・駅の思い出
今回長いです。
・駅の思い出
「わざわざ依頼の場所を指定してくるなんて珍しいな」
「ええ、あまり生徒には聞かれたくないことなので」
時刻は夕方、場所は小田原駅の人もまばらなホーム、その端っこ。売店で買った缶コーヒーを片手にハードボイルドさを演出する。
「“生徒”か。部員じゃないのか」
「誰の口から出てもよくないことです」
「噂でもってことかね」
隣にいるのは愛同研の連盟部の一つ、軍事部の愛称で知られる集まりの部長、俺と同学年の男子、東条だった。筋骨隆々の逞しい外見とは裏腹に、心配性で周りに気を遣う好青年である。
これで軍オタでさえなければと思うのだが、彼の真面目さと垢抜けない部分を、可愛げと考えられる感性がないと、そもそも付き合うのは難しいだろう。
まあそんなことはどうでもいい。仕事の話だ。
「はい。ですのでサチコさんも、このことは他言無用でお願いします」
「駄目だ。お前から相談を受けたということは言うぞ。それに対して俺がどう答えたかも。聞かれたらだけどな、その秘密は俺の安全を担保しない。口止め料は別料金」
「その程度なら喋って頂いて構いません」
「難なら誰から聞かれたか通報しようか」
「いえ、結構です」
東条は何やら急いでいるようで、あまり事前の枠を詰めるということはしなかった。信用されていると感じたが、本人の抱えている悩みの大きさを想像すると、素直に喜べない。
「ん。で、部室の掲示板にあった相談って何だ」
愛同研は部費獲得のために何でも屋みたいなことをしている。部室のホワイトボードには依頼内容が書かれた紙が張られ、部員たちがそれを見て依頼を受けるか決める。
ちなみに、依頼の用紙に特定の書式などはなく、大抵はノートか手帳の一ページだ。悩める生徒が直接貼りに来る場合もあるが、連盟も含めた部員たちの教室に設置された目安箱に入っている場合もある。これを集めてボードに貼っているという訳だ。
「それが実は……」
俺は部長になって、初めてそういうシステムだったことを知った。なお部員たちは部室まで依頼を持ってくる代わりに、先に依頼内容を検めて唾を付ける権利を得る。
道理でしょっぱい依頼しか残ってない訳だよ。
「二年生が二人ほど辞めたいと言い出しまして」
「えっ」
ちょっと待って。今俺は脳内で、愛同研の依頼の仕組みを再確認していたんだぞ。それを何だ。一撃で気持ちを吹き飛ばすような案件を、部外者の俺に持ちかけるんじゃない。
「あんだって」
「ですから、うちの部を辞めたいという者が」
「そうじゃない。何故俺なんだ」
「といいますと」
「わざとか? お前んち顧問いるだろ」
「あの人は駄目です。退部届を貰ったかしか聞いてこない」
教師なんて外れ職業の低レア顧問なんてそんなもんだよな。気の毒だな。しかしそれで絆されるほど短い付き合いじゃないぜ。
「延清とか他の部の連中は」
「去る者は追わない気風が土台にありまして」
「うちだってそうだよ」
今のところ幸いにしてそういう不満は出てないけど。辞めると言われたら引き止めるつもりはないよ。理由があったってしない。
「ですが自分は引き止めたくてですね」
「ああ、言いたいことは何となく分かった。話を聞こう」
他は取り付く島がなかったんだろうな。乗れる奴だけ付いて来い。残れる奴だけ残れば良い。来る者は拒まず去る者は追わず。それが愛同研である。
年長の生徒ほどその傾向は強い。問題が起きたときに、引きとめや執り成しを三年生になってまで考える奴は、恐らくそうはいまい。
「ありがとうございます」
「何で辞めたいって」
「……二人は一年のときに同時に入部した同期でして、先ず仮に甲という生徒がいます。彼はこの趣味を自分たちより長くやっていて、動きも良く知識もあり、非常に頼れる存在でした。真面目で助言も的確で、俗に言えば当たりでした」
ふむ。所謂キャリアか叩き上げ。趣味の世界も十年選手と来れば、変に拗れてさえいなければ、一角のものを持っていて当然。
「しかし最近では、部に自分の居場所がないとか、あまり歓迎されなくなったという言い方をするようになり」
急に立場が悪くなったのか。
「なんだいじめか」
「違います。似たようなものですが」
