・たった一本の待ち針
今回長いです
・たった一本の待ち針
視界を包む光が消えると、そこはどこかの部屋だった。自宅じゃない。荷物を入れる前のビルの一室のような、箱のような場所。
白と灰色の空間。
窓も電灯も無いのに、そういう明かりがあるときと、同じ目の見え方。五感を集中して見ても、物音はしない。匂いも無い、人気のない昼間の空気とも、寝静まった深夜の空気とも、判断がつかない。
「ここは」
声を出してみても、外のように広がっていくばかり。『嘘臭い』という印象ばかりが強まっていく。
「そうだ、荷物は」
俺は自分がつい先ほどまで、川匂を警戒するために持っていた物を確認した。スポーツバッグの中には鈴鹿と、騒速と、カガセオセット。よし、全部あるな。
こうなった以上はもう装備しておこう。
「さてどうするか」
状況を整理すると、俺は川匂に携帯電話のようなものを見せられた。それで光に包まれてここにいる。アレは見覚えがある。幾分洗練されていたが、たぶんタイムマシンだ。南が使ってたのより進歩してる。
街中に現れた怪しい連中も、恐らくは関係があるだろう。その関係がどこに収束するのか。歴史改変という事件であり、事件を追うのは。
時空アメリカ警察。
忘れた頃に現れたな。いや、川匂が一員だとすると、南が卒業して直ぐに、赴任してきたことになる。
「うーん、ということは」
腕を組んでもう少し考える。蓮乗寺が見せたスケッチブックにあった、この部屋。そして大量の灰色の男。時空警察と結びつけると、浮かび上がるのは。
「ここは時空警察署か何かか」
差し詰め現在地は留置場だろうか。そして蓮乗寺の絵の内容は、これから死ぬ可能性があり、その後異世界に転生する者についてである。
たぶん俺以外にも捕まってる奴がいるはず。
目の前にはドアが一枚あるだけ。
こういう描写が一番精神的に来るんだよな。
開けたらあの顔が同じ連中がウジャウジャいそう。
出たらたぶん戦闘もあるだろう。
今はミトラスもいないし。うーむ。
「行くか」
俺はドアノブを掴んで回した。施錠されておらず、そのまま外に出られた。
外。
夢から醒めたのか、いや、逆に夢の中に飛び込んだのか。世界の現実感が一瞬で失われる。
「うっ」
真っ黒な空間に、赤い線が光って輪郭を成している。それだけのバーチャルじみた場所。これ以上身動きを取ることが憚られる。
部屋に戻ることも考えて振り返れば、ドアはのっぺりとした平面と化していた。四角く引かれた赤線と、ノブを思わせる丸い玉。掴もうにも握ることは出来ない。
「誰が作ったか知らんが、酷え悪趣味だ」
これでは部屋に戻れない。いや、そもそもあの部屋が本当に有ったのかさえ疑わしい。
見取り図も無く、かといって向かってくる敵もいない。今は闇雲に歩き回るしかないか。目標はとりあえず、タイムマシンと捕まってる奴の発見と保護だ。
南が使ってたデカい奴なら、たぶん使えるはず。かなり前だし正直うろ覚えだけど。でもやらん訳にも行かん。
「こんなとき、せめて俺以外にも喋れる奴がいれば」
赤い線の間に広がる黒い平面を踏み、歩き出す。何処かで地面が消失していても、これでは分からないのが怖い。
一つ明らかっぽいのは、誰かがこんな映像を俺に見せているということだ。まあ、ここが本当に時空アメリカ警察(以下アメリカ省略)の施設であり、未来であり、元々こういう建造物という線もあるが。
駄目だな、推量もままならん。
「奥行があることだけは分かるが、ほっ」
頭上に手を伸ばしてジャンプしても、何も触れない。今の俺の身長ならば、建物一階程度の高さは、これで触れるはずなのに。
上を見ても吹き抜けのような黒。赤い輪郭の線だけが、距離の概念を崩さずにおいている。
「どうしたもんかな」
それからもまた歩き出し、壁にドアらしき四角を見つける度に、数回ノックをして呼びかける。返事がないので歩き出すという行為を、かれこれ二十回ほど繰り返した。
堂々巡りなのだろうか。時間にしても一時間は掛かってないが、体感的にはもっと長い間を過ごしたように疲れる。
『MOTHER2』のムーンサイドみたいなのは御免だが、俺自身の五感や、そもそも今が現実なのかさえ怪しいとなると、これは参る。
一度深呼吸して、俺は徐に鈴鹿を抜刀した。
