・同じになれなくて
・同じになれなくて
※このお話は三人称視点となります。
「サチコに変身して欲しいんだ」
行為に及ぶ前、北斎が発したのは概ねそんな言葉だった。このことを言われたのは、誰あろうこの件の被害者であり、共犯者でもある、魔少年ミトラスであった。
学校から帰宅した彼の連れ合いが、改まった態度で、北斎の家へと行って欲しいと頭を下げた。その様子に、徒ならぬものを感じた彼は、いよいよ避けられぬ事態を迎えたことを知った。
今は時空警察の、他に誰もいない、薄暗い個室に二人はいた。光源はベッドサイドの明かりだけ。北斎が自力で運び込めなかった物を、ミトラスの力を借りて搬入したのである。
曲がりなりにも一度は重ねた肌と、彼は観念して今宵の情事に臨むことにした。だがしかし、待っていたのは予想だにしない話であった。
「あなたを、サチウスに、ですか」
ミトラスは斎の言い間違いだと思った。以前も彼女は魔法によって、友人の姿で行為に及んだ。今回もそのはずだろうと考えるのは、不自然なれど、自然なことではあった。
「みーちゃんが、サチコになるの。私はそのまま。今度は私自身でするから」
ミトラスは困惑した。以前も性行為に及びたいと言いながら、その際の快楽は北斎ではない、二人の感触だった。
二度目は自分自身の体で、と思うのは理解が出来た。好奇心や慣れがそうさせるのだと。しかし相手役を友人にするというのは。
「僕よりはサチウスのほうが、抵抗は少ないのかも知れないけど、北さんはそれでいいの。その、出来るとは思うけど、体は女の人になるし」
「出来れば下は付いたままで」
「あ、はい」
「あと体格も出来れば大きくなる前がいいかな」
「……」
真面目な話のはずが、きっちり我が侭を通そうとする斎に、ミトラスは目も眩むような苛立ちを覚えた。
(彼女なりに大真面目なんだろうけど)
結局行為そのものはするようで、ここまでの思わせぶりな経緯は、いったい何であったのか。彼の思いを他所に、斎は先を続けた。
「みーちゃんには本当に悪いと思うけど、私、今日はどうしてもその」
言い淀む姿に、ミトラスは違和感を覚えた。これまでの、今日までの北斎という人間には、今まで見られなかった仕草だった。
「良いですよ。分かりました、早く済ませちゃいましょ」
「うん、ありがと。そうだ、例のものは」
「持って来てます。後で処分してくださいね」
そう言ってミトラスは、銀色の小さなロゴのようなものを取り出した。それは斎が発明した、ビデオカメラとUSBが合わさった機械だった。
中にはサチコとミトラスの情事に耽る映像が収まっている。正確には、斎に変身したサチコと彼の情事も。二本立てである。
斎の提案によって、彼は自宅のサチコの部屋に仕込み、自らの営みを撮影した。それが斎とミトラスにとって、共通して興奮と劣情を誘うものだったからだ。
「音量を調節してと」
斎はノートパソコンの側面に、件のUSBとプロジェクターを接続すると、幾つかの操作をする。
「服はどうしますか」
「まだ下着までで」
そうして流れ始めた映像を、二人はしばし見つめた。
生々しいどころの話ではない。一組の男女の生そのもの。
「サチコってこんなに笑うんだね」
「ええ、まあ」
楽しみ、喜び、逸る様子の友人は、それまでに知ったどんなものとも違っていた。斎は初めて女でも、戦士でもないサチコの、少女の顔を見た。
「なんだ。あいつ可愛いじゃん」
じゃれ合う内に、肌を露わにし、上気してはお互いに集中する。雑念と呼べるものは間に一つもなく、煩悩と呼べるものもまたなく。
「サチコってこんな声を出すんだね」
「ええ、まあ」
低俗で下品な行為のはずが、全く別の空気を帯びて来たことを、ミトラスは感じていた。斎の目には、生殖に中てられた獣とは、遥かに異なる色が浮かんでいた。
映像の中のサチコが、矯正を上げ、裸体を晒し、相手を貪るのを見て、斎は興奮も幻滅もしなかった。唯々、自分の知らない友人を知ることに、没頭していた。
「しないんですか」
「……」
斎は問いかけには答えない。ミトラスは彼女の醸し出す雰囲気が、変わっていくのに気付くと、無言のままにサチコへと化けて、すぐ隣に座った。
全てを晒け出す友人を見つめる瞳に、正も負も、善も悪もない。ただ憑き物に似た何かが、別の何かを巻き込み、剥がれ落ちていくのを彼は見た。
「斎」
サチコの振りをしたミトラスに、一瞬だけ斎は振り向いた。無言のまま持たれ掛り、視線を前に戻す。ここに到り、状況は濡れ場の皮を被った、愁嘆場の様相を見せ始めていた。
「これを見終わったらしよう」
「お前の分もあるから、朝になるぞ」
「私の分はカットでいいよ」
現実時間にして半夜を要する行程であった。それに比べて斎の分は、体力に劣っていた分格段に短く、当人との行為にのみ焦点を当てるならば、むしろそちらだけを見るべきであった。だが。
