・ギリギリ神聖なほう
・ギリギリ神聖なほう
胴体を鷲掴みにされて何処へ行くかと思ったら、どうやら地上には出られたらしい。辺りは暗いが空気の流れと、全身を打つ雨で分かる。これを生還したと言っていいのか。
「ご苦労さん、じゃあもう離せよ!」
俺は自分を握り閉めている骨に、鈴鹿を突き立てた。難なく刺さって刃も通るが、如何せん再生速度が速くて斬り落とせねえ。
完全に誤算だった。誤算っていうか何ていうかもう。予想外、違うな。予想出来ててもこんなの対処できねえよ。
ミトラスが湖底から剣を引き抜いたら、湖面から霊たちが溢れ出した。
これは予想できた。
骨の小島がカタカタ震え出して、案の定この大型の骸骨の姿になったことも、足場が無くなって水中に放り出されたことも、まあそうなるだろうなって思ってた。他に打つ手も無かったし、ほぼ為すがままだろうなって。
「刀は刺さる。攻撃は通るのに」
霊たちも水に落ちた俺に群がって来るかと思った、ところが奴らは骨に沁み込んでいったんだ。元を辿れば自分の遺骨なんだから、それがあるべき場所って奴なんだろうけど。器用に分離したまま襲い掛かられなくて良かった。
「早いとここいつを片付けねえと……!」
遺骨のない霊たちもいた。そいつらはこっちに向かって来てたんだが、骸骨が息を吸い込むと、残らず吸収されてしまった。骨の癖に息を吸うんだぜ。
全身に纏ってる水が血のように滑り、体の節々から覗く無数の眼窩が赤く光る。肺の辺りには青白い鬼火のような物が燃えている、巨大な怪物。
「待ってろサチコ! 今助けてやるからなー!」
先輩の声がする。見れば校庭の片隅に全員が揃っている。いや、ミトラスがいない。逸れたままか。あいつのことだから、生き埋めでも大丈夫だと思うが。
そう、水に落ちたら俺は身動きが取れそうにないから、ミトラスに抱えて貰おうと考えたんだ。それなのに、まさかの事態が起こってしまった。
剣を引き抜いたらこの骨が出来て、しかも地底湖全体が崩れ始めたんだ。大量の瓦礫と水が流れ込んで来た。しかし大事なのはそこじゃない。
剣を持ったミトラスの様子が、おかしくなっていったんだ。顔色が悪くなったと思ったら、急に蹲ってしまった。
あの化け物が出るのと入れ違いになるように。
「くらえぇぇーー! お札ビイィーッムゥ!」
栄が捧げ持った薄いプラスチックシートに、先輩がライトの光を当てると、そこに書かれたお経の文字が骸骨へと拡大、投射される。
「これが科学とオカルトの融合だ!」
「嘘、あんなので本当に効果あるの」
「奮発して高いお札を買って模写したんだ!」
できれば高いお札そのまま使ってくれる? クリアファイルに入れて濡れないようにするとかさ、こう、あるじゃん。やりかたが。色々と。
「おお、僅かにガシャドクロが怯みましたぞ!」
「鞄にまだ何枚かあるから、皆もやって!」
まるで犯罪者を取り囲むように、四札のお札の字の光が骸骨の手へと当たる。刀を振り下ろしてもう一度斬り裂くと、今度は傷口が塞がらなかった。
「そのまま照らしててくれ、せーのっ!」
俺を握りしめている指を四つ切断すると、どうにか地面に向けて落ちることが出来た。つっても俺今どのくらい高さにいたんだ。受け身が取れねえ。
「危ない!」
背中に強い衝撃が伝わる。落ち方が不規則になる、先に何かに当たった、刀と足が先に地面に刺さって、踵に激痛が走る。体が縦になって引き摺られていく。何だ。
「サチウス殿、ご無事ですかな」
どうやら落下先に駆け付けたウルカ爺さんが、キャッチしてくれたらしい。はみ出た部分は駄目だったけど、贅沢は言っていられない。
「ごめん、助かった」
「ミトラス殿は」
「逸れた。こいつを持ってから具合が悪くなって」
俺は懐から古ぼけた直剣を取り出して、ウルカ爺さんに見せた。地底湖に沈んでいて、ミトラスに抜いて貰った奴だ。
最初の内は何てことなかったのに、あの骸骨が表れてからミトラスは急に弱ってしまった。
慌てて剣を取り上げたものの、俺は骸骨に連れ去られ、あいつを地下に置き去りにしてしまった。
地上に上がるまでにも、次々に霊が現れては吸われ、何処に隠れていたのか、ミサキの残り二匹も捕まえられていた。
「ミトラスは強力な魔物だ。その気になれば城一つ余裕で吹き飛ばせるし、人を石にも別の生き物にもできる。この世界に来て弱体化した訳でもない。それなのにあんな。はっきり言ってこの剣は異常だ」
お話に出て来るような、魔物によく効く聖剣の類なのか。幽霊たちを鎮めているってことから、少し考えれば分かったはずだ。いや、分かっていても、そんなの別にって思っていたことだろう。ミトラスなら大丈夫って。
「大した霊験なんだろうがちっとも嬉しくねえ」
「サチウス殿、恐らくそれは、いや、後にしましょう」
「そうだな。今はアレをどうするかだ」
