・そして二人になる
今回長めです。
・そして二人になる
※このお話は恭介視点になります。
六月のくせに全然雨が振らないのが忌々しい。ボクはいつものように店にいて、お爺ちゃんは珍しく家にいた。空は快晴なのに、我が家の空気は暗かった。
人生に重大な転機が訪れることは、度々ある。
転機は恐らく、どうあっても、同じ時期に来るようになっているんだと、根拠は無いけどそう思う。ただ、内容はそれまでの経緯によるだろう。
自分のこれからの話なのだから、これまで次第の面もある。ボクの今の考えを聞いたら『何を当たり前のことを』と二人は言ったかも知れない。
ボクは今、恋と友情を失いかけている。
それもそのはず。進路について、将来についての不安を誤魔化したことが招いた、彼女との冷え込み。文字通り仲を取り繕うために、一人しかいない友人を道具のように使った。
日の反応を窺いつつ、自分の発言を修正したり、彼女のほうから歩み寄らせたりする糸口を探る予定だった。しかし現実は厳しかった。
いや、元より非があったのはボクのほうだから、二人がボクのことを考え、更正させようとするのは、もっともなことだった。
今まで見過ごしてもらっていたのだと、気付いたときには遅かった。戻って来た友人は、返す刀でこちらの心情や嘘を丸裸にしてしまった。それも、お爺ちゃんまで伴って。
ここで話が終わればどれほど綺麗で簡単だったろう。
「ボクはいったいどうすればいいんだろう」
いつもの店のレジの前。日も高い時間から、自宅の本屋で独り言を零す。今日は猫もやって来ない。客もいない。街の音さえ遠く、音そのものが少ない。
「まさかこんなことになるなんて」
ボクの悩みを聞いたお爺ちゃんは大丈夫だと言ってくれた。途中までは完璧だった。自分の保護者に聞いてみたらという、友人の言葉もあの場では悪くなかった。落ち度があるとするなら、ボクが知らなかったこと。
我が家の男はモテルということ。放っておいても上手くいくし、女の子から告白されたときに、勢いで色々決めてしまえばいいということを。
それが分かったのは皮肉にも、ボクが追い詰められたときだった。
友人が親身になって駆け回った後に、実は何もしなくても都合の良いように転ぶよ、と。もしも彼の存在がなければ、お爺ちゃんと話しただけで、事は丸く納まったことだろう。
しかし彼がいなければ、ボクはお爺ちゃんとああいった話をすることも無かっただろう。途中経過の段階では、ボクは臼居の面目を丸潰れにして、馬鹿みたいにしてしまった。
自分がしてきたことは何だったのか。何もしなくて良かったのか。手元に残ったのは、友人に吐いたつまらない嘘や、臆病さから出た言い訳。
お爺ちゃんも、日も、彼も、誰も悪くない。悪いのはあの場で、楽なほうに思わず飛び付こうとした、ボク自身に他ならない。
「ああ、二度と絶交か」
臼居は怒りに任せて散々に叫んだ。あれはきっと、常日頃から思っていたこともあったんだろうな。そして恐らく、日のことも。
「…………」
いつまでもこうしてたって、仕方ないよな。
「…………」
自分の部屋に戻って、箪笥を開ける。入学式以来一度も袖を通したことのない制服が、防虫剤と一緒に入っている。お洒落に気を遣ったことなんかないけど、こうして見ると、悪かったなって思う。
初めてこれを着たのは、日が自分の制服姿を見せに来たときだった。あのときは、勢いに押し切られてそのまま登校したんだっけ。それで、帰ったら写真を撮ろうって。
――日はお前から告白されることも、一緒に学校行ってくれることもずっと待ってるんだ! あの子を大切に思ってるんなら
「甲斐性を見せろ、か」
甲斐性って何だろう。度胸とか勇気とか根性ってことかな。そんな大それたもの、ある訳ないだろ。
