・将来像の不一致
・将来像の不一致
と思っていたのに。
「いやいやいやいやちょっちょっちょっちょ」
「何だよ店を空けるなよ横を併走するなよ」
彼女が冷たいとか言い出した友人を置いて店を出ようとした矢先、その友人は結構な軽やかさで、店から飛び出して来た。
髪の毛が横に棚引き背中が見えるほどだ。
「そこはもっと話を膨らませるところじゃないの」
「人の恋愛事情に踏み込むほど僕は野暮じゃないよ」
「通常はそれで良いと思うよ。でも今はそういう場面じゃないでしょ」
恭介は梅雨寒の中でもはっきりと汗をかいていた。動揺し過ぎなのに、目は細いままなのが、失礼ながらちょっと面白かった。
「事情は知らないけど破局の危機なんでしょ」
「これでも努力はしてきたんだよ!」
「具体的には」
この人どこまで付いてくるつもりだろう。あんまり店から離れて、泥棒が入ってもいけないし、しょうがない。店の近くをぐるぐるしてやるか。
「お喋りと嫌味と早口の三点を直した!」
「頑張ったなあ。道理でまともなイケメンになってきたと」
「やっぱりボクってそういう目で見られてたんだね」
他に直したほうが良さそうなのは、普段の何処か飄々とした態度くらいだけど、あれは似合ってるからいいか。体も前より引き締まってるし。
「そういえば体鍛えてるんだっけ」
「ああ、自分でも色が白いし貧相だなって思って」
大方彼女と泳ぎに行った際にでも、意識するようになったんだろう。見せられる裸を作れって恋愛の啓発本にあったな。
意識したことなかったけど、案外正しいのかも。
振り返って見れば、僕はサチウスにお腹のお肉のことや、筋肉のことで注文をつけていたけど、僕自身の体を、彼女の好みにすることは考えてなかった。傲慢だった。
「努力してるんだね」
「いやあ君だって大事な人が出来たら頑張れるって」
「じゃあ僕はこれで」
「あーだからちょっと待ってよ!」
惜しい。もう少しで彼を撒けたのに。
これはどうあっても、話を聞かないといけない流れのようだ。
相手が知り合いだからまだいいものの、こういう付き纏いって警察案件になるだけあって、相当嫌な感じがしてくる。
色んな物語で追い詰められて必死に取り縋る人と、それを無碍にする悪人の描写ってあるけど、とんでもない。これはかなり鬱陶しい。
嫌がられる行為だよこれは。
「あんまりしつこいと日ちゃんにこのこと話すぞ」
「え、アリだけど」
「ええ……」
日がしつこいって言ってたって、告げ口されたら、立場が益々悪化するのでは。いいのか君はそれで。
相手の罪悪感に一縷の望みを賭けるとか正気か。
「とにかく話だけでも聞いてよ」
「僕に彼女はいないよ」
嘘だけどね。悩める思春期の少年に、言うことじゃないから黙っておくけど、僕はもう長いこと、事実婚状態の女性と同棲してる。
式も挙げたいし子どもも欲しいけど、当人がどっちも望んでないのが辛い。
こういうのって一般的には、駄目な男の言い分じゃないの。それらに夢とか幻想とかを、欠片も抱いてないのはどうなの。
「他に友だちがいないんだからしょうがないだろ」
「まあ、僕たち学校通ってないからね」
恋の悩み相談どころか、普通の悩み相談をできる相手もいないのか。
そっちはご家族で事足りるか。いいや、これ以上街中をうろつきながら、喋るのも疲れてきたし、ここは同年代のフリをしていた、ツケが回ってきたと思って観念しよう。
「分かった。一旦店に戻ろう。椅子と飲み物くらいは出せよ」
「ああ、うん。ありがとう、急いで戻ろう!」
そうして歩くこと五分、再び『焚書堂』へと戻って来た僕たちは、レジを挟んで向かい合った。
出して貰ったパイプ椅子の、座り心地は良くない。どうでもいいけど店の名前が物騒だから、いい加減変えればいいのに。
「で、こうして戻ってきてしまった訳だけど」
「はいお茶」
「ありがとうございます」
出されたのは淹れたての緑茶で、良い匂いがする。お茶の苗木も持って帰りたいけど、果たしてうちの世界でも育つかな。
「日が冷たいって話だったね」
「ああうん、そうなんだ」
恭介は少し俯くと、ぽつぽつと事情を語り始めた。外はどんどん晴れていってるのに、こっちは湿っぽい空気になりつつある。
「僕たちも中学二年生になっただろ」
「そうだね。学校行ってないけど」
「いいんだよ、本分は他の子より進んでるんだから」
恭介は学校に行ってないけど、塾に通ってる子よりもテストの成績が良い。学生の本分は勉強であり、学校は社会生活の練習の場という、二つの論点が学校側にはある。
しかし彼は学業面において、独学で高校生の範囲に及んでいるし、社会生活という点では、実家の本屋で働いて、実戦の場に出ている。
