・甘い煙のくゆる中
・甘い煙のくゆる中
住宅街の外れには、畑と少しの家が見えるだけ。後は何処に続いているのか、知らない道が伸びている。海の日とかいう祝日のおかげで、夏休み突入前に、三連休があるのはありがたかった。
おかげでお盆の前にこうして墓参りができる。
一度電車に乗ってから、一日に何本もないバスに乗る。降りたら目的地へと続く細長い道路を、学校鞄を片手に歩く。なだらかな坂が終わると、駐車場と事務所が見えてくる。
ここで中の管理人さんに一声かけて、来場者の記録簿に名前を書く。
事務所の直ぐそこには水道とバケツ、雑巾と歯ブラシに柄杓などが置いてある。これらを借りて、脇の怪談を上がる。今日は俺一人だ。ミトラスはいない。
来て欲しくないとか、来させたくないとかは思ってない。こういうとき、こういう場所には、一人で来たかったってだけなんだ。
「お盆には来ないから、先に済ましとくよ」
並ぶ墓石の片隅に、一つだけあるやや小さな墓。
婆ちゃんの墓だった。
「夏休みになると墓参りも一苦労だからね」
ここは市内の霊園の一つで、当たり前だけど身内が眠っている。とはいえこれは父方で、母方の祖父母の墓は、また別にある。面識はないんだけどさ。
「ここは変わらんな。いつも冷たく綺麗な風が吹く」
花筒から中の古い水を抜き、枯れた花は近くのゴミ箱に捨てる。霊園は数階建て、というより数段の造りなっていて、それぞれ段の始めにも水道がある。バケツに水を汲んだら、柄杓で墓石を濡らす。
濡れた墓石を雑巾で吹き、石に刻まれた名前を歯ブラシで磨く。彫られた部分を擦る度に、赤い汚れが泥となって流れ落ちていく。
ただ掃除するにも限度があって、落としきれない汚れの部分が、年々色を増していく。後は花筒の水を入れ替えて、適当に買っておいた花を挿せば、八割方やることは終わりだ。
「……プレジデントはこの世界にはないぞ。諦めな」
鞄からお供え物の水と菓子パンと新聞誌を置く。
「あとこれ」
ポケットサイズのラジオを取り出して、電源を入れる。片耳のイヤホンが差し込まれたそれからは、僅かに音が漏れている。有り体に言えば、形見とかいう奴だ。
最後に事務所でお線香とガスバーナーを借りて、火を点けたそれを、墓石の引き出しの中の線香皿に入れる。立ち上る煙を目で追うが、他所の煙と混じるなんてことはなかった。
「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ……」
前へと向き直り、甘く奇妙な匂いの煙を嗅ぎながら、両手を合わせて簡単な念仏を唱える。最後に黙祷。それだけの行為だけど、慣れると頭の中を瞬時に空に出来るようになる。
祈りに慣れると頭空っぽになるんだから、なんとも罰当たりな生き物だな。
「もう終わりか。いつもながら早いな」
石に話しけたり独り言を呟いたりと、我ながら忙しい。その忙しさも、片道一時間半かけたのに比べ、作業時間は二十分足らず。まあ、こんなもんだよな。
霊園の最上段まで行き、小さめの白いベンチに腰掛ける。今や自分の図体が大きくなり過ぎて、だいぶ座り難くなってしまった。長くなった足は余るし、背もたれも相対的に低くなっている。
いっそのこと寝そべるかとも思ったが尺が足りず、仮に他の段からもう一つ持ってきて繋げても、今度は手摺りが腰の辺りで邪魔になるだろう。何より行儀が悪い。
階段に座って足を投げ出したほうがまだ楽だな。
「……サチコ先輩?」
そう思って行動に移ろうとした矢先、階段下にいた人物から声をかけられた。背が低く微妙にぽっちゃりとしていて、髪は二つ結びで眉が太い、一年生の後輩だった。
白いワンピースにサンダルという出立ちで、些か浮いている緑色のポーチが現実を主張しなければ、場所のせいもあって幽霊と勘違いしそうだ。
「川匂か、珍しいところで会ったな」
「先輩もお墓参りですか」
「今終わったとこ、しばらくしたら帰るよ」
「そうなんですか。あ、隣いいですか」
そう聞かれて俺は股を閉じた。ベンチいっぱいに足を広げて、どうにかして座ろうとしていたのを、見られてしまったな。内心ちょっと恥ずい。
「失礼します」
「はいどーぞ」
川匂が座るのに合わせて、俺は逆に階段の終わりに座り直した。
「このほうが丁度いいだろ」
「え……ああ!」
彼女は怪訝そうにこちらを見たが、階段に座った俺が手で目庇を作り、自分のほうまで腕を伸ばす仕草を見て笑った。どうやら気付いてくれたようだ。
すると今度は、川匂のほうがベンチを引き摺って来て、俺の隣に座った。
