・主人公突入済み
今回長いです。
・主人公突入済み
※このお話は三人称視点となります。
夏。お盆の到来であり観光シーズンでもあるこの季節、小田原の街は例年通りに、微妙にはしゃぎ切れない観光客で賑わっていた。
地元の学生たちは夏休み最中であり、折り返しに差し掛かった頃でもある。地元に残った者、帰って来た者、これからどこかに行く者、様々である。
学校がない分生徒たちは基本的に私服姿で、ありのままの体を、生き生きとした日の下に晒していた。
今日の日差しは柔らかく、風も冷たかったので、汗をかくことはあっても、命の危険に及ぶような気温には至らなかったのである。
「いやー、こないだの台風凄かったなあ飯」
二人組の女子高生が、街を横目に自転車で走っていた。
片方は悪戯が好きそうな釣り目に、短く刈り上げた髪形の少女だった。鍛えられて引き締まった身体は、水兵服をあしらった半袖半ズボンに包まれている。青と白の横縞が風にはためく。
背中のリュックサックは緑色で少し大きい。
「昨日も雨降ったし今年の夏は滅茶苦茶だよ」
片方は好色そうなタレ目に、背中まであるポニーテールの少女だった。鍛え過ぎず肉付きの良い肢体は、丈の短いタイトシャツとスパッツに包まれている。青と白の縦縞が日にきらめく。
背中のリュックサックはカーキ色の女性用である。
ペダルを扱ぐ足を止めないまま、どこか他人事のように話す二人。
「うちは犬を家の中に避難させたまでは良かったんだけど、犬小屋が吹き飛ばされちゃってさ、参っちゃうよなあ」
今月に連続して日本全土を襲った大型台風により、街は一時壊滅の様相を呈した。
豊かな自然が文字通り吹き飛び、あわや水没という家も一軒や二軒では済まなかったが、幸か不幸か宿泊施設や観光名所の被害は重傷を免れ、被災地を見たいという無事な人々が訪れた。
悪趣味や不謹慎という声もあるが、観光地はそういう物見高い人々の落とす金で暮らしているため、小田原という街は被害を最小限でやり過ごせたのである。
「折れた木とかで道がぐっちゃぐちゃだったし」
「私ん家なんか鉢植えしまうのに大変だったんだぞ」
「清の家って花屋だしな」
二人は小田原駅から出発し、約二十分の距離にある駅で降りてから、自転車に乗って目的地を目指していた。折り畳み式の真新しいそれは、公共の交通機関に持ち込めるほどコンパクトであった。
「重石が頼りないからさ、青ビ※と一緒にハウスや地面に接着剤でくっ付けたんだ。いや効果あったね。ガラスも割れなかったし、でもやっぱヤバかったよあれ」
※青いビニールシートのこと。
「風が変な音してたんだよ。何ていうかさ、宇宙人の円盤でも飛んでるのかってくらいフィーンフィーンって謎の風切り音しててさ、今までの台風でそんな音聞いたことないもん」
などと二人は雑談に興じながら人気のない、観光とは縁の無い古い住宅街へと進む。澄み渡る青空の下、冷えた風を自転車の速度で受ける心地良さに、不安とは無縁の爽快感を覚えていた。
「それなのに先輩もよくやるよ」
これまでの経緯を思い返しながらツリ目の少女、飯泉は呟いた。彼女は自分たちが所属している『愛同研』のという部活の、三年の先輩の元へ向かっていた。
「まあ川やんが言い出したからしょうがないけど」
もう一人の少女、清水が返事をする。彼女たちの共通の友人である『川匂』という少女が、その先輩たちが行うという肝試しに、自分たちも参加してみようと言い出したのだ。
特に予定もなく、仮に参加を断られたら、そのまま三人で遊びに行こうという誘いに、二人が断る理由はなかった。
「でも先輩が『絶対来るなよ!』って言ってけど」
「フリだろ。あの人結構さみしんぼだし」
「いやでも真面目なところあるぜ」
「分かってないな。真面目だから寂しいんだろ」
先輩の警告が真剣なものかどうかの判断は、些か噛み合わない対立を経て、宙吊りになってしまった。
飯泉は自分たちの会話に奇妙なズレを感じたが、それを言語化できなかったので、流して会話を続けることにした。
「おん? まあいいや。それで川やんは」
