・禁帯出の未来
今回長いです。
・禁帯出の未来
※このお話は日視点となります。
今年の梅雨はあまり雨が振らず、生温い空気の中を、冷たい風が吹くような日が多かった。不思議な天気というか、気候が続く。今日も七月が間近に迫っているのに、日差しは強くない。
蝉の声もし始めているのに、暑くない。こんな日もあるんだなあ。
「あー学校行くのもうやめたい~」
「まだ一週間も経ってないじゃない」
「放課後に他所の高校まで行くの面倒臭い~」
「自業自得でしょ」
もう何年も通っている古本屋。そこに住む少年で、現在猫の如くだらけきっているのが私の彼氏。社会不適合者の超人で、頭が良く行動力もあるけど学校嫌い。
長い黒髪に線のように細い目、女装しなくてもその辺の女子より綺麗な顔立ち。少しずつ引き締まってきた体、外見だけなら超優良物件。だけど実際は面倒臭い趣味人。
そんな彼は現在、レジの置かれた台にあごを乗せウダウダしている。
一緒にランドセルを背負って小学校に行くことは、とうとう叶わなかったけど、中学の二年生、それも一学期も終わりになって、ようやく学生生活を共に過ごせるようになった。
「まあ今日は休日ですけど」
「じゃあなんでいきなり言い出したの」
「いいでしょ別に。学校の外で学校が嫌だと言ったって」
何それ。それはそうだけど、どうして今なの。まだ午前中だし、夕方になってからすればいいのに。というか日曜日なんだからもっと他にあるでしょ。
「ねえ恭介、折角付き合うことになったんだし、どこか連れてってよ」
「そうしたいのは山々だけど、お店を留守には出来ないよ」
「誰も来ないじゃない。夕方開ければいいよ」
「痛いところを突かないでください。悲しくなるでしょ」
とても悲しそうには見えない。彼は誰もいない時間というのを好むから、本音を言うならこの状態が、一番良いんだろうなあ。
でも本人が良くても私は良くない。
「お祖父さんに任せてどこか出かけようよ」
「お爺ちゃんなら今日は遊びに行ってていないよ」
「元気なのはいいけど、それならお店を閉めてってくれればいいのに」
「いやこれはボクが好きでやってるだけだから」
「だったら閉めてもいいでしょ!」
「え~」
全くもうこれだから一人癖が付いている人は駄目。孤独に耐えるどころか、それが心地良いまである。人間関係が人生のおまけだから、むしろそれがメインのこっちは辛い。
あ~、もっと彼氏って感じでいて欲しいんだけど、それを期待するのはまだまだ荷が重いか。ついこの前まで学校も来なかったんだし、ちょっとずつ私のほうに寄るよう矯正していくしかない。
恋人は自分で育てるものって、恋愛のハウツー本にも書いてあったし。
「じゃあ、お爺ちゃんを追って鉄道でも撮影しに行くかい」
「親子揃って迷惑行為しちゃ駄目だって」
恭介のお祖父さんって鉄道の撮影をする人なんだ。血が繋がってるのを感じるけど、あれってたしかすごく悪いことなのよね。
「えーじゃあ、お爺ちゃんに倣って釣りとか」
「親子揃って迷惑行為しちゃ駄目だって」
恭介のお祖父さんって釣りをする人なんだ。血が繋がってるのを感じるけど、あれって確かすごくマナーが悪い人がすることなのよね。
「えーじゃあ、お爺ちゃんみたいにボケ防止にパチンコを」
「お爺ちゃんから離れて!」
そもそも私たちは未成年だから、お店に入れないでしょ。まったく、見た目は老紳士然としてたのに、蓋を開けたらとんでもない人だったのね。恭介がデキる子じゃなかったら、とっくに人生を持ち崩していたに違いない。
「少しは彼女を外に連れて行く楽しみとか覚えてよ」
「え、何その頭悪そうなの。傲慢過ぎて気持ち悪くない」
「一般的な人間は彼氏や彼女を持つと、そうでない人より優越感に浸るものなのに、恭介にはそういうのないの」
「ないね。一緒にいてくれると嬉しいけど、そこに他人を引き合いに出す価値感が謎。どこから出したのその他人。元の場所に返してきなさい」
手強い。出不精とまではいかないけど、好みや理由がはっきりしてる上に、目的がない時間は別にすることがあるから、何となくで彼を動かすのは厳しい。
「こういうとき臼居くんならなあ、とりあえず付き合ってくれるのになあ。私だけで図書館に行って来ようかなあ」
「そういえば最近見ないね」
こちらの揺さぶりを無視して恭介はしみじみと呟いた。
