・人を助くば
・人を助くば
迂闊~、もんのすっっっっっっっごく迂闊。
ええ、な、何? この人何て言った?
漫画をアップしたっつったか。百歩譲ってそこまではいいよ。何でプロフィールに学校のこと載せちゃうんだよ。誘導も糞も直で乗り込んでくるよ。こいつ選りにも選って最後の最後で偉い大ポカやらかしやがった。顔に疑問符浮かべないでくれ。
「いやあ、どうかな、私も今までそんなのしたことないから怪しまれちゃうかも」
「いやあの先輩、あのね、先輩ね、今すぐ漫画消してプロフも書き換えてください大至急」
「え、なんで? 名案だと思ったんだけど」
目的の人物を呼び寄せるという件に関しては、確かにそうだろう。でもこちらから相手は選べないのだ。
プロフィールに学校のことが描いてあったら、サイトで質問するより乗り込むほうが早いだろ。
しかもだ、もしもその中に時間の流れを元に戻したい奴か、あるいは変えた張本人か混ざっていたらどうなると思う。怒らないように説明したところ、北先輩は少しだけ考えながら答えた。
「えーと先ず、相手が善玉だったら、私たちを保護してくれようとするんじゃないかな」
「そうですね、それにもしかしたら、事件捜査の協力を頼まれるかも知れませんよ。でもですね、この世界は今のところ日本には都合が良いじゃないですか、元に戻したほうが良いとは限らないんですよ」
ここで北先輩が何かに気付いたような顔をした。そう、少なくとも当事者であるという意識がある以上、他の人よりもずっと巻き込み易いのだ。
しかしこの世界は日本にとって都合が良い。どうやら趣味とか娯楽が未発達のようだが、それでも生まれてから今日まで、好景気のニュースが圧倒的に少なかった元の時代よりも、ずっと裕福だ。裕福なのは善いことだ。
「今度は逆に悪い人が来た場合を考えて下さい」
「えーとね、悪い人、単純に歴史が変わってるのを知ってるってだけの悪人なら、接触してきて一緒に悪いことしようって誘う、いや、誘わないで餌食にするかな、それと歴史を変えた人なら、そうだなあ、なんで記憶がそのままなんだって聞いて、自分に歯向かう気があるかどうかを調べて、あ」
そう。敵対するなら排除されちゃうし、してなくても念のため始末されてしまうかもしれない。
悪い奴は悪い。悪いから悪い奴なんだ。悪いことをしたから悪いというのは単なる一般論に過ぎない。俺今相当頭の悪いものの考え方してるな。
「俺たちみたいに記憶があるだけの一般人が来るとしても、遅かれ早かれそいつらとは会いますよ。そしたらどうなるのか全く分からない訳で」
「うわー、そこまでは考えてなかったなあ」
こいつはキテる。一見ポジティブに見える単細胞だ。不安とか危険といった自分の嫌な事を思考から締め出し、棚上げをする類の人間だ。やばくなったら絶対『なんで』とか『どうして』って言うタイプ。
「ああ、やっばいな。どうしてこうなっちゃったかな、少し間違っただけなのに」
ほら来た。同じ境遇の人間がいたことは嬉しいけど、それがこいつっていうのは嬉しくない。今や日向のオタクもそこまで珍しくないけど、そのせいかこんな野放図なのか。
「とりあえず部室に戻ったらサイトに上げた漫画とプロフの削除をして、家には初めて友だちにお泊り会しないかって誘ってもらえたってことにして、着替えを取り戻って、臼井さんの家に泊まらせてもらって」
最悪だ。しれっとうちに泊まることにしやがったぞこいつ。この状況じゃ他に候補なんか無いってことくらいは分かるんだな。
クズの一番嫌な点は、相手が嫌がるタイミングで知恵が回ることだよ。何が悲しくて入学早々、こんな赤の他人の緊急避難を受け入れなきゃいかんのだ。今日の家事をミトラスが担当してくれてて良かった。
この際だからこいつには家に帰ったら俺の素性も話しておこう。こういう手合いは下手に隠し事をすると、勘繰って来た挙句にそのことを嗅ぎ付けて、調子に乗るからな。そのとき俺が我慢できる自信はない。
今大事なことは、この迂闊な先輩のしたことのせいで、この学校に俺たちと同じ境遇か、或いはもう少し面倒な手合いがやって来る可能性が、あるということだ。
引いてはこの先輩の身に、危険があるやも知れないということである。
何が最悪ってこの人は今、確立でバッドエンドが発生する状況を、自ら作り出してしまったということ。フラグ回避なんていう生易しいものではない。
もう今日から見知らぬ不審者に襲撃されて、次の日から姿を見かけなくなる恐れがあるのだ。
「それじゃあ帰ったら準備して戻ってくるから、それまで部室で待っててくれる?」
「いや、今すぐ準備して来てくださいよ。何を悠長な」
「え、いやでも早退の理由とか」
「抜け出して帰ってくればいいんです。誰も見張ってないでしょう」
危機管理能力が欠片もない。この洪水の渦中にいながら掲示板に書き込みをして、家ごと流される馬鹿みたいな先輩を叱咤して、なんとか家に帰らせなければ。最早バイト探しどころではなくなってしまったな。
「そうだ、その漫画って何時頃アップしたか覚えてます?」
「実を言うとね、この部活紹介に使おうと、前の漫画から差し替えることにして、描けたのが一昨日なんだ。それでそのままネットに上げて、昨日印刷したから、一昨日だね」
一々全部言わなくてよろしい。一昨日の夜か。
「それって閲覧数とか分かるもんですか」
「分かるよ。転載とかされてなければ、それで何回読まれたかが分かる。ユニーク式だから今日までの人数もたぶん」
なろう式のカウントか。ありがてえ。
「それじゃあ、その回数と人数の記録もとっておいてください。戻ったら、放課後俺の家に案内しますから」
「ありがとう、なんだか大事になっちゃったねえ」
お前が一つ余計なことをしたばっかりにな。
「後は、そうだな。先輩の住所と携帯の番号、聞いといていいですか」
「そこまでするもんかなあ。でも一応ね……はいこれ。臼井さんのは」
「これです」
お互いの住所と連絡先を交換する。ああ、平和が遠退いて行く。何だってこんなことで、お互いのことを良く知らなければいかんのだ。
「あれ、携帯の番号は」
「うち貧乏なんで」
嘘ではない。そしてその一言で「ああ、ごめんなさい」と謝る先輩。生活に余裕がないのは確かだが、そもそも祖母が亡くなってから、電話んかける相手がいなくなったので解約したのだ。契約者が祖母。父でも母でもなく。
「それじゃ、急いで行ってくるね」
「はい、今日明日様子見して、それで何もなかったら普通にしてましょう」
非常階段の扉を開けて廊下に戻ると、北先輩は足早に駆けていった。今日が授業の無い日で本当に助かった。とりあえずミトラスが一緒にいれば大丈夫だろう。
――ただ。このとき、俺も付いて行けば良かったと、後になって思った。
昼前に出発したはずの先輩は、その日の終業、そして放課後になっても、遂に戻って来なかったのだ。
事前に聞いておいた彼女の家まで行って、後輩として訪ねて見たものの、まだ帰ってきていなかった。
早すぎる。このところ、よくこう思う。群魔にいた頃は、ここまで物事の動きは忙しなくはなかった。そして、ここまで緊張感を煽るような悪質な事態も。
帰って来なければ良かった。俺は家路への途中でそう思わずにはいられなかった。穏やかで気のいい魔物たちの顔と声が、ひどく遠くに行ってしまったような気がした。
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