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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
番外長編 猫の青田買い編
371/518

・似非暇人、走る

・似非暇人、走る



 と思っていたのに。


 気付けば夕方。僕は家の仕事と晩御飯の仕込みを終えて、日が通っている市内の中学校の前まで来ていた。同世代の子が私服でいるのが珍しいのか、生徒たちの視線がむず痒い。


 彼らは制服だけど、こっちは白い七分袖のポロシャツと、紺色の半ズボンに運動靴だもんな。彼らくらいの年齢だと、この服装はもう子どもっぽいのかも。


 白塗りの画一的な施設から吐き出される人間たち。控え目に見ても閉塞性の高すぎる建物に、これまた大きさの似通った生物が詰まっている。社会実験の観測所として、得られる情報は全部出たとはサチウスの弁。


 うちにも学校はあるけど、ここまできっちり狭苦しい感じにはなってなかったな。生徒の種族によって大きさが違うから、敷き詰めようがないっていうか。


 逆を言えば似た大きさや体型の種族を、人間の学校と同じように配置すると、同じ問題を起こすかもってことだな。


 単一で揃えてはいけない。

 帰ったら是非この対策案を活かそう。


 ――何処の子だろ。

 ――誰かの弟さんでしょ。

 ――えーかわいー。


 むふん、そうでしょうそうでしょう。こう見えて僕は身嗜みや外見には最低限気を遣ってるんだ。元は人前に出る職業だったし、職場には女性も多かった。何よりサチウスの好みを意識してる。


 女の子って『自分の好きなことを相手が意識してる』ってことに満足するものだけど、うちの人はそんな感性無いから、単純に好みの範疇を守ればいいから気が楽。


 それにしても日が出て来ない。生徒は無数に出てくるから見落としたのかな。いや、下校時刻ピッタリに来たせいだ。彼女が部活動に出ていたら、帰りはもっと遅くなる。


「早く来すぎたかなあ」

「あ、臼居くんだ」


 独り言を呟いた矢先、聞いたことのある声がした。振り向くとそこには、おでこが広いままの西(にし)(ひかる)がいた。また少し背が伸び、棒と筋肉って印象だった体は、幾らか女性的になっている。僕もだいぶ人間の男女の区別が付くようになったな。


「どうしたの、いつもなら図書館にいるのに」

「日こそ早いね。部活とかやってないの」

「今日は無いのよ」


 そうなのか。何部なのか気になるけど、用件と関係無いから聞かないでおこう。コミュニケーションにおいて、話題が少ないのは良くないって言うけど、人の数だけ地雷があるし、引き出しの数だけ空振りもある。


 なまじ良く喋ると相手によって、口数の差で区別しているのがバレるので、その辺は一長一短という奴である。


「そっか。いや実はね、うーん」

「待って。当ててあげる。恭介のことでしょ」

「ええ!」


 彼女は顔の前で左手の人差し指をピンと立てると、手掛かり一つ出してないのに、答えを言い当てて見せた。得意げな顔と額が、夕日を受けて輝いている。


 冷静に僕のことや、日のことを考えれば分かることだけど、彼女にそれだけの知能が備わっていたとは。自分や物事を客観視するなんて大人でも難しいのに。成長してるなあ。


「合ってるけど、どうして分かったの」


「臼居くんが図書館にいないときって、私たちといるときだし。それに自分の用事があるのなら、図書館で会ったときに言うでしょ」


 その通りだ。僕の行動拠点はこの街の図書館だから、会おうと思えば会える。しかも彼女はお節介というか、週に一度は僕の様子を見に来てくれる。ちなみに恭介のところには、毎日行ってるみたい。


 いつの間にか格差が出来ている。


「急ぎじゃないならね」


「でしょ。でも急いだことないし。だったら自分以外の用事で来たんじゃないかなって、それで臼居くんの友だちって、恭介しか知らないから」


 恭介しかいない、とは言わなかった。言葉まで選んで、人間の成長って本当に凄いな。育つ子は本当に育つ。人類はサイコロのようだ、一から始まって、全人口の最大までの出目がある。あまりにも差が激しい。


