・最後のレベルアップ
今回長いです
・最後のレベルアップ
「という訳でただいまー」
先輩に手紙を預けて帰宅すると、私服に着替えたミトラスが待っていた。テレビ画面も『サチコ』のチャンネルに切り替わっている。
「おかえり。なんだか吹っ切れたみたいだね」
「うむ。持つべきものは友だちだな」
世の中のクソッタレどもが、どうして人生に耐えられるのか。最近ようやく分かってきた。たぶんこの『友だちがいる』という状況は、精神的にかなり強力な加護なのだ。
それこそ人類史の長さ、人生の長さ、能力や年収の低さ、性格や見た目の悪さ、諸々のハンデ。こういったマイナス要素に対し、神経を麻痺させることが出来る。視力と想像力を優しく奪うことができる。
或いは恵まれたものを、更に先へ、前へ、上へと押し上げる。才能と財産と経験、これらと異なるもう一つの環境。これが良い友人の効果である。
悪い友人の効果は、まあマイナスが伝染るんだな。
「君もだいぶ真っ当な感性になったね」
「俺は元々まともだ」
前者が俺の友人たちで、後者がその友人に対する俺だ。
へへへ、こうして振り返ると皆結構野蛮になったからな。
悪いとは思うが、時既に遅し。
「ただ人の持ってる大半の物を、持って無かっただけで」
「自分を理性的に見られるのは、大したものなんだよ」
解決できない悩みや不安、言った所でどうにもならないこと。それらを前にしたとき、大抵の人は馬鹿にしながら逃げる。正常性バイアスとは、現実と向き合えない弱さのことである。
義務教育が終わるまで、理不尽に塗れていた身としては、そこで選択肢が出るのなら、弱虫と言わざるを得ない。
と、昔の俺ならそう言っただろう。
「なに、面倒臭かったら掌返すよ。焦点もぼかすし聞こえない振りもする。巻き込まれたくないから逃げる」
「どうかなぁ。君が厄介事をやり過ごしたことって、殆ど無かった気がするよ」
「前向きに行こう。これからの俺は大人になるんだ」
成人も卒業もした。それより先に、曲りなりにも社会人もやった。家族は手に入らなかったが、もういいだろう。俺はテレビのリモコンを手に取って、席に着いた。
「子どもの言うことだね」
「かもな。さ、所信表明もしたことだし、始めるか」
一年生の五月から始まったこの作業。たまに抜かしたり、サボったこともあったけど、これで最後だ。異世界の仲間から餞別に貰った、限界以上に育つことが出来るクリームも、先日とうとう使い切った。
恐らくそう遠くない内に、俺の成長は止まる。
一般人から随分遠くまで来た。
悔いも不満もない。
「肉体は、どれにしようか」
テレビ画面の上部に並んだタブ。それぞれの分野に対応した項目、肉体のタブには、腕がムキっと力こぶを作るマークが浮かんでいる。
「折角だから、これにしておこうよ」
「どれどれ、お」
『肉体上位置換』:自分自身を素材にして作れる範囲で、より強力な肉体へと徐々に変化させていきます。変身の魔法が使える場合、範囲は更に広がります。
不穏な言葉が。俺を素材に俺を強化するって聞こえるんだけど。ソシャゲのダブりじゃねんだぞ。
「これなら君の体の成長が止まっても、少しずつ強くなれるでしょ」
「お前って意外と諦めが悪いよね」
端的に言ってその内人間辞めるなこれ。いやまあ俺も興味あるし別に構わんけど。以前は血が青くなる奴が候補だったけど、こっちにしておくか。
「取得にはちょっと成長点が足りないぞ」
毎月の頭の時点で3,000点はある。今回の場合は月の終わりにやってるから、普段は計算しない余りとか、端数を足して倍以上ある。でもこれには8,000点が必要。
「じゃあ何か食べなよ」
「じゃあってなんだよ」
俺は昔取ったパネルのおかげで、食べ過ぎた分は成長点に回せる。これのおかげで、ちょっとやそっとじゃ太らないのだが、成長点への変換効率は低い。
「今台所から調味料取ってくるよ。あ、ドッグフードとかのほうが良いかな」
「ごめん俺頑張るからドッグフードは勘弁してください」
俺は台所に行って置き薬の中から、栄養剤を取り出した。基本的に使わなければ、古い薬を交換するときしか金は掛からない。こういうシステムは異世界にも導入したい。
婆ちゃんが死んだときに、契約の名義を俺に変更して、ほぼそれっきりだったが、こんな形で役に立つ日が来るとは。
