・太陽の進路 後編
・太陽の進路 後編
※このお話は引き続きミトラス視点でお送りします。
彼女の真意や状態を確かめるため、僕は色々と考えてから、ここに来た。
昼を回って午後二時。北さんの住むアパートへと。冬の終わりが近付いたので、短くなった日が、もう一度長くなり始めている。
これなら明るい時間はまだ続くだろう。そう思いながら、ドアノブを掴んて回す。当然ながら施錠されて、いない?
「あれ」
玄関の鍵が掛かっていない。開けっ放しだ。
「不用心だな、どうしようか」
取り敢えず中に入っておこうか。全くの他人って訳じゃないし。帰って来るまで待たせてもらおう。
そう思った矢先、ドアを潜って直ぐ、僕はあることに気が付いた。部屋の中がおかしい。
「変だな。パソコンやゲーム機の類が何もない」
失礼して室内を物色する。初めから有ったと思しき冷蔵庫や、テレビはそのまま。タンスの中にはちゃんと衣服や下着がある。
でもお金と嗜好品の類が一つもない。北さんの性格を考えれば、これは有り得ないことだ。私物が全部家にあったとしても、新しく買い直すくらいのことはするだろう。
到底欲望を我慢できる性質ではない。
「まるで本人が特定できそうな部分だけ、すっぽり抜き出したみたいだ」
もしかして誘拐されたとか。鹵獲したタイムマシンに生き残りがいて、実は深刻な事態に発展していたのだろうか。
「あと見てないのは机の中くらいだけど、まさかね」
「ただいまー!」
「うわっ!」
「うわあ!」
机の中から勢いよく飛び出して来たのは、誰あろう探していた北斎さんだった。僕がいると思ってなかったのか、とても驚いている。
「え、ど、どこから、え?」
「いや、タイムマシンがあるし、一度やって見たかったから。ていうかえ、なんでみーちゃんがいるの」
「何でって、あなたが呼んだんでしょ」
「ああそうだった。そうだった」
北さんは引き出しから出ると、簡単に現状を説明してくれた。南さんに頼んで時空警察に住み込み、親の仕送りを騙し取っていることや、タイムマシンの出口を、机の引き出しに設定したことなど。
呆れて物が言えなかったけど、無事でよかった。
「僕はてっきり先月の残党でもいて、北さんが襲われたのかと心配したんですから。鍵も開いてたし」
「ごめんねえ。そんな大それたことじゃないんだ。家にいないから、ここ開けっ放しでもいいかって、今度からはちゃんと閉めとくからさ」
おかっぱ頭は髪が伸びて、市松人形のようになっている。いや、前髪も伸びている。いったいどれくらい向こうにいたんだろう。
「まったくもう。これじゃ気分だって出ないですよ。ほら、早くシャワー浴びて来て下さい」
「ああうん、じゃあちょっと待ってて……待って」
「何ですか」
「いや、あの、なんて」
「だからするんでしょ。僕が先に入りましょうか」
「あ、えっとごめん。ちょっとトイレ行ってから」
そう言って北さんは本当にトイレへと向かった。サチコや蓮常寺さんなら、ここで彼女の心の声を聞けたんだと思う。
地味に僕では出来ないことを、あの人は出来るようになっている。至らない点もまだまだあるけど、こういうのは嬉しいって、喜んでる場合ではない。
「お風呂沸かしておきますね」
「は~い」
僕が彼女に対して取る反応は一つ。時代がどうあれ、僕がそのままなのは変わらない。つまり北さんが最初に戻ったフリをしても、僕がそれに合わせる必要はないのだ。
本当に北さんだけ時間が巻き戻っている可能性も、無くは無い。でもそっちを主軸に据えて、事に当たるのは間違っている。根拠はないけど、強くそう思う。
「あ、みーちゃん、良かったら先に入っていいよ」
「分かりました。お先に失礼します」
恐らく彼女のことだ。この後の段取りも組んでいたはず。だが僕が経験済みである以上、どうやっても最初と同じようにはいかない。必ずアドリブが入るから、その隙を見つけ出して突くしかない。
「とはいえ思ったより汚いな」
浴室は使った痕跡が少なく、完全に乾いている。そのくせに浴槽は指で擦ると、消しゴムのカスみたいな垢が付く。排水溝にも雑多な毛が。
「……やるか」
――二十分後。
「終わりましたよ」
「はーい、終わった?」
「はいもうピカピカですよ!」
トイレから出て待ちぼうけだった北さんに声をかける。
清潔さを取り戻した浴室は、お湯の匂いもあって、今直ぐお風呂に入りたい気持ちにさせる。ふふふ、我ながら完璧な出来栄えだ。
「じゃあ入りましょうか」
「え、いやあのその。今日はその、段取りというか」
「何を焦ってるんです。前もしたじゃないですか」
「あ、ああそうそう。違くて、私まだ頼んでないの」
「まだ」
「いや、えっと、そのつもりではあったんだけどね」
「どういうことですか」
この辺は別に演技をしなくていいから楽だ。
するのは相手のほうだけど、さて。
「あのね、私ほら、去年のコミケでサチコの……」
予想通り北さんは、考えていたであろう内容を話してきた。テンプレートって感じだった。
「だからそれで、みーちゃんを借りて」
「あわよくばいやらしいことをしたかったんでしょう」
北さんは顔を真っ赤にし、消え入りそうな声で「はい」と返事をした。自分のしたことを、こんな形で反芻したのが、想像以上に恥ずかしかったみたいだ。
やめとけばいいのに。いいや、言ってあげよう。
「北さん」
「はい」
「そろそろやめませんか」
「はい」
嘘を吐くにも技術や胆力が必要である。
「そこ座って」
「はい……」
僕らはお風呂からリビングに戻って、席に着いた。
「仮にね、僕が騙されてね、一回目の“てい”のあなたともう一度、交わったとしましょう。でもその後はどう収拾を付けるつもりだったんです」
「そこまで行ったら、すいません嘘でしたってバラすつもりでした」
ここまで無策なことある?
