代っ子だ。自分に直で危害が加えられそうだと察すると、さっさと両手を合わせて、壁に向かい目を閉じた。


 そして勢いを増す水。


 ミトラスを見る。彼は小学生二人を指差して肩を竦めた。ああ、反発してんのか。役に立たねえ。


「とりあえず僕が壁に暗記している般若心経を書いて、唱えていきます。二人は黙祷を続けて下さい。お姉さんは僕がお経を書いたら、攻撃を再開してください」


「お前そんなんよく覚えてたな」


「お経は人間という動物が嫌う音の出し方なんです。幽霊たちに人間の部分が残っていればいるほど、効果があるはずです」


「なるほどだから世界中に宗教があるんだな。人寄せと人避けの両方を兼ねてる訳か」


「お経の違いは分布による苦手な周波数の違い、ということですね。宗派だけに」


「え、ごめん聞いてなかった! 後でな」


 ミトラスは何故か顔を赤くすると、二人に断ってポーチから筆記用具を借り受けた。この時代でも変わらず現役の油性ペン『モッキー』である。そして壁に流れるような早さで、お経を書き上げていく。


 車庫と外との間にある狭い通路にも、とうとう水が入ってきた。流石に本当にもう時間がなさそうだ。しかしここで、ミトラスの般若心経が間に合う。


 魔王の息子が坊主のお経を呼び上げるのはどうかと思うが、効果は覿面だった。人を苦しめ現世から追っ払う怪音波が、可愛らしい声で辺りに広がっていく。


 見ればお経が書かれたほうの壁は、まるで自分を掻き毟るかのように、壁面を独りでに剥がしていくではないか。これならいけそう。


「ふー、ん“ン!」

『わー!』


 吸い込んだ息を搾り出し、腹底から唸り蹴りつける。想像以上に脆くなっている。いや、建物が本来の、風化した強度に戻ったということか。そして壁の向こうから聞こえる声。


「サチコなの!? あんた何やってんの!?」

「あ、二人とも着いたか!」

「今から電話しようと思ってたけど手間省けたね」


 車庫側から南と先輩の声、穴を覗けば同じく覗き返している二人と、目が合った。


「かくかくしかじか」


 事情説明の時間経過で浸水が進む。その間の処理として、ミトラスが再び壁に写経を始める。小学生組は開いた穴から、荷物を外に渡した。


「という訳なんだ。同じ方法でまた穴を空けるから、下がっててくれ」


「それはこっちの台詞ね、下がって頂戴」

「おいしいとこ持ってくって言ったよ。ちゃんと準備して来てんだから」


 二人がそんなことを言う。説明を聞いてる時間はないので、ドアの側面まで行って、ぴたりと背をくっつける。向こうも何か手があるらしい。


 特に先輩は、今回の肝試しを持ちかけた手前、オカルト的な手段を用意していても、不思議じゃない。


「いいぞ! やってくれ」

「よーし、こっちもオッケー! みなみんやっちゃってー!」

「行っくわよおおぉぉーーー!!」


 そして聞こえるバイクのエンジン音。え、バイク?


『わー!』


 疑問を浮かべた瞬間、車庫側の壁を突き破って、原動機付き大型自動二輪飛び込んで来た。


 目の前を通り過ぎたそれは、反対側のドアにぶつかって停止する。ドアはひしゃげて歪んだ。


 南は沈黙している。失神してるんだろうか。


「とりあえずお前らは外に出ろ」

「助かるならもう少しギリギリでも良かったかもね」


「そしたら携帯が水に濡れちゃうよ。録画もおじゃんになります」


 そんなことを言って余裕を取り戻す西と恭介。恭介に至っては、何時に間にか撮影をしていたらしい。


「これ何ですか」

「オカ研から貰ったお札」


 オカ研とはオカルト研究会のことで、愛同研内に属する同好会の一つである。


 先輩は二人乗りで来たのか、俺が頭蓋骨を持ってるのと同じように、ヘルメットを小脇に抱えている。


 背中にはいつかの盾を背負い、肩には恐らく猟銃の入ったケースを肩にかけている。使い過ぎて汚くなったリュックは、足元に転がっている。ちゃっかり雨合羽も着込んで、完全武装もいいとこ。


「取り壊される前の曰くつきの物件に忍び込んで、剥がし回った奴だよ。あ、でも効果を検証するなら、最初からバイクは、止めといたがほうが良かったか。あー失敗した!」


 ミトラスが顔を顰めている辺り、何らかの良くない効果があるのは確からしい。お札は南が突撃してきた壁の四隅に張られた。赤地に白で字が抜き出してある。何て書いてあるかは分からないけど、読めないほうが良さそうだ。


