・その目に映るのは
今回長いです。
・その目に映るのは
いよいよ夏も本番。一学期の終業式を終えた七月末日。俺たち愛同研の五人は、近くの服屋へと押し掛けた。
水着を選ぶためである。
店の中は白く明るく広い。水着を着たマネキンがあちこちに展示してあり、結構な数の女性客がいる。海やプールに行く予定があるんだろうな。
俺はないけど。
「まさか生きてこの地を踏む日が来ようとは」
「あの先輩、水着買いに来ただけですよね」
アガタが心配そうにこちらを見上げてくる。お前のように日焼けすると、むしろ周りの視線を集めるような人種には分かるまい。
「栄はどうしたんだ」
「もう買ってるし恥ずかしいから部室で待ってるって」
「あいつもちゃっかりしてるな」
俺の場合前の体型もだらしなかったのに、今では身長も人間離れしてるからな。基本的に滅多に服屋には来ない。自分で採寸測って通販を頼むことが増えた。
「でも百貨店じゃなくて良かったんですか」
「男の一般客もウロウロしてる場所で試着がしたいか」
言われて想像してみたのか、アガタは無言で首を振った。下着売り場とかもオープンだし分ければいいのに。十八禁のコーナーか。
「まあ俺は買わないから別にいいんだけど」
「じゃあ何で来たんですか」
「え、来てみたかったから」
「はいドーン! 出ましたー!」
雑談を遮って試着室を勢い良く開け放ったのは、愛同研一のスケベである清水。タレ目のポニーテールは黄色いビキニに包まれている。前から見ると控え目だが、背中はほぼ丸見えという攻めたデザイン。
「背中がいっぱい見えるとエッチだろ」
「お前は誰狙いなんだ清」
「しーちゃんは下着のほうが可愛いから微妙」
この店は水着の試着が可能だけど、それは下着の上からのみ許可するという掟がある。清水は寄せて上げるタイプのフリルの付いたブラと、生地が薄めのパンツである。
川匂の言う通り下着姿のほうがセクシー。
「むふふ、下着は頑張ってるから、そっちのほうがって言われちゃうとなあ。まあまあしょうがないよね」
どうしてそんなに嬉しそうなのか。世の中自分の体に自信があって、それを見せつけたいって人は一定数いるけどさ。
「じゃあ次私な」
「飯、ちゃんと筋肉落として来たろうな」
「うるさいな、見た目が柔らかそうならいんだろ!」
次鋒飯泉が試着室に入る。飾り気のないグレーのスポーツインナー。そこから伸びる手足は、改めて見るとなまめかしく、強い生命力を露わにしていた。
「はいドーン! 出ましたー!」
「着替えるの早いな」
飯泉は水色も鮮やかなビキニ。上はオフショルダーで、胸をバンドで巻いているだけのような形だ。下はローライズ気味の短いスパッツ。身軽さを強調していくスタイル。
見せる相手がいないから過激化するのか……?
「似合う似合う!」
「普段着でも違和感ないな」
「飯ちゃんらしくていいよー」
清水のときとは打って変わっての大絶賛。引き締まった体の持ち主が、開放的な姿になると、見てるほうも元気が湧いてくる。
中高年が見るような雑誌に、グラビアが尽きない理由の一端を垣間見たような気がする。
「じゃあ次川やん」
「よーしいきまーす!」
中堅川匂が勢いを付けて試着室に入る。なんというか教育的な白い、一般的な下着だった。一見色気が無いのだが、そこから匂い立つ無邪気さが、却って視線を惹きつける。
「はいどーん! 出ましたー!」
「うおっ」
「わっ」
カーテンの向こうに立っていた女の姿に、思わず全員が息を飲む。赤い、赤いワンピースの水着。夏の正面突破、なんて強気な女だ!
