・奥へ
・奥へ
車庫の中は空だった。当然ながら車は無い。壁際にドアと明かりを点けるスイッチが一つずつ。天井には電球がないので、電気があっても明るくはならないが。
「ここに爺さんが入っていった訳だが」
「どうかしたんですか」
壁にあるドアを調べる前に、俺は一度この場所の外側を、ぐるっと一周する。ちょうど裏側、中のドアの反対方向に位置する場所にもドア。一見すると、向こうと繋がってそうに見える。
しかしこの車庫内のドアは、正確には壁が随分と前方に迫り出しており、内と外とが扉一枚で繋がっている訳ではない。両者の間にはそれなりの空間があることになる。
「不自然な距離がある。それも結構な」
「じゃあやっぱり」
「入るぞ」
三人を下がらせてドアノブを回す。鍵はかかっておらず、開くことが確認できた。念のため雨合羽を脱いで片手に持ち、それを前に出しながら、ゆっくりとドアを引く。
開いた先から何かが出てくることもなく、ちょっとした空間があるだけ。目の前に外へと繋がるドア。ここの鍵はかけられていたので開けておく。
中を照らせばそれだけ。床に何もない。壁があるだけ。ここまでくると不自然というより、悪あがきという印象。
「たぶん、この壁」
「絶対壊れますよね」
「よし、お前ら棒の後ろ持て。せーので押すぞ、せーっの!」
石の棒の後ろ側を握らせて、四人の力で壁を思い切り突くと、中途半端な響きと共に、コンクリートに穴が空く。薄い。二度目で棒が完全に向こう側へと突き抜けた。
「やっば、なんかすっごいワクワクしてきた」
「四隅に穴を空けよう。それから蹴破る」
同じ要領で壁に穴を空けてから全力で蹴ると、足の先から体ごと、闇の中へと放り出される。前につんのめっただけで済んだのは、咄嗟にミトラスがジャージの腰の部分を、掴んでくれたおかげだ。
だからズボンがずり落ちて、半ケツを晒したのはこの際言わんでおこう。
「なんていうか、ふつー」
「こんなとこ来るのに、わざわざちゃんとしたのなんか穿いてこねえよ」
恭介がトーンダウンした口調で呟く。むしろ高校生にもなって、普通の白パンがどれだけ貴重か、今のこいつには理解できまい。何せ汚れが目立つからな。
俺がそのことに気付いたのは、海さんから下着選びの相談をされたことと、ミトラスの日頃の気遣いからだった。余談だが先輩は、漫画の資料として買ったものを、そのまま使っている。
「やっぱりありましたね」
「お約束過ぎて寒気がする」
気を取り直して明かりを向ければ、そこには地下へと続く階段があった。いつからか溜まった空気が、外の空気と引き換えに吐き出される。
「行くぞ」
何度目かになる号令を下して進む。一段一段が妙に高く、狭い。手摺りのない階段は、校舎の一階分ほどの深さがあり、降りた先には……。
「廊下?」
「先が見えないな」
光を差し向けて見ても、向こうが見えない。方角でいえば校舎へと戻っている。三人がいること、後方から誰も来てないことを、確かめた上で奥へと歩いていく。
安っぽいコンクリートで覆われた一本道。ペンキなど塗っておらず、今にも崩れそうな気がする。
「でも、不思議ね」
「何が」
西ちゃんがぽつりと言った。
「仮に恭介くんの言ったとおり、ある程度オカルトが解明されているなら、そこで誰かが死んでいるかが分かって、それが不審なものかどうかも、調べられるはずじゃない」
「そうだね」
「なら、どうして誰もそうしないのかな。やっぱり似非科学なのかな」
「いや、本当に解明できちゃ困るからだろ」
反響する俺の声。自分が普段聞いてる、自分自身の声とはまた違う音。そこにもう一人いるみたいだ。思えば、校舎周りの地面から手が出ていたか、ここではそれが見当たらない。幽霊の影も形もない。何も無い。
「どういうことですか」
「警察はな、全部の事件を解決するようには、出来てないんだよ」
「民事ってことですか」
