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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
番外長編 猫の青田買い編
379/518

・ありふれた難題

・ありふれた難題



 一方その頃。



 どうやらサチウスのほうは上手くいったようだ。今僕はサチウスの超能力と自分の力を組み合わせ、向こうの状況がリアルタイムで頭に入るようになっている。これで大分、手の打ちに奥行きが生まれたぞ。


 それにしてもまさか日が、ああいうふうに考えていたとは。優劣などという全く関係のない軸が、人間関係に影を作り出していたようだけど、それも切り離すことには成功したようだ。


 自分の力不足や将来への不安そのものについては、これから二人で、少しずつ解決していくことだろう。後は目の前のこいつの尻を蹴っ飛ばして、腰を上げさせるだけだ。


「ということなんです。おじいさん」

「そうか、うちの孫がそんなことに」

「君に人の心はないのか」


 ないよ。あるのは魔物と猫の心だけだよ。


「恭介、謝りなさい。先ずはそこだけ」

「はい。臼居くんごめんなさい」

「許すよ。恭介が僕の言葉を自分に都合の良いように曲げて使ったことは」


 ここは戦時中の兵隊さんと揉めたことが、名前の由来となった『焚書堂』の奥。初めて立ち入る空間には、これまた初めて目にする人物も相席した。


 白髪一色の頭髪は綺麗に撫で付けてあり、余りを後ろで束ねる痩せた老紳士。黒縁の眼鏡の奥には、柔和な雰囲気の瞳、発する声の一つ一つに力強さがあり、指先が震えることもない。かくしゃくとした、という表現が相応しい。


 誰あろうこの人こそが、この店の本当の主人。恭介のお祖父さんである。名前は知らない。白いワイシャツに茶色のズボン、厚手の灰色の靴下。うん、ナイスミドルだ。


 僕は彼と日の恋の悩みに決着をつけるべく、最後の仕上げにこの人を巻き込んだ。一日中店を見張り、孫以外の人物が家から出るのを待ち、出てくるなり捕まえ事情をお話した。


 今は皆、車座で正座している。


「君から僕に謝ることは」

「お節介過ぎるという自覚はあるけど謝る筋合いはない!」

「ぐぐぎぎ」


 残念ながら、僕ではどれだけ二人の間を取り持とうとも、事情をそれぞれに渡し合っても、現状が続きかねない恐れがあった。強制力がなかったのだ。


 だから彼にとって、恐らく僕より大事な人物の力を借りる必要があったのだ。ふふふ、同じ人間、それも同年代の子どもでは思いも選らない発想だ。僕も考えなかった。


 だって当人たちの問題、それに恋愛や子どもの問題で親を呼ぶのって当事者的にはありえないし。信頼関係にバリバリ皹が入るよ。絶交されても已むを得ないよ。


 サチウスはたまにおっかないことを、しれっと言うんだよなあ。


「僕の件はもういい。大事なのは恭介と日のことだよ」

「そうだぞ恭介」

「~~~~!」

 

 顔を真っ赤にして、怒りと羞恥に堪える友人の姿。頬の内側の動きから、歯を食いしばっているのが分かる。泣いても笑っても僕らの仲はここまでかもしれない。


 だからこそこの一世一代の大博打に、僕は君の恋路と友情を賭ける!


「ここまでお前たちのことを、想ってくれているんだから」

「はい」


 恭介は全くお祖父さんに頭が上がらないようだ。よしよし、このまま流れを任せてしまっても良さそうだな。たまに親の顔が見て見たいこともあったけど、どうして立派な。


「ただ、臼居くん、だったね」

「あ、はい」


「君の気持ちはありがたいが、行き過ぎな行動でもある。分かるね」


 な、なんだと。こっちは二人の破局を未然に防ごうと躍起になってあげてるのに、ポッと出の老人に、そんないきなり説教をされる謂れは。


「君だって同じことをされたら、恥ずかしいという気持ちにならないか」

「あ、はい」


「同じ男なら、恥というものを酌んでやってくれ」

「すいません、無神経でした」


 なんだろう。逆らえないな。正論を言う人は嫌われるっていうけど、違うな。正論を言うに値する人から正論を言われると、心の置き場がどこにも無くなる感じがする。狡さを身に付けた弱者が、即死しかねない斥力がある。


「良かれとは思ったんだよ。でもごめんね、出しゃばって」


 お祖父さんを巻き込んだことは謝らなくても良いが、恭介の気持ちを無視したことは謝ることとなった。それはそうだろうという声が聞こえそうだが、釈然としない。しないけど言わないでおこう。


「いや、元はと言えば持ちかけたのは僕だし」


 三人しかいないのに、異様に空気が重たい。


「話を戻そう」

『はい』


「恭介は米神の学園際に行ったときは、嬉しそうに行ってみようかなと言ってたじゃないか。将来のやりたいことも見つかって、この頃は気持ちが逸っているものとばかり思っていたけど、どうしたんだい。自分のやりたいことなら、別に言い訳をしない子だよ、お前は。お爺ちゃんはそういうところが、お前の良いところだと思ってるんだ」


 お祖父さんが噛んで含めるように言う。確認をしつつ、相手の長所を引き合いに出して、不自然な点を突く。『らしくない』ということだろう。これを言うには年季と、相応の信頼関係が必要だ。