そしてそれを可能にしたのは。
「川やん、ダイエット大成功じゃん!」
「うおわー! おめでとう川やん!」
清水と飯泉が感極まって川匂に抱き着く。そう、彼女は普段のぽっちゃりした体を脱ぎ捨てて、どこまでも真っ直ぐな魅力を体に宿していたのだ。体っていうか肢体。
二つ結びの髪を解いて、これはもう美少女だ。
幼さの残る顔、封印が解けられている。
俺は何を言ってるんだ。
「すごいなあ、川匂、お前はすごいやつだよ」
「ありがとう、皆、ありがとう」
制服に着替え直した彼女は、いつものぽっちゃりとした頃の面影を取り戻した。面影、今はもう太さが見えない。
「じゃあ最後にアガタだな」
「負けてられませんね」
副将は愛同研二年、黄縣蘭。すっぴんで南を下した生きる絶景。夏の日焼けも風の翳りも、全てがアガタの一側面。絶対王者は花盛り。
「はいドーン! 出ましたー!」
静まり返る一同。水着の下に肌着を着ているのにも関わらず、体の線が分かる。
シャツの裾を捲り、そこから覗くヘソ。体毛のケアも完璧で、軽く持ち上げた腕の脇の下から胸へ、胸から腰へ。綺麗な爪先から膝へ、膝から太腿を通り腰へ。
背中に流れる黒髪の帳を開ければ、そこには白い背中とうなじがある。滑らかな稜線を辿れば、表にも裏にも行ける。
人体は一つの繋がりである。であるならば、どこが性的であり美しいのか。調和が取れているのなら、胸でも、尻でも、太腿でも、首でも、背中でも、全てが美しく、そこへ繋がる全てもまた性的なのだ。
およそこの個体に対しては欲情し、懸想するのが自然である。そう思えるだけの三次元がアガタには詰まっていた。
「すごいな、すごい裸だ」
「ここまで来ると嫉妬とか出ないのね」
「いいもん見たなあ」
「あの、私の水着は」
「ああごめんごめん。似合ってるよ。その黒い水」
黒……?
高校二年生でこんなに黒い水着が似合うものなの?
上下に分かれたドレスのような黒い水着。大人の女性(外国人限定)御用達って感じの。もっと明るくて子どもっぽいのでも十分似合ってたはずだよ。どうしてそこまで自分の体を知り尽くしているんだ。
アガタは悪い子だなあ。
「似合い過ぎて怖いな」
「ありがとうございます。なんか複雑」
「うんまあとにかく、皆水着選べて良かった。じゃ行こう」
ちょっとした感動から現実に意識を引き戻すべく、引き上げようと声をかける。言われて後輩たちはレジに並び始めて、そこで何かに気づいたように、飯泉が振り返った。
「そういや先輩の水着は」
「俺が穿ける奴はなかった」
バストのサイズに関しては融通が利いても、下のほうは無かったのである。巨大になると不便極まる。せめて巨大化前にまで身長を戻したいが、仮に出来たとしてもやるのは卒業後だな。
「何それずっりー」
「そうだ、帰ったら先輩の水着を作りましょうよ」
アガタが閃いてはいけないことを閃く。
「ついでに栄先輩の水着も見せて貰いましょう」
「一人じゃないから恥ずかしくないですよね」
清水と川匂まで乗り気だ。
人間はどうしてそんなに巨人を弄りたがるのか。
とはいえムキになって逃げることでもないので、店を出た後は渋々学校まで戻って来たのだが。人が来ても困るので第二部室へと更に場所を変える。
「どうして私を巻き込んだんですか」
「ごめんよ。こいつらが栄の水着姿も見たいって」
白地に色取り取りの水玉模様が付いた、かわいいビキニ姿で、怒りと羞恥に顔を赤くした栄が言う。着替え終わるまで我慢してくれる辺り、ノリと付き合いがよろしい。
「さっちゃん似合ってるじゃない」
「アリガトネ」
同じく水着姿のアガタに励まされて栄が俯く。私も脱ぐから大丈夫ってなもんだけど、見た目の差が残酷。何がって、美少女の横にややむっちりしてる子がいるのだ。
好みがはっきり分かれる二人だから、気にすることはないのだが、これは当人だけが気になってしまう状況である。
「で、これが先輩の」
「でけえー」
清水と川匂が俺の水着を指で突っついてはしゃぐ。懐かしの星条旗ビキニである。古くは異世界で用意したのが始まりだった。
巨大化する前から胸だけはデカかかったので、サイズが合うものを見繕った結果こうなった。現在は紐と下半身の生地を足して使っている。
「ダサいっすね」
「わざわざ家まで取りに戻ったのにその言い種は止めろ」
「いやダサいですよこれ」
分かってる。体のボリュームで強調することで、自分と水着のイケてなさを相殺し、誤魔化していただけに過ぎないのだから。でも他にどうしようもない。
正直身長二メートルの巨体に似合う水着ってあるの?
