・別れの季節
今回長めです
卒業編
・別れの季節
まだ肌寒い空気の中、空は晴れ、風も緩やか。近所にはろくに人がいないのに、どこからか笑い声が聞こえて来る。
休みの日の朝は、何事もなく、静かだ。
「これで見納めか」
「うん、うん」
一緒にテレビを見ているのは、そろそろ丸六年の付き合いで、七年目に突入しようかという魔物。
猫耳を生やしたファンタジックな緑髪、金色の目を眩しそうにしている彼の名は、ミトラス。
俺たちは今、日曜日のヒーロー特撮番組を見終わった所だ。最終回だったから、エンディング後に新番組の主人公と交代するシーンが流れる。
「そんな泣くなよ」
「ごめん、でも嬉しくて」
ミトラスは戦隊ものの最後に男泣きを見せた。
マスクが割れ、変身が解け、一度は敗北し、守るべき人々の姿を思い出して立ち上がり、武器以外は生身の戦闘シーンを経て、最後に破壊寸前の合体ロボでの勝利に、新たな旅立ちという王道。
ほぼCM無しの濃密な三十分に、彼は打ち震えていた。
「毎年見てるだろうに」
「そうなんだけど、うう」
何気にこっちの世界に来てから、ミトラスはこの手の番組を、欠かさず見るようになっていた。だからこれと同じようなことが、実はこれまでにもあった。
この後にもヒーローとヒロインの番組があって、最終回はだいたい前後するのだが、今年は何故か全て同じ日に重なっているので、彼の今日の精神状態が心配である。
「ほら深呼吸しろ。ライダー始まっちゃうぞ」
「すーはーすーはー、よし!」
ミトラスはリビングの椅子から降りると、テレビの前に正座した。正直この後も、同じ展開が続くと思うのだが、そんなことは関係ないのだろう。
「お、始まった」
「!!」
食い付きがすごい。前回はラスボス相手に仲間が全滅して、主人公もベルトが破壊されて、変身ができなくなったんだっけ。
ここからどうする。
――さあ来い化け物! 俺が相手だ、俺たちが相手だ! 変身!
敗れた仲間の変身ベルトを使い、玉砕覚悟の突撃が続く。ベルトの正面と左右には、阿修羅の顔のようにそれぞれの変身システムが、組み込まれている。
他のライダーに変身し、ダメージと引き換えにベルトが順番に壊れていく。何が熱いって変身時に、仲間の名前とライダー名を名乗る所。
「ぐっくう」
隣ではミトラスが歯を食い縛っている。ベルトが破壊される度に、仲間との今までの想い出が映されるの、本当に良く出来てる。
「駄目か……!」
耐えきれない呻きが隣から上がる。画面の中では、遂に全ての変身システムが破壊されてしまった。変身が解け、満身創痍の人間が現れる。
そこ駆け付ける仲間とバイク!
間一髪体当たりを避けたラスボスを尻目に、応急修理を終えたベルトを届けると、後ろから攻撃されて退場。無言でベルトを巻く主人公。間の撮り方と呼吸から、恐らく日本中の子どもたちが、声を揃えたことだろう。
『変身』
流れるメインテーマ、追い詰められ逃げるラスボス、最後のバイクチェイス。今作はバイクが足の強化パーツになるので、キックの見た目も豪華。伝統的な必殺技が決まって、少しの殺伐とした空気が漂い。
「終わったな」
「うん」
時間が経過した描写が入って、ヒーローたちが日常へと帰っていく。第一話で通った道を、変身せずにヒーロー用のバイクに跨って走る。すごい。やり遂げた感がすごい。
「気付けば三十分経ってる。本当に三十分だったのか」
「僕もたまに思うよ。時間の流れがおかしいんだ」
この後もう一本女児用のアニメがあるんだけど、アレ最近テーマが糞重たいんだよな。社会派っていうのかな。
「今のうちにトイレいっとこ」
「あ、ずるい!」
「何もずるくない」
何時に無く必死なミトラスが、先に用を足そうとトイレに先回りする。目にも止まらない速さで個室に駆け込むとか、本気過ぎるだろ。
うちは二階建てじゃないから、トイレが一つしかないのが困るよなあ。婆ちゃんもせめて、トイレ付の離れでも建ててくれれば。
「はい出ましたどうぞ!」
「早かったな」