 そして肝心の南だが、放心状態だったのが回復したようで、頭を軽く振りながら、バイクを押してこちらへと歩いてくる。


 パッと見ライダースーツに見えなくも無い、体育の鎧に身を包み、ヘルメットを被っている。


「大丈夫か南」

「ええ、思ったよりも楽しかったんで、ちょっと放心してたみたい」


「このバイクどっから持って来たんだ」

「いっちゃんがバイク部から借りてきたのよ」


 バイク部とはそのままバイク部であり、愛同研内に属する同好会の一つである。不況の煽りを受けて規模が縮小され、部から格下げされた。正式名称はバイク研究会。


 しかし何時の間に仲良くなったんだこいつら。


「部室が駐車場のあいつらか。親よりバイクが大事な癖に、よく協力する気になったな」


「肝試しに行くからって言ったら、すんなり貸してくれたみたい」


「相変わらず謎な価値観してるな」


 助かったことを実感出来たためか、全員の緊張が急速に抜けてくる。悠長にお喋りをする余裕を、取り戻したってことなんだけど。


「ところでそれ、どうするの」


 南が俺の持ってる頭蓋骨を指差す。先輩と小学生たちが、しきりに携帯で写真を撮りまくる。改めて顔を見る。とても小さく、心なしか穏やかな表情をしているような、そんな気がする。


「警察に届ける。それでこの肝試しは終わりにしとこうと思う」

「ええ、私まだ来たばっかりなんだけど」


 周りを見ると、先輩以外は全員無言で頷いてくれた。だから先輩はこの際無視する。


「帰りましょうか。外は雨だけど」


 ミトラスの言葉に従って、皆は車庫を出た。小学生たちは荷物を先輩に預け、俺の雨合羽を借りて相合傘のようにして歩いていく。


 先輩と南はバイクを押していく。考えてみたら校門閉まってたのに、よくバイクを持ち込めたな。助かったから文句は言わないけど。


 最後に俺とミトラスが歩き出す。車庫の中にも水が溢れてくる。どうやら本当に留まるところを知らないらしい。この台風の間は、あの穴からずっと出続けるんだろうな。


「一歩遅かったか」


 少しの間足元を見つめてから、皆の後を追う。頭蓋骨は鞄に入れようかとも思ったが止めた。こういうのは、目を離すと無くなるものだ。


 車庫から一歩出れば大粒の雨。それに打たれながら、足早に旧校舎を離れる俺たち。雨具が無い今、ろくに前も見えない有様だったが、それでも歩く。


 先頭をヘルメットをしている南たちが、その次を西と恭介が続き、最後に俺とミトラスが殿を務める。強風と水があらゆる物をぶっ叩く音で、世界が埋め尽くされる。


「おかしい」


 そんな中、ミトラスの呟きだけが、はっきりと聞こえた。


「ここに来るまでの霊がいません」

「地面から生えてた手か」

「そう。それにアレ」


 言われて顔を上げると、旧校舎の窓から屋内が見える。そこには何人かの幽霊がいるのだが、様子がおかしい。まるでここから出せとばかりに、窓を叩いている。そうかあいつら地縛霊の類だから、学校から出られないんだな。


 で、何人かの学生や、職員風の幽霊さん方は、視線を俺たちが元来たほう、つまり車庫へと移して姿を消してしまった。


「なんだ、何があったんだ」

「サチコ、アレ」


 ミトラスが指差したのは体育館と旧校舎、そして車庫との間にあった空間。びっしりと腕が地面から生えていた辺り、そこに異変はあった。


「なんだ、あれ……」

「急いで離れよう。あれは危険だ」


 生えていた無数の腕は全て短くなり、もがくように前へと突き出されている。前とは。腕が伸ばされるほうが前だ。


 後ろは。


 腕が何かに引かれて、吸い込まれていくほうだろう。霊たちが引きこまれていく先。


 ――そこには。


「走れ! 追ってきてるぞ!」

「え、なに」

「まだ何かあるんですか!?」

「いいから走って!」


 ミトラスに頭蓋と鞄を渡してから全速力で駆け出す。目の前の小学生二人も、後ろの存在に気付いて走る。


「なんか汚い大きい波みたいなのが来てるんだけど」

「撮っとこ」


 南と先輩はバイクに跨るとそのまま走り出した。流石に早い。あっという間に先へ行く。


「なああれどう思う」


「地下の幽霊混じりの水が、地上の水に触れて溶け合ったことで、それを通して地上側の霊たちも、取り込み始めたのでしょう。一本化ができて良かったね」


「借金じゃないんだからさあ」


 くそう、最後の最後で往生際の悪い奴らめ。こうなったら意地でも逃げ切ってやる。


 しかし、仮に逃げたとしても、こいつらが雨で勢力を増し続けたらどうなってしまうんだろうか。止そう考えるのは、とにかく今は、校門まで急がなければ。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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