・目処が立ったぞ
・目処が立ったぞ
直線に直せば車庫から旧校舎の地下まで、そこまで遠くないはずなのに、明らかに本当の距離以上を走っている。前方の階段で、こちらに手を振ってくれている、二人の小学生の元に、まるで辿り着けない。
「走って! とにかく走って!」
「急いでください!」
必死になって声をかけてくれるけど、どうにもならない。走っている。前に進んでいる感触は、確かにある。それなのに進まない。ダイエットマシンの上を走ってるみたいに、不毛な感じがする!
後ろから迫る水は、とうに俺たちを追い越して、階段に差しかかろうとしていた。
「上に行け! お前らまで飲まれるぞ!」
足首の高さまで来ていた水は、波のように足を引っ張る。転んだら連れて行かれるんだろう。たぶんそんな気がする。
「でも!」
「行け!」
逡巡する西ちゃんの手を引いて恭介が逃げる。よし、これで少しは余裕ができた。
「ミトラス」
「はいはい。内緒にするって大変だね」
俺は友だちに連れられて、のこのこと台風の中怪奇スポットに来ていた、最終兵器兼魔王の息子兼恋人以上夫婦未満の相棒を見た。さっきまで俺に合わせて走っていたが、今は立ち止まっている。
割りと全力で走ってるのに、その真横でこいつは棒立ちしてるから、俺が何らかの異常事態に、陥ってるということは分かる。
「手を繋いで。引っ張ってあげる」
「ありがとう。お前がいなかったら危なかったぜ」
ミトラスの手に触れた瞬間、周囲の水が引いた。いや、実際には水は引いていない。しかしそれまでに比べて、格段に軽くなったのだ。何がって何もかもが。
歩いて進むうちに、少しだけ乱れていた呼吸も、落ち着かせる。
「しかしこれどうなってんだ」
「これでも僕は畏れられる側の存在だからね」
「いや今更お前にそんなこと聞かないよ。そうじゃなくてこの水」
「ああこれ。これは言わば狎れの果てって奴だろうね」
化けて出たってことか。誰が。犠牲者たちが。そう考えると、校庭に突き出ていた手や、旧校舎内をうろついていた幽霊は、まだマシってことなのかな。
「あの穴の中がどうなっているのかは知らないけど、沈められて流された死体が、腐って溶け合って水場そのものを、霊魂を捕える堤にでも変えたのかも知れない。それがこの台風で水を増し、蓋のような存在だったお爺さんを失って、自由を得たってのはどうだろう」
「恭介が言ってた奴か。それなら宇宙に放り出された分は」
「さあ、案外人間から逃れたい一心で、宇宙を膨張させてるんじゃないかな」
「それって本当」
「科学的な根拠のない話さ」
そうこう言う内に、なんとか階段まで辿り着くことができた。水はなおも水位を上げている。最後に時間を確認したのは六時前。あれからどれ程経ったのか。まだ七時にはなってないはず、台風は夕方から未明にかけてって話だから、えっと。
「未明って何時くらい」
「午前零時から三時まで。君の世界の言葉でしょ!」
そうだった。ていうことは最低でも、あと五時間くらいは雨降ってるのか。人のこと言えた立場じゃないけど、やっぱり先輩って馬鹿だったんじゃないかな。
「良かった! こっちですこっち!」
階段を上がり、ついさっき壊したばかりの壁を乗り越えて、車庫へと戻る。そのまま外へ出ようとして、ドアノブを掴む。回らない。びくともしない。押しても引いても動かない。
「あ、開かない!」
「ここまで来てお約束ですね」
「壁! 壁壊しましょう!」
冷静さを取り戻した恭介と、未だテンパったままの西ちゃん。でもアイディアを出すのは、彼女のほうなんだな。
俺はあらん限りの力で、あまり上等な造りをしてない壁を蹴った。走る衝撃、伝わる俺の力、じーんとした後に、透き通るような痛みが、骨に伝わってくる。踵と膝が痛い。
「痛ってえ!」
「いったいどうして!?」
「たぶんあのお爺さんはホームレスじゃなくて、幽霊だったのでは。そしてお爺さんは悪霊の親玉で、僕たちを引きずり込もうとしてるのでは。お姉さん、それを捨ててください!」