「お店に寄ったときに何か頼まれたんでしょ」

「おー凄い、完璧です」

「私だって勉強してるからね」


 真っ直ぐな言葉は自信の表れ。ガンガン頑張ってどんどん前へというのが、日の基本的な姿勢だ。敵と味方がはっきり別れる気性の持ち主とも言える。


「それで、恭介は何だって」

「最近君が冷たいんだって」


 僕はてっきりここで、強気な反論の一つもされるものと思っていたけど、予想に反して日の顔から笑みが消えた。


「あー、うん。そっか」

「何か心当たりがあるの」


「……場所変えていいかな」

「どうぞ何処でも」


 ばつが悪そうにしながら、日はその場から歩き出した。程なくして辿り着いたのは『東雲』という喫茶店だった。


 この春から大学に通い始めた一人娘が看板娘の、問屋と一体化した喫茶店だ。サチウスが以前アルバイトをしていた場所でもある。


「いらっしゃいませ」


 日焼けした肌に少し髪の毛が伸びた海さんがレジにいた。今やすっかりお姉さんって感じだ。


 僕たちはそれぞれ飲み物を注文し、レジ前に置いてあるパンを幾つか買って、奥の席に着いた。上から降って来るラジオの音は、無関係な交通情報を垂れ流している。


「ここに来るのも久しぶりだね」

「臼居くんとはね」


 何故そのような言い方をするのか。言葉の裏側に『彼氏とはよく来てます』という雰囲気を滲ませる必要はあったのか。時に人間は妙な言い回しをする。


「恭介とはよく来てるんだ。なんで揉めたの」

「ああ、それはね」


 日はまだ話が続いていたのかと言わんばかりに嘆息した。それはそうだろう。その場が終われば話題も終わるというのは、男性的な考え方だ。しかし僕は今女性と話している。見込み違いだね。


「現実を見ろって言ったんだって」

「……うん」

「君らしくない言い方だね」


 偏向はあるだろうけど、二人は所謂一つの幼馴染で、お互いの長所も短所も見慣れているはずだ。少なくとも僕よりはずっと。その彼女が、取り分け大きく濃密な現実である恭介に、こんな言葉を投げつけたことには違和感を覚える。


 出来ることにはポジティブで、恭介のことも認めていたはずなのに。


「私もね、良くなかったなって、思ってる」

「うん。自分で自分の人生を手繰り寄せる人だよあいつは」

「分かってる。恭介がすごいことも、私と違うってことも」


 そう言って日は、自分の注文したアイスコーヒーを飲み始めた。シロップを二つ入れるだけ。一方でも僕はトーストを齧りながら、ジュースに口を付ける。


 黄粉と黒蜜が塗られた食パンと、季節の果物を搾ったジュースの組み合わせは、甘さの多層構造であり連合だ。それでいて何処とも衝突しない完成度の高さを見せる、さながら理想の職場。


「最近ね、どんどん頭が良くなってるの。学校に行ってないのにだよ」


「取りこぼしとか無いの」

「体育と道徳くらいじゃないの」


 塾通いの日が置いてきぼりを食らうほどだから、恭介は学業面においてはよっぽどなんだろう。本人は勉強好きで、体まで鍛え始めたからいよいよ弱点はない。道徳も人より潔癖なきらいはある。家庭科や音楽も、うーん。


「因数分解の現実的な使い方とか言って、格闘技やスポーツの試合の分析をし出して。私そういう目で見てなかったのに、もうそうとしか見られなくなって」


 何それすごい気になる。


「高校卒業の資格を一緒に取ろうって言われたとき、過去問やってみたけど、私全然解けなかった。恭介は簡単そうに言ってたのに、ああ、やっぱり恭介って頭いいんだなって」


 それはそうだろう。彼女はまだ中学二年生だから、高校卒業までの勉強はこれからなんだ。学校に行ってないから、学校で教えることの先まで勉強している。これがあの細目の若旦那なのである。


 しかし向上心や好奇心は、彼女にとって理想のタイプっぽかったのに。どうして冷たいというか、距離を作るようなことを言ったのか。


 疑問の答えは直ぐに伝えられた。


「だから言えなかったの」


 日は俯いて、悲しげに目を閉じた。


「同じ学校に行きたいって、言えなかった……」


 吐き出された疲れには、血の滲むような痛みが滲んでいた。ああ、なんということだ。


 日は恋と理想に打ちのめされているのだ。


 自分の理想がこの世に存在する。


 その意味を知ってしまったばかりに。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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