「それはそれで僕から怒られますよね。ついでに行為があったことを隠しても、やっぱりサチコからは言われますよ」
「でもそこだけなら、あんまり怒られないでしょ」
こういうダメージ配分を考えられる辺りが本当にずる賢い。ていうか知能の高低の波が激し過ぎるでしょ。
「素直にもう一度したいって言えば良いのに」
「え、してくれるの」
「お断りします」
素直に言ってくれれば話が早いってだけだから。
「じゃあ僕はこれで」
「あ、待って帰らないで! 一回したんだからもう何回したって同じでしょ!」
「同じじゃない! 第一前回だって結局、あなたじゃその気にならなかったじゃないですか!」
「うう!」
女性に対して非常に失礼だけど、洗脳済で僕にひれ伏した北さんより、中身が北さんでも見た目がサチウスのほうが、僕にはずっと魅力的だった!
「ううー、こうなったら死なば諸共だ! してくれないとサチコにこの前のこと言いつけてやるぞー!」
「な!?」
こいつ正気か!?
「サチコにバラされたくなかったら、君はサチコが卒業して異世界に戻るまでの間、黙って私とたまにスケベをするしかないんだ!」
「僕をサチウスから寝取るつもりなんですか」
「いや別に。正直そういうのって面倒臭いしぶっ!」
僕は北さんの頬を張った。つい手が出てしまった。この人は危険だ。この人と付き合っていると、つい反射的にやってしまう。
「相手の女性に入れ上げて必死になる間男のほうがまだ気分がいい」
「わ、割り切った関係を築こうって言ってるだけじゃんか」
どこが。面と向かって失礼にもほどがあったよ。
「だいたいこんなふうになったのは、みーちゃんとサチコのせいだろ。責任を取ってくれてもいいじゃないか。期間限定なんだし」
「責任を取って体は元に戻したでしょう」
「私の体じゃこの前みたいな快感を得られないんだよ!」
サチウスに変身させたことで、サチウスの感覚でしたのが跡になってしまったのか。
他人の現実が自分の現実を上回ってしまったというのか。
これは完全に盲点だったなあ。
「そうは言っても僕はサチウスのものだから。特別な事情でもない限り、他の女性と過ごすのは」
「ぐう、惚気やがって~くそ~」
ビンタしたときに飛んだ眼鏡を拾って、顔に掛け直してあげる。北さんは泣きそうだった。今ではすっかり日常と化したけど、僕とサチウスの営みは、この人にとってこれ程までにしたいことなんだ。
思えば僕も、異世界にいたときはサチウスとしたくて、悶絶したこともあったな。
サチウス……。
「分かりました」
「え!」
「一晩時間をください」
事ここに至っては、最早選択肢などない。
「明日もう一度ここに来ますから、待っててください。いいですか」
「ああうん。いいよ、その、ごめんね、みーちゃん」
北さんは急にしおらしくなって、申し訳なさそうな表情をした。この人もこんな顔をするんだ。
僕は彼女を抱き締めて、背中をしばし擦ってから、その場を後にした。北さんの狂言は済んだけど、また別の問題が浮上した。これを何とかするには、僕も自分の罪と向き合わねばならないのだ。
アパートのドアを開けると、傾き始めた日の光が、春はまだ先であることを、暗に示していた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




