・前日譚その一
今回長いです
・前日譚その一
「よう爺さん久しぶり」
「おう、お前さんか。しかしデカくなったな」
「ほっとけ」
ここは台風により最早分解寸前の米神高校旧校舎。まだ日も髙い十時前、俺は先輩たちに先んじて現地入りした。一年生のときと同じように、ロケハンを済ませるために。
「今日はどうした。そんな弁慶みたいな大荷物で」
「また肝試しがしたいって言う奴がいてさ、本物出るだろ」
目の前の幽霊の爺さんと話しながら、俺は装備の点検をした。先月用意した鎧と、これまでに作製した武器、様々な道具、飲食物と着替え等々が詰まった複数の鞄等。
ミトラスの魔法で直ぐ近くに転送して貰ったが、やはり夏の日差しの中、重装備でいるのはつらい。ぼうっとしてたら熱中症で死んでしまうだろう。天気予報だと今晩雨降るって言うし。
「霊や不審者と戦うかも知れない、もしかしたら泊まりになるかも知れない。まあこれは要するに、そういうののための準備だよ」
「かーっ馬鹿だな」
「違いない」
一年生のときは、ミトラスとその友だちも同伴だったし、最後は南と先輩が駆けつけてくれたから、無事に済んだ。しかし今回は俺一人で、ここは霊が本当に出る。
「でも俺だってだいぶ鍛えたんだぜ」
「せめて数を揃えて来い。そっちのが楽だし強いぞ」
「そっちは後から来るよ」
先輩は例によって後からやって来る。二人してぶっつけ本番からの、和気藹々としたホラーアドベンチャーをやるという選択肢もあったが、危ない目に遭う人数をわざわざ増やす理由がない。
ミトラスには猫状態で後続の護衛を務めて貰うことにした。なので俺に何かあった際、救助を見込めるようになっている。今回は他にも戦力がいるし、余程の化け物が出ない限り大丈夫だろうと踏んでのことだ。
去年出た奴も大概だった気もするけどな……。
「ていうか爺さん、色が濃くなってねえか」
以前は成仏手前で透けて行ってたような。
「これか。実はな、良からぬ者が出やがってな」
「良からぬ者」
幽霊の爺さんは禿げた頭を撫でると、顔に渋面を浮かべてため息を吐いた。実際に風が起きて、老人特融の生臭い臭いがする。
霊体なんだから臭いだけでもクリアーにならないの?
「こないだの台風でな、穴の水が溢れかえったんだ」
「校庭の奴か、何が出たんだ」
「警察が引き上げられなかった遺体や、骨だ」
ゾンビやスケルトンか。あとは幽霊、つまりゴースト。一般人が亡者と化したような連中なら、今の俺でもどうにかなるだろう。不憫ではあるが退治して警察に引き渡そう。
「動くのか」
「まあな。だが問題はそいつらじゃない」
「十分問題だと思うけど」
もっと言うならこの爺さんの被害者だろうから、問題というならこいつ。
この旧校舎では昔、小田原の出稼ぎ労働者たちを殺して地下水脈に捨てていたという、忌まわしい過去がある。それに気付いた生徒や、用済みになった犯人たちと共に。
どうもこの爺さんはその時の共犯の一人で、学校の元職員だったらしい。
地元の政治的な理由で教え子まで手にかけて、ずるずると殺人を続けていた救いようのない人だが、罪悪感はあったようだし、何より最後は殺されて死んだようなので、俺は良しとしている。
「比べ物にならん」
爺さんは首を振って言い切った。一般人上がりの亡者とは一線を画すとなれば、それはれっきとした妖怪とか、半魚人みたいな化物ってことになる。
緊張感が増して来るのが分かると、自ずと手に力が籠る。
「本職だ」
「本職」
「生前から人を襲うことを生業にしてたような連中が、この台風で小田原にやって来ちまった。儂も含めて弱っちい連中は皆怯えている」
爺さんは旧校舎へと目配せをする。視線を追って崩れかけた校舎を見るが、誰もいない。かつて穴に吸い込まれた『手』も。
