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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
さらば南編
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・お悩み南

・お悩み南


「濁し腐らせ淀の風、憎しみの御旗はためかせ、亡骸の上、膝行り往け……!」


 呪文を唱えると、祈るように組んだ両手の指の隙間から、どす黒い煙が噴出し、拳を繭のように包み込んでいく。それは背中から前へと吹く風に乗って、少しずつ大気を汚していく。


壊病風(えやみかぜ)


 繭が爆ぜて、ヘドロと見紛うような黒く粘つく何かが、空気中に溶け出し、流れていく。汚れた空気の流れは、目で見ることが出来て、五メートルほど先に詰まれた、雑草の山に降りかかった。


 黒い煙に触れた部分から或いは腐り、或いは枯れて、溶けては乾き、土か埃へと変じていく。頬から顎先へと伝う汗は、夏の暑さのせいばかりではないだろう。


「成功です! またひとつ魔法を覚えましたね!」


 隣で喜んでくれるのは、猫の姿に化けたミトラスだ。今はですます調で話している。俺は現在自宅の庭にて、彼に魔法を教えてもらっていたのだ。


 パネルを取得して次のレベルに進んでも、魔法そのものは、個別に覚えないといけないのが面倒臭い。


「これさあ、毒だよね」


「ええ、闇と土の合体魔法です。見た目が風っぽいので、風の魔法や気流操作で防げそうだけど、防げない初見殺しですよ!」


 ああ、これ風で散らせたりしないんだ。性質悪いなあ。


「全体汚染でこれが人間には良く効きます。防ぐには高価な防毒装備が必要ですし、火と光属性を合体させた、状態異状回復でないと解毒できません」


 ファンタジー世界はファンタジー世界で、魔法が発展してたんだな。より厄介で厳しい。最終的には文武に秀でたマジカル脳筋が、戦場を駆け巡るんだろうな。いや、もうしてるのか?


「これからどんどん便利な術を教えてあげるからね。帰ったら冒険者になって、他の地域を旅してみてもいいかも」


 高校卒業して冒険者になって諸国を渡り歩くのか。それもそれでいいかも知れないな。野宿とか絶対ヤだけど。


「でもさあ、ミトラス」

「何ですか? もう次の魔法に取り掛かりますか?」

「お前、対人特効の魔法ばっかり教えてくるのは何でなんだ」


 間。沈黙。涼し一陣の風。目の前の白黒の猫が耳をかいて、欠伸をする。目と目が合うことしばし。


「人を一番襲うのって人だし」


 その答えに要した時間は何だ言ってみろ。


「闇魔法中心なのは」

「君の適正。もうレベル3でしょ。それだけ」

「うん、ただ同然だった」


 他の魔法は知能の上昇で必要な成長点が下がり、手持ちの4,500点で、ぎりぎりレベル2にできたのだが、闇だけほとんど点数を消費しない。これだけもう頭打ちで、今にも限界を突破できそうなくらいだ。


「たぶん他が追いつけば、もっと先に行けると思うんですよね。レベル3辺りから、その分野の魔法使いを名乗っていい頃です。闇の魔法使いサチコ!」

「やめろ」


 今度魔法のタブをもう一度見直してみよう。自分の向き不向きを確認して、自分というものを再確認して取り組もう。よもや現代の夏休みに、魔法の練習から自己分析をする必要に、思い当たることになるとは。


「でもなんでこんなに闇適正があるのか」


「夢も希望も人の温かみもない世の中で、夢も希望も人の温かみも失われていく人生を送ると、ガンガン上がるよ。あとは個人の向き不向き」


 なんだかゲームに出てくる邪教徒みたい。強いことは強いけど、自分がそうなりたいかと言われると、首を横に振りたくなる。


「その割りに俺って今は結構普通じゃないか」


 身内もおらんし、異世界からの彼氏を引っ張り込んで、同棲するという普通が、果たして何処にあるのか。言った先から俺は内心で自嘲したが、ミトラスは猫の声で一声にゃあと鳴いた。


