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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
さらば南編
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・来店

・来店


 うむ。久しぶりに心が煮詰まるような一時であった。潤いには困ってないが、何か大事なことを再確認したような気がする。


 すっきりしない。はっきりしない。こう、俺の根源的な、結構どろっとした感じのものが、首をもたげて盛大に吐き出された、そんな感じだ。


「たまにはこういうのもいいな」

「そういうこと言わないで、ちょっと恥ずかしいんだから」


 いつもそうだが、事後のミトラスは俺よりも恥ずかしそうにしている。頬は真っ赤で落ち着きがない。もう何回も顔を洗ったのにな。うむ、今晩はもう一回しよう。


「そんなことより昼飯どうする」

「そんなことって、いいよ。そろそろバイトの時間でしょ」


 南のことでバイトのシフトを海さん、正確には彼女の親御さんに調整してもらった結果、他の日を空けてもらう代わりに別の日、別の時間帯に出勤することになった。


 時計を見ればそろそろ十二時。ミトラスが装備に魔法をかけたり、俺と乳繰り合ってたりしてる内に、あっという間に時は過ぎてしまっていたのだ。


「いいさ。ここんところ忙しかったし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 とはいえ時間が迫っているのも確かなので、朝食と大差ないもので、さっさと済ますしかない。朝は素麺だったし昼はトーストでいいか。夏は食欲が失せるので、晩飯以外はほぼこれしか食ってない。いかんなあ。


 冷蔵庫には卵の他に飲み物しかない。また買ってこないとダメだな。仕方がないので、食パンをトースターで焼く間に、インスタントのコーンスープと目玉焼きを作る。


「すまん、これしかない」

「あるだけいいよ。ありがとう」


 ミトラスが配膳を終え、て野菜ジュースをコップに注ぐ。バターもジャムも塗ったくり。


『いただきます』


 三分後。


『ごちそうさまでした』


 完食。用意に十五分。片付けに二分。歯磨きにまた三分。なんだか侘しい。帰ったらもう少し凝ったものを作ろう。


「じゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい。気をつけてね」


 いつもより遅めに別れを告げて玄関を潜ると、俺は尻が焼けるほど熱された自転車に跨り、喫茶『東雲』へと急いだのだった。



 ――――


「何でお前がいるの」

「私は客ですぅ」


 夏休みに突入して、学校帰りという条件がなくなったことで、東雲の中はいつもより空いている。この店のマスターであり、海さんの父親であるクラウドさんも、少し寂しそうである。


 そんな折、南が来店していた。


「そうか。ご注文をどうぞ」

「えっと……お、おススメとか、は?」


 なんだこいつ。もしかして一人で飲食店に入ったことないのか。それにしたって流れがあるだろ。普通に頼めるだろ。喫茶店でおススメ聞くなよ。


「俺としてはチャイティーと、そこの棚にある餡子クロワッサンがおススメだぞ。今は夏休みフェアの最中で、百円以上のパン二つとドリンク一つが、五百円でお得」


 南の背後にある棚を指差して、簡単に説明する。現在は人もまばらで空席もちらほら。とはいえ普段は見かけないリピーターもいるにはいる。


 学生がいなくなる時季になると、店に顔を出し始める『シーズン客』とかいう、面倒臭い常連に似た何かがいるのだそうだ。


「今は夏のフルーツジュースも売ってるぞ。マイナーな果物ばっかりだから、興味本位で飲んでみるといい。不味いということはないから」


 次にレジの横に張ってある手書きのチラシを指す。グァバとかパッションフルーツとか、どこから仕入れてくるのかよく分からんが、この店にそぐわない、空気を読まないメニューが、この店に今一馴染めない客層に好まれるのだとか。


 こういうのの他には、お惣菜パンがおばちゃんたちによく売れる。片田舎に小洒落た店をこさえたところで、そうでない人間たちを囲い込まなければ、やっていけないのがなんとも世知辛い。


「じゃあコレとコレ、あとアイスコーヒー」


 南がトレーにパンを乗せて注文をする。持ってきたのは、チョコクロワッサンとコロッケパン。それならプレーンのクロワッサンと、ベーグルのほうがまだ合うような気がするけど、珈琲飲む奴って他のメニューに頓着しないよな。


 で、組み合わせが悪いと文句を垂れる。そのくせ後で『あの店の珈琲いまいちだったな』とか言っちゃう系。こだわりとか被れのない奴が一番いいな。そんなことより接客だ。


「お好みはございますか。アメリカンはありません」

「じゃあ、普通で」


「だからお前の普通はねえっつってんだよ」

「日本のでいいわよ!」


「アメリカンですね。五百円になります」

「分かり難いボケをかまさないでよ……」


 硬貨一枚を受け取って、店長に注文をご報告。返事を聞いて、南に出来上がりまでもう少々お待ち下さいと言い渡す。


「番号札を持って、お好きな席におかけになってお待ち下さい。出来上がりましたらお呼びしますので。パンは温めますか」


「いきなり事務的にならないでよね、お願いします」


 そういって亜麻色の髪の、ゆるふわ系女子高生が適当な席に着いた。そして俺はというと、先客が隣の返却口に置いたトレーを片付ける。


 返却口の下に食べ残しを捨てる。ゴミ箱とか飲み残しを捨てる場所があるのに、きったねえまま寄越してくるなど、質の悪い客がいるがそこは我慢だ。黙ってさっさと片付けてトレーを洗い、拭いて、戻す。


