・官打ちとは年功序列の罠である
・官打ちとは年功序列の罠である
小腹が空いたので何か食べる物を欲した俺は、部室を出た。選択肢は三つ。購買部か食堂か料理部のどれかなのだが、料理部に行ってついでに十字と話そう。
そして歩くこと数十秒。売店と化した家庭科室には、出来立てのパンを買い求める生徒の列に並び、待つこと数分。何故か俺の後ろには誰も並ばなかったので、遠慮なく話し込めるな。
「ジャムパン一つ」
「二百円です」
割高。でもいいか。懐から銀色の小銭を二枚取り出して渡す。何気にお金って大量に製造されているが、掘られている模様や描かれている絵はかなり芸術的だ。
「はい南国ジャムパンお待ち遠様」
「ありがと」
南国ジャムパン。試しに一口齧って見ると、中にはイチゴとはまた別の赤色をしたジャムが詰まっていた。風味もイチゴじゃない。何の果物を使ってるんだろう。
「相変わらず繁盛してるね」
「おかげ様で」
「たまには景気はどうだいって聞きたいもんだな」
そう言うと目の前のおばちゃん、もとい料理部の部長こと十字晴美は、面白くもないとばかりに鼻を鳴らした。次の客が来ないと思ってるようだ。俺がいると人が寄り付かないので大変申し訳ない。
「同じことですよ」
おかげ様で来てるとも来てないとも言える。十字は人の足が途切れたことを、他の部員たちに伝えると、自分もまた椅子を持ってきて据わった。
家庭科部のドアは片方が開かれ、そこに窓の開いた同じ大きさの板を立てかけることで、料理部の注文口となっている。簡易のレジだ。
「どうだい、部長の座に返り咲いた気分は」
「どうもこうも。もうじき降りますからね」
食器を洗う音や、遠くの話声に混じる十字の声は、静かで掴み処のない感じがした。気分というか感情を推し量れない、平坦な調子。
「変な奴だな、折角取り戻したのに、もう引退するのか」
俺も人のことは言えないが。
「それとこれとは話が別ですからね、皆さんもう少し世間体を気にしたほうがいいですよ」
「わざわざ家庭科部に仕返ししたのにか」
「高校三年の最後で、部活を変えるほうが、恰好つきませんからね。最後までやり通したほうが、風聞は良いんですよ。ずっとね」
「まさかそのために家庭科部を潰したのか」
「そういう見方もありますね」
飄々とした態度で答える十字は、こちらを見ずに携帯電話を取り出した。覗き見防止用のフィルムが貼られているので、こちらからでは何も見えない。
「あのときは何のつもりかと思ったけど」
「理由なんてものは幾らでも付けられますからね」
「なんだ。食えねえな」
嘘は言ってないんだろうが、まるで本心を見せないな。こいつはこいつで一皮剥けたのか、たぶんもう凄んでも効果は無さそうだ。
「俺はてっきり敵に回るもんだと思ってた」
「私にも色々ありますからね」
色々か。それはそうなんだろうけど、その色々の中に、俺の欲しいものがあれば良いんだが。地道な作業ってのは、その都度空振りと隣り合わせってのが嫌だな。
「なあ」
「なんですか」
「実は栄のことで、一つ聞きたいことがあるんだ」
十字は栄の名前を聞くと、目だけをこちらに向けた。素直に顔を向けたほうが疲れないと思うよそれ。聞く姿勢でいることは、分かるからいいけど。
「あの子がどうかしたんですか」
「話によるとお前にも失礼なこと言ったらしいな」
「ああ、あのことですか」
先月こいつは栄に俺と一まとめにされた上に、人として間違っていると言われたらしい。真っ当に謝罪案件だが、俺の目的はその先にある。
「済まなかったな」
「っふ、わざわざそれを言いに来たんですか」
鼻で笑うんじゃない、似非仏像めが。お前みたいな奴が仏様みたいな顔してる時点で、この上無い罰当たりなんだと、自覚と慎みを持って頂きたい。
「良いんですよ。気にしてませんから。それにまあ、もっともらしい所もありましたし。やはり自覚のあることを、人に言わせまいと振舞うのはいけませんね。必ずこちら目掛けて噴き上がって来ます」
うちは風通しが良過ぎるから、憎まれ口くらいなら平気で飛び交うけどな。あまりしっかりした上下関係があると、上が悪くても逆らえなくなるんだろう。
まあうちみたいに上下がいい加減だと、皆してなあなあのズブズブになってしまうからな。自浄作用の無さにも、パターンがあるんだ。だから何だよ。
「うちの部員から言われなかっただけ、幸運でした。それに栄さんからのお叱りを理由にして、その後のことにも繋げられましたからね」
「何だ栄のおかげで言い訳できたって話か」