慌てながらもしっかりと手洗いをするミトラス。俺も用を足してと。
「まだ大丈夫だから、安心して」
「分かったからお前が落ち着け」
インターバルが短い。どこも最終回は放送の枠にみっちり詰め込むから、こんなことになるのだ。
「最初は女児向けだったこの番組も、今じゃ一番ロックな番組になっちまったな」
俺が小学生の頃からあったこの番組は、その頃からもう既にネット上で、変な連中に集られていた。似非リベラルや偽フェミニスト辺りから、子どもと人権を盾にした攻撃に晒されていた。
内容は大抵不適切と言いつつも、実際は『気持ち悪い』『気に入らない』という典型的ないじめの構図だった。
「昔はこんなじゃなかったらしいんだけど」
「そうなんだ」
あるとき公式にクレームを付けに行った奴が、逆に訴訟され、身内が芋づる式に訴訟、逮捕された。使ったアニメの映像が、違法に入手したものだったのだ。それからというもの、平和にのびのびやりたい放題である。
しかしスポンサーが減ったのか、今作はなんとソロ。
「相手の軍団のほうがカワイイっていう、ブッ込んだ今シーズンだったけど、どうなるかなあ」
「理屈以前に負けてるから、理屈で負かして、暴力で壊してやるっていう感じだったけど」
極めて原始的な悪意を主人公が抱くという、凡そ日曜日の朝に流す内容ではない。しかも主人公の女の子は、人並みの外見だが、変身後は美少女になると作中で言われている。
少女漫画にありがちな最初からカワイイ、美少女でも無ければ、一般的とは名ばかりの最上位種でもない。先週は世界中を敵に回す展開だったけど、あ、始まった。
「うわ、あ、やった!」
「あいつ民間人も容赦なく吹き飛ばしたぞ」
――皆が付いてる? 皆って誰よ。
――狂ってる……あんたは狂ってる!
世界を味方に付けたラスボスの魔法少女だったが、主人公の女の子が片端から人々を襲い始めて、画面は早くも地獄の有様となった。
敵に誑かされて向かってくるなら、それは戦闘員と同じだが、これは最初から、味方が増えなかったからこそできる、荒業中の荒業である。
上がる爆発広がる悲鳴。どっちが悪だか分かりゃしない。
――あんたは間違ってる。見れば分かるじゃない! 私が全部勝ってて、あんたは全部負けてる。いい加減それを認めなさいよ!
魔法少女は只管生まれや、美貌や人気を見せつけ、自分の正しさや相手の間違いも指摘して、敵だけどもう立場的には、倒す理由がない。マスコットがくれた戦う理由も、梯子が外された状態だ。
しかし。
――知ってる。私は今日、あんたを倒しに来ただけ。これまでも、これからも、何も関係ない。
「狂戦士だ。殉教とも信仰とも違う」
この女の子は基本的にやさぐれており、ずっと嫌々戦ってきた。人嫌いだけどお人よしで、報われないが人を助けてしまう性格だった。
その彼女が作中で唯一自発的に言ったことが、目の前のラスボスの初登場時に、ズタボロに負けて発した言葉だった。
最早善悪とか世界の命運など関係ない。人々や地球やマスコットの世界を守るとか、取り戻すことも考えてない。たった一つの目的を果たしに来たのだ。嫉妬も恨みも希望も明日も、何もかもをも投げ捨てて。
「修羅だな」
破壊活動と泥仕合の末に、主人公の女の子が必殺技を放つ。どギツい暗色のフラッシュが、魔法少女の綺麗な光線を打ち破る。勝敗は決した。
――あんたが勝っても、あんたが私よりブスなのは、変わらないわ。これからずっと、変身して生きてくつもりなの。
――こんな物はもう要らない。変身もしない。後はもう、お前たちで勝手にやればいい。
変身用の化粧道具を地面に落として、女の子が去って行く。そして月日が経って、日常の景色の中を、制服姿で歩いている姿が映し出される。
街灯のテレビの映像や、携帯の液晶画面に映る、敵組織とラスボスの元気な姿。世界は敵の手に落ちたが、特に変わりなく動いていた。まるで戦いなどなかったかのように。
それを見て女の子は、左右の人混みの中を縫って、画面の奥へと歩いて消えていく。場違いに明るいOPテーマを背負いながら。
