・独白(前編)
・独白(前編)
懐中電灯の明かりが照らし出した室内は、一言で表すなら『箱』だった。灰色の壁、黒い天井、
「なんだ、これ」
恭介が呻いた。ドアから一歩踏み込めば、靴底から伝わる感触の変化。土。リノリウムとか材木とかコンクリートとか気の利いたものではない。剥き出しの地面が、四メートル四方ほどの空間に広がっている。そして。
「なにコレ」
西ちゃんが呟く。底の抜けた箱の中に、唯一つあるもの、それこそが気配の正体だった。
「穴、井戸か」
「大きすぎると思うんだけど」
ミトラスが返す。室内中央に、ぽっかりと巨大な穴が空いている。室内の面積の半分は占めているだろうか。そこからは水の流れる音と、時折顔を顰める様な臭気が吹きあがってくる。濡れた石の匂いに混じって、死人から漂う腐りと乾きの中間のような臭みが。
「見たな」
話しかけてきた声は、さっきまで聞いていたものだ。気付かなかったが、旧校舎で出会った爺さんが、穴の縁に立っていた。顔を照らすが表情が分からない。無いのだ、顔が。
真っ暗だった。
「どうしてここに招いた。教えなきゃ諦めて帰ったかも知れないのに」
「ここを見てもらわなけりゃ困るんじゃよ」
誰かが喋った。こいつを爺さんと思っていいものか。
「見られちゃ困るものを、見られたから帰さないってのは分かる。帰さないための口実に、見られちゃいけないものを見せるってのも、まあ分かる。でも帰らせるために、見られちゃいけないものを見せるってのは、分からん」
念のためドアと壁の隙間に、石の棒をつっかえさせておく。これでいきなり閉まるということはないだろう。
「ここがこの学校の、ひいてはこの土地の秘密そのものだ。誰もが忘れて久しいから、この際もう暴いて貰おうということじゃ」
黒い影が蹲り穴の中を覗く。俺も身を低くして同じく覗き込む。深い、底が見えない。しかし波打つ水面は見える。流れがあるようだ。心なしかこちら側へと、迫って来ているような気がする。
「昔昔のことじゃった」
遠い所から聞こえる声は誰なのか。
それは唐突に語り始めた。
――
この辺りには沢山の村がありました。とてもまずしい村でした。助け合っても生きていけないような、村ばかりでした。食べるものもなく、商いができる店もなく、いつも誰かが体を壊していました。
あるとき、偉い人たちが見かねてお金をくれました。ですがどうにもなりません。お金があっても、お金で買えるものなど全然ありませんでした。あっても皆の分には、到底足りませんでした。
村人たちは考えました。このままではまた飢えてしまう。どうすればいいだろう。村が貧しい理由は、幾つもありました。上手く作物が育たなかったこと、漁がふるわなかったこと、そして他所にいけないことでした。
街道を整備して他の街に行けるようにしよう。誰かが言いました。村を出られれば、出稼ぎにいけるぞ、と。そうすれば、大人の食い扶持を減らせて、仕事もできる。他の街で買い物をして、村に送れるぞ、と。
村の男たちにはそうするしかありませんでした。ひもじさに耐えて村は道を作ると、男たちは畑仕事を終えるなり、村の外へと出て行ってしまったのです。
――
「要は何か上手くいかなくって、この穴に人をぼんぼん投げ込んだんだろ。それで」
先を促すと爺さんだったものの顔の部分が、風に煽られる炎のように震えた。ノイズのような光が顔の上を数度走る。咳き込むような笑い声がした。
「そうじゃな。出稼ぎだけじゃ堪えきれず、死んだ者をこの穴に投げ込んだ。ここが村の墓だった。村に限界が来た折、ここに線路を引きたいと街のお偉方から言われた。どうしようもなかったが、それさえ上手くいかなかった」
「消えた出稼ぎってのはそのときの連中だな。この鉄道云々の際に外から来た」
「よく知っとるの。そうじゃ。はした金で集められ、素手で凍土を掘らされた外人共よ。途中で死んだ者たちもまた、ここに放り棄てた」
厭な風習だな。共同墓地代わりの大井戸の底で、全部水に流そうってか。確かに流れは速そうだったが。
影は猶も笑った。
「他にもあんだろ、誰をどれだけ棄てた」
「初めは出稼ぎ、次が村に移り住もうとする余所者。その次が帰って来た村の男たち、そして最後が」
「ここに気付いてしまった生徒たち」
足元の飛沫があがる。間違いない。段々と水位が上がって来ている。
「勝手なものさ。捨てる場所に困る死骸を、捨てさせてくれとやってきて、その次は居場所に飢えた間男たちが、畑の収穫期に戻って来た夫たちが放り込まれた。それだって鉄道が開通して、まともな余所者が移り住むようになれば、今度は年老いたその夫たちも邪魔になった」
「誰が手にかけた」
「初めは自然死、次は夫か子ども、その次がここに学校を建てたいとかいう、役人の息のかかった連中、家族だったやもな。後は教師と……」
「お前か」
「そうさの」
影がその輪郭を朧にして、不気味に揺らめく。嘲笑うような声を上げるが、そこには怒りや悲しみが滲んでいる。被害者か、加害者か。
「代々、この地域を治めていたよ。時代が変わって何時に間にか、お役御免になったがね」
「それでここをバラしたくなったのか」
「ああ、何の為に、誰も彼もこんな馬鹿なことをして、やらせてきたのか、隠しておいて忘れるなんぞ、あんまりだとは思わんかね」
古い時代の人々が、自分たちのために他人を害しておきながら、その全てをここに沈めては逃げ、それを命絶えるまで見張っていたのか。いや、ここから離れられないのか。
「ここは何だ」
「学校じゃ」
「蓋だろ、この穴の」
穴の中を覗きこんでいた影が笑った。何がおかしいのか、体を小刻みに揺らし、震えている。
「そうだ。蓋だ。地元の者たちは、時代に置いていかれそうだった。そんな自分たちの身勝手を、身勝手の象徴たる、この穴のせいにしだしてな。この穴を塞ぐためだけに、くだらん言い訳が吐き出されたよ。学校を建てられる安価な土地が欲しいと」
「で、学校で蓋をした。どうしてここを埋め立てなかった」
「そうすれば、ここのことに触れなくてはならない。調べれば底に引っかかった骨の一本も見つかるじゃろう」
「黙ってやっちまえば良かっただろう」
「水抜きの際に中を見なけりゃならん。誰もそれをやりたがらなかったし、やろうとした奴には気の毒してもらった」
祟ったということだろうか。
その辺はやっぱり幽霊なんだな。
「ただな」
「小僧どもだけは、可哀想なことをした」
影の中に、爺さんの顔が浮かんだ。
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