こんな場所でも寒気を覚える刀身の禍々しさは変わらず。
少なくともこいつの存在はそのままだ。
まさか妖刀が精神的な松明になる日が来るとは。
「ふー、よし。まだまだ現実だな」
待てよ。今までの四角い枠がドアなら、壊して中へ入れたんじゃないのか。歯が立つとは限らないが、やって見るか。
俺は急いで引き返し、最初のドアの破壊を試みた。鈴鹿に騒速を取り付け、三枚刃の鉤爪状にする。騒速の変形ギミックは実は簡単で、縦と横がそれぞれ独立した線である。
縦の棒の部分に、横の斧を取り付けて十字状にしただけ。そりゃあ刃の高さ調節できるわな。
横線の取り付け場所が違うだけだし。縦も刀の柄を収納して伸縮するのと、先端が折れ曲がるだけだし。複雑だと思い込んでいた自分が恥ずかしい。
「せーのっ! でぇい!」
ともあれそんな武器を、壁に思い切り叩き付ける。すると甲高い金属音が鳴り、見た目はそのままだが、奥へと食い込む手応えがあった。
「うっへっへ、なんだよしっかり現実じゃねえか」
こんな安心の仕方もどうなんだと思うが、ともかく黒い平面を何度もぶっ叩いていき、押し破ることに成功する。
部屋へと続く穴が、ドアを失ってぽっかり開いた。あたかも2D画面の奥に、3D空間が広がっているかのようだ。
『ようだ』じゃねえな。実際そうだ。
「おっし。この調子で他の部屋も開けよう」
やはり最後にものを言うのは暴力だな。
「よっしょっとお!」
そうしてこれまでに見た、ドア状の枠線に同じように乱暴をしていく。物に当たるのは好きじゃないけど、この意図的に神経を衰弱させるような場所では、打てば響くというのは大事な感触であった。
「む、ここは止めておこう」
たまに第六感が危機を報せて来ることもあった。
たぶんスケッチブックの通り、中にはぎっちり敵が詰まっているのだろう。俺一人しかいないし無視する。
後は変化があるまで繰り返して。
「そらぁっ!」
「うわあ!」
内一つの中から悲鳴がした。ここか。
「おい、中に誰かいるのか。いるなら返事をしろ!」
「い、います。います!」
「良かった。今から打ち破るから、離れてろ」
「あっはい!」
返事を聞いて十秒待ってから突入。流石に十枚以上ドアを破壊すると、疲れる。
「無事か」
「えっと、はい。一応」
「ようし、ようやく俺以外の人間と会えた……って」
俺はてっきり、ここに捕まっているのは、異世界転生する予定の誰かだと思っていた。しかし目の前にいるのは、少し違っていた。
確かに見覚えはある。色んな意味で何処かで見たことのある顔。無造作風の髪形、芋ダッサイコートを着た、黒目の外国人。こいつは。
「お前、マックス石塚か」
「え、なんでオレの名前を、あ、あなたは役所の!」
お前の中で俺の情報それで固定なのか。
「あれ、でもそんなに大きかったっけ」
「何言ってんだ、この姿でもう二回くらい会ってるだろ」
マックス石塚。マックスが転生後の名前で、石塚が転生前の名前。過労自殺でうちの異世界に転生したこいつは、時間移動のチート能力を引っ提げて、この世界に帰って来た。
歴史改変の首謀者であり、理由は転生前の自分の自殺を、食い止めるためだった。目的を果たした後のことは知らなかったが、まさかこんな所にいるとは。
状況的にもう嫌な予感しかしないな。
「そんなはずありません。オレがこっちに戻って来たのは、つい先日のことですよ。しかもその矢先に、変な連中に絡まれて、気が付いたらここに、なんでか能力も使えないし」
「んん、何だそれ、どういうことだ」
マックスの言い分を聞くと、この三年間で会った当人じゃないような。戻った瞬間連れ去られたって、それじゃ俺たちのいた歴史にならな……。
「しまったそういうことか!」
「うわっいったい何ですか」
時空警察は歴史改変の根っこを、掴んでるということだ。マックスの仕業ということを知って、彼がこの世界に最初に現れる日を狙い、拉致することで、犯行を阻止したのだ。
こいつ個人の時系列上の未来である『過去の自分を救いに行ったマックス』じゃなく、これから救いに行くマックスを抑えられてしまったのは痛い。
「お前、異世界から帰って来た直後か」
「だからそうですってば」
「落ち着いて聞いて欲しい、実はな」