でも……。
……………………。
……………………ひかる。
「おや制服なんか着てどうしたんだ恭介、それじゃまるで」
「お爺ちゃん、ボクちょっと出かけてくる!」
「出かけるって、どこに」
「学校!」
――そして家を出て、日のいる学校へと向かい。
結局放課後になってしまった。
制服を着てるしボクもココの生徒なんだから、中に入ることくらい別に問題はないんだ。何度もそう自分に言い聞かせたものの、とうとう入れなかった。
朝だったらたぶん大丈夫だった。教室って途中から入るのにすごい抵抗があるからね。次はたぶんないけど、もしもあるなら朝から来ることにしよう。
とりあえず日には校門で待っていることは連絡済みだし、返信も貰ってる。だからこの後、大事なのはこの後なんだ。だからまだ大丈夫、のはずなんだけど。
「日の奴遅いな……」
「ふーっ」
隣で猫が威嚇してくる。いつも本屋に来る猫だ。こっちに縄張りを移したのかな。最初はボクを見るなり近寄ってきたんだけど、今はすっかり不機嫌になってる。
お昼にはむにゃむにゃと言いながら、足元に擦り寄って来たんだけど、流石にこうして四時間もいると、つまらなくて苛立つのだろう。撫でると怒るけど、止めたら止めたで襲いかかりそうな声を出してくる。
ていうか他に行けばいいのに。
「お前さあ、来る時間を間違えたんじゃないの」
「ふにーっ!」
「うわ!」
尻尾を逆立て歯を剥いて怒った。いつもはこんなんじゃないのに、いったいどうしちゃったんだろう。猫にも認知性があるっていうし、もしかしたらそれかな。
「何だよー、いったい何を怒ってるんだよ。こっちはこれから大事な用があるんだから、少しくらい愛想良くしてくれたっていいじゃないか」
※ミトラスの必死のサービスは既に四時間を経過。
「ねえ、さっきから猫ちゃん相手に喋ってどうしたの」
「いやどうもこうもないよ。ずっと不機嫌なんだ、って」
声のしたほうを振り向くと、そこには額に太陽の光を集めた日の姿があった。名は体を現すと言うけど、この子は本当にそうだ。色んな意味で眩しい。
「日……」
「やっほー」
「ああ、いや、うん。こんにちは」
「制服なんか着てどうしたの、もしかして授業に出たとか」
「授業は出てない」
「なんだ」
日が半目になってがっかりすると、その足元に猫がささっと移動する。さっきまでと明らかに顔が違う。動物ってこういうとこあるよね。
「なんだはないだろ。ボクなりに勇気を出してみたのに」
「制服を着るのが」
「違うよ。その、もっとこれからのことだよ」
「これからのことって」
彼女ははにかみながら、小さく首を傾げた。かわいい。うん、いつも。小学生の頃から、同じ笑顔で、ボクはこの笑顔を変えたいと思ったことはない。
「ここじゃ目立つし歩きながらしよう」
「家に行くの」
「今日はお爺ちゃんがいるから」
夕日に染まる街を二人で歩く。
「じゃあ喫茶店」
「人のいるとこじゃ話せないよ」
どうしよう、勢いが出ない。四時間もうだうだしている間にすっかり気分が落ち着いてしまって、そのせいで逆に今は落ち着かない。
「人気がないとこに連れて行きたいんだ」
「茶化さないでよ、真面目な話なんだから、わっ!」
急に手を握られたと思ったら、体が前へと思いっきり引っ張られた。突然日が走り出したんだって分かったのは、転ばないように足を動かし続けて少ししてからだった。
二人で走っている最中、彼女は決して振り向かなかった。住宅街の中、入り組んだ道を進み続けて、やっと止まったと思ったら、そこは公園だった。来たことのない場所だった。
「小学生の頃ね、街を探検したときなんか立ち寄ってたの」