「私はここにいるから、さっき聞いたってなっちゃうし」
ミトラスは、無意識の内に斎の手を握っていた。男の自分がそうしたのか、借りた女の姿がそうさせたのか。一つ言えることは、向こうも握り返したということ。
それから数時間が経ち、時刻は深夜になった。
「じゃあ始めようか」
「本当にいいのか、斎」
服を脱ぎ、肌を晒した斎に『サチコ』が問いかける。注文通りの歪な偽物。分かっていてなお、斎には確かめたいことがあった。
「いいの。朝まで時間無いし、やろ」
言われた『サチコ』は苦笑して、頬を掻いた。覚えている限り、知っている限りの『彼女らしさ』で接していく。
戸惑いを見せることもあったが、斎は素直に応じていく。映像を継ぎ接ぎし、なぞるかのように肌を重ねる。
「あ、ごめん。チューは無しで」
「俺になったときはしたのに」
「ふふ、そうだね。なんでだろ」
流れた汗と汁を、相手の体に刷り込む。華奢な肢体が跳ねる度に、目の前の肉にしがみつき、埋もれ、求め合う。
「サチコ……サチコ……!」
上り詰める直前に名前を呼ぶが、斎の胸中には、違和感があった。その正体は、夜が進むにつれて明らかになっていく。
(ああ、やっぱり、私とサチコは)
およそ人間では過ごせない夜だった。互いの姿、性別さえも入れ替えた、この行為は続いた。ミトラスはこれが既に、性的欲求の解消から、斎自身の探求に変わっていることを、理解していた。
(どこまでも難儀な人だ)
元より気乗りしないことだった。ともすれば理性に引っ張られそうになる体。ミトラスは目の前の女の心に、誰がいるのか既に理解していた。
しかしそれを口に出すことは決してなかった。
他人の体と姿を借り、肌を合わせ、性交に及んで、想いは遥か別にある。あまりにも奇妙な体験に、彼も没入した。
義務感でも使命感でも性欲でもない。お互いに向けられた愛情でもない。肉体への刺激と反応に任せて、ただやらせておくだけの動作。
その異常な時間は、夜が明ける程度の時間が過ぎ、斎が精根を吐き終えたことで終わりを告げた。斎がベッドに力尽きるのを見届けると、ミトラスも『サチコ』から元に戻った。
「はぁ、はぁ、すぅー、ふぅ」
息も絶え絶えの細身は、湯立つように上気して、咽返るような精臭を放っていた。光衰えぬ両目の焦点は、どこか遠くに定まっている。
「満足しました」
「ううん。でも分かった」
ミトラスは斎の言葉を、ただ受け止めて先を待った。
「私もね、サチコとこういう感じに、なってもいいかなって思ったけど、やっぱり違う。私とサチコの気持ちは違うんだなって」
「嫌だったの」
「ううん。嫌いじゃないよ。ただ違ってただけ」
体を拭かれながら斎は話した。
くだらない悪企みから始まり、この一夜で終わったことは、他でもない斎自身の探求であった。虚飾を剥ぎ取り、暗がりを無理矢理に照らし出す行為だった。
「サチコはああ言ってくれて、今日みーちゃんで試してみて分かったけど、私たちがこうなるのは違うし、そういうものじゃないって思う」
友人に向けられた好意と受容に対して、斎は同じものを、自分も持っているのだと、心のどこかで思っていた。
どこか。
それは差異というよりは、有無であった。
否定も肯定も、無い物を基にしては出来ない。
「私もサチコは好きだよ。でもこんな気持ちになったのは初めてで、何一つ自信も確証も持てなかった。学校であいつに言われたとき、胸がいっぱいだった。だから、私の気持ちを確かめたくなったんだ」
同じものを自分が持っているか。嫌われることより、不足を恐れ、己を試した。そして。
「今まで散々ふざけといて何をって思うかも知れないけど、本当なんだ。私たちは、こうじゃないんだ。同じじゃなくていいし、だから、本当にサチコとこうならなくて、良かったって思う」
自分の中の好意を確かめるために、あまりにも無茶な自傷行為を仕掛けたのだと、ミトラスは思った。
最後まで斎の気持ちは、彼には一切向かなかったが、その分をサチコに向けていることが、彼にはより大きな意味と、価値を持っていた。
「でもおかしいな。これでいいはずなのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう」
斎の胸に芽生えた罪悪感の正体は、何よりも咎の無い形であった。
嗚咽は無かった。目から水が零れて落ちていくだけ。過ごしていた毎日の景色に、或いは家族よりも近しい人と、違う自分。たったそれだけの当然に。
「これが正しいなら、私たちにとって正しいのなら、どうしてこんな気持ちになるんだろう」
魔物の少年はその顔を、友人には決して見せないであろう想いを見た。そして。
「業の深い人。そんなこと」
彼は斎の髪を撫でてから。
「あなたがあの子を愛したからだ」
そっと明かりを消した。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