「男臭い!」
「これ絶対荒れる奴だぞ」
敵の全面勝利に対して主人公のしたことが、女同士の個人的なケンカに勝ったって、少年漫画でも今日びやらないぞ。二度と変身しないから、映画にもたぶん出ないだろう。いいのかそれ。
「まあ面白かったからいいか」
「そうだね」
番組ごとに目指した方向が違ったので、ミトラスは案外大丈夫だった。しかしこれで日朝も見納めか。いや異世界でも見ようと思えば見られたけどさ。異世界か。
「なあミトラス。俺たちって何時帰るんだっけ」
「四週目の日曜日だね」
「そっか」
「さ、ご飯を食べよう」
満足げに朝飯の準備をしながら彼は言う。今日のために、昨日の内からシリアルで済ますと決めていたから、後はもう器に牛乳と一緒に注ぐだけ。
「終わってみれば早いな」
「そうだね」
改めてテーブルへと向かい、椅子に座り直す。
「色々あったが、さっきみたいなことは結局なかったな」
「波乱に満ちていたじゃない」
「違う。そういうことじゃない」
戦ったり問題に悩んだりはあったが、どれも格好良い終わり方ではなかった。具体的には爆発が足りなかった。
折角多少は戦えるようになったんだし、もうちょっと美化できそうな構図が欲しかった。
「もう卒業式か」
壁に掛けられたカレンダーを見ると、二週目の二日目に、赤ペンで丸が付けてある。もうこれ以上事件や事故に巻き込まれなければ、晴れて俺は高校を卒業する。
「早いな、いや、長かったのか」
「そうだね」
ミトラスはたぶん、何を言っても頷いてくれるだろう。これを投げやりと取るか包容力と取るか、評価が分かれるだろう。俺は後者だ。
「レベル上げは」
「いいよ。今日はやめとこ」
少しだけ驚いてミトラスを見ると、彼は静かに、優しく微笑んでいた。朝の光を受けて、木洩れ日のように、柔らかな笑みを。
「いいのか」
「また今度でいいよ」
ああ、もう上げる必要がないのか。すっかり習慣でやるようになってたが、俺のステータスも、一先ずは役目を終えるのかも知れない。
「君も大分成長したからね」
「自分じゃよく分からんけど」
髪の毛は腰まで伸びて、背は二メートルとアホほど伸びた。体重はもう数えてないし、筋肉もそこそこ付いたのに、腹には未だ肉がある。
人相のほうはまあ、多少変わったと思う。目つきは少し良くなったし、笑い皺の少ない仏頂面も、たぶん少しはマシになった。そばかすはそのままで、眉毛は心なしか濃くなった気がする。
「いや結構変わってるな」
「そうだね」
俺の容器にシリアルと牛乳を注ぎながら、ミトラスはけたけたと笑った。メッキが剥がれてるぞちくしょう。
「さ、食べよう」
「おう」
『いただきます』
もそもそしゃくしゃくぐびぐびごくん。
咀嚼をして、飲み込んで、お茶を飲む。
「なあミトラス」
「なあに」
食事を中断せずに話す。行儀が悪いけど気にしない。
「俺たちって、本当に帰るんだよな」
俺がそう言うと、ミトラスは一旦手を止めてこっちを見た。自分でも何が言いたいのか分かってる。でもそこまでは言えなかった。
少しの間、彼の言葉を待った。観念してこちらも手を止める。口を拭いて目を合わせる。こういう俺の内心の誤魔化しみたいなのを、ミトラスは簡単に見破ってくる。
「サチウスはどうしたいの」
二つの気持ちがある。そして出す答えは一つ。
俺の答えも決まっている。決まっていた。
でも。
「僕はどっちでもいいよ」
「それが一番困るんだよなあ」
そう言って、俺たちは朝食を再開した。
こんなふうに思う日が、まさかやって来るなんて。
進路への今更の問いかけにしかし、俺は直ぐに答えを出せなかった。色んな奴らの顔が浮かんでは消えていき、その答えを出したくなかった。
この世界に残りたい気持ちもある。名残惜しいっていうのは、こういうことなんだな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