私たちにはもう一人、男の子の友だちがいた。いや、まだいるんだけど、何というか、最近疎遠になっている。
理由は私たちがくっついたから。身を引いたというか、気を遣ったというか、会えば話してくれるけど、街で見かけることも減って、図書館にいることも少なくなった。
「今回は本当にお世話になったし、会って話もしたいけど」
「日、彼はもしかしたら、もう来ないかも知れないよ」
「え、どうして」
「たぶん、臼居は偽名か旧姓なんだと思う」
恭介はそう言うと、小田原にある臼居という苗字の家を探してみたけど、男の子のいる家はなかったと教えてくれた。
「考えて見れば、あいつもボクと同じ不登校だったから、何か事情があったんだろうな。ボクみたいにただ学校が嫌いっていうのとは別にさ」
「そんな……」
あの子と初めて会ったのは、歴史が変わったこの世界に戸惑っていた私が、地元の図書館であれこれと調べ物をしていたときだった。
あの子が私を見つけてくれて、それで、一緒に探検して、遊ぶようになって。恭介と似てるなって思って、段々と放って置けなくなっていった。
「臼居くんも日のこと、好きだったんだと思う」
彼の言葉に、不意に胸が痛んだ。私が二人とも選べたら、どれだけ良かっただろう。二人とも好きだけど、私は一人だけを選んだ。臼居くんもそれに何も言わなかった。
「あ、やっぱりそう思う」
「何がやっぱりかこのお調子者め」
誤魔化すように言って、照れた振りをして頭をかく。違う。好きでいたのは私のほう。でも、どこか遠くにいるような、一向に近付けないような気がしてた。
私って高望みなのかな、そんな人ばっかり気になるように出来てる。
「でも私、結局は恭介をとったし」
「うんまあそうだけど」
『…………』
「ねえ、三人でどこか遊びに行こうよ!」
「そうだね、だってボクたちまだ中学生だし!」
上手く言えない気まずさがあっても、ちょっと危うい関係であっても、私たちっては私たちなんだ。それがもう、長くは続かないとしても。
「じゃあボクはちょっと出かける準備をしてくるから」
「準備って着替えるだけでしょ」
「一応は他の物も持っていくよ」
恭介は店の奥へと引っ込んで、何やらバタバタとし始めた。別にパジャマ姿じゃないんだから、そのままでもいいのに。まあ身嗜みを意識できてるからいいか。
「あの~すいませ~ん」
ただ、彼と入れ違いにお客さんがやって来てしまった。
なんとも間が悪い。
「あ、はい何でしょうか」
「……? ああ娘さんですか」
お客さんはややぽっちゃりとした体型に、両結びの髪、時代劇の麻呂みたいな太眉が特徴的な女性だった。たぶん年齢は私たちより少し上くらいかな。
「そんな感じです。どうかしましたか」
「ああええと、そうそう、ああこれこれ」
変な人だ。初めて見る人なのに、お店の再利用図書のほうへと真っ直ぐ歩いていく。いや私が知らないだけで、この人は初めてのお客さんじゃないのかも。
「そこの本は持ってっちゃってもいいんですよ」
「そうなんだあ。これ誰が持って来たか分かりますか」
女の人は、擦り切れた赤い参考書を手にしていた。
「あ、私です、それ私」
あ、子犬が頭の悪い飼い主を見るような顔をされた。心外だなあ。本当のことなのに。お店に持ってきた人って意味で聞いたのを、そこの棚に置いた人と勘違いしてると思われてるっぽい。
あ、でもそれで合ってるのか。元々あの参考書を誰がこの店に置いていったのか、それは誰も知らないんだった。すっかり忘れていた謎だ。
「すいません、誰がお店に持って来たかまでは。要らない本を置いていく人っていうのは、あまり気にしないもので」
このお店の人たちはね。
「そっかー。残念」
「でも中は一応目を通したんですよ」
「へえ、どんなふうでした」
お、興味があるみたい。よし、ここは恭介に代わって私が本の紹介をしよう。それでさっきの挽回をして見せる。何せその本をそこまで使いこんだのは私だからね。
「先ず奥付けが変です。発行が来年の一月になってる。これは同じ系統の参考書の中でも異例の遅さ。または早さです。中身も滅茶苦茶で、何故か外国語が英語です。しかも歴史の分野はデタラメ」
私は歴史が変わってることを知ってるけど、そんなことを言って、これ以上変な目で見られたくない。なのでこっちの世界情勢に合わせて説明する。