 レジの隣のキッチンでは店長が、片手鍋に一人分の豆を入れて炒り始める。店の入り口側、入ってすぐの右横の壁には、様々な豆が入ったケースが棚一杯に陳列してあって、その下にも麻袋やかごに入った豆が、大量に置かれている。


 これらの豆は店で使うものだが、お客の求めに応じて量り売りしたりもする。半可通が月々の小遣いを握り締めては、色々試しに買っていくらしい。でも味の違いが分かるような舌と、味の違いを出せるようになるほどの腕が備わることは、基本的にないんだとか。


 まあ、本人が好きでやってるんだから、別にいいけどね。


「割と本格的ね」

「いい店だ」


 さて、店長が炒った豆を砕いて、ポットにお湯を注ぐのが見えたので、俺は預かったパンを業務用のレンジに入れる。三十秒でいいだろう。熱々にしすぎてはいけない。


 店長は客が大量にいるときは、大量に捌けるように、業務用の何かよく分からない大型の機械を使うが、客が少ないときは、こうして手のかかる方法をとる。味の分からない奴でも、美味しいと思えるくらい味が違う。


 海さんが言うには、地元の好みに合わせた淹れ方をしているってことなんだそうな。流石に本職だと感心したものだ。


 さて、パンが温まり珈琲も入ったので、トレーに乗せて南を呼ぶ。


「番号札○○でお待ちのお客さまー」

「あ、はい、私です」


 呼ばれた南が受け取って、自分の席へと戻る。それでやりとりが終わる。店内の喧騒の一つになる。何故か手を付けずに、ずっとこちらを見ている。無視しよう。


 レジを打って、食器を洗い、来る客と去る客に挨拶をし、注文とその出来上がりを相手に伝える。俺の出す音はこれだけ。残りは彼らの話し声、動く音、後はラジオくらい。


 働くことも勉強することも大嫌いだが、この店の空気は好きだった。夏休みで店内は少し静かだが、誰もを疎んだりはしない。隣でいつもよりゆっくりと動く海さんや店長。店のほうには南がいる。


 俺は小麦と珈琲の香りが遊ぶ店内を、悪くないと思った。


「臼居さん、ちょっといい」

「はい、なんすか海さん」


 キッチンの奥で海さんが手招きする。店の入り口を見て、誰も来ていないことを確認してから向かう。


「今から休憩に入ってくれていいわ。レジは私がやっておくから」

「はあ、分かりました」


 休憩。彼女はそう言って客席を見た。南もさっきからこちらをチラチラと見ていた。何でここにいるのかという俺の問いの答えは、こういうことだろう。南と話すという、時間外労働を強いられているのだ。


 どっちの手引きにしろ面倒なことをしてくれる。ていうかなんで俺なんだ。でもこれが最後の付き合いだしな。


 仕方がないので、一度バックヤードへ引っ込んで、店の制服であるエプロンを脱ぐ。店員用の小さい冷蔵庫から、カフェオレの入ったペットボトルを一本持って、南の席へいく。


 レジ横から店内へ出て近付く。その間もずっとこっちを見てくる。なんだこいつ気味が悪いな。


 座席は二人分あるが、ほぼ一人掛けの席の対面に座って、カフェオレを一口して一服する。溜め息が出る。


 ――沈黙。


 よく見ると、ちょっと期待しているような感じだった南の表情が引き攣っている。そりゃな。俺からは用事がないのに、俺のほうから行けと言われたらな。反応に困るよ。


「臼居さん」

「なんだ」


「その、お喋りとか……しないの」

「いや、俺からは特にないけど」


 ――再び沈黙。


 俺と南は合わない。だからこそ仲が悪い。だからこそ会話が無い。それは気分で押し切れない、二人の関係である。お別れが迫ったとしても、やっぱりそこんところは変わらない。


 話せと言われても趣味も好みも合わないから、改まったらそれまでだ。


「で、何でお前がいるの」


 そして改まった以上、話は振り出しに戻らざるをえない。


「何でって、言われても、そう、そうね……」


 困惑する南をよそに、俺はポケットに入れていた文庫本を取り出した。既に一度読んだはずだが、話の中身をすっかり忘れていたので、面白く読める。


「思い出せないのか」

「忘れてないわよ、ただちょっと」


 こちらを一瞥してから、レジのほうへと視線を彷徨わせるゆるふわに、海さんはこれ以上の助け舟は出す気はないらしい。褐色の肌に、涼しい笑みを浮かべて佇んでいる。


「お前から切り出さんと話が進まないぞ」

「……私、やっぱりあなたのことそんな好きじゃないかも」


 弱った調子でそんなことを言うと、南は苛立たしげに髪をかき上げた。


 もしかすると、こいつは俺が義理で色々やってるということが、分かってなかったのかも知れない。付き合いこそあっても、俺がこいつを好きになる出来事なんか、無かったはずなんだけど。


「そうなる出来事はなかったからな」


 そこで一度会話が途切れた。南は再び話を切り出すまで、ずーっとそわそわもじもじしていたのだった。


 非常にうっとおしい。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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