「しかし本当に大丈夫かな」
「死んでも生き返らせてあげるから平気平気」
笑顔のミトラスが、今初めて怖い。ええいままよ。
「無理そうなら辞めるからな。せーの!」
箱を開けてドリンクを全部飲む。画面に映る数字が僅かに増えていくのが見える。五本目を飲んだ辺りから、一本につき20以上入るようになった。
「凄いな。十本入りのドリンクで100入るって、毎日一箱で犠牲サプリ一錠分だよ」
犠牲サプリとはミトラスがどこからか調達した、動物(人間含む、ていうか人間メイン)の死体から、精製される錠剤である。一粒で成長点が100点入る。
こう書くと命が安いみたいに思えるが、実際安い命を使っているのだ。とはいえ一日一本で、現代社会人の健康を支えているだけあり、過剰摂取したときの威力は、その安い命を容易く脅かすのである。
「値段が張るから何回も出来ないが、精神衛生上はこっちのが良かったな」
「まだちょっと足りないな。バターとかどうだろう」
特に感慨もないのか、ミトラスがブロック分けされたバターを一つ寄越してくる。カロリーそのもののはずだが、増えた点数は一桁。
「一度に複数の栄養素を摂取するべきか」
「この際試してみようよ」
「一応コレ人体実験だかんね」
それから俺は米とかシリアルとか、調味料とビタミン剤等を溶かしたお湯とか飲んだ。一番成長点への変換効率が良かったのは、米に足りない栄養を溶かしたお湯で作った『おかゆ』であった。
「足りたねえ」
「もう……腹、いっぱいなんだけど」
ギリギリ成長点が届いたので、さっきの『肉体上位置換』を取得。だが胃袋の中身は減ってくれない。解せねえ。それも持って行って欲しかった。
ちょっと変則的だけど、フリーの成長点で魔法のタブから先に、変身も取っておこう。
『変身魔法』:見たことが有る。接触したことが有る。摂取したことがある存在に、姿を変えることができるようになります。
これでよし。中身とか幅は追い追い増やして行こう。
「次は知能だけど、大丈夫」
「だいぶ頭の悪いことしたよね」
腹を擦りながらリモコンでタブを切り替え。
学帽と眼鏡のマークを見てると申し訳なくなってくる。
「今8,000点まで増えてるし、ここも高いの取っちゃおう」
「つっても肝心の俺が頭そんな良くな」
そのときだった。一枚のパネルが目に入ったのは。
『神経肥大化』:一部の重要神経をず太くして保護します。このパネルの効果により、身体への負荷の増大、疾患の発生はありません。
取得。
「ええこんなんでいいの、本当に!?」
「大事でしょう」
「大事だけど、即決だったよ!?」
探せば心臓に毛が生えるパネルもあったかも知れない。
神経が参ると生きていても死ぬのが人間だ。
「魔法は」
「ねえ本当に後悔しない。いいの」
「くどい。繊細さは俺に似合わない」
「そ、そうかも知れないけど」
そこはそんなことないって言って欲しかったな。
杖と三角帽子のパネルを見てっと。
「魔法は前回の温存分と合わせて13,000あるのか。何気に余らせがちだよな」
「君があまり興味を示さないから」
ミトラスはジト目で口を尖らせた。身に余るもので、欲しがっていいのは愛情だけだぞ。俺今すごく良いこと言ったな。
でも言って滑るとヤだから黙っとこ。
「実は気になってたのがあってな」
『契約』:精霊や妖精等を対象に、自身と契約を結ぶことにより、力を借りることが出来るようになります。また契約内容は全て交渉に依ります。
ファンタジーでよくある奴。相手先とか決まってないけど、テイマーとかサマナーとかシャーマンとか、そういうの憧れるじゃん。
生活を気にしたり、必要が無かったりで取らなかったけど、取るだけならば問題ない。スカルナイトたちも、呼んだのは一度切りだし、これは本当に自己満足の域だな。
「きっちり三回取得っと」
成長点が1,000点余ったので、魔法のフリーの残りと合わせて『変身魔法』三段階目にする。たぶん成功率とかに関わって来るんだろう。
「サチウス、君は今の段階で、結構な数の魔物を連れて歩けるって知ってる」
「いや知らん。そんなゾロゾロしたい訳じゃないし」
「じゃあ何で取ったの」
「趣味だな」
