・あれから二年が経とうとしていた
・あれから二年が経とうとしていた
※この章は度々三人称視点でお送りします。
秋。天高くも日差しは弱まりつつあり、風は大きく膨らみながら、しかし冷たい。道行く人の温度差を、最も顕かにするものがあるとすれば、この季節に他ならない。
とはいえ着る物といえば、制服と背広が過半数を占めているのが、およそ人間社会というものである。つまりは私服という層の中で、ばらつきが出るというだけの話。
それも比較をするためには、少なくとも二人以上の人間と、例年と今年という資料が必要である。であるならば、現在一人で道を行く少女の服装が、どこかおかしいと根拠を示せる者は、存在しないはずである。
例えそれが、白いワイシャツにハーフパンツ、そしてブレザー姿という、男の子を思わせるような、出で立ちであったとしても。
「…………」
御年八歳になる少女は校門の前に立ち、ここが目的地であることを確認した。次に門内に建つ校舎を見る。最後に行き交う人々の様子を窺う。
ここは公立米神高等学校。
そして今日と明日は文化祭の日であった。
一般開放は二日目であり、一日目は生徒たちと、父兄を始めとした親族にのみ、解放となっている。なら少女はどうであるか。
『彼女』とは母親を通して、血が繋がっている。故に間違いなく親族ではある。よって一日目の利用をするには不適格である、と断言することはできない。
家族であるとは言えないが。
「――!」
少女は意を決して、一歩を踏み出した。門の中へと入り、何食わぬ顔で人の波を乗る。校舎一階、来客用の入り口、列に並んで周囲を油断なく観察する。
入ってすぐの事務局で受付に名前を書き、お年寄りの男性事務員から、来客であることを示すプラカードを受け取り、衣服に付ける。スリッパに履き替え、使い捨てのビニール袋に外靴を入れて持ち歩く。
問題はない。少女は手ぶらではなかった。左手には小学校で使う物とは別の、明るい青色の手提げ袋。体の右側には、オレンジ色の革のポシェットを身に着けていた。
少女は靴をビニール袋で包み、手提げ袋に入れると、スリッパに履き替える。もうこれくらいのことは、当たり前のように出来る年齢である。
「こんにちは」
「はいこんにちは」
列が進み、自分の番が来ると、少女はさらさらと自分の名前と、ここにはいない両親の名前を書いた。そして振り返り、適当な家族に微笑みかけては、それが保護者であるかのように振舞う。
事務員もそちらに会釈をすると、来客者用のプラカードをまんまと渡してしまった。中々堂に入った騙しである。
「あ、それと聞きたいことがあるんですが」
「何かな」
「えーっと」
少女は目の前の老事務員に『彼女』の学年と名前を告げ、クラスの場所と、所属している部室を尋ねた。彼はその言葉に少し困ったようだった。
事務局なのだから、生徒の名前に学年や、所属しているクラブくらい、紐付けて保管されていそうなものだが、生憎とそういうものは、少なくともここには無かったのである。
何とも奇妙な話だが、人を探そうとするなら職員室に行き、先ずクラスの担任を当たる必要がある。しかしクラスが分からないと、担任も分からない。
このクラスというタグは、学校で人を探す際には、非常に重要な手がかりである。しかし同じ学校に通っている訳でもない弟妹が、兄姉に興味を持たず、それを知らないとなると、途端に迷子と変わりがなくなってしまう。
「うん、ちょっと他の人にも聞いてみよう」
受付なのに分からないのか、と少女が不満を抱きかけていたとき、奥から別の人の声がした。女性と少し話をすると、老事務員は戻って来た。
「分かった。三年生でこのクラスはね、四階のここ」
彼は小さなボードを取り出して、目的地を指差して見せた。ボードは見取り図だった。少女は手提げ袋から、筆記用具とメモを取り出して、簡単にその情報を記録する。
「それとクラブなんだけどね、結構あちこちにあるみたいなのね。変わった集まりっていうか。部室はここと、校庭に一つずつ」
「え? 二つ?」
まだクラブ活動を始める前とはいえ、流石に部室が二つあるのはおかしいと思ったようだ。その問いに老事務員は、返答に窮して苦笑するしかなかった。
その顔もよく見れば、先ほどまでとは雰囲気が変わっていたのだが、少女は気付かなかった。気付かなくて良かったとも言える。