東条は売店で買ったドーナツの袋を開けて、しかし口にすることはなかった。隣のホームに乗らない電車がやって来て、何処かへと過ぎ去っていく。
「問題は、仮に乙とします。乙は高校になってから軍事に興味を持った新参でした。元はサッカーを長いことやってたそうで、甲に対して張り合おうとする面がありました」
「いやサッカーやってろよ。何でこっちきた」
「どうも怪我か何かのようで、芽もあまり出なかったようで。その後はあちこちの部を点々としていたようです」
性質の悪い流れ者だな。
「ただ、経歴からも分かるように、甲は乙に対して優っていました。贔屓や差別を抜きにしても、然るべき処遇や対応になります。乙はそれが不満だったようで」
「中途採用がキャリアに対して分不相応な敵意を抱いたと」
「正にその通りですがそんな専門用語まで使わなくても」
この世界では英語圏が壊滅してるから、簡単な英語でさえ教養があるように思われる。反面この世界の外国語の授業が英語じゃないから、テストは毎回赤点と隣り合わせだ。
「乙は部そのものを見下している気配はありましたが、甲に負けまいと部活によく励み、その意気込みには自分も好感が持てました。ただ」
「ただ」
「何かにつけて甲に突っかかるので、甲は次第にうんざりしていったようで。一度甲に不利を付けて練習試合をさせたことがあるんです。それで乙が勝ったとき、すっかり増長してしまって。益々甲に絡むようなって、それで」
ハンデを貰ったから勝てたのに、自分の実力で勝ったと思ったのか。まるで自分が思ってるほどの価値がない中途採用が、残業を多くしたから人より給料を多く貰えたのを、自分のほうが高級取りだと舞い上がっているかのようだ。
「甲が辞めるって言ったんだな。じゃあ乙は」
「これは不味いと思い、五月に二人を対等な条件で戦わせました」
最悪だ。最初にそれをやれ。
「結果は甲の圧勝で、一通りの競技で完封していました」
「然も有りなん」
「体力的にはそこまで差はありませんでしたが、技術的な面や精神的な差が浮き彫りになり、乙は自信を完全に失ってしまいました。それでこちらも辞めると言い出して」
鼻っ柱を圧し折られたんだな。自分の実力というものが分かる良い機会だろう。逃げずに受け止められればだけど。
「二人がいなくても部は存続できますが」
「できれば穏便に済ませたいと」
「はい」
穏便ってのは要するに、二人に退部を取り消させたいってことだろう。しかしこれは、うーん、元鞘にしたらいけないケースだよな。
「甲乙に対しての評定を聞こうか」
「甲は言うまでもなく逸材です。この道一筋というだけあって、自分も学ぶところが多分にありました。できれば引継ぎも考えています」
素直でよろしい。得難い人材を自分のミスで逃がすとなれば、これはトラウマものだろう。一生尾を引くであろうことは容易に想像できる。
「ただ、乙は素人として入ってきて、しかし経験者に負けじと頑張り、ぐんぐんと成長していく姿は、個人的には素晴らしいと思えました。自信もありましたしね」
元気で悪そうな奴ってこの時期までは滅茶苦茶人気あるからね。ノンキャリが努力する姿も基本的には好まれるし。
乙の礼儀がなってない、東条の監督不行き届きでまとめられるが、大事なのはそれ以外でどうまとめるかである。どうと聞かれても答えは一つしかないが。
「せめて片方は残したいんですが」
「悪いことは言わんからお前甲に謝れ」
「……そうなりますよね」
「分かってんなら話は早いよ」
東条の責任は大きく二つ。一つは増長する乙を諫め教育し切れなかったこと。一つはそのせいで甲に辛い一年を送らせたことだ。
乙に頭を下げる謂われはないが、甲には侘びを要れる必要がある。その上で部に残るように頼む。部でやることに高い適正と長い経験を持つ部員がいて、問題も起こしてないのに辞めさせるようなら、軍事部は解散したほうがいい。
逆に先輩への敬意も部活への愛情もないなら、別の何処かでよろしくどーぞだ。人選を間違えてはいけないし、そんなことは東条も分かっているはずだ。
ただこういう事態に直面して、そういう決断をするのはしんどいのだろう。だから俺のところに来た。周りの連中とは違って話を聞くし、まとめて首にしろとも言わない可能性があったから。