文句を言いたげなミトラスだったが、どうにか堪えてくれたので、特技のタブへと移る。棒人間の頭上に、閃きを表す電球のマーク。
「あ、これなんかどう」
『省エネルギー』:他のパネル取得によって生じた変化を、外見上は無かったことにします。適用そのものは無かったことにはならず、またこのパネル取得時の変化は、取得者が任意に解除、変更が可能です。
「外見上『は』」
「外見維持みたいじゃない」
あのパネルは見た目をなるべく維持しつつ、能力の増強を反映させるってものだからな。こっちは能力そのままで、見た目を戻すっていうもの。
ぱっと見上位互換だが、リーチが縮むのはなあ。でも体の小さいほうが生活面で楽ってのは、身に染みてるし。
「まあ成長点も丁度だし、いいか」
「大きいままでも、昔のままでも、僕は構わないけど」
「じゃあ取得」
最大の懸念事項が解消されたので、躊躇う理由は無い。
ここらでミトラスの機嫌も回復したい。
「おお、見る見る内に視点が下がっていく。服もちょっと余って痩せてしまったかな」
「縮んだんだね」
「いや、痩せ」
「縮んだんだよ」
……はい。
「でもそうだね、十七歳の体になったときより、少しだけ背が伸びてる。元々の君も成長してたんだ」
全部俺だけど、そうか。元々の俺も、か。
「ミトラス、ちょっといいか」
「何、サチウス」
「俺の体の年齢をさ、十八歳に進めて欲しいんだ。それで、異世界に帰ったら今度は、そうだな。二十歳くらいに進めてくれ」
俺はミトラスのおかげで不老不死だが、そのため歳を取るには彼に頼まないといけない。卒業したんだから、もう年齢を進めてもいいはずだ。
「君今年で二十二でしょ」
「いいから。そこはいいから」
俺の中で見栄と誠実さが妥協し合った結果なんだよ。
「まあいいけど、君は本当にこういうのに執着しないね」
「お前が育つのに合わせようと、考えてたんだけどさ」
「いいよ。良いことだから」
そう言うとミトラスは、優しく微笑んでから、祈る様に手を組み、目を瞑った。視点がさっきよりまた少し上がったような気がする。
「これで君は十八歳サチウスになりました。戻ったら二十歳サチウスだね」
「サンキュ、ちょっと鏡見て来る」
ダブついた服も着替えずに洗面所へ行く。そこにはいつもと変わらない顔の俺がいた。
「一歳じゃまだ変わらないか」
「君が君のままなら変わらないよ」
後ろからミトラスの言葉が聞こえる。俺が俺のままなら、か。成長するっていうことは、自分が自分でなくなるってことじゃ、ないんだな。
今まで散々見た目が変わっても、中身は同じだった。
「なあミトラス」
「なあにサチウス」
「俺って成長したかな」
何となく不安に思って、振り返らずに聞いてみる。
「成長したよ。間違いなく」
「変わったかな」
「変わったけど、変わってない」
言葉の意味を考えて、止める。ミトラスはたぶん、正直に言ってくれたと思うし、俺もそう思う。お世辞もあるだろうけど、本当の部分もあるだろう。
ならそれで充分だ。
「そっか。うん。じゃあこれでレベル上げはおしまい!」
言いながら戻って、テレビを消す。
「三年間の長きに渡り、俺の成長を手伝って頂き、ありがとうございました!」
両手を合わせてテレビにお辞儀をする。あの得体の知れない生意気な画面ともお別れだ。今まで世話になった。
だがこれで。
「これでまた前の服が着られる……」
「捨てずに取っておいて良かったね」
全くだ。ようやくタンスの奥に眠らせた昔の服を、引っ張り出せるってもんよ。これからは省エネ状態と今の姿で、着る服を選べるってことだ。
何気にかなり大事だぞこれ。
「でも、出来れば最初の内に取っておきたかったな」
「ドンマイ。生きてるとそんなことばっかりだよ!」
爽やかな笑顔で以て、ミトラスはレベル上げを締めくくった。現状で欲しい物は、現状を克服しないと手に入らない。
本当に世の中とか人生って、ままならないもんだったな。
「気分はとほほって感じだけども」
「明日があるから大丈夫」
元を取るためには明日が必要だ。それがレベルアップの作業が持つ、本当の意味だったのかも知れない。
「ともあれこれで、この作業もおしまいっと」
「お疲れ様でした!」
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