恭介がそんなことを言って、俺からしゃれこうべを奪おうとする。見解の相違である。確かに爺さんがホラーゲームにありがちな、生贄にされた味方NPCの少女みたいな存在だとは、考えないよな。
むしろ打ち捨てられた白骨死体の頭を持ってくるとか、フィクション的には完全にアウトな行動だ。常識的に考えれば、俺が黒だよ完全に。
「そうよ! そんなの捨てちゃいましょう! 映画だとだいたいそれが正解だし!」
「創作物から離れて考えろ! 供養が必要だって分かるだろ!」
骸骨を奪おうと必死になっている小学生を躱しながら、壁を殴るのは至難の業だ。ミトラスは階段側に立って、水を見張っているから俺を手伝えない。
嘘みたいだけどこいつが見張ってると、増水の速度が目に見えて落ちるんだよね。ラスボスってありがてえ。
「いいか、こいつを生きた人間に置き換えて考えると、犯罪の片棒を担がされて自首したいって奴で、追って来てるのはそれを許さない首謀者と、犠牲者なんだよ」
「そんなの引き渡したらいいじゃないですか!」
「そうよ、因果応報じゃない!」
「うああこの現代っ子どもォ! それ絶対我が身可愛さ以外の感情入ってないだろ、子どもならもう少し純真なとこ見せろよ! 憐れみとかないのか!」
「ないよそんなの、馬鹿じゃない!?」
「たかが女子高生が、相手を子ども呼ばわりしないでください」
「追い詰められて本性見せやがったな悪魔ども!」
「携帯鳴ってる」
こいつら絶対将来俺の嫌いなタイプの大人になる。折角俺にも人間の友達が出来たのに、また人間嫌い克服が遠退くじゃないか。
「携帯鳴ってるよ」
「ちょっと待っててくれ、今この二人を説き伏せるから」
「だから携帯なってるってば」
「分かったよ出ればいんだろ出れば、え!?」
『はいもしもし!』
現金なことに小学生二人は、俺をほったらかしにして、慌てて電話に出た。それにしても時代が後になると、普通に電話が通じたりするんだから、ホラーはどんどんやり難くなるよな。
いや、そこは幽霊側が頑張って、電波妨害しろよって話なんだが。
「もしもし西です。え、あ、はい」
「もしも、『サチコに代わって!』」
恭介のほうから南の声が聞こえる。二人が俺に向かって携帯を差し出したので、それを急いで受け取る。両手に電話を持って、両耳で聞いて、両方と会話をする。
「もしもし」
――おお、よかったまだ生きてるね。
『今旧校舎まで来たわ。今どこにいるの』
聞こえてきた声は南と先輩、遥かに早い駆けつけ具合に、内心ですごい感動する。
「宿直室を見つけたのはいいんだけど、色々あって水没しかかってる」
――水没。
『どこ!?』
「旧校舎を後ろに回り込むと体育館がある。そこの向かいに校長の車庫がある。そこの地下がそうだ。俺たちは上まで戻ってきたが、閉じ込められた、ドアが開かない」
――どれくらい耐えられそう?
「分からんけど一時間は無理そうっす」
『分かったわ、待ってなさい今行くわ』
――ちゃんとオカルトな装備も持ってきたし、ピッキングツールも工具もばっちりだよ。
頼もしい。何がどうしてこんなに早くなったのか、分からんけどすごく心強い。水がそろそろ室内に入ってきそうだけど、何とかなりそうな気がしてきた。
「それじゃ、待ってるから後頼むな」
――おいしいとこ持ってったげる。
『待ってなさいよ!』
そこで電話が切れた。小学生二人に携帯を返す。助けがきたことを告げると、彼らはほっと胸を撫で下ろした。
「それにしても、よくこんなとこまで電波が入るね」
「本当にな。でも今そこを気にしても仕方ない。二人が来るまで、もう少し粘ってみよう」
持つべきものは頼れる味方だな、俺だけならまずどうにもならなかっただろう。そもそもその味方のせいで、ここに来てんだけど。自己責任? あの人やばくなったら絶対助けを呼ぶぞ。
しかし現金なことに、助かる予感にやる気が復活しつつあるのも確か。そんな訳で俺は二人が来ることを待ちつつ、もう少し頑張ることにした。
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文章と行間を修正しました。




