・無答責<That is that,This is this.>
・無答責<That is that,This is this.>
夕日に染まる町の一画、僕たちは図書館の中でもお喋りが許される『談話室』の一室を借りた。この頃は事前に予約をしないと使えない所も増えてきて、何とも世知辛い。
白塗りの無機的な壁。部屋の中央には長机と、安物のパイプ椅子。天井には力の弱った電灯と、掃除をしてそうにないエアコン。奥には電源の入らないテレビ。薄ら寒さと閉塞感がすごい。
あまり長居をすると精神衛生に悪そうだ。せめて窓くらい付けて欲しい。これなら外のベンチで話していたほうが、ムード良かったかも。
「それで、さっきのというか、まあ色々なことだけど」
「うん」
何処から切り出そうか。困るな、改まると。とにかく最初にすることは、彼女の自己嫌悪という自滅、自傷行為から、彼女自身を保護することから始めよう。
「あんまり思い詰めないほうがいいよ」
「ごめんね、心配かけて」
当たり障りのない言い方してこの様とか僕は馬鹿じゃないのか。もうちょっと踏み込めよ。二十字にも満たない一言で詰まるな。
「相手のことを羨ましがるっていうのは、誰でも少しはあると思うし、嫉妬って言ってもさ、本当に急じゃないか。前は気にもしてなかったし、今だけの気のせいだよきっと」
「うん、ありがとう」
く、駄目か。気持ちが既に決まってるというか、浸ってるというか、『自分なんかどうせ』みたいな傷心に酔ってるような気がする。心ここにあらずって奴だ。面倒臭い自己防衛をして。
梃子でも動かないというよりは、まるで流砂の上で霧に包まれたかのようだ。あ、今度そういう魔法を作ってもいいな。って違う違う。
「自分を許してみなって。恭介は君のテストの点数が、自分より低くて嫌だなんて言ったことないよ。悪いとか嫌だとか一旦横に置いてみようよ」
「恭介は関係ないの。あの子が人を見下すときは、相手の出来不出来じゃないし。これは私が勝手に気にしてることで」
「その勝手を今だけは止めようって言ってるんだよ」
落ち込むだけの自分勝手なぞ要するに自傷行為だ。止せ以外に渡す言葉はない。それなのに日は静かに首を振った。分かってないのは君のほうだぞ。
「それにさ、君は自分の将来をどうしたいと思ってるんだい。それによっては、君のほうから同じ学校には行ってあげられないって、そんなことになるかも知れないじゃないか」
「私の、将来……」
お、ちょっと食いついた。
「そうだよ。日にも就きたい仕事とか、やりたい事業なんてものがあるとして、そのために高校から準備をする、そういうこともあるでしょ」
僕が未来についての話をすると、彼女は俯いて何やら考え始めた。よし、ネガティブさについては、梯子を外すことに成功しそうだ。
「人生設計と、ぼんやりとしたのでいい。何かないの」
「お年寄りになってまで働きたくない」
「具体的には」
「四十の後半、遅くても五十くらいにはもう引退したい」
生々しい。こんな辛辣かつ深刻な未来航路ってある?
仮に彼女が大卒で働き始めてから、三十手前辺りで恭介と結婚して、子どもが生まれたとする。そこから四十の真ん中だと、子どもはまだ高校生くらいだ。
高校生の時分で親がリタイアしてる家庭って、こっちだと珍しいから、五十二歳くらいで子どもが大卒になるかならないか。確かに一人立ちしてっていう時期ならまあ、そう。
でもでも男性の旧定年退職の年齢までなら、後十年以上はある。そして一般的な男性はそこまで働いても老後三十年分の貯蓄は、持てない!