「先に行ってるはずだから、もう直ぐ見えてくるはず」
二人は自転車を扱ぎながら、段々自分たちの口数が減っていくのを感じていた。駅から離れていくと、打ち捨てられたような団地と、人が去って久しい商店街は、台風によって被害を受けているはずなのに、無傷だった。
影響を受ける人など何処にもいない。都市の片隅にある廃墟、地方の原風景とでも言うべき土地は、閑散というものを如実に表していた。
「なあ清。怖いんだけど」
「私も何か喋りたいけど、話す燃料が抜けてく感じするよ」
「怪談の動画とかで書き込み絶やすなっていうのあるだろ」
「今めっちゃその気分分かるわ」
夜ではない。まだ日も髙い夏の昼間であるのに、誰も生きていない。その事実は若く健全な者ほど恐怖を与え、蝕む。
「悪いこと言わないから川やん見つけたら帰ろう」
「そうだな。帰りに飯の金で焼き肉食いに行こう」
「お前だけは置いて帰るわ」
軽口を叩き合い平静を保つ二人の前に、やがて学校のフェンスらしきものが見えて来る。これで帰れると、心のどこかにあった安心した。その矢先だった。
「うお、なんだこれ」
清水が思わず止まると、隣で飯泉も停止して自転車を降りた。校門と思しき境界の先には、およそ大半の人間と、一生縁のない光景が広がっていた。
目の前の校庭にはあまりにも大きな穴が開き、傾いた校舎が今にも吸い込まれそうになっている。淵から底を除くと、真っ暗闇の底に水の流れが僅かに煌めいている。
「すっげ、ええこれ本当に」
「いやもう肝試しじゃないだろ。あの校舎入るの無理だろ」
清水が見上げると、そこには今にも倒れて来そうなほど、損壊した旧校舎。
二年前に開いた穴により傾き、徐々にそちらへとずり落ちて行ったこの建物、当初は解体業者によって上側、背面、側面と回り込み、撤去工事が行われていた。
しかし何故か作業が進んだり人が大勢敷地に入ったりすると、必ずと言っていいほど揺れ、その度にまた、穴へとずり落ちていくという怪現象が頻発した。
穴の底は深く、水の流れも速い。埋め立ては困難だった。加えて当時出土した多数の人骨に対し、警察の捜査の手が入り工事は長引いた。
住人は絶え、緊急避難場所の指定も解除されて長いこの場所を、意地でも安全にするような意義も失われていた。
やがて気力と解体費用が溶け切ると、米神高校を含め誰も、この場所を顧みることはなくなった。そこから丸一年以上の時が経ったものが、二人の眼前にあるものである。
「体育館とか部室棟があるんじゃね」
「ちょっと回ってみるか。川やんいないし」
「くらあっ! お前ら何しとるんだ!」
敷地内へ入ろうとすると、二人背後から突然怒鳴りつけられた。二人は飛び上がらんばかりに驚いて、声のしたほうを振り向く。
そこには一人の老人がいた。くたびれた背広の上に、傷んだ皮のコートを着た白髪の男性で、何故だかスリッパを履いていた。
老人は二人の元まで来ると、白い皺だらけの顔を、正しく血相を変わるほど睨みつけた。飯泉と清水は思わず肩を寄せて、互いの顔を見る。
「危ないだろう。中に入るんじゃない!」
「え、あ、す、すいません」
先に言葉を発せたのは清水だった。相手の言葉が警告であること、つまり危害を加えないと理解したので、態度を軟化させたのだ。一方飯泉は警戒したまま老人を睨み返す。
「ここは見ての通りだし、最近は変な奴も多いから入ってはいかん。昨日も数人いて、さっきも一人中に入ってしもうた。そんでまで誰も帰って来とらん。悪いことは言わん。止めときなさい」
老人は痛ましい者を見るような目で、何をか思い出して告げた。二人はその数人と一人に心当たりがあった。少女たちの顔からさっと血の気が引く。
「あの、その人たちの中にやたらデカい人と、髪を二つ結びにしてる子がいませんでしたか。私たちの先輩と友達なんですけど」
「ああ、やっぱりか」
先に来ていたのが川匂であり、OGに肝試しに誘われた先輩『臼居祥子』であったことを 老人の苦々し気な呟きから察すると、清水と飯泉は再び顔を見合わせた。
「やっぱりって、おい清どうする」