「どうして大人しく競泳辺りにしなかったんすか」
「上下に分けてビキニっぽくしてれば何とかなりましたよ」
何とかなるって何。俺をどういう文脈でどうするつもりなんだ。屈辱のニュアンスにしかし抵抗する気が起きないのは、後輩二人のダメ出しの中に希望が見えそうだから。
「そんなダサいか。川匂はどう思う。川匂、おい川匂」
「え、あ、はい」
「そんなに呆れなくてもいいだろ」
「いえ、その、珍しい柄だなって思っただけです」
うん、まあこの世界だとアメリカは存在しないからね。
まさかそのせいでネタにならなくなるとは。
南や先輩には前の歴史の記憶があるから通じてたんだな。
「うーん、折角だし先輩の水着作りましょう。宿題の自由研究ってことで」
「あ、そうだね。だったら衣装部に型紙あるんじゃない」
「だったら私も行くわ」
何故か清水と川匂とアガタが乗り気になる。止めて欲しい気持ちと、タダで新しい水着が手に入るかもしれないという期待が、心の中で激しくせめぎ合う。
待っているのは果たして得か、辱めか。
「私も行きます。ちょっとした仕返しと思ってくださいね」
「そう言われると弱ってしまうよ」
栄もアガタ共々着替えると、釘を刺してから部室を出ていく。後には飯泉と俺だけが残された。彼女の手にはいつの間にかメジャーが握られている。
「えーとそれではまず胴回りが」
「言うな」
「……つぎにお尻」
「言うな」
「胸」
「許す」
しばしの沈黙の後、飯泉は無言で俺の体を測り、数字をノートに手早く書き付けていく。身長と体重、股下などもついでに測定されたが、その頃には互いの緊張が解れて、通常の状態に戻っていた。
「出来たら後で記念撮影しましょうね」
空気をリセットするかのように、会話を切り出してくる一年生。気を遣わせてごめんね。でも知りたくないことって世の中にはあるじゃん。
「なんで」
「思い出作りっすよ。浮かれてるなーって気持ちを大事にして、形に残すんです。後で見返すとまた話題にもなるし」
びっくりするくらい前向きで建設的なこと言われたな。
体育会系の考え方って額面通りなら極めて健全だ。
その健全も長くやると、皆知ってる糞になるんだけど。
「俺は高校入るまで、学校にいい思い出が無かったからなあ。飯泉はそういうのって、よく残してるのか」
「ええ、写真のほうは家にありますけど、画像自体は携帯に入ってますよ。だいたいは中学の頃からの奴ですけど、見たいですか」
せっかくの施しだ。受けよう。昔の俺なら学校に関連した幸せ報告とか、反吐が出たかも知れないが、リア充路線に乗り上げつつある今なら平気だ。
「そうっすね、例えばこれが清の初タンポンのときので」
「何撮ってんのお前」
飯泉が取り出した携帯電話の画面には、パンツを下ろしてしゃがみ込んだまま、熱心に説明を読んでいる相方の姿が映し出されている。
「こっちが修学旅行で京都行ったときの」
「落差が酷いな。川匂のは無いのか」
「あ、川やんのですか、それなら、これです」
彼女は画面を操作し何かを確認すると、携帯電話を差し出して来た。
ん、これって。
「入学祝いに三人で撮った奴。川匂さんと、清、あたし」
「いや、飯泉、これ」
思わず相手の顔を見る。いつもと変わらない表情のまま。
画面の中にも、少し前の同一人物たちがいた。しかし。
「ただいまー、布いっぱい貰ったぜー!」
「後から衣装部の子たちも来てくれますよ、サチコ先輩」
背後から元気よく帰ってきた清水たちを見て、飯泉は携帯電話を引っ込めた。見間違いだろうか、いや、確かに飯泉は見て、頷いていた。確認をしていた。
「先輩? どうかしました」
「え、あいや、本当にやるのか」
「そうですよ、逃げないでくださいね」
栄から聞かれて、何とか言葉を絞り出せたが。あれは。
「良かったですね先輩、着る服が沢山貰えて」
「期待してて良いっすよ!」
アガタの嫌味に飯泉が元気に繋げる。どこにもおかしな所は見当たらない。しかし、それにも関わらず、こいつはアレを出した。
「ああ、楽しみだな」
最後に見た携帯電話の画像。そこには人一人分の隙間を開けて、二人しか映ってなかった。間には誰もいない。それなのに飯泉は。
疑念を抱けば抱くほど、六感による頭痛が酷くなる。
明らかに。
川匂、お前は、お前はいったい。
――いったい何者なんだ。
<了>
この章はこれにて終了となります。
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文章と行間を修正しました。