「うーん、共働きとかは考えてるかな」
「それはそうでしょ。一人で二人も三人も養える世の中じゃないもの」
良かった、まだ現実的な水域だ。だがここからどうする。
「これは内緒なんだけど、恭介は将来出版社を起業したいみたいなんだ」
とりあえず秘密を漏洩して反応を見て見るか。
「出版社って、本を作りたいの」
「そうみたい、でも日を自分の挑戦に突き合わせるのも、悪いって」
「恭介がそんなことを……」
選択肢を多く開示することで、幾らか視界は開ける。思い詰めて立ち込めていた心理的な暗雲を、これでどうにか撹乱したい。
「二人がこれからも一緒でいたいなら、どこかで譲り合う必要があるよ。それは高校の選択とか、職業の選択、あるいは人生設計の見直しを迫られるものだ。まだ中学生なのに、君たちは自分たちがどう生きて行きたいのか、見つめるときに差し掛かっている」
高校の次はたぶん二人とも、大学進学も考えるだろうし、そうしたら次は就職だ。共働きを視野に考える必要がある。人間の人生って忙しいなあ。
「ただ、二人の将来を並べて考えて見るとさ、どうも両立は難しいように思えるんだ。恭介が君を取ることは、君が恭介を取ることと同じじゃない」
「私たちが、どう生きるのかってことかな……」
サチウスが僕を自由にしたがったことが、僕が彼女に求めたことではないように。ときにお互いを想い合うことが相手を、引いては自分も傷つける。
「あと譲り合うとは言ってもね、全部はダメだよ全部は」
折り合いを付けて譲歩をするのは大事なことだけど、そのためには何を譲らないか、これを決めなくてはならなかった。無計画な優しさは、自分たちのためにはならなかった。
「まあそこはまだいいよ。今は先ずね、恭介を高校に進学させるなら、彼が行ってもいいと言える学校が必要だってこと。その上で君も悪くない学校生活を、送れるものでないといけない」
果たしてそんなものがあるのか。活力溢れ、進路を見出し、学校嫌いな少年相手に通じそうな学び舎が。本当に存在するのか。出来れば近場がいいよね。
「まあそこんところは、後で調べてみるとして。日は進路希望どこなの」
「できれば麦仏がいいかな、喫茶店のお姉さんがそうだし」
「なるほど。確かに良い学校だよね、制服も可愛いし」
彼女の制服姿か。うちの子の制服はあんまりだけど。そう、そうだよね。基本的に可愛い制服を着たいよね。何年も着るものだし。
「米神は」
「少し前まで治安が良く無くてねぇ、恭介も以前は行きたがってたけど」
おっと、意外なところから話題が出てきたな。優先度は低かったけど、今聞けるならそうしておこう。日になら彼も、理由を打ち開けているかもしれない。
「どうして熱が冷めたんだろう」
「うーん、去年の夏ごろだったかな、米神の生徒が来たんだけど、あまり気の持ちようとか、考え方が好きじゃない人が来たらしくて、それで」
どこかで聞いたような気がする。なんだろう、思い出してはいけないような気がする。
「ほら、私たちが小学生のときに、米神の旧校舎に行ったことがあったじゃない。あのときの女の人がね、すごく大きくなってたんだって」
サチコだ。栄さんのことでお邪魔したときに何かあったんだ。まさかこんなところに問題の原因が転がっていたとは。しかしまた何故。
「その後で米神やめようかなって言い出して。私も止めたんだけど『後ろ向きな結論には、別の都合のいい事実を引き合いに出して、肯定的にしたほうがいい』って」
あ、あいつめ人の言ったことを都合よく捻じ曲げたな。根性無しめ、僕はそんなことのために、格好付けた台詞を言ったんじゃないぞ。
「分かった、要するに自分の苦手な人がいるから、学校行きたくないってことだな。ご大層な御託を並べておきながら小心者め。困った奴だなあ」
これはちょっと矯正が必要だ。元々お喋りで嫌味な性分があった。直したとはいえ、その根っこにある身勝手さは消えてないんだろう。
将来のやりたいことも嘘じゃないだろうけど、理屈の立つ人が、あれもこれも関係があるように見せたがるのは悪い癖だ。相手に話を聞いてもらいたいという意欲が、乏しい割りによく喋る。
「待てよ、君たちが高校に行ったときには、もうその人は卒業してるんじゃないの。余計な心配っていうかさ、案外そのことを言ったらすぐに掌を返すんじゃない」
「そっか、あの人が留年してなければ大丈夫よね」
うん。そうだね。留年か。しないといいけどね。
「米神に今もその人がいないか、確かめられないかな」
「確か僕と同じ苗字だったはずだよ」
ていうか僕が苗字を拝借してるんだけど。もしも僕とサチコの関係がバレそうになったら、苦しいけど姉弟ということにしよう。
「そうなんだ。それなら電話で聞けそうだね」
「うん。ただ、恭介が学校に行く気を取り戻しても、問題が一つ残るよ」
「え、問題って」
「今度は麦仏に鞍替えするよう、説得する必要がある」
「ああ……うん……」
高校進学はできても、同じ学校に通えることは限らない。いやしかし、気持ちは分かる。好きな人と学校生活とか僕も送ってみたかったから。
「だからもし二人が一緒の学校に通うなら、最悪の場合、君のほうが学校の格下げを、しないといけないかも知れないよ。そこは頭に入れておいてね」
「ううん、いいの。大丈夫。最悪っていうなら、彼が学校に行かないことだから。私のほうが麦仏から、恭介に会いに行けばいいだけだから」
これは譲歩してるのかしてないのか。健気なのか傲慢なのか。個人の中で愛情と欲望の綱引きが、激しく繰り広げられているかのようだ。
「じゃあ少しは希望が出てきたって思って良いのかな」
「はは、そうかもね」
渇いた笑いを浮かべる日だったけど、さっきまでの重苦しさと空虚さが混ざったような空気は、鳴りを潜めたようだ。
「先ずは女の人のことを調べて、それも含めて恭介と話すんだよ」
「ありがとう、そうしてみる、臼居くん、ごめんね」
「それは節目を迎えるまで言わないの」
僕のほうもあいつに、説教の一つもしなければならない理由が出来てしまった。こうなったら性根を叩き直して、意地でも日との学生生活に叩き込んでやる。
あとは彼女の劣等感を、どうにかして払拭するか誤魔化せればいいんだけど。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