「そんな所ですね」
うーむ。もう少しあからさまな言い方をしてくれたら、こちらとしても助かったのだが。いいや、これを幾らか加工して栄に話そう。肯定的な発言を引き出せたんだ、それでよしとしよう。
元々は十字に栄を肯定する発言を、してもらうよう頼むとか、或いはそれさえなく、十字が栄のおかげで云々という話を、捏造するというプランもあったのだ。
「そっか、言質取ったから引っくり返すなよ」
十字は信用がないからな。例え後で本人に確かめられて、言ってないと答えても、性格から嘘か本当か判断がつかない。個人的に信用がないということは、本人確認の段階でも裏が取れないのだ。
特に言った言わないの類は、誰だって当てにならないからな。デマでも言ったもん勝ちなのが、人の世の常ってものだ。
それらのことに比べれば、どれだけ小さくても、捻くれていても、現実として肯定されているに、越したことはない。
「大袈裟ですね」
「ああ見えて自分の発言を気にして引き摺るんだ。このことを伝えたら、幾らかでも安心してくれれば良いけど」
まあこれも言ってないって言われたら、今度は逆に『この人のことだから、本当に言ってないかも』って思われる危険もあるのだが。
これだから信用できない人間は駄目だ!
「それなら本人が一言頭を下げに来ればいい話です」
「別に栄は俺たちを糾弾しただけで、失礼なことはしてないぞ。人の落ち度を叩くのに、わざわざ相手の顔色や場所を、窺わなきゃいかん理由もないしな」
失礼というか、控え目な表現で粗相があったのはこちら側だし。目上を罰するのに引け目を感じるのは、あいつの甘さに他ならない。
そんなことでは社会に出たとき、年上の部下や万引きをする老人を、断罪することはできない。
「……あいつ色んなこと気にし過ぎなんだよな。案外気になることが多いっていうか、気にするために枠を多めに取ってるっていうか、最近見ててそう思う」
「注文の多い料理店ってことですかね」
「そうかも知れん」
栄の姉こと北斎先輩。先輩のほうは、時代を選ばないタイプの天才だったと思う。それらしいことはしなかったが、周りからは好かれていたし、あの人のせいで、栄がいじめに遭ったなんて話も聞かない。
理由があってのものじゃないんだ、栄のあの性情は。たぶん生まれ持ってのもの、嫌な言い方をすると、あいつ特有の生理的な感性ということになる。
平たい表現をすれば『むり』って奴だ。
「せめて注文内容が部のためになれば良いのに」
「平の部員が『部のために』なんて、まず考えないですよ」
「厳しいねえ」
「本当のことですから」
そう言って十字はエプロンから小銭を取り出すと、それをレジに突っ込んでから、売り物のパンを頬張り始めた。人相って大事だな。同じ物を食ってるのに不味そうに見える。
「誰もがほとんどのことは自分のためです。だからこそ行いのみが、人のため足り得るんですよ。その点で性分や発言にばかり目が行くような人は、自分の手足が動く所を、見たことがない。見たことがないから、他人が動いているのが、分からない」
「もしかして行動で示せってことか。でも栄が気づいたり、見直してくれたりするかな。単純に好みじゃなかったらしんどいぜ」
「そこまでは流石に面倒見られません」
「うーん」
役に立ってるアピールでもするか。なんだか夏休みの宿題を、最終日に全部やろうとするアホみたいだ。これでも結構、部とか部員の役に立ってたと思うんだけど。
「栄の好みねえ」
「国語の先生に数学頑張ったって言っても駄目ですよ」
「それくらいは分かるよ」
「努力を評価させるのは、結果を出すよりずっと難しいことです。テストは点数を見ればいいですが、テスト勉強には点数が付かないでしょう。学校なら出席で代用できますが」
理数は勉強しても試験の答案用紙見ると、詰め込んでおいた公式がぶっ飛ぶ。返せよ俺の勉強時間。それにしても十字は厳しいけど、あれこれと考えていて、こいつも苦労はしてるんだな。
今の俺に必要なのは、駄目だったという結果から、次に繋げることだ。文章で表すなら駄目だったけど、の『けど』の部分を作ることだろう。
「あー部長めんどくさいなー」
「本当そうですよね」
失敗すれば何もかも終わりになるほど、世の中簡単じゃないってことだな。今度こそ上手く事を運びたいものだけど。
ああ、年上になるって、面倒で悲しいことなんだなあ。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