「甲を残したいならな、お前が一年間不甲斐無かったことを詫びて、その上で乙が辞めるから残ってくれって頭下げて、そんで残りの時間を甲からの恨みを受け止めないといかん」
政治的な判断を実行に移すには、斯様に酷で泥臭い肉体労働が不可欠である。何せ離れた人の心を呼び戻すのだ。俺なら絶対に戻らないと思う。それくらい厳しい話。
「両方は無理だし片方だって望み薄、乙を残すのは論外だ」
「はい」
「報酬はいらん。いっそ菓子折りでも買え」
乙を残したいのは、自分のミスにしたくないんだろう。反応を見るに結構気に入ってたのかも。そりゃ『お前は俺のミス』なんて認めたくないよな。
「ほらもう行きな。後で話聞かせろよな」
「はい、今日はありがとうございました」
東条はそう言うとドーナツを一口で平らげ、袖で顔を吹いた。涙ぐんでいた顔に、直ぐまた湿り気が戻ってくるが、彼は踵を返して足早に去っていった。
部長って大変なんだな。などと思って彼の背を見送ると。
そこには信じられないものを見たと言わんばかりの目をした川匂が立っていた。
「あれ、川匂?」
「先輩、流石に男の人を泣かすのは女性としてどうなの」
「あれあれ、何だか誤解されてるな」
やはりあいつ泣いてたのか。しかし俺が泣かしたと思われてるのは何故だ。俺ってそういうことをしそうに見えるんだろうか。
「慣れてないのかも知れないけど、断り方を考えてあげるべきで」
「違うぞー川匂。相談は受けても告白はされてないぞ俺は」
「それは脈を測ろうとしてたんですよ」
「違うぞ。いいから一旦こっちに来なさい」
言われて彼女は何故か退路を確認してから、じりじりと慎重に間を詰めた。こちらから向かうと逆に離れるので待つこと数分。
「斯斯云々ということなんだよ」
「なんだそうだったんですか」
事情を説明すると川匂はほっと胸を撫で下ろした。眠たい老犬のように目を瞑り、溜息を吐く。
「そういやお前、清水と飯泉は一緒じゃないのか」
「いいえ、さっきの部長さんを学校で見かけて、それがあんまり思い詰めた顔をしてたから、慌てて追いかけてきたんです。それで先輩と話し始めたから、てっきり」
なるほど、東条が俺に告白したけど、敢え無く敗れたと勘違いしたのか。あいつも災難だな。他にもっとそれっぽい女子がいるだろうに。
「あいつはアレで競争率高いから、間違えるなら別の奴だろ。第一、俺のことを知ってたら恋愛のことでこんな場所なんか選ばないよ」
小田原駅では二度に渡って人生の重大事が発生した。
用が無ければもう自分からは近寄らない。
「ああ、そういえばここって先輩たちが銃撃戦をした場所でしたっけ」
俺は撃ってない。というか何で『俺』を想起したんだ。
「大変だったんですねえ」
「ああ。思い返すと新聞に載るようになったのは、ここが最初だな」
「記事になっちゃったんですか」
『なっちゃった』かあ。
確かになっちゃったというしかない。
「一年の十二月、二年の四月、で今年の頭だろ。地元の新聞の小さな記事だけどな。問題に巻き込まれたり、自分から乗りかかったりしてな。もう三回だよ」
地元民には割りと素性がバレてる。なお俺だとバレてないだけで、ニュース沙汰になった事件は他にも結構ある。危険な女だなあ俺。駄目だ全く面白がれない。
「へー、ちょっと調べてみますね」
「止めて恥ずかしいから」
どうして目をきらきらさせるんだろう。武勇伝だとでも思ってるんだろうか。最初の非難に満ちた視線は、今や好奇の色に変わっている。
「とにかく、俺は東条から相談を受けただけなの。分かったらもう帰った帰った」
「はーい」
川匂は意地の悪い笑みを浮かべると、足早に去っていった。
全く、危うく下級生におかしな何をか言い触らされるところだった。
やはりここは俺にとっては鬼門だな。さっさと帰って明日に備えよう。
まあ今回は特に何事も無かったんだけど。そりゃ毎回毎回駅に来るたびに、問題に見舞われるなんてある訳ないしな。気にし過ぎはよくない。
いつもこれくらい平穏に終わればいいんだけどなあ。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




