・臼居祥子最大の誤算
・臼居祥子最大の誤算
「困った」
時は放課後、場所はいつもの愛同研。無事に愛研同への衣替えを果たし、ほっとしたのも束の間。後輩たちが集う中で、俺は溜息を吐いた。
「困ったな~」
「先輩、諦めましょうよ」
「栄はそう言うけどさあ」
軍事部を矢面に立たせて、家庭科部へと宣戦を布告した日から早三日。部勝負の内容は料理対決となり、あとはこちらから料理をする者と、審査員を用意するだけとなったのだが、ここで思わぬ問題が発生してしまった。
その問題とは。
「くっそ~、なんで誰も審査員をやってくれないんだ」
「なんでってなあ、清」
「なあ」
一年生コンビが顔を見合わせて、当たり前みたいに呆れている。そう、思わぬ問題というのは。
――誰も審査員を引き受けてくれないことだった。
「ちょっと飯食ってうちに票を入れるだけじゃないか」
「それが不満なんじゃないでしょうか」
「え、どこが」
不正をやった相手には、同じ不正をやり返して思う様やり込めたいし、追放したいと思うもんじゃないのか。端的に言えば思い知らせたいとか、味わわせてやりたいという気持ちはないのか。
「どこってなあ、飯」
「なあ」
川匂の言葉は不可解だった。料理が美味いか不味いかではない。食べ終わったら問答無用で軍事部を勝たせるだけの簡単な仕事なのだ。それなのに。
「ちょっと不正をするだけじゃないか」
「だからそれが嫌なんじゃないかと」
栄が眼鏡を外して鼻の付け根を揉む。頭が痛いと言わんばかりに大きな溜息を吐く。一年生たちは苦笑いを浮かべているし、アガタは腕を組んで目を瞑っている。
「えー、先にやったのは相手で、うちには得しかないのに」
「気持ちは分かりますけど、それでも不正を行うのは皆嫌なんですよ」
「うちに主導権があるんですから、正々堂々で良いじゃないですか」
「やられたのと同じかもっとひどい目に遭わせたいよ俺は」
アガタと飯泉が俺を窘めようとしてくる。俺は部長で三年生だけど、一人ぼっちなのでこういうとき、周りに強く出られない。
「気持ちは分かります。でも駄目です」
アガタに同じことを二度言われては、こちらも黙る他ない。そりゃ俺だって、真っ当な勝負でズルをするのは嫌だ。後味が悪いし、周りの目もある。
「うう~」
「先輩はどうしてそんなにやり返したいんですか」
「そりゃお前、敵が『てめえらぶっ殺してやる!』って来るだろ。こっちも『前から目障りだったんだよ!』って行くだろ。これは別にいいんだけどさ」
「いいんだ」
清水から疑問をぶつけられ、俺は自分の正直な気持ちというか、考えを述べることにした。もしかしたら共感が得られるかも知れないし。
「うちが勝てば問題ないし、負けたら何も言えないし」
「それ良し悪しの話じゃないですよね」
「でも不正で負けるとずっとしこりが残るだろ」
「さっきの流れでも、後腐れが無い訳じゃないですよね」
清水は意外に細かいな。これから相手をやっつけようってときに、自分がやられたらとか、やられた相手の気持ちなんか考えないで欲しい。
「でも後者のほうがずっと後味が悪いだろ」
「それはまあ」
「味わわせてやろうって思うだろ」
「ええ何この人怖い」
やられたらやり返して末代にする。こういう単純な因果応報とか生存競争を、彼女たちも理解してくれないものか。既に二学期なんだから、学校の次は汚いものにも慣れてよね。
「先輩、気持ちは分かりましたが、やはりここは正攻法で行きましょう。優先すべきは料理部ですから。先に他を整えて、時間が余ったら取り組みましょう」
「どうして先輩たちは分かり合ってるんだろう」
「分かっちゃダメだよ川やん」
「分かったら先輩みたいになっちゃうよ」
川匂の呟きを、飯泉と清水がやんわりと注意する。失礼な助言をしやがって、これだから生きるか死ぬかの戦いを経験してない奴らと来たら。
それに比べて、度々同じ危険を乗り越えたアガタと栄の頼もしさよ。つっても片や潔癖、片や現実路線で、俺の意見を酌んではくれなかったが。
「ダメかー、皆そんなにズルが嫌いかあ」
「当たり前ですよそんなの」
「お前らズルしろって言われたら抵抗ありますよ」
もっと軽い気持ちで、それこそ外国のスポーツの審判とか、格闘技の審判とか、カードゲームの審判みたいに気安く不正を働いてくれたらいいのに。
「先輩は嫌じゃないんですか」
「俺は嫌いな奴に自分がやる分には別に」
「そう……」
飯泉がとても残念そうな顔をする。相手が悪いとあっても、やはり自分の手を汚すのは嫌か。それとも単に優しいのか。まあアガタくらい容赦がないと逆に困るんだけど。
「参ったなあ、料理をする分にはいいよって声も結構多かったのに。審判になって勝たせてくれって言うと、誰も乗ってくれない」
「あの先輩、私たちは声をかけられてないですよ」