「丁度いいでしょう、ふふん」
と得意げに言った。そういえば、いつも清水や飯泉たちと一緒にいるからか、あまり一人でいるときに、話したことがなかったな。
「気を遣わせたな」
「お互い様です」
「そっか、そうだな」
人懐っこい感じがするけど、どこか掴み所がないような気がする。物腰こそ柔らかいけど、それほど受け容れてくれる感じがしないというか、意外にきっちりしてる。
「あの、お邪魔でしたか」
「そんなことない。俺にも話す後輩がいると知れば、婆ちゃんも少しは安心するだろ。させなくても別に構わないけど」
墓参りに知り合いなんか連れてくるもんじゃないし。
「先輩って友だちいないんですか」
「同い年のはいないなあ」
先輩は卒業したし、南に至っては同じ学年だったのは僅か四ヶ月だ。愛同研の面々にしても、友だちってほどの付き合いでもない。
部活の手伝いに顔を出す部員じゃない人、いいとこ知り合い以上友だち未満の関係だ。俺は今くらいの距離感が心地良いんだけど、たまにそれを心配されたりもする。
「昔に友だちがいたことがあって、今も周りには似たようなのがいて、俺にしちゃ上出来だと思うよ」
勿論家にはミトラスがいるし、異世界に帰ればまた別の友だちというか、仲間がいる。中学の終わり際に、天涯孤独になったことを思い返せば、良い人生に転んだものだ。
「あの、一人って言ってもらって私大丈夫ですよ」
「あ、そう」
うーん、今度は伝わらなかったか。これは俺が一人だって言ったら気まずいだろうなって、川匂なりに察したんだな。悪いけどそういう訳じゃないんだよ。
でもこれ以上言ってもいい訳とか、誤魔化しと受け取られかねないし、不毛だからこの際流してしまおう。何もかも分からせようってのは鬱陶しいだろうし。
「先輩って変わってますよね」
「うん」
「そこは聞き返してください。話途切れちゃう」
「ごめん。そうかな」
川匂が少しだけむくれて言う。よく見れば小さなポーチにはシール、髪はヘアピンなどふわふわした格好にキラキラした要素を付与して『どーだ女の子だぞー!』という空気を醸し出している。
そういや栄もアガタも学校がない日は、南みたいにちょっとは着飾ったり、化粧をしたりしてたな。うん、俺と先輩と風祭以外はちゃんと女子してたんだな。
「そうですよ。たまに妖怪のお年寄りとか静かな浮浪者みたいな」
「たぶんだけど厭世的の一言で済まないそれ」
そりゃ女子校生の語彙に仙人とか世捨て人って単語は入ってないと思うよ。でも言い方ってものがあるだろ。厭世的のマイルドな言い方なんか知らないけど。
ていうか妖怪のお年寄りって何。たぶん仙人でいいんだよな。ぬらりひょんとか子泣き爺とは違うよな。直後の静かな浮浪者っていうのに結びつか、つか、付く?
「ああうん、厭世的です」
川匂は思い出したように手を打った。会話の内容と現在地に対して、明るさにズレを感じる。うるさくないけど静かでもない。
「そっか」
「はい」
霊園の裏は山となっていて、生い茂る木々の影が夏の日差しを遮り、線香と緑の匂いが辺りには満ちている。階段の上からの見晴らしは、遠くの林や畑までを眼下に納め、聞こえる音は森のざわめきと、鳥の声ばかり。
一人が気持ちいい空間。静かに目を閉じて、時間の中にいるだけでいい。部活に出るのもいいし、バイトするのも、ミトラスと過ごすのもいいけど、これはこれで安らぐ。
「あの、先輩。お話は」
「俺は厭世的なの。ずっとじゃないけどさ」
「怒ってますか」
「怒ってないよ。何を話せばいいか分からないだけ」
俺が振れる話題なんて動画投稿サイトで見てる動画とか、ゲームとか文庫本くらいだからな。折角のこの空気を壊したくない。
「じゃあいいです。代わりに先輩を観察しますから」
「そんなんでいいならどうぞ」
そうしてしばらくの間、俺は何も言わずに霊園でゆっくりした。誰も来ないまま昼になると、川匂を連れて途中まで一緒に帰った。
親らしき人はいなかったから、俺と同じように一人で来たんだろう。誰の墓参りだったのか、少し気にはなったけど、聞かないことにした。
「先輩」
小田原駅で降りたとき、川匂に呼び止められた。二つ結びの片方を指先でくるくると弄びながら、あどけない顔でこちらを見上げていた。
「どうした」
「また今度お話しましょう」
そう言って彼女は一足先に改札口を出て行った。
このときから、川匂と過ごす、いつもと少しだけ違う二週間が始まったのだった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




