・一人二役
・一人二役
頭に来ることがあっても、一晩寝て当人を前にしなければ『それはそれ、これはこれ』として振舞えるのが一人前の指導者である。
「僕らが将来どういうふうになりたいか、か」
「今の時点では擦り合わせが厳しいなら、もっと先の視点から考えるんだ」
「そうだね。一緒になるっていうことは、僕らも大人になって就職するってことだし」
翌日の焚書堂にて、僕は再び恭介と会っていた。雨が上がって晴れた街に、濡れたコンクリートの匂いと冷たい風が吹き抜けて、さながら五月の初めのようだ。
前と同じように、レジを挟んで向かい合う。少し痩せたみたいだ。僕の座っている古いパイプ椅子に座っても、軋まないかも知れない。
「君もここで働いているけど、所帯を持つには、二人で二人暮らし以上の稼ぎってのを、考えないといけないよ。この店が好きなのは知ってるけど、就労形態によっては巣立つ必要がある」
厳しい内容に対して、思い詰めないように言葉を選ぶ。言葉の重圧というものを甘く見てはいけない。飴と鞭、教育と躾の配分は、相手を見ながらやるものだ。
「うん、勤め人にならないと、養えないものね」
「恭介は将来どんな職業に就きたいんだい。僕はまだ考えてないけど」
「それずるくないか」
「君たちの事情が特殊過ぎる自覚を持てよ」
「う、それはまあ、そうだけど」
彼は不満げだったけど、言い返された言葉が痛いところを突いたのか、弱ったような顔になった。こんな悩みを抱えている人は、この変では彼らくらいだ。
「今日はこれで帰るけど、そこんとこ良く考えて日と話すんだよ。一々僕に報告はしなくていいから。後は誤魔化さずにちゃんと告白しな。じゃあね」
僕がパイプ椅子から立つと、彼は呼びとめて来ようとしたけど、結局何も言わなかった。これで計画の第一段階は成功。次だ。
店の裏に回りこみ、家の住所が書かれた首輪を装着。猫へ変身する。僕くらいともなると、黙っていても魔法が使えるし、服を脱ぐ必要もない。ちょっと味気ないけど。
でも高らかに変身! って叫んで誰かに目撃されても困る。かと言って叫ぶためにバレないよう結界を張るのも違う。秘密は難しいんだ。
なんて考えている間にも、視界が見る見る内に低くなる。完璧な白黒のふかふか小太り猫。僕とサチウスを足して二で割った理想の生物だ。明らかに裕福、豊かさの象徴。この状態で店に戻ってと。
「まー」
店の入り口で一声鳴くと、奥にいた恭介がやってくる。
悩みや心の傷を抱えた人間は、小動物が嫌いな奴を除いてほぼ確実に寄って来る。
サチウスの学校で培った経験だ。僕はこの姿で数多の学生たちを癒してきた。
「あ、お前また来たのか」
「むおう」
床に寝そべって背中をかく素振りを見せると、彼はその場に胡坐をかいた。痒くも無い背中を、雑にバリバリとかかれるのはあまり好きじゃないけど、ここは我慢だ。
「ボクの足で体をかくなよ」
「むぉーう」
「はいはい、ここが凝ってるんだな」
日向に寝そべることに止め処ない幸福を覚える。そこへ何とは無しに揉んだり触ったりする手が来る。恭介の観察眼は大したもので、人間の肩こりみたいなものが、猫にもあると見抜いている。
気持ちい良い箇所を揉ませて、止めたときに身を起こして傷ついた顔をして見せれば、なんと一度で覚えてしまうのだ。賢い。人間の子にしてはあまりにも賢い。
物語の悪役を怪物が務めているお話では、人間が侮られることは良くあるが、あれは根拠のある話なんだ。現実の人間は頭の悪い人のほうが圧倒的に多数派だから、いきなり頭脳明晰な人がぽっと出るほうがどうかしてるんだ。
「お前はいいよなあ。悩みとか無さそうで」
はい出た! 悩んでる人の発言率ナンバーワン! これはもう勝ったな。
後はごろごろしているだけで彼は自分の気持ちに整理を付けるだろう。
「ふるるるる」
「ボクと彼女も猫だったらなあ、いや、ボクは野良のほうがいいけど、彼女は家猫だろうな。流石に相手にまで野良になってくれなんて、無責任が過ぎるよなあ」
中々考えてるじゃないか。特別に爪を出さずに触ってあげよう。寝返りを打って尻尾で床をパタパタ叩いて。
「おっと。今度は反対か。よしよし」
ふふふ、猫になれば人間を飼えるとはよく言ったものだ。悪いな友よ、僕は今君を騙しているのだ。ああいけない、猫に変身していると何故だか気が大きくなってしまう。