栄がどこか責めるような声音で言う。それはそうだろう。この時間に愚痴を零してはいるが、俺は愛同研の連中には、動員をかけていない。
「それはそうだろう。お前らを巻き込む気はないし」
「何でですか。私らが今回の部勝負に参加したら、ダメなんですか」
「ダメ。俺の卒業後にお前らが学校から狙われるから」
今更という気もするが、だからと言ってそれに拍車をかけて良い理由にはならない。俺がいないほうがずっと危険なアガタや、いざとなれば先輩がいる栄と違い、一年生たちの力や性格は一般人の枠に留まっている。
普通の人間たちが持つ邪悪さを、跳ね返せるような個性が育っていないのだ。二年生になって身に付いたとしても、まだ見ぬ次の一年生が狙われる危険もある。
「俺は今年の内に出来る限り生徒たちに愛想を振りまいて、もちっと評判を良くしてだな、人気という名の母子免疫を残しておきたいと、こう思ってるんだよ」
共通点はいつか無くなること。
「そのためにお前らを矢面に立たせる訳にはいかん」
「他の部ならいいんですか」
「良いよ。お前らのが大事だし」
栄と飯泉が苦い顔をし、逆にアガタと清水が少し嬉しそうにする。川匂は両方を見てオロオロしている。後輩たちの価値観というか優先順位が、結構明確に分かれたな。
「俺が公正公平なのは、依怙贔屓する相手がいないときだけだぞ」
誰しも優先順位というものがある。
或いは本性というものがある。
俺にとってはこれがそう。
基本的に一番はミトラスだが、あいつは守らないでいい存在でもある。手に余る。俺にとって一番大切だが、一番に考えなくていい相手なんだ。特別ってことだな。いかん、惚気てしまった。
「先輩って敵味方はっきりさせますよね」
「俺は味方しか大事にしないからな」
相手に優しくしなければ、相手も自分に優しくしない。
人は自分に優しくしない相手には、優しくしない。
相手が優しくしてくれないなら、俺も優しくしない。
これらのことは何も矛盾しない。
そして自分から優しくしてくれる連中が、結構な数集まっているのが愛同研と仲間たちだ。俺もここに所属する以上は、たまに自分からそうすることもある。環境って大事ね。
「ともかくだ。このまま審査員がいないならやむを得まい。愛同研の外から審査員を募集するしかないだろう。誠に面倒臭くはあるが」
「不正の下りを取り消せば皆参加してくれますって!」
「嫌だ、時間に余裕がある内は諦めないぞ!」
「またそんなとこばっかり根性見せて」
その後も食い下がる俺に対して、部員たちは全員反対に回ってしまった。どの道参加は募ってないから別にいいけど、段々後ろめたい気持ちになってくる。
「サチコ先輩」
「なんだアガタ」
現状校内全一の美少女が、非常に好意を感じさせない笑顔をこちらに向けて来る。ああ、自分が間違ってるんだなって一発で分かる。
「私たちは先輩の味方をしたいのであって、誰かと敵対したい訳ではありません。現実としてそうなるとしてもです。だから先輩が率先して誰かと敵対しようとする場合、私たちは付いて行きたくても、付いていけません。分かりますか」
「はい」
「まともな審査員がいてくれるなら、私や料理部の人たちも負けないでしょう。無理にとは言いませんが、敵を倒すことよりも、勝負に勝つこと、私たちを頼ることも考えてみてください」
「……うん」
最後通牒を思わせる笑みと穏やかさで、やんわりと説教されてしまった。叱られる子どもに向けるような、周囲の同情的な視線も刺さる。
「私は今日アルバイトがあるから帰りますけど、忘れないでくださいね。私は先輩の気持ちを、否定はしませんから」
そうだろうな。お前のことだから、手温いという思いと、自分にはそんな小細工は要らないという思い、両方の気持ちがあるんだろう。
「困ったな、アガタには嫌われたくないしな」
「この期に及んで判断基準はそこなんですね」
「栄だって俺と先輩を秤にかけたら先輩取るだろ」
「それは、いや、うーん」
姉のためにも悩まないであげて欲しい。
「……考えてみるか」
そう言うと、部室内の空気が柔らかくなるのを感じた。いつの間にか皆緊張していたようだ。そんな要素あったか。
「部長ともなると大変なんですね」
「真っ当なことなら私たちも応援しますんで」
「いつでもご指名待ってま~す」
安心した一年生トリオも去っていく。残された栄も退出し、後には俺だけが残った。
腕を組んで、しばしの間考える。
あいつらを頼れば、学校からのヘイトが向かう。
かと言って頼らなければ、俺は信頼を失うだろう。
難しいなあ。
「本当に、匙加減が難しいよな」
後々のことを考えるということ。
このマラソンは、いったい何時まで走り続ければいいのだろうか。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