おかしいな。言われてみれば、他の霊の姿がない。
「あんまり考えたくはないんだけど。それって簡単に言うと、凶悪犯罪者の幽霊たちが、この下に集まってるってことでいいのか」
声を出さずに、老人の霊が頷く。
「しかし集まるったってどうやって」
「恐らくは今回の台風で、他の霊のいる場所がここの水流に繋がってしまったのじゃろう。そして未だ多くの霊がいるここへ引かれ、流れてきた」
地縛霊でもなければ霊は移動するからな。大方他所の水死体や白骨まで、ここに来ちゃったってことだろう。その中に凶悪犯のものが混じっていたと。
「死んだままでいて欲しかったな」
「全くじゃわい」
元が犯罪者ってことは人を襲い慣れてるってことだ。
知能が残ってるなら危険極まりない。
一度引き返して、先輩たちと情報を共有しよう。
「ちなみに何人くらいいるんだ」
「七人」
「間違いないか」
「間違いない」
多いな。組織立って犯罪ができる数だ。生きてようが死んでようが相手にしたくない。入らずに帰れたらどれほど良いだろう。思わず舌打ちをしてしまう。
ていうかそういう霊の影響で、爺さんの色が濃くなったということは、成仏が遠退いて、悪霊に逆戻りしそうになってるってことか。
「悪いことは言わん。引き返せ」
「そうしよう。とはいえばまだ明るいからな」
空を見上げればお日様が頼もしく輝いている。目の届くうちは誰でも焼き殺してやると言わんばかりの日差しだ。
「暗くなる前に様子見だけしておくよ」
「今すぐ帰れねえのかい」
「俺もバッくれてえよ」
先輩の辞書にも『我が身可愛さ』って言葉がある。しかしそれは単なる暴力に対してであり。好奇心やスリルに対してはその限りではないのだ。無事でエンディングを迎えると続編が発生する悪循環。かといって放置もできない悩ましさ。
「儂も地下がどうなっているのか知らん、気を付けてな」
「おう、じゃあ行ってくるよ」
俺は片手を上げて爺さんに別れを告げると、ネットで位置を調べておいた手近な公衆電話から、先輩たちの携帯に留守電を入れた。今日こっちに来る以上、必ず一度は見るはずだ。ていうか今出て欲しかったな。
次に鞄の中の装備品を確認し、肩に掛けていた竹刀袋から木刀を取り出してから敷地内に入る。旧校舎の状態はあまりにも酷い有様だった。
校舎はボロボロで、四隅と上、裏側が取り壊されていた。これでは雨風は防げないし、恐らく水道も止まってトイレも流れないだろう。浮浪者が寝泊まりしている線は、消えたと思っていい。
これなら近くの空き家に潜り込んだほうが余程いい。
「誰もいないな。いても困るが」
一人言を呟きながら、廃墟を歩く。校舎の直ぐ近くには、通路が繋がっていない体育館があったが、現在は壁が抉れて通れるようになっている。ドアは閉まってたけど、窓ガラスが割れてたおかげですんなり中に入れた。
荒れて汚れた床はワックスが剥がれ、ただの腐った板切れの集まりと化していた。歩くたびにギシギシといい、抜けるのではという危機感が募る。
一応カギを外してドアを開ける。夏の日差しと空気がを吹き込んでくると、幾らか元気を取り戻したように見える。
「危ないからガラスを片付けておくか」
竹刀袋に木刀を仕舞って今度は箒を、そして鞄からゴミ袋と新聞紙とガムテープを取り出す。新聞紙は折ってちり取り替わりにし、体育館内をざっと掃除する。
去年は飛んでくるガラスに襲われたからな。動き出さないうちに撤去してしまおう。ふふふ、経験が生きてるぜ。
先に二階部分に上がり、ガラス片を下に落とす。次に大きい破片は踏み割り、一か所に集める。最後にガムテープでくっつけて、片っ端から袋に放り込む。
細かい取りこぼしはあるけど、粗方片付けて四十分。爺さんとのおしゃべりもあって、十一時を回ったが、まだまだ時間があるな。
