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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
ズレた一日編
455/518

・一党を率いる

・一党を率いる


 ※このお話は三人称視点でお送りします。


 少女は遂に『彼女』ことサチコと会うことが出来たが、未だ満足に話すことは叶わずにいた。


 何故ならば、サチコと出会うために起きたトラブルが、凡そ周囲の予想を裏切って、大事になっていたからである。


「状況はどうなってる」


 静まり返った体育館の中に、彼女の声が響く。美声という訳ではないが、よく通りはっきりと聞こえる声だった。


 少女は周囲を見回した。広くは無い敷地とはいえ、先ほどの招集令が発されてから、五分と経たないうちに、大勢の人間がこの場に集合していた。


(すごい)


 二年前に見たあの日から、サチコは文字通り大きくなっていたのだ。社会的にも、物理的にも。皆が神妙な面持ちで言葉を聞いていることから、強いカリスマを持つに至ったのだと、少女は思った。


 実際の一年生の心理としては、逆らうのが怖い、身体が大きいからケンカが強そう、何か仕切ってるから言うことを聞いておこう。荒事に慣れていそう。先輩たちが従ってるからたぶん大丈夫だろう、というものであった。


 では二年生以上はというと、今日までの学校との確執や、一月の抗争などを経験しているので、戦いの心構えがあった。それ故に団結までが早かったに過ぎない。


 流されている者、自らの意思で戦いに赴く者とに分かれるが、何れにせよ、指導者に魅せられているのではない、というのが実態である。


「校門前の広場で小競り合いが起こってます。この子が見た元生徒たちが、先生たちに囲まれても、何やら抵抗しているみたいで」


 愛同研の現部長である栄が発言する。ジャージの上から剣道着を装着し、準備は万端と言った風情である。


「囲まれてるのにか」

「もう生徒じゃないですしね」


 退学生の三人は既に職員室へと連行されたが、残りは逃げ損なったのだ。失う物もなく、それでいて教師を軽く見ているため、その様なことになっていた。


 教師も教師で、最早一介の不審者に過ぎない存在に、在りし日の上下関係を重ねては、柄にもなく挑みかかるので、状況は泥沼になっていた。


「校舎のほうは」

「待機中です。ただ」

「ただ、何だよ」

「先生方の何人かが、教室に来てないそうで」


 校内放送により、クラスの大半は担任と共に、状況の推移を待っている。当然ながら、外で退学生と揉めている教師はいない。


 しかし栄の言葉の意味するところは、教室に来られるはずの教師が来ない、というものであり、そのことはサチコも理解していた。


「共通点はあるのか」

「あるとするなら、皆校舎にはいるはずなんです」


 学生さながらに、学校を抜け出していないのであれば、そうとしかなりようが無い。サチコは校舎の方角を見て、黙考する。


(おかしい。なんでだ。なんで教室に行かねえ。この事態と関係があると考えるのが自然。教室に行くと何か、都合の悪いことでもあるのか。あるんだろうなあ。あいつらと関係のある教師)


 サチコの中で二つの事柄は、先程まで体育館にいた、退学した三人組の言葉によって結びついた。


「さっきあいつら、バレないようにちょっとずつ入ったって言ってたな。皆聞いてくれ、自分や知り合いの組で、先生がまだ来てない所を調べて欲しい」


 サチコがそう言うと、生徒たちは携帯電話の類を取り出して、一斉に調べ始めた。直ぐに数人の手が挙がり、学年とクラスが割り出される。


「栄、例の物は」

「持って来ましたけど、先輩こんなの作ってたんですね」

「こんなこともあろうかと」


 サチコが鷹揚な態度で頷くと、栄は嫌悪感を隠しもせずに、手にしていた何かのリストを渡した。アガタからの連絡を受け取った際に、サチコから持って来るように頼まれた品だった。


「何ですかそれ」


 アガタは手元を覗き込むと、どうもそれが生徒の名簿らしき物であることが分かった。


「俺が入学してから今日までに、この学校を退学した生徒の顔と名前、あと教室と担任を控えた名簿だ。元々は俺がこの体になるまでに、いじめて来た奴を記録しておいたものだが、やり返してからは逆恨みがあるやもと思ってな。一月のことから必要性が増したのもあって、内緒でちゃんと作り直してたんだ」


 サチコの言葉に少女は感動した。それ以外の者は内心で震え上がった。少女は彼女の周到さと執念深さに。それ以外の者は陰鬱さと恨みの深さに。


「俺の想像が確かなら、ほらな」


 そう言ってサチコは退学者名簿と、教室に戻らない担任、それとクラスを照合した。片方、或いは両方に退学者と接点があった。


「どういうことですか」


 尋ねたのは軍事部の東条青年であった。彼らは図書館に展示した銃器を、全て持ち出して装備していたので、単独で戦争でもするかのような出で立ちであった。


「要するにだ。何人かは教室に紛れ込んでる可能性がある。生徒の恰好をして。だからそいつらと面識のある先生方は、いたらどうしようと教室に入れずにいるってことよ」


「そんな馬鹿な、仮にも教師ですよ」


「相手はもう生徒じゃない。相手がまだそのつもりであってもな。そういうことだよ東条」


 冷たく突き放した言い方に、東条は憮然とした表情を浮かべた。二者の関係性には、教師と生徒、年長と年少といった道徳の入る余地がないことに、多くの者がやるせない気持ちになった。