走って乱れた息を整えてから、日はそう教えてくれた。ブランコや滑り台がある、何処にでもある公園。少し窮屈に思えるのは単純に小さいからか、それともボクたちの体が大きくなったからか。
「こっち」
彼女は手近なベンチに座ると、隣に座るよう空いている部分を叩いた。招かれるままに席に着いて、顔を向けると。
目の前にいる日と目が合った。
「話、してくれるんでしょ」
「あ、うん。えっとね」
走ったこととは別に顔が熱くなる。こんなに顔が近いのはいつ以来だろう。何度も見ているのに、ふとした瞬間に、どきどきする。
「その、ボクなりに現実っていうのを考えてみたんだけどさ、ほら、前に言われたから。それで、あれからもう一度考え直してみたんだ」
上手く喋れないな、言葉が出て来ない。つい俯いて目線を外してしまう。落ち着け、この際色んなものは置いておいて、とにかく言えばいいんだ。だけど。
「それで」
「それで?」
「それで……」
駄目だ。台本を考えてなかった。ここから何て言って持っていけばいいんだ。やっぱりボクみたいな奴じゃ無理なのか。ここに来て、せめてこれだけはって思ったのに、虫の良いことなのか。
猫もいつの間にかいなくなってる。話を逸らすこともできない。ここまでなのか。
「恭介、私ね」
「え」
「私ね、恭介に謝らないとって思ってたの」
「恭介って凄いけど、私とそこまで違わないと思ってた。でもそうじゃなかった。同じ場所にいることのほうが、本当はおかしいんじゃないかって。皆が違う人なのは、当たり前のことなのにね」
大人びた声に顔を上げると、力無く笑いながら目を伏せる、女の人がいた。
「頑張れば私だって、どこかで勝てる部分があると思ってた。でもそうじゃなかった。それどころか、ならどうすれば恭介の力になれるのかって、考えたことなかった。考えたくなかった。悔しいとか寂しいとか、悪いなって気持ちとか、あとちょっとめんどくさかった」
微笑む君の目は澄んでいるけど、どこか悲しそうで。
「私ね、恭介と一緒にいたいんじゃないの」
「恭介にいて欲しかったの」
「自分が欲しかっただけ、ごめんね」
言い終えた日の眼に、力強さが戻る。
ああ、ボクはいつも。
この光を見ていたような気がする。
「でもね、今は違うの。ちゃんと私も」
「待って、お願いだから」
遮ってしまった。きっと運命だったのに。けどボクはボクの心で、そっちへ行きたい。もう恥ずかしくなんかないし、怖がってなんか、いられない。
「ボクから言わなきゃいけないんだ。でないと、日の言葉を受け取れない。だからお願い、もう一度だけ待って、お願いだから、ボクから言わせてください」
肩に手を伸ばして、掴んで、驚く彼女が頷いてくれて。
「色んな嘘や言い訳をしてきたけど、本当は、君が怖かったんだ。君がいつも傍にいてくれるのに、ボクは君を支えられるのかなって、力になれるのかなって、今までずっと君に甘えてたから」
正直に言えば良いってもんじゃないけど、ボクは、彼女に良い所だけを見せ続けられる人間じゃない。それで選ばれてもきっと上手くはいかない。
「ボクから君にしてあげられることって、今はまだそんなに無いかも知れない。だけど少しずつ、出来るようになっていくから」
肩を掴む手が、そっと外された。一瞬心臓が張り裂けたのかと思うほど冷たくなる。だけどそうじゃなかった。
「言って。頑張って」
もうずっと前から、ボクのほうが手は大きかったのに、君は両手で、優しく一生懸命に包んでくれて。どれほどそうしたかっただろう。ずっと、ずっと、ボクのほうこそ。
「お願いだから、これからも一緒にいて欲しい。いつか、一緒になって欲しい。だってボクは」
ボクは。
「日が好きだから」
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