「校舎はいいか、危ないしキリがない」
ガラス片をまとめたゴミ袋をまたガムテープでぐるぐる巻きにして、その上にサインペンで『ガラス』と書き日にちと俺の名前を記入しておく。
「これで車庫からここを通り抜けても大丈夫だな」
車庫とは旧校舎の秘密の核心である。車庫の内部と外側との間に、地下へと通じる階段がある。校門にいた爺さんの亡骸も、元はと言えばこの地下にあった。
肝試しに行くとなれば、恐らくここ以外に見るべきところもあるまい。崩れた校舎と荒れ果てた体育館では、見て回るのに一時間も掛からない。
「……行くか」
体育館から離れて学校の裏手へと向かう。二年前は台風直撃の中を走り抜けたっけ。思い出を懐かしみながら、日差しを受けて白く輝くアスファルトの上を歩く。
実際はこんな日向にいたって幽霊から身を守れないんだから、せめて日陰に行けばいいのにとは思う。程無くして、何代も前の校長の車を停めていた車庫が見えてきた。
不意に刺すような痛みが、目の裏に走る。
六感が危険を知らせている。
いる。
「もう少し勿体ぶれよな畜生」
遭遇するのは地下に入ってからだと思ったが、もしかしたら昼間でも大丈夫なのか。白昼夢系の怪異だってあるんだから、可能性としては有り得る。
もう一度木刀を抜いて、周囲を警戒する。前に南がバイクで壊した外壁はそのままだ。地下へと続く階段も見える。そこをゆっくりと降りる。
長いコンクリートの通路は所々に泥水が貯まっていて、見れば老朽化した天井のあちこちが欠け落ちていた。
「明かりが要るな」
リュック下ろして中からバイク用の物を改造したヘルメットと、それに装着するライトを三つ取り出す。一つはメットの上に被るように装着するタイプのライト。残りの二つは一般的な小型のLED懐中電灯だ。
メットの側頭部に洗濯ばさみを加工した留め具が接着されており、ここに懐中電灯をホールドさせることが可能だ。一度に三つも使うことは先ず無いが、三つ順番に使うことで、暗闇でも長時間視界を確保することができる。替えの電池もあるし。
そうして身に着けたライトの中で、額の一つを点けて探索を再開する。行き止まりまで歩くと、そこには鉄の扉があり、湿った土の匂いが漏れ出していた。
宿直室。旧米神高等学校の暗部。
「ドアが閉まらないよう、一応のつっかえ棒だ」
鍵が失われた扉は施錠されておらず、抵抗も無く開いた。
念のためドアと壁の隙間に木刀をつっかえさせておく。これでいきなり閉まるということはないだろう。前もこんなことをしたような気がする。
部屋は舗装もされていない四メートル四方の土の箱のようで、箱の底には暗い穴が開いている。恐る恐る中を覗いて見れば、水は完全に引いていた。
鞄の中から30メートルの登攀用ロープを取り出す。10メートル毎に縄の色が変わる優れもので、赤、黄、青となっている。
青の先端に足元の石を括り付け、穴の縁から底へ向けて投げる。だいたい青い部分を使い切った辺りで、下からかつんという音がした。
穴の深さは約10メートル。俺はロープの余りを鉄扉に巻き付けると、ゆっくりと下へと降りた。穴の底は、前と後ろにずっと伸び続けていた。
「思ったよりも大袈裟」
横幅も4メートル程度はある。この地下水道はいつ頃からあるのか。随分と大きく、広く、深い。
リュックから斧を取り出しながら、道の先を照らしてみる。どちらも行き止まりが見えないが、土の匂いに混じって、臭い冷蔵庫みたいな臭いが漂ってくる。
「それにしたってなあ」
厄介事の可能性ってのは、どうしてこうも外れないのか。
不意に蓮乗寺の予知夢の絵を思い出し、溜め息が漏れた。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