 いつまでも子どものつもりでいる、最早子どもでも、況してや大人でもないモノ。それを教え子とは思わない、ただの大人。


 片や現実が見えておらず、片や現実と向き合えない。


「さ、そんなことはどうでもいんだ。大事なのはこれからの動きだ。俺たちがすることは、俺たちの安全を確保すること。これはいいよな」


 そしてそんな連中に構うサチコではなかった。


「俺たちはこれから纏まって校舎に戻る。その際に下から順に、担任のいない教室を当たる。退学者がいなければ担任に、担任の連絡先が分からない場合は、職員室にそのことを伝える」


「居たらどうすんすか」


 恐る恐る手を挙げて質問をしたのは、愛同研一年生の飯泉であった。日に焼けた肌に鍛え込まれた身体をしているが、荒事の気配に落ち着かなげにしている。


「囲んで連れ出す。そんで担任呼んで押し付ける。これを四階まで続ける。一年生はその過程で順次教室に戻っていい」


 サチコの言葉を聞いて、一年生たちに安堵の色が広がる。サチコは彼らを内心で軽蔑した。


「サチコさん。四階から降りて行って、校舎の外に追い出したほうが有利だし、やり易いんじゃないの」


「蓮乗寺。俺もそう思うが、大事なのは退学者たちを追い詰めて、二度と学校に来れないよう仕向けることなんだ。乳離れをさせたいんだよ」


 逃がしたら相手は、逃げられたと心のどこかに自信を残す。それでは駄目だとサチコは語った。もう学校に自分の居場所はないという現実を、突き付ける必要があるとも。


「あまりこういうことは言いたくないがな『まだ本当は自分が退学になってないんじゃないか』『それは大したことないんじゃないか』『本当は無かったことにできるんじゃないか』そんな認識で勝手に落ちぶれて逸れた連中を、俺は全く顧みない」


 冷たさを増すサチコの言葉に、少女は強い憧れを抱いた。学生なりの人生の厳しさと、責任の重さをまだ知らないが故の同調であった。


「一年生は先ず自分たち、二年生は一年生たち、三年生は二年生たちを守る。最後に俺たちの身は俺たちで守る。いいな」


『はい』という声は決して揃わず、また元気も無かったが、それでも全員が同意を示した。愛同研というものを象徴するかのような瞬間だった。


「あの、それで私はどうすれば」


 周囲の空気に反して、少女は期待の込もった声を出した。


 大半の人間は、人間関係の摩擦や衝突に慣れておらず、またそのことに対する、明確な意思表示を受けることも、耐え難いものなので、どこか緊張感に欠ける少女の存在は、生徒たちの気持ちを和らげた


「親御さんに連絡できないかな」

「どっちも仕事だから、無理だと思います……」


 米神高校文化祭は平日開催であり、少女も本来ならば学校に通っている日だった。


 どんな事情であれ、職場を途中で抜け出すと、不正やサボりと見做して攻撃するのが、世の中というものである。


 世の中というものは、概ね学校から始まっている。


 つまり学生の時分から、そのようなことばかりを考えていたから、歳を取ってもそのようなことばかりを、考えているのである。


 そのため日本における処世術とは、周囲の人々から殺されないために、自分を殺し、空に溶けることを意味する。少女の両親に保護を期待することは、絶望的だった。


「分かった。俺の帰りに君を送っていくから、君は俺と一緒にいてくれ。大丈夫、必ずちゃんと家に帰れるから」


 さておき、少女が落ち込んだような、申し訳なさそうな顔をしたのを見て、サチコは内心で同情してそう言った。親の不在は、彼女もよく経験していた。


「俺からの話はこれで終わりだ、質問、反論、対案、あれば言ってくれ。無ければ戸締りをして出発する。いいか」


 サチコは少女を手招きしながら言うと、少しの間待った。誰も何も言わなかった。結局のところ、大筋では全員が合意を示していたのだった。


「よし、じゃあ全員整列……行くぞ!」

『はいっ!』


 かくして、愛同研は再び、総勢五十余名の出動となった。

 一同は校舎を目指し、足早に進んでいく。


 少女はサチコの横を、小走りになって並んでいたが、やがて小脇に抱えられ、背負われることとなった。彼女の背から見た景色は高く、後ろに並ぶ人々は、ちぐはぐな恰好をしているのに、足並みが揃っている。


 体育館を出る彼らを見た者は、世界史かまたは美術の教科書に載っている『夜警』を思い浮かべたかも知れない。


(軍隊っていうより、王様と家来みたい)


 その様な感想を抱きつつ、少女はサチコの背中にしっかりとしがみ付いた。彼女の背中はとても広くて大きかったが、何故かそこは、一番強く他人を感じる場所であった。

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