「数学とか理科は、中学生の私には難しかったですね」
「へーそうなんだー」
「あと出版社に問い合わせてもこんなの出してないそうなので、恐らくは参考書に似せた同人誌、なのかなあ。歴史の問題なんか設定がすごくそれっぽいんですよね」
パラパラと頁を捲りながら話を聞いていた女の人は、幾度か頷いては、何かを確かめるように文章を追っていた。
そして。
「案外、違う歴史の参考書なのかも」
ぽつりとそう零した。
「もしも歴史が書き換えられていたら、なんて」
「うーん、台風や地震よりも大事だから、そうなったら誰でも分かるんじゃないですかね」
「どうやって」
「え、それは前の歴史のことを覚えてるからじゃ」
これは人に依る。私は覚えてるけど恭介は覚えてない。何が違うのかは分からない。もしかして、新しい歴史で生まれた人だからかと思ったけど、彼は世界が変わる前からいた。
「うーん、知ってますか。歴史が変わると、異なる歴史が異世界として新しく生まれるか、今いる歴史が別の歴史として塗り替えられるか、どれかになるという考えがあるんです。あれってね、本当は違うんです」
いったい何の話だろう。頭の良い人がよくやる、ものを知らない人に『間違えてもいいですよ』っていう、あの気持ちの悪い穏やかさ。笑うように人を見る目。
「違う」
「はい」
「どう違うんです」
「全部起きます、だから、分からないですよ。変わっても」
どうしてこの人は、こんなことを説明できるんだろう。もしかして私と同じような人なのかな。でも、どうしてだろう、この人にそれを悟られてはいけない気がする。
「例えば生まれたときに赤い人がいたとするでしょう。その人が生まれたときに青く塗ったら、青いまま育っていくとします。大人の頃の記憶を持って巻き戻っている訳じゃないの。誰かが青く塗りに未来から来るとね、青い人になった世界が生まれて、今の世界も青い人になる世界になるの」
「それじゃあ被ってるじゃないですか」
「そう。同じ物が二つできるの。だから余計に分からないの。並行世界は無数にあるけど、それが違う世界とは限らないのです」
元々の過去は塗り替えられて、しかも新しいほうとも比べられない。1が2になるとその2は二つに増えている。
パソコンのファイルで表現すると2と2(2)ね。
「だから誰もそのことを分かるはずないし、覚えているはずないの。こんなものが存在するはずもね」
そう言って、女の人は参考書の表紙を、指先でトントンと叩いた。
「あの」
「うん」
「まさかこの世界がその、そうだっていうんですか」
「……これ貰っていくね」
「あ、はい。ありがとうございます」
女の人は、さっきよりも普通っぽく笑いながら、参考書を持って出て行った。警察的な人なのかな。とてもそうは見えなかったけど。女子校生警察とか、時間警察とかお話の中ではあるけど、女子校生時間警察とかそんなのあるのかな。
「ごめんお待たせーって、どうかしたの」
「いやうん、いいの、それより随分時間かかったね」
入れ違いに恭介が戻って来た。見た目の変化は上着が外行きのものに変わっただけ。これなら三分も掛からないと思ったけど、彼は両脇に小さな箱を一つずつ抱えていた。
「折角だからやりたくて。このボードゲームを引っ張り出すのに手間取っちゃってさ。あ、お店閉めちゃうから、日は外で待ってて」
「図書館は最近そういうのも有りになったもんね」
古本屋の外に出て、シャッターが下りていくのを見ていると、誰かの視線を感じて振り返る。人影はないのに、見えないのに、目が合って。
「それじゃあ行こうか!」
「あ、うん」
こっちの緊張感も知らずに、恭介は暢気に笑っていた。もう一度振り向くと、今度こそ誰もいなくなっていた。何だったのだろう。でもいいか、私はこの事件からは降りたんだ。今はそれよりも、臼居くんを誘って三人で遊ぶほうが、大切なことなんだ。
――でも。
あの赤い参考書、渡しちゃいけなかったかもしれない。そんな言いようの無い不安が、しばらく頭から離れなかった。
<了>
この章はこれにて終了となります。
ここまで読んで下さった方々、
本当にありがとうございます。嬉しいです。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




