・レベルアップ≒進化
新章開始です。
今回長いです。
番外長編 猫の青田買い編
・レベルアップ≒進化
土日の前の金曜日の夜、外は雨が降っている。今年も梅雨の季節がやって来た。よく部屋干しすると屋内が臭くなると言われるが、洗濯物を乾かすために扇風機に回すと、洗剤の匂いが広がるばかりで言うほど臭くはならない。
二人暮らしで洗濯物の量が少ないので、コインランドリーを使う必要もそんなに無い。制服というだらしなさとコスパを両立する衣類を、一年中ずっと着倒しているんだ。それこそ小まめに洗う必要のある服など、体操着くらいのものだ。
とはいえ換気は必要なので、雨が入らない程度には窓を開ける。却って余計に部屋の中の空気が篭ってしまいそうだが、外の空気が青く冷たく気持ちが良いので、ついついやってしまう。
「うーん」
僅かに開け放たれた窓から入る、濡れた夜気を嗅いでいると、ファンタジックな緑髪に猫耳を生やした少年が、感慨深そうに小さく唸った。
「どうしたミトラス。もしかしてブリーフが縮んでたか」
「そんなんじゃないやい。んもう君ってば新時代が来たっていうのに」
「ああまたそれか。お前その話ほんと好きな」
「僕も魔王の息子だからね」
「帰ったらちゃんと魔王になろうな」
「今ではそれも吝かではないよ」
あしらうつもりで言ったのだが、ミトラスは腕を組んで深く考え込んでしまった。彼は異世界の魔王の息子で、まだ正式には魔王になっていない。
親が俺とは別の方向にろくでなしだったせいか、水を向けると決まってはぐらかしていたのだが、先月に時代がまさかの新元号を向かえたことで、謎の意識改革が発生してしまったようだ。
「君はちゃんとニュースを見なさい」
「毎日のようにやってたから見たよ」
俺は清水と第二部室の件にかかりきりで、世相の熱狂に完全に置いてけぼりを食らった。間が悪いというのはこういうことか。彼女を手元に留めたのは、一応は部のためにはなったろうが、俺個人の良心が満足したかというと、そういうのでもなかった。
漠然と自分のためにはならなかったな、っていう感じが今もしてる。せめて追い出せば、物理的に保身ができたという得があったのだが。清水とまだそこまで仲良しでもないから、気持ちとしての価値もまだ発生しない。
止そう。稟議書を会議に提出したら、連盟してくれてる部員たちも乗り気になって、三期払いしてくれるってことに纏まったんだし。
しかも何人かは千円で払うと言ってくれた。こうして後になって、良かったといえる事態に発展したんだから、それで良しとしよう。
「偉そうにふんぞり返るんじゃなくて、ああやって御歳を召すまで、人生を捧げて務めに努め続けるというのは、言葉に代え難い素晴らしさがあるよ。辛いこともいっぱいお有りだったでしょうに」
敬語になってる。こいつ地元でおじいちゃんに良くしてもらってたせいか、お年寄りの活躍に滅法弱いんだよな。魔物のくせに。
「いつもその辺で馬鹿なことばっかりしてる、ちんけな木っ端人間共が、あのときばかりは大人しく、固唾を呑んで、或いは傅きながら、労いや敬意の念を持って見守っているのを見て、僕は初めて君の国を羨ましいと思ったよ」
彼はしみじみと頷いた。歴史と悪くない偉い人がいるからこそ、国家とか民族って一体感を得られるし、その土地に住む人間の空気が作られて、街の匂いって奴になっていくんだしな。所謂『ルーツ』って奴。
「人々の基本道徳と国家の道徳が並び立つのは稀有だよ」
ミトラスはその後も熱っぽく語り、異世界に帰ったら魔王軍を再興して、行く行くは国を作っちゃおうかとか言い出した。そろそろ止めるか。
「ミトラス。俺レベル上げたいんだけど」
「あれ、もうそんな時間なの。うっかりしてた」
いや別に時刻まで決めてやってないけど。でもいいや、このままレベルを上げて、政治熱に燃える少年をやり過ごしてしまおう。
「何気に二回レベル上げてないし、使う3,000以外の成長点は皆取ってあるから、今もまだ一万点くらいの残高があるんだよな。特技と知能に至っては更に3,000余ってる」