 それにだ。考えてみれば確かにおかしいんだ。日の話では去年の七月頃と言ってたのに、米神の学際は十一月のことだ、時系列を並べるとあの頃のウキウキした態度は、実は嘘だったのだろうか。


「苦手なお姉さんがいるって説があったけど、その人なら今年で三年生だから、恭介が高校生になるときにはとっくにいないよ」


「そうか、そこまで裏を取られていたのか。僕が学校に行きたくないと常々言っていたことは、知ってるよね。でも、あの学際で行ってもいいかなと言ったのも、本当なんだ。あのお姉さんのことについては、僕から日に言った誤魔化しさ。本当は関係ないんだ」


 なるほど、前提として『行きたくない』があったから、日も学際のことを言わなかった訳だ。彼女は順番を無視したんじゃない。お祭りで一瞬だけ彼の気分が盛り上がったけど、また元に戻ったということでしかなかったんだ。


 彼は元から不登校の少年であることを失念していた。


 十一月のウキウキ状態を基準にしていた僕の問いに、彼女は七月頃のトピックで答えた。ズレの正体はこれだ。酷い言い方になるけど、何年も学校に通ってない彼の、進学したいという言葉は、あまり信用されていなかったんだね。


 だから直近の、行きたくない理由まで遡って答えた。


「誰だね、そのお姉さんというのは」

「米神の生徒で前にお店に来た人です、お爺ちゃん」


 恭介は掻い摘んでサチウスのことを、お祖父さんに説明した。でもそうか。


 僕と日とでは、君への見方が違ってたんだ。


 噛み合わない噛み合わない噛み合わない。道理で噛み合う訳がない。当然といえば当然。ずっとポジティブだと思っていた僕と、ネガティブな状態が常と知っていた日。


 学際以降に理由があるはずと考えるのが当然だけど、彼女からするとやっぱり駄目だったか、という状況。古い出来事が尾を引いているという捉え方。ズレることは当然だった。


 しかしそうなると、ここで新たに疑問が一つ生じる。

 やはり十一月以降の出来事に、日が触れないのは変だ。

 僕の問いは要は『あれからどうした』で済むことだ。


 つまり米神の学際以降の心当たりを話すのが自然。


 にも関わらず、彼女の中の情報が七月で止まっていたのは何故か。それは恐らく、日にとってそれらしいものはなかったから。


 しかし恭介にはあった。進学を躊躇うような、何かが。


「それで、どうして進学を止めるなんて」

「安全の問題だよ」

「安全だって」


「今年の頭に、学校間を跨る大規模な不良集団の抗争があったことは知ってる?」


「ああ、うん」

「大勢の逮捕者と退学者、怪我人と火災を出した大事件だ、新聞にも載っていた」


 お祖父さんが厳かに頷く。今年の頭に起きた、数十人の学生たちの抗争。


 あれ、それってまさか。


「米神高校で起きた奴だよ」


 ごめんうちの人めちゃめちゃ関係あったよ。


「地域から不良たちはごっそり減ったけど、僕は改めて地域や学校の治安というものを、意識するようになった。だって、これから日と二人で通うかも知れなかったから」


 静かに、しかしはっきりと告白する恭介の顔は、事件の真相を詳らかにするドラマの犯人の様に険しく、それでいてどこか諦めの入ったものだった。


「結論から言えば、学校に行かないほうが身のためだってことだった」


「そうなんですかね」

「子どものためにも、学校に行かせたほうがいいという声は、小さくなったね」


 お祖父さんが眼鏡を外して、ポケットから出した眼鏡吹きでレンズを拭く。こんな物悲しいことに、説得力のある動きを持たせないで欲しい。


 でもそうか。他の人たちからすると、不安を煽られただけなんだな。当事者たちは決着を見ているけど、外側にいる人にはそんなの見えないし、関係ないもんね。


 このことに関しては何一つ大丈夫だなんて言えない。


「あの子のことを考えて、僕も体を鍛え始めたけど」

「もっとくだらなくて、やましい理由なら良かったのに」

「僕もそう思うよ」


 立派なことが喜べないときがある。とうしてこうも人間の人生というものは、皮肉に出来ているのだろう。無辜の少年少女がこうも悩む必要がどこにあるのだ。


「それで、学校に通わない理由として、高卒認定に目を付けたんだね」

「はい。僕は自分の本心を、隠したかったんです」


「どうして、どうしてそれを素直に言わなかったんだよ」

「言える訳ないだろ……!」


 思わず口を突いて出た僕の問いかけに、彼はせき止めていた苛立ちを、溢れさせた。疲れた声だった。


「自分が好きな人を守れないかもなんて、支えられないかもしれないって、そんなこと、日に言える訳ないだろ……!」


 膝の上で拳を握り締めた少年は、自分が選ぼうとしている恥辱に、体を震わせていた。これが、今まで隠し通そうとした、本当の姿、苦しみの裡だった。


 二人は同じことを考えていたのに、心は通じ合っていないのか。こんなことが許されていいのか、ああそれにつけても愚かだ。


「そっか、そう、だよね……」


 ミトラスよ、お前はあまりにも、愚かだ。

 知らずに友を辱め、今になって打ちひしがれている。


 あまりにも。あまりにも。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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