家裁のことなんかどうだっていいよ。先輩に誘われて、一度見学に行ったことあるけど、あれほどくだらない見世物はそうはないよ。二度と行きたくない。
「違う行政の限界だ。全部の事件を解明して、捜査ができるようになってしまえば、いとも簡単に警察が処理できる、仕事の許容量を超えるだろう。お巡りさんだって一つのお役所なんだぜ。一つでも多く、仕事をしない理由が必要なんだよ。オカルトはその一つに過ぎない」
勿論何の発展もできない訳ではない。面子や時世といった、止むを得ない理由で進歩することもあるだろう。しかしそれは保守と伝統が風化するまで。言い換えれば時代が許さなくならない限り、絶対マシにはならない。それが行政である。
「警察の手が足りなくなる。迷宮入りはもとより、扱わないで済ませてきた、なかったはずの事件に追われる。そして生きている犯人が、次々に見つかれば、犯罪者の置き場にも困るし、世間からも責められる」
暗がりを進みながら、言葉を続ける。
「オカルトは言い換えれば、捜査放棄された案件の束なんだ。だからこそ科学的に解明されることを、行政は怖れている。向こうからすれば金にならず、手間ばかりで、しかも正しいと来ている。オカルトが現実になる。こんなに恐ろしいことはないはずだ」
「じゃあ警察が対応できなくなるから、心霊現象を解明できるような試みはされないって、そういうことなんですか」
「そういうこったな」
「夢も希望もないですね」
「この場合の夢と希望ってなんだろう」
「真っ当な職務と精神によって、犠牲者の無念が晴らされる。そういうことじゃないのかな」
俺、西ちゃん、ミトラス、恭介の順で話す。義憤や良心に駆られでもしない限り、誰もそんなことはしてくれないだろう。仕事でもないなら、それは趣味とか余計な真似と言われて終わってしまう。
「そういう報われない死っていうのが起こるのは、周囲の冷淡とか無関心から来て、それを生きてる人間が、際限なく嘘で蓋をしていく。この先にあるのは、そんな蓋の下、なのかも知れない」
そこ行くと俺は恵まれている。普通に良い子の海さん、自分の好きなこと以外はどうでもいい部長。まだ自分と良心を秤にかけられる南。現実の続きに友達ができて、俺は幸せだ。
「だったら、私たちが見つけてあげられて、良かったってことですよね」
「日ちゃん」」
「私たち頭良くないけど、そういうことはしたくないですもん。馬鹿なことしてるけど、それでほったらかしにされた人たちが見つかったなら、きっといいことです」
西ちゃんの目には、強い意志が込められていた。背筋を伸ばして前を向いている。きっと振り返ることもするだろう。そういう温かさもある。ミトラスが気に入る訳だな。
「本当、君ってタフだよね」
「僕たちより男らしいと思う」
男どもを尻目に彼女は歩みをしっかりとして、どんどん前へと進んでいく。その背中を見失わないように、俺たちもまた急ぐ。
やがて俺たちは廊下というより、洞窟のような長い通路の奥へと突き当たった。測った訳ではないが、ここは恐らく校舎の下。なのに校舎からは繋がっていない。
その地下室が、ぽつんと目の前に存在している。
誰かが唾を飲む音が聞こえる。電灯のない真っ暗な空間、そこにはたった一枚のドア。俺は宿直室の鍵を使った。
鍵を回せばかちゃん、という音がした。
これで開く。開くようになってしまった。
握ったドアノブをゆっくりと回す。ゆっくりと押す。ゆっくりと、開く。
瞬間。突風が吹いて皆の間をすり抜けていく。汚い、という言葉が脳裏に浮かんだ。
暗い。やはり何もない真っ暗な部屋。何も見えないが、まるで保健室のように、人の気配が感じられる。正面に誰かが立っている。
湿った土の匂いのする室内、俺たちはそこに居たであろう、先客の気配へと明かりを向けた。
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文章と行間を修正しました。




