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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
番外長編 猫の青田買い編
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・餞に咲く風の名は

・餞に咲く風の名は



 六月も終わりに近付いた今日この頃、雨上がりの街からは湿ったコンクリートの匂いがする。


 日課のように図書館にいたところ、わざわざやって来たまだ友人、恭介からの呼び出しを受けて、僕は彼の店まで連れて来られた。そしてそこにいたのは。


「あれ、日じゃないか。今日は平日だしまだ昼だよ」

「いいの、今日は大事な話があったから」


 柔らかな笑みを浮かべる彼女は、一段と大人びて見えた。学校の制服や鞄が野暮ったく見えるほどで、何一つ変わらないはずなのに、輪郭がはっきりとして、随分と大きくなったように思える。


「ちょっと待ってて、今着替えてくるから」

「着替えるって、何に」

「いいから」


 日に質問を止められると、恭介の背中が店の奥へと消えていった。程なくして、彼は中学校の制服らしきものに身を包んで戻って来る。


「実はこういうことなんだよ」

「どういうことなんだよ」


 普段着ない服に着替えたくらいで伝わることなんて、何かあったんだろうってことくらいだよ。大事なことは殆ど伝わらないよ。


「恭介はね、これから学校に通うことにしたの」

「それでそのこととかを、君に報告しようってなって」


「お前告白はどうしたんだよ。僕が君に対して怒ったことについては進展しなかったのかい。そういう誤魔化しでは誤魔化されないよ僕は」


 警戒の構えを取りつつ二人を、取り分け目の細い奴を注視しながら言う。この前二人が走って公園に言ったとき、気を遣って途中で退場したけれど、もしもあそこで、恋の棚上げとか先送りなんてしていようものなら……。


「ああ、それについてなんけどね」

「うん」

「ボクたち、ちゃんと付き合うことにしたんだ」


「本当に?」

「うん、ボクから言ったよ。言えました」

「この前好きって言われました」


 顔を赤くする恭介の腕に、日が腕を絡める。調子に乗って浮かべる満面の笑みが眩しい。あまりにも嬉しそうだ、逆に隣の彼氏が赤くなって俯いてしまった。


「その様子だとどうやら本当のことみたいだね」

「長くなったけどね、一年くらいかな」


 一年くらいまえにはちゅーして関係を持っていたのか。それってつまり中学に上がって直ぐじゃないか。全くもう、人の知らないところで進んでるんだから。


 でもそうか。ついにやったか。


「そうか……! あ~良かった~!」


 疲れと安心の混じった溜息を、胸いっぱい吐き出す。長く苦しい戦いだった。辛く険しい道のりだった。一度は諦めもしたけれど、こういう結末を迎えられて何よりだ。


「一時はどうなることかと不安だったけど、そっか、とうとうか。恭介もやれば出来るんじゃないか! はっはっは、あー、よかった……」


 胸の支えや肩の荷といったものが、一斉に消えていくのが分かる。僕一人では抱え切れない案件だったけど、どうにか無事を見ることができた。


「そんなに心配だったの」

「当たり前だろ、正直大丈夫だとは一時も思わなかったよ」

「そんなにか」


 人の恋路という、一大事業を専門とする天使がいるらしいけど、その気持ちも分からなくもない。途方も無い不安や苦労の末の達成感、幸福への反動、これは凄まじい。


 僕の場合はやり遂げたというより、上手く行ったというほうが正しいけど、それでもこれは嬉しい。自分が命拾いしたかのように嬉しい。


 制服を着て並ぶ二人は、二人で一緒という言葉がお似合いだった。


「ふふ、恭介ったらね、私が告白しようとしたのを、止めてまでしてくれたんだ。見直したなあ。かっこよくはなかったけど、けど、あれが私たちらしいって思う」


 日が微笑むと恭介が照れて頭をかく。これはやはり最後まで見届けるべきだったか。気になる。しかし何というか、強くなったな。


 元の世界に戻ったら、妖精さんの校長先生に、好きな人に告白できるくらいの心の強さを、教育目標に掲げるよう進言してみよう。


「これからは、少しずつだけど学校に慣れていこうと思う」

「良いんじゃいないかな、部活とかはするのかい」


「米神の愛同研ってのに顔を出して見ようかって考えてる」

「いいのかそれ。ていうか何で高校に」


 これは嘘や言い訳が取れたことで、本来目指していた進路に向き直ったってことかな。けどそうなると、日の行きたい高校とは別になるけど、大丈夫かな。


「受験する前から大学の受けたい講義に顔を出しておくと、講師の心証が良くなるだろ。それと同じさ。他にやりたいことが見つかったとき、ボクのほうも事前の準備ができるし、入学前から先輩たちと人間関係を築けるし」


 君の行動力は急進的過ぎる。かといって待ったをかける理由もないのが困る。諫めたいのに口出しできないもどかしさ。たぶんこいつと付き合う上では、一生付いて回る問題なんだろうな。


「日はそれでいいの」

「ベストじゃないけどね」


 そこは妥協したということかな。二人で共に学校へ通うことが、一番の望みだったみたいだし。最善とは最良のために尽くすものだからね。彼女ももう、自分が一人じゃないってことを、分かり始めたんだろう。


