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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
開かれた扉編
360/518

・使用済みの部室

・使用済みの部室



 清水がいなくなった。


「やばいな……」


 俺は途方に暮れていた。現在は十連休の五日目。今日見つからないと、奴とは三日連絡を取れていないことになる。斯様な心配事が頭にあると、折角の朝ご飯も美味しくない。


 昨日アガタの家でバイトして、客が手付かずで残した食べ残しや、おまけでお裾分けしてもらった豪華な料理の数々、ちゃんとした中華料理。いややっぱり美味いわ。


「本場で鍛えた料理人となるとね」

「この海老しんじょうの揚げ物とかこれだけで米が進む」

「主食足りないよねえ」


 一品一品がそれだけで食事を済ませられるほどの味付け。レンジで温め直したはずなのに、べったりメトメトしていない。未だ残る香り。


「芳香剤を焚き過ぎて家中臭くなってるからありがたいわ」

「このところちょっとハリキリ過ぎたね」


 人の結婚式を見たり遊園地行ったりしたことで、俺たちのモチべはぐーんと上がっていた。家の中でも盛ったので、匂い消しに消臭効果のある芳香剤をふんだんに使用し、家中が別の種類の臭いを放っている。


「おいおいもっと張り切ってよ。ほらあーん」

「あーん」


 ミトラスの口に小麦色のおかずを放ってやり、自分も同じものを食べる。


 パン風の生地で作った揚げ餃子、その中身はヤシの新芽とキャッサバが使われている。辛口でカレーよりの風味も良いが、調味料と親和性が高くご家庭にあるものを雑に塗しても味が崩れない。


「いやー私もね、朝から揚げ物は流石にと思ったんですよ」

「ええ、ええ」


「でもこれが凄いねえ、さっぱりしてる。ほんとに揚げたのってくらい」

「ええ、ええ」


「どうしても油を使う量が多くなっちゃうから、如何に油っこさを抑えるかってことに工夫してましてねえ、食材が油をあまり吸わないように下拵えしてね、油も食材に吸われ難いものを選んで、最後に揚げた物をちゃんと紙に吸わせてるんですよ」


「徹底してますねえ」


「おかげさまでね、一品当たり油の量は、そうしないで作ったものの、なんと三分の一以下にまで減るんだそうですよ。アガタが自慢げにしてましてね」


 バイト先の一人娘は絵を描いていて、家のことをあまり手伝わないとは母親の弁だが、そんな娘は俺が貰ったご飯を食べているのを見かけると、必ず解説を入れるし、未だに俺より料理が上手。


「娘さんの細腕でねえ、中華鍋振れるんですよー」

「凄いですね」

「それで私が作った炒飯よりも美味しいんですよ」


「世の中は広いですね」

「本当に。こっちのブラジル系のスープを素に作ったビーフンなんかもうね」


「ご飯アンドご飯になっちゃって敵わないですね」


 などと会話が弾むくらい美味しい。ごめんな清水。お前の安否別に大したこと無いわ。


『ご馳走様でした』


「さて、これからどうしようか」


 今日ミトラスは家事当番じゃないから出かけてしまったし、食後の片付け自体も終わったので、俺は依頼主に連絡することにした。


 飯泉と川匂に電話をすべく連絡先を確認する。うちは電話の横に連絡網を置いてあるから、直ぐに参照が可能だ。


 携帯電話あったら一発なんだけどね。


「先ずは飯泉だな」


 声に出して国内にいるほうの後輩へ電話をかける。そろそろ旅行から帰って来てるはずだ。コール音が数回、ああでも何て言おうか。とりあえず初手謝罪から入って正直に話そう。それから心当たりを聞くなり判断を仰ぐなりする。


『もしもし飯泉です』


「あ、もしもし。飯泉さんのお母さんですか」

『あらサチコさん、(かおり)ならさっき走りに行っちゃったわよ』

「じゃあ携帯電話の番号分かりますか、駄目なら伝言とか」


 学校入りたての娘に無茶を言い、二週間に渡って夜の合宿モドキ行った俺の評価は宜しくないが、飯泉が部勝負の一件をかなり肯定的に伝えたのか、最終的に彼女の親御さんとは、こうしてお話ができる程度の距離感に落ち着いた。


