表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/518

・独白(前編)

・独白(前編)


 懐中電灯の明かりが照らし出した室内は、一言で表すなら『箱』だった。灰色の壁、黒い天井、


「なんだ、これ」


 恭介が呻いた。ドアから一歩踏み込めば、靴底から伝わる感触の変化。土。リノリウムとか材木とかコンクリートとか気の利いたものではない。剥き出しの地面が、四メートル四方ほどの空間に広がっている。そして。


「なにコレ」


 西ちゃんが呟く。底の抜けた箱の中に、唯一つあるもの、それこそが気配の正体だった。


「穴、井戸か」

「大きすぎると思うんだけど」


 ミトラスが返す。室内中央に、ぽっかりと巨大な穴が空いている。室内の面積の半分は占めているだろうか。そこからは水の流れる音と、時折顔を顰める様な臭気が吹きあがってくる。濡れた石の匂いに混じって、死人から漂う腐りと乾きの中間のような臭みが。


「見たな」


 話しかけてきた声は、さっきまで聞いていたものだ。気付かなかったが、旧校舎で出会った爺さんが、穴の縁に立っていた。顔を照らすが表情が分からない。無いのだ、顔が。


 真っ暗だった。


「どうしてここに招いた。教えなきゃ諦めて帰ったかも知れないのに」

「ここを見てもらわなけりゃ困るんじゃよ」


 誰かが喋った。こいつを爺さんと思っていいものか。


「見られちゃ困るものを、見られたから帰さないってのは分かる。帰さないための口実に、見られちゃいけないものを見せるってのも、まあ分かる。でも帰らせるために、見られちゃいけないものを見せるってのは、分からん」


 念のためドアと壁の隙間に、石の棒をつっかえさせておく。これでいきなり閉まるということはないだろう。


「ここがこの学校の、ひいてはこの土地の秘密そのものだ。誰もが忘れて久しいから、この際もう暴いて貰おうということじゃ」


 黒い影が蹲り穴の中を覗く。俺も身を低くして同じく覗き込む。深い、底が見えない。しかし波打つ水面は見える。流れがあるようだ。心なしかこちら側へと、迫って来ているような気がする。


「昔昔のことじゃった」


 遠い所から聞こえる声は誰なのか。

 それは唐突に語り始めた。


 ――


 この辺りには沢山の村がありました。とてもまずしい村でした。助け合っても生きていけないような、村ばかりでした。食べるものもなく、商いができる店もなく、いつも誰かが体を壊していました。


 あるとき、偉い人たちが見かねてお金をくれました。ですがどうにもなりません。お金があっても、お金で買えるものなど全然ありませんでした。あっても皆の分には、到底足りませんでした。


 村人たちは考えました。このままではまた飢えてしまう。どうすればいいだろう。村が貧しい理由は、幾つもありました。上手く作物が育たなかったこと、漁がふるわなかったこと、そして他所にいけないことでした。


 街道を整備して他の街に行けるようにしよう。誰かが言いました。村を出られれば、出稼ぎにいけるぞ、と。そうすれば、大人の食い扶持を減らせて、仕事もできる。他の街で買い物をして、村に送れるぞ、と。


 村の男たちにはそうするしかありませんでした。ひもじさに耐えて村は道を作ると、男たちは畑仕事を終えるなり、村の外へと出て行ってしまったのです。


 ――


「要は何か上手くいかなくって、この穴に人をぼんぼん投げ込んだんだろ。それで」


 先を促すと爺さんだったものの顔の部分が、風に煽られる炎のように震えた。ノイズのような光が顔の上を数度走る。咳き込むような笑い声がした。


「そうじゃな。出稼ぎだけじゃ堪えきれず、死んだ者をこの穴に投げ込んだ。ここが村の墓だった。村に限界が来た折、ここに線路を引きたいと街のお偉方から言われた。どうしようもなかったが、それさえ上手くいかなかった」


「消えた出稼ぎってのはそのときの連中だな。この鉄道云々の際に外から来た」


「よく知っとるの。そうじゃ。はした金で集められ、素手で凍土を掘らされた外人共よ。途中で死んだ者たちもまた、ここに放り棄てた」


 厭な風習だな。共同墓地代わりの大井戸の底で、全部水に流そうってか。確かに流れは速そうだったが。


 影は猶も笑った。


「他にもあんだろ、誰をどれだけ棄てた」

「初めは出稼ぎ、次が村に移り住もうとする余所者。その次が帰って来た村の男たち、そして最後が」


「ここに気付いてしまった生徒たち」


 足元の飛沫があがる。間違いない。段々と水位が上がって来ている。


「勝手なものさ。捨てる場所に困る死骸を、捨てさせてくれとやってきて、その次は居場所に飢えた間男たちが、畑の収穫期に戻って来た夫たちが放り込まれた。それだって鉄道が開通して、まともな余所者が移り住むようになれば、今度は年老いたその夫たちも邪魔になった」


「誰が手にかけた」


「初めは自然死、次は夫か子ども、その次がここに学校を建てたいとかいう、役人の息のかかった連中、家族だったやもな。後は教師と……」


「お前か」

「そうさの」


 影がその輪郭を朧にして、不気味に揺らめく。嘲笑うような声を上げるが、そこには怒りや悲しみが滲んでいる。被害者か、加害者か。


「代々、この地域を治めていたよ。時代が変わって何時に間にか、お役御免になったがね」


「それでここをバラしたくなったのか」


「ああ、何の為に、誰も彼もこんな馬鹿なことをして、やらせてきたのか、隠しておいて忘れるなんぞ、あんまりだとは思わんかね」


 古い時代の人々が、自分たちのために他人を害しておきながら、その全てをここに沈めては逃げ、それを命絶えるまで見張っていたのか。いや、ここから離れられないのか。


「ここは何だ」

「学校じゃ」

「蓋だろ、この穴の」


 穴の中を覗きこんでいた影が笑った。何がおかしいのか、体を小刻みに揺らし、震えている。


「そうだ。蓋だ。地元の者たちは、時代に置いていかれそうだった。そんな自分たちの身勝手を、身勝手の象徴たる、この穴のせいにしだしてな。この穴を塞ぐためだけに、くだらん言い訳が吐き出されたよ。学校を建てられる安価な土地が欲しいと」


「で、学校で蓋をした。どうしてここを埋め立てなかった」


「そうすれば、ここのことに触れなくてはならない。調べれば底に引っかかった骨の一本も見つかるじゃろう」


「黙ってやっちまえば良かっただろう」


「水抜きの際に中を見なけりゃならん。誰もそれをやりたがらなかったし、やろうとした奴には気の毒してもらった」


 祟ったということだろうか。

 その辺はやっぱり幽霊なんだな。


「ただな」


「小僧どもだけは、可哀想なことをした」


 影の中に、爺さんの顔が浮かんだ。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