数え直すと結構成長し忘れてる。自己管理がなってない。
「へそくりみたいだね。でもこれは高いパネルをガツンと取得するチャンスじゃないの。僕としてはここらで巨人以外の新しい形態を獲得するべきだと思うんだけど」
「いいけど、お前は俺を獣人にしたいのか、悪魔にしたいのか、それとも昆虫系にしたいのか、或いは魔法少女みたいにしたいのか、肌の色や角はどうするのか、何よりその後俺を女と思ってエッチができるのか、ちゃんと考えてから言ってるんだろうな」
俺としては不可逆な変身は嫌だ。その上でまだまだミトラスには女として見てもらいたいし、性的な営みだって続けていきたい。魔物を家族で異性と思い難いと前に言われたし、そこは保証して頂かないとこちらも気乗りしない。
「うーん、そこなんだけど、難しくって」
仮に機械系とか言われると詰む。改造手術なんか受けられる当てはないし、俺も我が身が可愛いから、絶対に却下するつもりだ。
「とりあえず、一通り試して見て貰っていいかな」
「そうだな。実際にどんな感じになるのかっては大事だし」
「それでその、やましい気持ちになれれば、それで」
彼氏のストライクゾーンの範囲内で、変身する異種族を決める。なんだろう、この言いえぬ虚無感。我侭を言うなら、どの俺でも良いって言って欲しい。
何故ってこういう場合、実質これ一択とか一強みたいなのがあるケースが常だし。出来ればベストな形態を選択して、それを受け入れて貰えるのが、円満ってものじゃないか。
まあそれも試してみないと分からないんだけど。
――そして三日後。
「どれもいまいち」
「嘘を吐くんじゃない嘘を」
肉体のタブから一通りの異種族というか魔物というか、そういう形態のパネルを何度か取得した。その度に軽く体を動かしたり、テレビでステータスの伸びを確認したり、最後にミトラスの反応を視てみたのだが。
結論からいうと全部セーフ。どころか何時に無く張り切られてしまった。おかげで昼間のバイトが辛いし、周囲にバレないか冷や冷やした。
「土日と祝日の夜が全部潰れるとか頑張り過ぎだろ」
「いつもと違う外見でするのに加えて、魔物化した君とするのは、何だかいけないことをしてるような気になって、とても興奮しました」
コスプレと背徳感で性的興奮に拍車が掛かったのか。共犯ながらこいつも大分堕落したな。いや別に落ちぶれたり弱くなったりはしてないんだが、経験を積むほど一緒にだらしなくなってる気が。
嬉しいような悲しいような。
「ともかくパパッと決めてしまおう。これ以上引っ張るとたぶん先に進まないぞ」
「そ、そうだね」
という訳で今回取得するパネルは次の通りである。
『悪魔化』:能力が全体的に強化される他、一部の異種族への形態を取得する際に、前提として必要となります。変身時には肌と目の色を任意の色に変えられます。変えないままでいることも可能です。
これは3,000点払って取得したものだ。能力を発現させても見た目が変わらないというが大きい。本気を出しても人間のままだ。
『鬼化』:変身時は体力を筆頭に強化されます。『獣人パネル解禁』『アンデッド化』『悪魔化』の三パネルを取得している必要があります。また魔法タブに『妖術』の項目が追加されます。
如何にも強力そうでしかも馴染みのあるこの単語。7,000点で取得して試すと、肌が赤くなり体もまたデカくなる。何事も特化したほうがいいと判断してのこと。
異世界にも物理特化してて、どうやっても勝てそうに無い奴がいたし、それでなくても、普通に強い魔物や人間がウヨウヨしている。銃もあるし。
とかく事故や病気や暴力が満ちる人生で、無事に生きていくには体力が大事だ。強さよりしぶとさ。これが今時の女子校生の価値感よ。
ただ変身先をいっぱい持っても、変身のやり方が分からないんだけどな。
次に知能。
『極限集中力』:肉体的、精神的な或いはその両方で窮地に立たされた際に効果が現れます。混乱と動揺を低減し集中力を高めます。
燃えるシチュエーションを要求する割りに、効果は地味。でもこれ一万点もする上に、今まで無かったパネル。たぶん先月の清水に尾行がバレかかったときのことが影響したんだと思う。