「やりたいことならあるけど、彼女を付き合わせるのは」
「みあー」
「なんだよう、急に普通の猫みたいな声だすなよ。……やりたいことはあるんだ。ほら、うちって本屋だし、僕も同人誌作ってるだろ、だから」
うんうん、小説家とか漫画家になりたいのかな。或いは編集者になりたいのか。確かに既婚者が必ず離婚する仕事だから躊躇うよね。
「出版社を立ち上げたくてさ」
思い切ったなあ。
「起業自体はお金が無くても出来るし、今時は電子書籍で海外に販売するのが主流で、暮らしていけないほど些少な金額で、原稿料を買い叩くこともしなくていい。そのためには電子書籍用の原稿っていうか、プラットフォームの作成や、助手さんになれる人工知能の研究もしたいし」
専門用語が飛び出したぞ。参ったな、猫の頭では理解が追い付かない。なんだぷらっとふぉむーって。人工知能は分かるけど。アレだ、ロボットの中身。
「折角面白い漫画を描くのに背景が白かったり、線がガタガタだったりする作家さんって結構いるんだ。編集部も助手の一人や二人くらい、斡旋してあげればいいのにと思ってさ」
一理ある。サチウスも以前学校の先輩に任されて、パソコンで漫画の背景を描いていた。アレを自動で描いてくれるとなれば、漫画の質は底上げされるだろう。
同人即売会や通販で一つ二つ前のハウツー本を買って、勉強することもたまにあるし、機械にやらせれば、その辺の品質向上も自動化されるんだろう。
作業環境の規格統一が出来れば、自然と作風も纏まってくるだろう。面白いけど既存の雑誌の色に合わない作家を拾って、そこに合わせられれば主力の連載陣も揃えられそうだ。
むしろダウンロードサイトを雑誌の『てい』にしてしまえば。こうして考える分には面白そうだ。
「ボクは自分の好きなものの環境を、どんどん改善していきたいんだけど、そういう挫折や失敗が付き物の挑戦に誰かを巻き込むのは、ね」
「まう~」
思いも寄らぬ開拓者精神だったけど、確かに学校の勉強の範囲を修了しているなら、授業時間を別のことに充てたいと考えるのはもっともである。
「時間は幾らあっても足りないし、だから高校なんかに通ってる暇はないんだけど。日は行きたいっていう。三年の時間を取られるのはちょっと」
これは難しい。一般的に企業に就職するなら、周りと同じ経験、つまり『学校を卒業する形で学歴を獲得している』ことが大事だ。でないと容易く犯罪や嫌がらせの標的にされてしまう。
しかし彼は出版社を起ち上げたいという。
それも恐らく、漫画雑誌のみの。
となれば主な交流相手は漫画家。僕はよく知らないけど、漫画に描かれる彼らは自虐が多い。学歴のこととか、あまり考えなくていい相手なのだろうか。上司や編集者も高学歴とは思えない悪評が蔓延しているし。
いや、仮にそれが本当だとしても、ちゃんとした人を職員として雇いたいと思ったり、印刷業を始めとした他の業界の方と接っしたりするとき、高校を卒業してないということや、作法に則ってないことが何というかこう、失礼っぽい雰囲気になる場合もあるんじゃないか。
やはり安全策は大事だ。彼は高校に通えば時間が無駄になる前提で話してる。逆に考えれば、三年間が無駄にならない学校を選べば良いんだ。
ん、あれ。そういえば。
恭介って前に、米神高校に行こうか考えてるって言ってなかったっけ。人間に戻ったら思い出したって言って聞いてみよう。何か理由があって進学を辞めたのなら、それを解決すれば良いだけだ。
でも、単純に進路を決めたから選ばれなかった場合、可能性は薄いけど、社会通念辺りで一つ説得を試みなくてはならない。
ともあれこれで、進学に関して手がかりを得られたんだ。今日のところはこれで良しとして、次の行動に移ろう。
「なんて猫に延々語ってもしょうがないよな」
「もごもご」
「そうだ、爪切ってやろうか。あ」
ごめんね恭介、僕はもう行かねばならない。次に会うときは日の話を持って来るからね。決して爪切りが怖い訳じゃないんだからね。
善は急げだ。今度はこのまま日のいる中学へ向かおう。
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文章と行間を修正しました。




