・作戦会議
・作戦会議
「という訳なんだ」
「詰めを誤ったね」
北先輩が失踪したと思しき本日の夜、俺はミトラスと晩御飯を食べていた。
「面目ない」
ミトラス特製の麻婆豆腐をかっ込みながら返事をする。美味い。程よく辛い。本人曰くタバスコと醤油を少し使ったらしいけどこれは美味い。ご飯が進む。ほんのり香る和風な匂いが素敵。でもネギの量がちょっと多いかな。
「これ美味いな、辛口の料理って最近ご無沙汰だったから余計美味く感じる」
「ありがと。それで、これからどうするの」
インスタントの味噌汁が入ったお椀に口を付けながら、ミトラスが尋ねて来た。
こっちの世界に来てから彼は前の世界では手に入らない、若しくは手に入り難い食材を好んで料理に用いるようになった。具体的には豆腐とか味噌といった大豆製品である。
群魔では豆はあまり育たなかったからなあ。どこかからの差し入れでもないと食べられなかったが、こうしてまた食卓のメインに返り咲くと、けっこう嬉しいものがある。塩分多目だけど。
「どうしたもんかなあ。たぶん無事じゃないよなあ。現実的に考えて」
「こっちにも飛び火しかねない状況だね」
味覚のリセットとビタミンとか繊維の摂取も兼ねてサラダを、いや千切りキャベツを頬張る。ソースをかけたり軽く炒めたり蒸したりするだけで、十分おかずになるのだから、もやし共々ありがたい存在である。
「一応明日までオリエンテーションだから、また部活に顔を出して様子を見てみるよ」
最初は入学式からの説明と教科書配布、そして二日かけての部活紹介。この三日が最初の週の予定であり、何れも半日で終了する。
「万に一つ先輩が無事だったらそれで良し。そうでなければ、行き当たりばったりだな。平和に過ごせるならそれに越したことはないけど、たぶん無理そう」
もしも先輩の口から俺のことが話されていたら、待ち伏せも有り得るだろう。なんでこんなことを、晩飯片手に考えなきゃいかんのだ。本当に面倒なことになった。
「だから早速で悪いんだけど、学校に付いて来て守ってくんないかな。できれば、その耳を隠して」
「構わないけど、それならいっそ猫にでも変身しようか?」
「願ってもないけど、お前って変身魔法も使えたんだな」
「使う必要がなかっただけだからね」
その必要が出てしまったことは悲しいが、これは随分心強い。ミトラスが一緒なら荒事になっても平気だ。
何せ彼は魔王の息子。学校のグラウンド並みに広いトレーニングセンターの外壁を、真っ黒焦げにするような魔法を受けても、なんとかなる体の持ち主である。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様。はい、さくらんぼ」
真っ赤で瑞々しいさくらんぼが入った小皿が差し出された。信じられないことにこの世界の食費は、元の世界のおよそ四分の三ほど。特売やタイムセールを活用すると更にお安い。これは凄い。
「俺としてはこんなに住み良くなってんだから、元に戻さなくてもいいと思うんだけど」
「その先輩も同じ気持ちだったとしたら、だからこそいなくなってしまったのかも知れないよ」
ああ、善玉に捕まって反乱分子みたいに見られた可能性もあるのか。面倒臭い。
「冷静になってみれば俺たちって敵にも味方にもなる動機がないんだよな。どっちにしても」
「歴史を変えたほうと正そうとするほう。そんなものが本当にいたとするならね」
ミトラスは懐疑的だった。あれこれと言った割にはあまり本気にしてないような気がする。こっちとしては、ドアの向こうに不審者がいると、分かっているようなものなのに。
かくいう俺も、ミトラスがいるからそこまで心配はしてないのだが。
こちらの心情としては歴史を戻そうとは思わないが、だからと言って、変えたほうに与するつもりもない。それはきっと北先輩も同じだったはずだ。
いや、今日会ったばかりだけど。あの人の様子を思い返すと、むしろ保身のためにすんなりと寝返りそうではある。
「仮に先輩が死んでて、それでもこっちの話が相手に抜かれてなかったら、そのときは息を潜めて学園生活をやり過ごす。ただ中途半端に生きてて、誘拐されたり何かされたりしてたら……」
「どうするの」とミトラスが食器を片付けながら聞いてくる。それを手伝いながら考える。どうしよう。単なる誘拐とかなら助けてあげたいとは思う。
出来ればの話だけど。世の中は物騒だから、人生が台無しになるような悪意や、身の竦むような暴力はざらにあるので、そういう目に遭っていた場合打つ手がない。
昼間の先輩の顔が思い出される。目がデカくのっそりとしていて、かと思えば緊張すると、小動物のように忙しなく、ソワソワし出す目下の先輩の顔が。
良い奴って訳でもないけど、悪人ってほどでもない。折角こんな状況下で知り合った人だ。いきなりこんな形で、関係を終わらせたくない。それが今の偽らざる気持ちだった。
「……動けば無事でいられる範疇にいたら助けようと思う。ミトラス、手伝ってくれる?」
「当然でしょ。サチコのためなら人間の一兆十兆軽く皆殺しにして見せるよ」
剛毅な宣言が非常に頼もしいけど実践は遠慮しておこう。よし、これで明日以降の方針が決まった。俺は片づけを終えると、台所にある材料を取り出して、明日の朝食と弁当の支度に取りかかった。明日の食事当番は俺だからな。
「嬉しいこと言ってくれるけど、この星にはそんなに人間はいないよ」
「……そこまでは別にいいって言って欲しかったんだけど」
はっはっは。何を馬鹿な。俺は人間はそんなに好きじゃないよ。あくまでも俺の中の良心に則って行動はするけれど、それとこれとは別問題だ。
「相手が人間だからな、どうしてもそういう反応になる」
「群魔の皆とはあんなに自然に接してたのに」
ミトラスがからかうように言ってくる。意地悪く笑った目がなんとも嬉しそうだ。このやろう。お前の世界とこの世界の人間は違うんだ。たぶん。
そう、違うのだ。あの世界のように気のいい連中はここにはいない。それはつまり、ミトラスに手を貸してもらったとしても、俺が自分である程度何とかしなければいけないことを意味しているのだ。
俺は自分の手をじっと見つめた。場合によってはこの付け焼刃程度の魔法も、使わなければいけないかも知れない。
本当に、厄介事というのは、来てほしくないときにしか現れないものだ。
「こんなことなら皆も連れて来ればよかったなあ」
いかんな。帰って三日でもうホームシックだ。
思わず呟いた言葉は、溜息に混じり合いながら、宙へと霧散してしまった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。