きっと強い能力なんだと期待して、何より恥を飲み込むような気持ちでこれを取得。これで自分の糧にしたという言い訳が出来る。
次に魔法。
『合体・合成』:別々の魔法を組み合わせて別の魔法として再構築することが容易になります。また別系統の術同士での合成が可能になります。
「なんかちょっと気になること書いてるな。前のほうが容易で後ろが可能なのか。練習すれば出来そうではあるもんな。この説明だと火+火が炎になるのが合体で、火と石で焼け石の合体が可能になるのが合成って理解でいいのか」
「その認識で合ってるけど例えが」
うるさい。分かり易ければ良いのだ。そして消費は一万点。要求に恥じない強い能力のはず。惜しむらくは俺がファンタジーでぶいぶい言わせるような、魔法使い系じゃないことだな。
最後に特技。これは二つ取った。
『小声』:出せる小声の限界が上昇します。『大声』『声量強化』を取得しているとこのパネルの取得に要する成長点が増加してしまいます。
声量のほうは取ってないけど『大声』は持ってるな。でも取れない訳じゃないから取得。これで俺はアホみたいに大声を出せる一方で、蚊の鳴く様な声で話せるようにもなった。
『滑舌』:滑舌が改善し喋る速度が調節可能になります。
ちなみのこれの下位に当たるパネルに『早口』がある。単純に喋るスピードが上がるだけ。上位スキルを取ると、下位スキルが要らなくなる現象が発生したのは、何気にこれが初めてじゃないか。
こちらは小声がなんと6,000点。声量強化を取っていたら更に点数が必要だったんだろう。『滑舌』の4,000点と合わせて一万。
何故これを選んだかというと、ミトラスが俺の声の大きさに、段々としんどくなって来ていたことが、この三日間に発覚したから。そのときは顔から火が出そうだった。
「これである程度声を抑えてできるね」
「ごめんね、大声で」
「君の家だから気にしなくていいよ」
だったら言わなくてもいい事実があったんじゃないかな。でもこの件に関しては、これ以上触らないほうが俺のためだから黙る。
「それよりも一つ気になるパネルが増えてたんだけど」
「あ、うん、どれどれ」
話を変えるべく、やや棒読みながらミトラスの指差したほうを見る。そこには一枚のパネルがあるのだが、おかしなことに、それには肉体や知能を示すタブのマークが無かった。
『不滅の魂』:???
「どういうことだ。こんなの今まで無かったような」
「成長点は幾つ必要なの」
「分からん。リモコンで操作しても反応がない」
魂そのものが不老不死の生物であるとは、以前に他ならぬ魂の親玉みたいな奴から聞いたけど。魂は不死に耐えかねて精神がいずれ発狂するか、その親玉に吸収されてしまうという話だったような。
「もしかして何度も危ない目に遭ったからかな」
「いや、もしかすると『今も』かもよ」
ここに来て急に謎が発生したな。思えば俺というちっぽけな人間が、ここまで運命に翻弄されて、我が身を魔改造してるんだ。そろそろバグが発生したのかもしれない。
「つっても今はかなり安定した暮らしはしてるぜ」
「うーん、しばらく様子を見るしかないね」
最悪また恥ずかしい格好をして、あの魂と接触しないと駄目か。あいつ俺に死んでくれって言ったから、敵対して別れたんだよな。嫌だなあ。
「そういやフリーの成長点が丸々一万余ったな」
「取って置こう。たぶん必要になるから」
やれやれ、最後の最後で妙な緊張感が残ってしまった。不滅の魂ねえ。これまでで一番多く成長点を消費したのは『きれいな遺伝子』だけど、こっちは何だか嫌な予感がする。
「分かった。じゃあもう寝よう。そして来月まで忘れよう」
「僕も最近そのスタンスを理解できるようになってきたよ」
なるようになる。そう思うことにして、俺たちはテレビを消して自室へと引き上げた。しかし何故だろう、あのパネル、取ってはいけない気がするのに、取らなくてはいけないような気もする。
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