・ニアミスのはじまり
今回長めです。
・ニアミスのはじまり
空は晴れ、風も吹き、非常に過ごし易い今日。
米神高等学校では、学祭改め文化祭が開催されていた。
「いやあ順調そうで何よりだわ」
いつもの部室の朝っぱら。愛同研は例年通り、閑古鳥の一羽も鳴くものと思っていたのだが、ところが一体全体どうしたことか、いつもより来場者の数が多かった。
「うち目当ての客がこんなに来るなんてなあ」
「ほんと、何が転ぶか分からないですね」
入口で受付をしている栄と話す間にも、見学者が入って来る。これが新部長効果なのだろうか。展示物なんて俺の作った武器や、カメオを除くと、一年生の体験ノートとか、二年生たちの作製した小物や服くらいのものだ。
まあそっちのが良く出来てるし、興味も引くよね。
「家庭科部と揉めたことが、結構いい宣伝になったみたいですよ。私たちの展示物は普通だから、先輩の作った物のほうが、男子受けも良いですし」
女性客が主に食い付いているのは、一年生たちのダイエット記録だ。部室の壁には今年の夏、川匂が追い込みをかけたときの写真が、グラビアポスターのように貼られている。
一見すると猥褻な感じだが、痩せる前と後を並べてあり、約二ヶ月の確かな効果を強調しているので、二度見するとそんなことはない。
またアガタの作ったカトレアのカメオと、栄が作った改造制服も地味に注目を集めている。前者は単純に出来が良く、後者は野暮ったいうちの旧制服を、社会人が来てもイタくないよう、仕立て直したものだ。
まあ学生服から学生っぽさを抜いたら、それもうスーツ系の私服だし。でも良くまとまりをつけたと思う。夏の間に用意をしていたらしいが、器用というか多芸な奴だよ。
「あんまり嬉しくないなあ。真似されても困るし」
「じゃあどうして展示したんですか……」
「だって他に出せる物が無かったし」
俺がこれまでに作った装備品の数々は、説明には使用時のエピソードを添えて、部室の一画に置いてある。勿論少しは脚色してあるが。
例えば斧はネットのフリマに出品したら、落札者たちがその斧を持って、自宅に強盗に来たとか。木組みの彫り方をした竹槍には、肝試しの再に悪霊相手に振り回したとか。
本当のことなんだよなあ。
でも一般の方々は盛ってるとしか思わないし。
「話変わるけど、アガタはどうしたんだ」
「コーちゃんなら今日は当番じゃないから、仮装して校内を歩いてるんじゃないですか。さっき見たけど凄かったんですから」
「ああ、あいつ顔も体も凄いからな。仮装もあいつのための衣装にしかならないんだよな。どんな格好で、ああ、いや、いいや。会えば分かるだろ」
「会えなかったら」
「そのときは頼んで着てもらうよ」
「見せつけてきそ~」
「絶対自慢げな顔するぞ」
そんな当たり障りのない会話を栄とする。また話せるようになっている。一時期は非常にしんどかったが、色々の決着をつけて、肩の荷も降りて、元の鞘っぽい雰囲気に、俺たちは戻って来れた。
何もかもが元通りじゃないけど、お互い悪くないと思える程度には、関係が修復できたように思える。ああ、平和っていいなあ。
「もーう」
「あ、みーちゃんだ」
「部室で見るのは久しぶりだな。学校には来るんだが」
牛のような鳴き声を発し、膝から机へと飛び乗って来たのは、猫形態に変身しているミトラスだ。白黒のふわふわとした毛並みに、クリッとした目。人懐っこく面倒見の良い性格から、生徒たちにとても愛されている。
「最近はご無沙汰だったからな、久々に一緒に過ごすか」
「トイレとか大丈夫ですか」
「みーちゃんは学校ではウンチしないし、屋内じゃおしっこもしないよ。それで苦情が出たことはないんだ。偉いだろ」
俺の腹に体をぐいぐい押し付けて、遠慮なく伸びる猫の顎やら背中やらを撫でる。中身が本当の猫ではないので、当然といえば当然だが。
「ならいいですけど先輩、猫相手には言葉選びが、何ていうか、その、低年齢向けになるんですね」
「……やっぱり気になるか」
実はこの前ペットのトイレの話題で、飯泉に『糞』とか『小便』という単語を使うことを、注意されたのだ。このほうがペットに子煩悩な感じがして、聞いてるほうの気分が悪くなり難いらしい。
ペットに赤ちゃん言葉を使うヤンキーみたいで、ちょっとかわいいからって。それで一応、言葉遣いを直してみたが、頭おかしんじゃねえのあいつ。
「先輩らしくないですよ」
「そっか、そうだよなあ」
戻そう。悪いな飯泉。俺は俺らしくいることにする。
「ねえー」
「おっと、ごめんごめん、そろそろか」
「先輩、出かけるんですか」
「元々店番じゃないしな。彼氏とデートに洒落込むわ」
ミトラスを抱き抱え、猫の手を持って振ると、栄が苦笑しながら手を振り返してくれる。前から予定立ててたもんな。
「じゃあ行ってきます」
廊下に出ると、お祭りの賑わいに包まれる。誰も彼もが燥いでは、そこら中を歩き回っている。
「楽しみだな」
「ねー」
俺たちの文化祭デートも、始まり始まりって奴だな。
※ここから三人称視点でお送りします。
八歳には些か荷が重い階段を、頑張って登り切った少女は、手提げ袋からメモを取り出し、現在地を確認した。この先に目的地『愛好会・同好会・研究会総合部』なる場所がある。