「そっか、分かった。色々あったにせよ。君たちが上手く行って本当に良かったよ。おめでとう。もう人を伝令みたいに使わないでよ」


「はい、その節はお世話になりました」

「今後はなるべく君を頼り過ぎないように気を付けるよ」

「本当だぞ」


 そう言って三人で笑い合う。実際似たようなものだけど、友だちなのか保護者なのか、自分でもよく分からなくなることがあった。君たちは肝心なときに手が掛かるんだから。


「じゃあボクは着替えてくるから」

「え、これから学校に行くんじゃないのか」

「それは明日から。今日は君への報告だけ」


 制服が嫌だったのか、恭介は店の奥へと引っ込んで行った。奥のほうでお祖父さんと話す声が聞こえる。声の調子は明るいから、どうやらあっちも拗れずに済んだみたい。


「勿体ぶるなあ」

「これまで長かったもの、しょうがないよ」


 少し冷たい風が吹いて、彼女の髪とスカートを揺らす。そっと手で押さえる仕草は、もう子どもには見えなかった。


「ねえ、臼居くん。これ、覚えてる」


 そう言うと、日は鞄から一冊の赤い参考書を取り出した。


「懐かしいな、まだ持ってたんだ」

「思い出の品だもの」

「もう来年だよ」

「早いよね」


 二年前、僕が初めて彼女と会ったとき、歴史改変を前に途方に暮れていた彼女に、あれこれと画策して掴ませた奴だ。


 内容は来年の異世界から、同時期のこの世界の参考書を取り寄せたもの。ただし歴史改変が起こる前の物で、それからこの時代に持って来たという微妙に複雑な一冊。


 そういう事情があるので、これだけは歴史改変された世界の中で、元の歴史のままである。


「あのときは、未来になんて行けないって言ったけど。来ちゃったから」


「そのときが来てお互いにまだ覚えてたら、何とかしようって話だった」


 でも違うんだ。何となく分かる。

 さっきまでの空気が、さあっと塗り替えられていくのが。


『もうじきだね』なんて、言う雰囲気じゃない。


「忘れてなかったんだ。ごめんね。私、もういいかなって」


 彼女の言いたいことは、きっとあの日の続きのこと。小学生のときの、冒険の続き。目前まで迫っているけれど、日は参加しない。


「また一緒に探検ができるかもって思ったけど、私、自分のことも、恭介のこともあるから。そっちに専念しようかなって。ううん、違う。あの頃はまだ、毎日ワクワクしてたけど、今はそうじゃないの。この本を見ても、まだ先があるのに、もう思い出になっちゃってる」


 いつか続きをという気持ちが、いつの間にか終わっていたんだね。


「だからもしも、臼居くんがまだその気なら、これを渡しておいたほうがいいかなって。どう、君は今も、あの日のままなの」


 この世界で現実の時間を経た参考書は、幾分か黄ばんで擦り切れていた。日が熱心に検め、また実際に本来の用途でも使ったことがあるのだろう。


 赤い本は満足そうに草臥れていた。


 僕はそれを受け取ると、店の片隅のとある本棚に置いた。そこは人々が要らない本を持ち寄り、欲しい人が持っていくという、図書館の再利用図書を真似した場所だった。


「僕は元々興味がなかったよ」

「そうだったっけ」

「君がいたから、付き合ったんだ」


 空を見上げた日の視線を追って、僕も顔を上げる。六月の雲は雨の匂いを運んでいて、まだ数が少ないけれど、やがてまた太陽を隠すだろう。


「繰り返しになるけど、おめでとう」

「ありがとう」


 不思議だな。いつもは顔を合わせているだけで、取りとめもなくお喋りができたはずなのに。何だか、世界が別れてしまったような気がする。きっと気のせいじゃない。


「じゃあ、僕は帰るよ」


 店を出て彼女に背を向けると『私ね』っていう声がした。振り向くと両手を後ろに回し、下から覗きこむようにする彼女の、あどけない瞳と目が合う。


「私、臼居くんのことも好きだったよ」


 悪戯っぽく笑って、背筋を伸ばした。雲間から銀色の光が差し込んで、二人を分ける。三人は二人になって、一人は。


「ありがとう。さよなら、日」

「うん。さよなら、臼居くん」


 不思議だな。どうしてこんな気持ちなのに、笑顔が出てくるんだろう。僕は友だちだと思っていて、あの子たちは、二人で歩いていくことを決めた。


 良いことなのに、どうして喜ぶ以外の気持ちが、こんなにも溢れ出すのだろう。

 

 考えてみれば、サチウスの去った後に二人が来ると思うと、奇妙なものを感じずにはいられない。まるですれ違いのような順番だ。


 今度は彼女が店の中へと消えて行った。中ではいつもの二人が、元気そうに、楽しげに話している。この日、僕には一つ思い出が出来た。それはあの子たちが、僕の友だちだったということ。


「さよなら」


 その場を離れて少しすると、風が濡れた街の匂いを運んでくる。何気なしに天を仰げば、深い青空の向こうに雲が高く聳えているのが見えた。


 ああそうか。夏が来たんだ。今年も、僕たちのところに。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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