子どもの芸能人だって、新聞配達だっている。子どもが就ける仕事だからといって、簡単とは限らない。大人が勝手に決めてそう呼んでいるだけだ。
第一僕みたいな管理職だっているんだし。
「……進んでる分にはいいと思ったんだけどね」
「どういうこと」
「日は普通の子なんだ。だから進路のことで」
恭介はそこで言い淀んだ。何となくこの先が予想出来る。
「進路のことで」
「同じ学校に行こうねって言われて」
「はい解散」
「待って、これから! これからだから!」
ここから君がどんな失言をして揉めることになったのか、僕は知りたくない。この時点で君の落ち度は1,000%。
清濁併せ呑むのが人生のコツとはいえど、成るべく濁りを増やしたくない。
「僕は言ったんだ。それも悪くないけど、二人で高卒認定取って、三年間のびのび好きなことに打ち込んだらどうかなって。そうしたら彼女は『そろそろもう少し現実を見ようね』って」
高卒認定というのは、高校を卒業していない人でも『そのくらいの能力はありますよ』という保証書と、それを貰うための試験のことだ。受ける科目が多く範囲も広い。なので難しいってサチコが言ってた。
「簡単に言うけど、高校生になりたての時期に、高卒認定なんて受かる訳ないだろ。そんな擬似的に飛び級するような真似。一般的じゃないってことは、基本的に困難ってことなんだよ」
「そう思うだろ。でもうちには過去問もいっぱいあるし、自分でもやってみて、彼女でも出来そうと踏んで言ったんだ。コレをよく見て欲しいんだけど」
そう言うなり恭介は店の奥へと引っ込むと、分厚い紙束と参考書を数札持ってきた。
「今年から三年分の問題を解いて、自己採点したものだよ」
「暇な奴だな。どれどれ、うん、年々点数上がってるじゃない」
「違う。問題が簡単になっていってるんだ」
彼は細い目と目の間に深い縦皺を刻み、途端に厳しい表情になった。
「一部で日本国籍も学歴もない外国人が増え過ぎて、已む無く緩和してるんだろうけど、これは特需だよ。学歴特需。本当に高校三年分、真面目勉強する必要はないんだ。日が一年目に受かるのは無理でも、三年あれば必ず受かるよ。断言できる」
嫌な意味で勉強になるなあ。こういうワインの当たり年と、そうじゃない年の区分分けみたいなの、一々しなきゃいけなくなるのは、面倒臭い。
特需の年の認定生は似非、そんな学歴テイスティングなんかしたくないよ。
「要は高卒認定を取って、二人で好きに生きようってことね」
「そういうことだよ」
「君の気持ちは分かったけど、なあ、日ちゃんの気持ちは考えたのかい」
そう尋ねてみたところ、彼は無言で腕を組んで考え込んだ。時折細い目が開かれることもある。その様をお茶を飲みながら、じっと待つ。
「ボクと学校に行きたいと思ってるし、ボクが一緒にいたいと思ってるのも日は知ってる。でもボクは学校が好きじゃない。正直行きたくない。関わり合いになりたくない」
恭介はきっぱりと言い切った。
お互いの好意をきちんと把握している上で、主張をしてくる。気持ちがいいけど困ったものだな。
「日がいれば学校生活が素晴らしくなるんじゃなく、我慢ができるってくらいなんだよ。それくらいボクにとって学校には価値がない」
これは世代と地域によって生意気と思うか、同意を得るかが分かれる発言だ。
「でも向こうは、そう思ってないんだ。だからボクの価値観に引いたというか、冷めたんじゃないかって。たぶんだけど」
粗方言いたいことを言った後、彼は溜息を吐いて、少し温くなったお茶に口を付けた。気付けば彼も手足が伸びて、背も高くなった。人の手に余る美形に育ちつつあるのか。
「そっか。じゃあ僕が口を挟む余地はないね」
「ごめん。でもこうして話せてすっきりした」
「気にしないでいいよ。お茶、ご馳走様でした」
湯呑みを返して席を立つ。店の壁に掛けられた時計はもう、お昼を過ぎかけていた。
随分と時間を取られたな。この後一度家に帰って、夕飯の買い出しにでも。
「それでね臼居くん」
「なんだい」
「一つ頼みがあるんだけど」
な、なにがそれでねなんだ。
何をさも当然のように話を繋いでくるんだ。奇妙な困惑と恐怖を覚える僕を他所に、恭介は続けた。
「日の学校が終わるのって四時半なんだ」
「それで」
「彼女が今どう考えてるかそれとなく聞いてきて欲しいんだけでゅッ!」
僕は彼に無言でチョップをお見舞いして、急いで店を出た。五分ほどして来た道を振り返ったが、今度は追いかけて来なかった。
しばらくあの店には近付かないでおこう。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