「うん。まあ行って聞けば分かるよ。この部はね、沢山のクラブが一つになって出来た、とても不思議な所なんだ。きっと楽しいよ」
毛ほど思っていない言葉を、年端も行かぬ子どもに言う。案の定、少女は嬉しそうに、教えられたことを反芻しながら、受け取った来客用のプラカードを胸に付け、受付を飛び出した。
喜び勇む後ろ姿には、『彼女』とおそろいの長い黒髪が、弾むように揺れていた。
それから少しして客足が落ち着くと、事務局の職員たちも、日常の姿を取り戻した。今日が文化祭という、特別な日であっても、特別な仕事が終われば、所詮はそれまでの話である。
「いや、しかし驚いたなあ」
「何がですか、あ、お茶をどうぞ」
老事務員の呟きを、同じ事務員の中年女性職員が拾う。手にはお盆を持っており、お盆の上には、緑茶の入った湯呑が二つ乗っている。
「ありがとうございます、いえね、ほら、さっきの子」
「さっきのっていうと」
「一人で受付を書いていった子ですよ」
女性職員はお茶を渡しながら、どの子どものことかを思い出せないでいた。興味のないことはその場で忘れる特技と、年齢のこともあって、日常的に顔を合わせない人は、いないも同然だった。
「私があなたに知らないか聞いたでしょう。三年生の」
「ああはいはい。さっきの」
目の前の人物が本当に思い出したのか、疑わしかったが、老事務員は構わず話を続けることにした。
「こんなことを言うのもおかしいけれど、いやあ、本当にいたんだなって」
「いたって何がですか」
「家族ですよ。家族。天涯孤独という話でしたけど」
そう言われて女性職員は、別の人物像をはっきりとさせた。依然として子どものほうは、ぼんやりとしたまま。
「ああ、ああ、はいはい! あの三年の、よく分からない部活の! 何とか部の」
せめて一文字くらい出て欲しいと思いながら、老事務員は頷いた。天涯孤独という単語で、想起されるような人物は、この学校では一人しかいない。
二年前の冬だったろうか。当時一年生の、とある女生徒が大きな問題を起こし、学校内でも話題になった。その生徒は以降も何度か、問題の中心になることが多かった。
「今じゃ三年生で、大人しく部活も引退したというんだから、なるようになるというか、帳尻が合うというか」
「もしかして親御さんが戻って来たんじゃないでしょうか」
女性職員の言葉に、老事務員は少し考えてから、意味を理解した。最初からいたものを、周りがいないと言っていたのではなく、本当にいなかったのだと。それがまた縒りを戻したのだと。
「家族“が”帰って来た。え、出て行ってたんですか」
「どうもそうらしいですよ」
ついさっき会った子どもの顔は思い出せないのに、顔を合わせない生徒の個人情報や、噂についてはよく覚えている女性職員は、話題の女生徒のことをつらつらと良く喋った。
「あ、ということは、その女の子は妹さんですよね」
「まあ、そうなりますが、どうしました」
「いえ、もう一度名前を見ておこうと思って」
急に面白がって席を立った同僚に、老事務員は内心で肩を竦めた。学校内の有名人のネタを、いち早く抑えておきたいという、非常に凡俗な欲望が丸出しだったからだ。
そのための旺盛な行動力が、年甲斐の無さを助長しているのだが、昨今のポリティカル・コレクトネスに配慮し、彼は窘めることを選択しなかった。
冷たいとか弱虫とか面倒臭がりとか言ってはいけない。
「あれ? さっきの子の名前、なんて言いましたっけ」
来客者名簿に目を通しながら、女性職員は間の抜けた声を上げる。聞いているほうは、さっきの子の顔など、既に覚えていないだろうと思っている。
事実その通りである。
「姉のほうは名前出るんですけど」
「苗字が同じなのでは」
「いやそれが、無いんですよね」
受付に置かれていた、来客者名簿を見せられて、老事務員もそこに、件の女生徒の苗字が、書かれていないことに気が付いた。
「私の勘違いだったかな」
「いや、絶対親族ですって。たぶん苗字が違うんですよ」
何のスイッチが入ったのか、鼻息も荒く在校生との情報を照合し始めた、同僚の中年女の背中を、冷ややかに見つめながら、彼は別の人物の名前を思い出していた。
少女の姉であり、天涯孤独と噂される、そんな『彼女』の正体は。
(そう、確か名前は)
――この学校で『臼居祥子』と呼ばれる人物であった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