学校全体が賑わい、少女の好奇心は刺激されるも、初めて訪れる年上たちの場所となると、緊張が勝った。
「すいませーん」
それでも足を踏み出して、遂に愛同研へと踏み入った少女は、自分の勇気に感動した。出来たという気持ち、蚊の鳴くような声だったが、未知への恐怖に打ち勝った瞬間だった。
「…………」
しかしながら反応は無い。他の来客たちは元より、部員にも声が届かなかったようだ。こういうとき保護者がいればと、少女は思わずにはいられなかった。
そもそも何故この少女がここにいるのか。それは親の仕事の都合で、こっちに戻って来たからである。至極簡単な話である。
では何故この少女が米神高校に来たのか。
それは時を遡ること二年前。少女は親の仕事の都合で、祖父母のいる遠方へと引っ越すことになった。だが出発の日、クリスマスにも関わらず、不審者に付け回され、煽り運転をされ、怒鳴られ、全員が恐怖を味わった。
電車にも間に合わず、あわや不審者に捕まるか。自分たちはどうなってしまうのか。数多くの負の感情に、胸を圧し潰されそうになりながらも、一家は駅のホームへと急いだ。
時間も大幅に過ぎ、乗り遅れてしまったと少女が諦めかけていた、正にそのとき。在ったのだ。線路の上に、自分たちが乗る予定の電車が。
奇跡的な光景に、感じ入る暇もなく、一家は必死になって乗り込んだ。不審者が来る前、間一髪でドアが閉まり、動き出した。
少女はあのときの光景を、生涯忘れないだろう。
一家が駆け込んだ車両の前に立っていた、一人の女性。
『彼女』は酷くボロボロで、みすぼらしかった。『彼女』は少女と目が合うと、疲れたように、しかし安堵したように微笑んだ。
最後に見たのは、一人ホームに残り、追って来た不審者に敢然と立ちふさがる、力強い後ろ姿だった。
引っ越し先に着いたとき、恐怖はどこかへと消えていた。
ただあの大きな背中が、ずっと目に焼き付いていた。
あれから二年が経ち、こちらへと戻ることが決まったとき、少女の中には『彼女』に会えるかもしれないという期待と、会いたいという衝動が芽生えていた。
両親の話では、この学校の生徒だろうという話だった。もしかしたら、卒業しているかも知れない。会えない可能性のほうが高い。それでも、という想いは、見えざる大きな力で以て、少女の身体を衝き動かした。
そして、今。
「あ、あのー」
先ほどよりも大きめの声で言うと、別の来客と話し中だった女生徒が、少女へと気付いた。眼鏡をかけた、如何にも普通そうな人物だったが、物腰や人となりには、逆に非凡さを感じさせる風格があった。
「はい、いらっしゃいませ。どうされましたか」
「あ、ええと」
少女は部室内をキョロキョロと見回し、言葉に詰まった。別に見たいものがある訳でなし、しかしいざ人を呼びつけようと思うと、またも緊張してしまうのだった。
「誰かお探しですか」
女生徒は目の前の少女が、恐らく一年生の誰かの妹ではないかと思った。その予想は当たりと外れを両方含んでいた。
「あ、はい! 実は」
もっとも、外れの部分の衝撃が大きかったので、大いに取り乱すことになるのだが。
「……ていう人いますか!」
「え。あの、えーっと先輩ですか」
「! はいそうです!」
目的の人物がいると分かり、少女は勢い付いた。
「えと、ごめんなさい。先輩は今日非番だから、たぶん遊びに行ってると思うの」
「あ、そうだったんですか。いえ、いんです」
女生徒からすればまだ可能性の段階であり、確証のないことではあった。あったのだが、では確かめてみようという反応は、無理のないものであった。
「あの、すいませんが、先輩とはどういう関係で」
「あの人は、私の恩人です!」
『彼女』の不在に落ち込んでいた少女だったが、そこは胸を張って答えた。予想を確定させない返事に、女生徒は困惑しつつも、何故か頷いた。分からないということに、安心を覚えたようだった。
「たぶんだけど、学校内にはいると思うから、迷子センターで呼び出すか、放課後に教室に行くか、あとはここで待ってれば、会えると思いますけど」
「いえ、私は探しに行きます。見つからなかったら、そうさせてもらいます」
少女はハキハキと答えると、来たばかりだというのに、足早に愛同研を出て行った。それと入れ違いに、一年生の女子たちが、三人揃って入ってくる。
「おおー川やんのグラビア人気じゃん」
「しーちゃん恥ずかしいからやめて」
「飯の筋肉も出しとけば良かったな」
などと喋りながら。
受付の女生徒は、ふと気になって一年生たちに声をかけると、先ほどの少女の話をして、そのような妹がいないかを聞いた。三人共首を横に振った。
「サチコ先輩って、妹いたのかしらね。名前を知ってたし、やっぱり身内なのかな」
年端もいかない少女に恩人と呼ばれる、自分の先輩の顔を思い浮かべる。果たして何があったのか。しばらくの間、降って湧いたこの話題に、四人の女生徒たちは世間話の花を咲かせたのであった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




