・前日譚その二
・前日譚その二
※このお話は三人称視点となります。
サチコが様子見に旧校舎の地下へ潜ってから数時間後。肝試しの主催者とその仲間たちもまた、車庫から地下へと入り込んでいた。
彼女たちは現在、サチコの降りた穴から下へ降り、明かりを確保するべく拠点の設営に勤しんでいた。その数、三人と一匹の猫。
猫以外は皆揃って大荷物を抱えていた。
「携帯への連絡からその後の音信が途絶。予想通りサチコに何かあったね」
気不味さと好奇心とが、綯い交ぜになった様な表情で、北斎は言った。彼女はこういう事態が発生することを、常に期待していた。
最初こそ軽い気持ちで始めたことだったが、サチコを巻き込めば、ほぼ確実に非日常と接触できると勘付くと、以降の夏も持ち掛けるようになった。今回で早三度目である。
不安や心配が無い訳ではなく、斎の中で著しく低い位置に属しているのが実情だった。
「上の入り口で待ってるでも無し。どう思う」
「間違いなく問題が起きてると思う」
「ですなあ」
斎に聞かれて答えたのは、蓮乗寺桜子と、その付き人ウルカだった。
桜子は愛同県に連盟している『オカルト部』の愛称で呼ばれる部の部長である。ウルカはアラブ系の恰幅の良い初老の男性で、桜子共に天狗という妖怪だった。
サチコ以外は二人の正体を知らず、桜子も周りから超能力者くらいにしか思われていない。長い黒髪の持ち主であり、前髪で目が隠れている。
「日中の内から幽霊や妖怪に襲われることってあるかな」
「ありますな。人が失せて霊の縄張りと化した空間は、夜も同じです」
ウルカは三人で持ち込んだ四つの台座に、燃料となる松脂や油を塗布した薪を入れると、それに火を点けた。
松明の炎が闇を照らし出す。
「川に引きずり込む者や、神隠しを行う者は特にそうですな。昼間であることは彼奴らを制限する理由にはなりませぬ。夜しか起こらぬ祟りなど聞いたことがありますまい」
ウルカは続いて蛍光シールを地面に撒いていく。濡れた土壁には張り付かないが、そうすることで幾らか足元を明るくするためであった。
「爺や、荷物はどれを持っていくべきかしら」
「明かりと食料、あと武器ですな」
丸い穴の下を四角く切り取る作業が終わると、彼女たちは一度休憩を挟むことにした。炎の光は前後に伸びる通路の奥までは届かないものの、それでも無いよりはマシであった。
「これはいよいよ、私も幽霊と直接対面することになるかも知れないな。一応色々と準備はして来たけれども、どこまで通じるかな」
何気に怪現象に遭遇はしても、個人というか個体というか、そういう存在と直に見えた経験が、斎にはなかった。
「正直こっちは戦力過多だから心配はいらないでしょ」
「我々が考えるべきはサチコ殿の救助ですよ、北殿」
「あ、はい、すいません」
ウルカに言われて斎は、場の空気が真面目なものに変わっていくのを感じた。これまでも皆無事で生還し、それだけに今回も危険が生じても大丈夫だろうと楽観視していたため、彼の態度に戸惑いを隠せなかった。
「でもサチコさんのことだから、滅多なことにはならないと思うんだけどね。北さんも色々と準備をさせたんでしょう」
桜子の問いかけに斎は頷いた。サチコが用意した道具の費用は大半が斎持ちである。斎は自分のためなら金に糸目は付けない悪癖があった。
愛すべき後輩が文句を言い、金銭や道具を要求すると、斎は二つ返事で用意をして彼女を黙らせ、引っ込みを付かなくさせるのである。
「ここに降りたときのロープや明かりとかね。他にも防災用品や救急セットもそう。武器や防具は自前みたいだけど」
「もしやすると、この先で地滑りや崩落が起きたり、他にも穴が開いてたりして、そこに落ちたのかも知れませんな。もしくは」
ウルカは松明の台座同士を荒縄で結び、間に何語かで描かれたお札を貼ると、これもまた、聞いている者には理解できないお経を唱えた。
「もしくは」
「……報告にあった良からぬ者共に襲われたやも」
反対側も同様の処置を施してから、ウルカは呟いた。
「報告にあったって、七人の悪霊のことですか」
「左様」
斎は携帯電話の留守番メッセージに入っていた、サチコからの報告を思い出す。原着時間と現在地だった公衆電話の位置、自分の装備等々を伝えた後、しれっと幽霊の爺さんから聞いたんだが、と悪霊の話をし始めた。
これまでの心霊体験が無ければ、後輩の頭がおかしくなったと判断したかも知れない。自分の中で超能力者と思っている女と、その付き人にまで声をかけておきながら。
「単なる数の一致であれば良いのですが」
そう言って老妖は首を振った。彼もまた桜子の予知夢絵を見ていた。現実逃避をしなければ、楽観論は出せない状況であった。