「それもこれも僕たちのおかげだと考えると、少しは君に恩返しが出来ていると思っていいのかな。だったら嬉しいよ」


 ……こいつめ。


「練習やめ、遊ぶ」

「え、あ、そう。じゃあ何して遊ぶ」

「だっこ。来い」

「え、暑いから夜にしようよ」


 うるさい黙れ。俺は今無性にお前をぎゅってしたいんだよ。


「こら逃げるな」

「い、いいよ、遠慮しとくよ!」


 そうして二人で炎天下を、うろうろと追いかけっこをしていると、玄関のインターホンの音がした。誰か来たらしい。俺たちは顔を見合わせて、そちらへ向かった。


 セールスか宗教の勧誘くらいしから来ないから、本当にわずらわしい。完全に猫のふりをしているミトラスを連れて、玄関へと向かう。会話が途切れれば、途端に蝉の声が響き渡る。


「はい」


 一応は警戒して握りこぶしを作ってから、玄関を開けると、そこには意外な顔があった。


「南」


 白いワンピースに、貴婦人が被ってそうな白い帽子に日傘。更に白いサンダルと白尽くめの南が、所在無さげに立っていた。


「その、こんにちは、臼居さん」

「とりあえず、上がんな」


 家に人が上がるなんて、ミトラス以外では何年ぶりだろうか。俺の知り合いなら初めてかもしれない。ともかく、話しを聞いてみないことには始まらない。


 南は靴を脱ぐと、俺たち以外は他に誰もいない家の中へ、失礼します、と言って入って来た。




「いきなり来るとはな」


 扇風機の他に、リモコンでエアコンの電源を入れて、室内を冷やす。冷蔵庫から新品の麦茶を用意して、テーブルに置く。先に席に着いていた南は、落ち着かない様子で周囲を見回していた。


「だってあなた、携帯電話持ってないじゃない」

「自宅の番号は教えておいたはずだぞ」

「それは、い、留守かも知れないと思って」


 こいつは喧嘩を売りに来たのか。居留守使われると思ったのか。当たりだよ。お前だと分かっていたなら、しらばっくれて追い返したと思う。


「直接会いに来たって、空振りに終わったかもしれないだろ」

「それは、そうだけど……」

「いいから帽子を取れよ失礼だぞ」


 着席のついでに言うと、南はハっと気づいて、慌てて帽子を脱いだ。そしてそれをぎゅっと胸に抱く。顔色が悪い。緊張しているみたいだ。


「ここには俺たちしか住んでない。他には誰もいないよ」


 手で招き寄せると、ミトラスが俺の膝の上に登って大人しく撫でられる。日はまだ高い時間で、庭に面した窓からは、日差しがカーテン越しに、室内を遠慮なく照らし出す。


 亜麻色の髪が項垂れて俺の前にある。これだけ気にしてくれってやってくる奴は、初めて見たな。面倒臭いぜ。


「どうかしたのか」

「その、覚えてない? 他の二人は覚えてなかったんだけど」


 絞り出すように呟く南は、ちらとだけこちらを見る。他の二人とはたぶん、北先輩と海さんだろうか。


 察しろ、自分の口から言わせるな、そういう態度が鼻に付く。こんなことで、のっけから話を止める奴とは付き合いたくない。


「質問の仕方が悪い。俺に言いたいことがあるのか、俺に言わせたいことがあるのかはっきりしろ。俺はお前が嫌いだけど、相談されて見殺しにするほど育ちは悪くない」


 しかし取り合わない訳にもいかない。何故かと問われれば俺のモラルの問題だ。


 南は露骨に傷ついたような、呆然とした中にどこか批難の見える表情で俺を見つめていたが、苛立たしげに大きく溜め息を吐くと、こちらに向き直った。


「もうすぐで試用期間が終わるの」


 ミトラスが南の膝へ移る。


 試用期間。その言葉が何を意味するのか。俺が思い出すまでには、少しの時間が必要で、その間エアコンと扇風機、遠くの蝉の不満げな声ばかりが、リビング内の音の座に居座ることとなった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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