『あの子鍛えるときは電話持っていかないのよ。作業をするときは『電話を断たないといけないんだ』って言って聞かなくて、困っちゃうわよねえ』


 いるよなそういう奴。作業のときはネット断ちをしろとは良く言われる言葉なので、出来ていると言えば出来ている。現状にとって都合は良くないが。


「そうですか、それなら俺が学校の第二部室にいるからと伝えて貰えますか。でも戻るのが遅くになるなら別に言わなくてもいいです」


『うーん、お昼頃になると思うけど良い』

「いいですいいです。お願いします、失礼しました」


 よし、着替えて戸締りして学校へ行こう。玄関を出てチャリに跨り見慣れた町を走る。この自転車ももう小さいな……。


 いかん、ちゃんと清水のことを考えなくては。あいつは一昨日から来なくなったんだ。最初は結婚式の翌日で疲れたのかと思って気にしなかったが、昨日も来なかった。


 念のため作っておいた、第二部室の愛鍵を持って様子を見に行ったが、中はもぬけの殻。もぬけって何だろう。今度調べとこ。


「もしやこれが放浪癖って奴なのか」


 ペダルを漕ぎながら独り言を呟く。


 居る場所を自分から明言したり決めたりしてたのに、ふらっといなくなってしまう。落ち着き無く動き回っていても、予定を守る奴らばかりだったから知らなかったが、もしかして本当にじっとしていられない人種なのか。


 いや、だとしてもだ、俺の家に金を受け取りに来ないのはおかしい。全部受け取ったらバックレる気になる、そう言ったのは清水だ。だから様子見の報酬を、回数を分けて渡すことになったのに。


 いい加減な気持ちから『いいや別に』って、小学生が夏休みの絵日記を、やらないときのようになってしまったのかも知れないが、それならそれで『やっぱりいいです』と一言あるものだろう。何かあったのだろうか。


 清水が仕事先で叱られて行きたくなくなったから、退職届けを出さないまま出勤もせず、自然消滅からのクビを待つクズバイトみたいな性格をしていたという恐れもあるが、現状確認は取れていない。


 ああ放置してえ。全力で放置してえ。こんなことになると分かっていたら、引き受けなかったのになあ。どうしてこう休みに問題を起こすんだ。休みが勿体無いだろうが。


「残りの休みはもうないと思うべきだな」


 見えて来た学校の裏手に回って駐輪場へ。自転車を停めて第二部室へ急ぐ。一昨日ミトラスと遊園地に行けて本当に良かった。


「今年はタッチの差でやることやれたし、トラックを止めるためとはいえ、ぶつかり稽古をしてた去年に比べれば遥かにマシか」


 などと呟きながら校舎ではなく、グラウンドの端っこにある元野球部の部室に行って、合鍵を使う。学校に保管してある物とは別に、俺はこれを二つ作ってある。自費で。


 うちの学校は鍵を紛失したせいで、施錠できなくなっている教室が幾つかある。鍵を新たに用意することもないから、入りたい放題である。


 一方でここだけは今まで野球部の部室だったから、鍵を失くしても直ぐに代わりが用意されていた。


 実態は部員たちが鍵欲しさに盗んでは、補充が繰り返されていただけで、結果それがバレて鍵を変更され顧問しか開けられない仕様になったのだが、そんなことはどうでもいい。


 何が言いたいかというと、愛同研が鍵を紛失しても補充されない可能性が高い。弁償という方法でさえ無理かも知れない。底辺高ってそういうもの。


 だからこそ俺はスペアの鍵を二つも用意したのだ。一つ失くしてももう一つを増やせるようにと。だがその一つも今は清水が持っている。


 持っているのに何故いないのか。それが謎だ。

 ただの癖で済まされると完全にお手上げである。


「清水、いるかー」


 一応ノックをしてみる。施錠されてたんだから、居ないのは分かっているが一応。こういう外から中を窺えない、問題がありそうな場所を開けるのは緊張する。自分が数日前までいた分余計に。


 取っ手に手を掛けて、ゆっくりと鉄扉を開けると、中から篭った空気が外へと溢れ出す。


 ――これは。


 俺は第二部室の中から溢れ出した、甘ったるい臭いに顔を顰めた。それは最初、野球部の汗臭さを消すために、清水が買ってきた消臭剤の匂いではなかった。


 ほんの少し前まで、自宅で嗅いでいたとの全く同じソレ。

 偶然の一致に血の気が引いて行くのが分かる。

 足の感覚が溶け消える青い喪失感。


 清水がいないはずの第二部室から流れてきた臭い。


 それは。


 俺がエッチした後によく使う、芳香剤の臭いだった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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