「爺や、心当たりがあるの」
「ええ。七人ミサキというのはご存知ですかな」
「そこそこ有名所の強妖怪ですね」
斎の答えにウルカは厳しい顔をして頷いた。松明の先の地面に、ここまで抱えて来たブルーシートを敷くと、そこに旅行鞄から取り出した食塩を山ほど盛る。
「左様。人間上りの悪鬼特有の邪悪さを持った連中です。これが相手ならサチコ殿といえど一溜りもありますまい」
顎に手をやる老人を、猫が心配そうに見上げる。魔物の少年が姿を変えたこの獣は、サチコの全幅の信頼と共に仲間に預けられた。
ただ、少年はサチコの性分を好ましく思っているものの、彼女の身に何かある度に、自分も同行するべきだったとやきもきするのだった。
「まうー……」
「大丈夫だって、七人がかりで不意を打たれてもサチコなら平気だって。銃で撃たれたとかなら別だけど。流石にそんなの持ってないだろ」
斎は猫の柔らかいの背中を撫で擦った。彼は穴の下に降りるなり、しきりにもごもごと鳴いては、ずっと落ち着かない様子だった。白黒の毛並みも少しゴワゴワしている。
「分かりませんぞ。彼奴等が襲った人々の中に、拳銃を持っていた輩が、居なかったとは限らない。人間上りの霊は元々人間なのです。知恵も回るし道具も使う。況してミサキは単なる怨霊ではなく、始めが罪人であるという由緒の持ち主なのです」
「人を襲うノウハウがあるのね」
「まず間違いなく。加えて」
ウルカは背中に負っていた釣り竿入れを下ろすと、中からある物を取り出した。金色の飾りが付いた軍刀風の黒鞘、抜き放てばそこには、鉄で打たれた一振りの刀。
背は何よりも黒く、表は誰よりも白い。刀身に浮き上がる鈍色の波紋は、光を受けて碧く輝いている。ウルカが鍛え直した古の妖刀、鈴鹿であった。
「サチコ殿の手元にはこれがない。使いこなせぬとはいえ、威力は十分。彼女は今決定打に欠けている状態なのです」
「あ、いつかの妖刀!」
「相手は死んでいる以上、どれ程痛めつけてもそれ以上は死にませぬ。霊を暴力で殺すのは案外難しいものなのですよ」
「サチコさんの場合、手心を加えそうなとこもあるし」
三人は沈黙した。用心のつもりが不安材料を並べただけである。そのことに気付いてはいたが、肝心のサチコの安否が不明な以上、どうすることもできない。
他人の身を案じている者には、自らの安全は気休めにならないのである。
「おっと、すみません。歳を取ると悲観的になって」
「いや良いんです。油断があるよりはよっぽど」
「そう言って頂けると幸いです。どれ、陣地もこさえたことですし」
「そろそろ出発ね」
三人は穴の下の空間に、四隅に松明を置いて拠点を構築した。直ぐには使わない着替えや工具等を中心に置くと、残る食料と武器、ライトを持って暗闇へと進み出る。
ウルカはヤツデの葉と錫杖を腰に差し、斎は荷物の機械以外の物を全て出すと、改めてそれらを身に着けた。
そして桜子は。
「ねえ、私こういうの使えないんだけど」
「しかし軽いでしょう。持ち主としては、お嬢が相応しい」
「武器が持ち主を選ぶってことね」
鈴鹿を背負っていた。まるで手ぶらであるかのように、長大な剣を弄んでいる。桜子は鈴鹿の以前の持ち主、古来の女傑であり神仙の端くれ、『鈴鹿御前』の転生体である。
それ故に剣の真の力を引き出すことも、剣の重さに振り回されることもない。彼女がこのことを知ったのは、サチコが剣の手入れをウルカに頼んだ頃だった。
薄々分かってはいたことだったが、今はサチコが所持者だったので言い出せないでいた。
「なに、剣の覚えがなくとも呪具として使えば良いのです。さすれば術の一つも出ましょうて」
この説明を聞いて斎は、RPGで道具として使用できる装備品の存在を思い浮かべたが、直ぐに目の前のことに思考を切り替えた。
「何だかサチコさんに悪いわね、それでどっちに行くの」
「前から行こう。それであまり奥が深いようなら引き返す」
そうして三人はライトを点けて歩き出した矢先。
「ふーっ! うるにぃああああーーーー!」
猫は突然叫ぶと、後ろのほうへと弾丸の如く駆け出した。突然のことに呆気に取られた三人だったが、それが意味することに思い当たると、慌てて猫の後を追いかけた。
彼らは猫がサチコの気配を察知したのだと思った。しかし実際は違った。猫、つまりミトラスは、この場所に来てからずっと、彼女の気配を察知できなかった。
代わりに気付いたのは、離れた場所にいる大きな魔物の気配。ミトラスは彼女ではない、その大きな気配へ向けて走り出したのだった。
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文章と行間を修正しました。