俺はこの三年で、この世界に起きたことをマックスに説明した。つってもこいつの活動がメインで、手短にしたから十分も掛からなかったけど。
「歴史改変、そんなことが」
自分の前世が助かったという部分では、大いに安堵していたが、代償に警察に捕まったという現状には、随分と気持ちが弱ってしまったようだ。
「如何にか逃げ果せないとやばいぜ」
「そうですね、でも変です」
「何がだ」
「これだとサチウスさんが浚われる理由がないんじゃ」
「言われて見れば」
「でしょう」
「ちょっと考えてみよう。今まで放置してたことを」
ここで俺が登場する理由はある。マックスの歴史改変はあくまでも、今回はこうしたってだけの話であり、失敗は避けられないものだった。
彼の前世はどう転んでも死亡するから、何度もやり直していただけで。救出したら転生が成立しなくなるから、改変は失敗するというループの類ではない。実は違う。
「確か石塚のほうが死んでも助かっても、マックスには変化が無いんだったよな」
「おかしな話ですけどね」
俺もこの世界の石塚を助けたら、異世界のマックスは誕生しなくなるとばかり思っていたが、事実として、そうはならなかった。
これはたぶん歴史の変化と前世の生存により、マックスのルーツに当てはまらなくなったのではなかろうか。死ぬ個体のみが転生するとか。知らんけど。
ただ一つ言えるのは、歴史改変自体はいつも成功してはいたということだ。前世の救出失敗の理由については、異世界にいたときの俺たちが、元々の歴史を観測しちゃってたせいである。
「整理してみると複雑そうに見えて、案外そんなこと一個もねえな……」
俺たちが異世界から帰って来たのも、全くの偶然であり成り行き。ただ改変後の歴史上に出たことで、漬物石めいて戻らなくなったのだ。
そして歴史、というかマックスの前世救出を邪魔していたのは、俺たち観測者側だった訳だが、今回は俺たち自身でそれを解消してしまった。故にマックスの歴史改変行為は終了した。
やり直しが無くなった以上、後はこのまま時間が過ぎて、俺が高校卒業して、ミトラスと異世界に帰れば、晴れてこの世界の歴史はこのままとなる。実態としては俺たちの存在がそうするんだけど。
「お前とは正月に色々と話したもんだが、今にしてみると、それぞれが食い違いや思い違いの類を、していたんじゃなかろうか」
この歴史改変のポイントは、本来なら『最初のマックス』を押さえてしまえば、歴史改変はなかったことになる。そして元の歴史になっても、俺がいる以上前世のほうが助かることは、たぶん変わらない。
本来ならば、俺はつくづくこの事件とは関係がないのだ。にも関わらず、狙われたのは何故か。この歴史はたまたま俺がいたことで、マックスの前世が助かり、歴史改変をされなくなっただけなのだ。
たったそれだけの理由で『今』がある。この事件の焦点は一つ。歴史を元に戻すにはマックスを捕らえればいい。
俺を呼ぶ理由は、なんだ。
「……何となく。分かったような気がする」
「本当ですか」
「ああ、分かりたくなかったが」
その時だった。
――時空アメリカ警察本部へお越しの臼居祥子様。本部長がお呼びです。二次元迷彩を解除しますので、至急本部長室まで起こしください。繰り返します。
建物内にアナウンスが響き渡り、急速に視界が本来の光景を取り戻していく。殺風景でコンクリ剥き出しの壁、安っぽい電球。
「これは」
「いよいよってことらしい」
ドアの外は、白く寒々しい無人の廊下があるだけ。
壁には簡易な見取り図があった。公共施設お馴染みの、幾つもある部屋。本部長室は最上階。
「行くんですか」
「ああ」
「止めたほうがいいですよ!」
「止めたら向こうから来る」
言いながら部屋を出て、最上階へ向けて歩き出す。廊下の端のエレベーターに乗り、ボタンを押す。ワープ装置とか欲しかったな。
しかし参ったな。可能性としちゃ他に無いもんな。
――時空アメリカ警察本部へお越しの臼居祥子様。
「聞こえてるよ」
返事をするが、アナウンスが止むことはない。
よく聞くと、上から降って来るそれは、随分と懐かしい声をしていた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