この剣がお宝だとしても、あの化け物と関係があるんじゃ台無しだ。ここを乗り切って、何が何でもミトラスを迎えに行く。ついでにこの剣は交番に届けて三か月後に俺が貰う。
「おーいサチコー!」
「先輩!」
「大丈夫、刀が自分に刺さったりしてない?」
「皆無事か、ああ、大丈夫、さっきはありがとな」
先輩、栄、蓮乗寺も揃った。ここからあの骨、ガシャドクロ討伐を始めなければならない。少なくとも俺から撤退の理由はなくなった。
「見てアレ!」
栄が指さした先には、ガシャドクロに捕らえられた今や二人ミサキとなった悪霊たち。その悪霊たちが、最期の瞬間を迎えていた。
「うわ」
蓮乗寺が小さく悲鳴を上げる。口に咥えられていた韓国ミサキは、じたばたと暴れていたが、抵抗空しく丸呑みにされてしまった。次に日本ミサキも同じ様にして後を追った。
肺のそれぞれに送り込まれたミサキたちは、狂ったように苦しみ始めると、やがて解けるようにして原形を失い、鬼火となって吸収されてしまった。
「あいつら素通りしてたら、もう五匹食われてたかもな」
「冷静になるとさあ、これ何とかなるの」
「一応は」
引き続きお札の字をありったけの明かりで投射しつつ、俺たちはガシャドクロから距離を取った。こちらを補足しながらも中々近づけないようだ。
少しずつ蒸発するような煙も出てるし、これだけでその内倒せるのでは。俺のライトは装着していたヘルメットごと、地底湖に脱ぎ捨ててしまったからな、ここにきて出力に加勢できないのが痛い。
「ガシャドクロは大勢の犠牲者が一丸となって生まれる怨霊ですが、同時に共通の敵に対して団結した、怨敵必殺の守護霊でもあります」
怨敵必殺の守護霊、凄えシンプルだな。
「古来より敗軍の戦場や、一門の最期の地などに生まれ、特定の相手を憎むのですが、相手がいない場合は怨霊の本文として人々を襲うのです」
「復讐の相手がいるときが一番安全なんだな」
「ここだと旧校舎で殺された人々が元なのね」
そういった幽霊たちがこのけったいな剣の下で安らぎ、段々と一つになってあの化け物になった。しかも俺が引っこ抜かせたばかりにって、待てよ。
「あいつの恨みの矛先って何処向いてんだ」
「そりゃあ、自分たちを殺した人でしょ」
先輩が小首を傾げる。それはそうなんだけど、当事者たちの大半は既に鬼籍に入っている。生贄を探す時間はない。
幽霊の爺さんが該当するが、あれ一人投げ込んでもなあ。
「この剣を壊したら良いんじゃない」
「お嬢、それだけはいけません。彼奴めはこの剣を依り代にしているのです。壊せばいよいよただの悪霊と化します。あれほどの霊を祓うのは至難ですぞ」
「今だって十分悪霊だろ」
正直俺もこれを返すか壊すかで大人しくなるなら、そうしようと考えていたんだけど、ウルカ爺さんに待ったをかけられてしまった。
「アレはまだ敵を選んでいます。守るべき家人、持ち主がいないだけで、ギリギリ善玉なのです。剣と癒着している今、剣の持ち主にさえなれば」
言われてみれば、本体の被害者たちに属しない連中やミサキ、剣を持ってる俺が敵視されているけど、ライトを当ててる先輩たちには襲い掛からないな。
それも何時までのことか分からないけど。
「自分の守護霊になる訳だ」
「ハイリスクハイリターンだなあ」
「でも、そんなのどうすればいいんです」
俺、斎、栄の順で話す。あれ、骸骨の体から上がる煙が少なくなって来たような。気のせいじゃないな。減ってるな。でも体は縮んだりとかはしてないな。ヤバいな。
「一度、ガシャドクロを討ち払うのです。その剣で。さすれば剣との繋がりが断たれて弱体化するか、もしくは剣へと戻るでしょう」
「その後は」
「私が、どうにかしましょう」
ウルカ爺さんの重々しい呟きは、正直何かを期待できるものじゃなかった。
要はアレをこの忌々しい直剣で倒せば、一時的にはどうにかなるかも知れないってだけのこと。しかし。
「分かった。やろう」
「先輩、本気で言ってますか」
「どの道アレを倒さなきゃ、俺はあいつを助けに行けねえ」
「あいつって、あ」
元はと言えば『剣は引き抜く物』という固定観念に囚われ、ミトラスを窮地に追いやってしました、俺の迂闊さが招いたことだ。
犠牲者への憐れみだとか、遺体を損壊してはいけないとか、らしくもないことを考えていたから、こんなことになってしまった。
ミトラスを嗾けて骨も霊も消し飛ばしておけば、こんな面倒な事態は避けられたんだ。
「む、いかん! 皆下がって!」
「え、おわあっ!」
とうとうお札の光を克服したのか、ガシャドクロが腕を伸ばして大地を叩く。上半身しかない体で、ゆっくりとこちらへと這い擦って来る。
「要は落ち武者のときと同じだ。てめえのその首叩き落としてやる」
待ってろよミトラス。直ぐ助けに行ってやるからな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