「どうするってそうだ、電話あるだろ。それでとりあえず」
清水は携帯電話を取り出して、何度か川匂に掛けてみたが、通じることはなかった。それどころつい先ほどまで繋がっていたものが、いつの間にか圏外の表示になっているのを見て絶句する。
「圏外ってなんだ」
「おいどういうことだよ」
「気の毒だがお前さんたちも早く帰りなさい。このままここに留まっていても、危ないだけだ。警察でも何でも呼べばいい。期待は出来んが」
老人の言うことや、場所の持つ異常性、知らずと危険に足を踏み入れていたことに、二人はようやく気が付いた。自分たちは何か、明らかにおかしなことに直面していると。
「一端でいい。一度離れなさい。明るい内に」
厳しくはあったが、老人言葉が説得であることは飯泉にも分かった。だがそれは、目の前の人物がそこまで言う何かが、旧校舎跡にはあることを示していた。
「夏だし三時までは十分明るいだろ、清」
「え、マジで行くのか」
「電波入る所まで戻って、警察と消防に連絡してからな」
そう行って二人は自転車に跨り、来た道を引き返そうとする。老人は申し訳なさそうな、それでいてどこかほっとしたような表情を浮かべたのが、彼女たちの印象に残った。
そのとき。
「二人とも何処に行くの」
二人は声がしたほうを振り向くと、そこには探していた人物、川匂伽織がいた。彼女の目には飯泉と清水への不満が浮かんでいた。
「川やん、おい飯! 川やんいたぞ!」
「え、あ、本当だ!」
「電話通じないし、やっと来たと思ったら、二人してずっと喋ってるし」
不機嫌そうに言う川匂は、青く縁取られた白いワンピースという姿だった。今から何処かへ遊びに出かけようという雰囲気の、この場に最もそぐわない恰好だった。
「ごめん。いやでもこのお爺さんが」
「……しーちゃん、誰もいないよ?」
「え」
清水は脳裏に冷や汗をかくような感触に慄きながら、自分が指さしたほうを、静かに見る。老人の姿は、忽然と消え失せていた。
「この辺はもうずっと前から誰も住んでないのよ」
「うそだあ」
全身に寒気が走るのを感じた飯泉は、出来る限り直射日光を浴びようと日向へと移動した。体を抱えるように擦り始めると、蝉も鳥も鳴いていないことに気付く。
「そんなことより二人とも大変なの」
もう既に大変な目に遭っている二人だったが、川匂の言葉に『帰ろう』と言い出す機会を逃してしまう。事態を甘く見ていたと気付ける者は、渦中に引き摺り込まれた者である。
「さっき奥に行ったときにこれを拾って」
そう言って川匂は自分のポーチの中から、鈍い輝きをした玉虫色の木片を取り出した。飯泉は思わず息を飲んだ。
「先輩の木刀だ」
愛同研総合部、現部長の臼居祥子が制作した武器の一つである。それは玉虫色という、木刀らしからぬ配色に加え、通常の木刀をゆうに三倍は上回る頑丈さを誇っている。
「絶対に何かあったんだよ。お願い、二人とも」
「わ、分かった。でも警察に連絡してからにしよ、ね」
「三人入れば一人逃げるくらいは出来るしな」
「飯ちゃん縁起でもないこと言わないで」
飯泉と清水は、突然の事態に押し流されるままに動き始めた。自身の逃げたいという心とは裏腹に。
『はいこちら警察です。事件ですか事故ですか』
「あ、はい、事件だと思います」
『どういった事件ですか』
清水は携帯電話の電波が入る所まで一度下がって、警察に通報した。そこは校門の前に並ぶ『三人』が辛うじて見える距離だった。清水は三人目を見て、思わず息を飲んだ。
隣にいる二人は、その人物に気が付かないようだった。
『どうしました』
「はい、実は学校の先輩がですね、あ、場所は……」
どうにか目を逸らさず、中断もせず、彼女は通報を続けた。友人たちの隣にいるのは、さっきの老人だった。彼は悲し気な顔で、少女たちをじっと見つめていた。
清水もまた、老人を見つめていた。
目が離せなかった。何故なら老人の足が。
――今度は見えなくなっていたのだから。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




