・歩み出せば遠ざかる
・歩み出せば遠ざかる
自宅の夜の自室にて。
「あ~~~~~~~~~~」
俺はベッドの上で大の字になっていた。もうじき五月だ。ゴールデンウイークだ。新学期始まったと思ったらもう四月終わりか。このところばたばたと忙しかったけど、週末から連休入るしやっと休める。
「ねえ」
「う~~~~~~~~~~」
「ねえったら」
ここ最近の疲れがどっと押し寄せてきたので、夕飯の後にこうしてパジャマに着替えてしまったが汗はまだ流していない。自室のベッドから起き上がりたくない。便意が訪れても動けるかどうか怪しい。
もう夜も遅いしこのまま風呂入らないで寝ちゃうか。でもそれだと臭くなるし。いや、自分の体臭を彼氏に嗅がせながら寝るという背徳感にも中々乙なものがあるかも知れない。
「えい」
「痛ってぇ!」
乳房に走った激痛により思わず飛び起きると、開かれたままのパジャマから転がり出たミトラスが、見慣れた白い裸身を晒した。
「おま、おまえいきなり何をするんだよ」
「いきなりじゃないです。ちゃんと呼びました」
「あ、そう。ごめんなさい」
ジト目で言う彼にパンツを渡しながら謝る。気付かなかったのは悪かったけど抓るのは止めて頂きたい。女のおっぱいは脂肪の下に内臓が詰まっているのだ。言うなれば俺は胸にデカい金玉を二つぶら下げているようなものなのだ。
「それでどうかしたのかミトラス」
「いや、これで本当に良かったのかなって」
「俺はすこぶる癒されてたけど」
「そっちじゃなくってね」
なんだ違うのか。ここ最近忙しくて彼と触れ合う時間が全く持てなかったので、こうして『ミトラス分』をチャージしていたというのに。
パジャマの下はノーブラノーパンにした状態で、裸になったミトラスに潜りこんで貰い、ぎゅっとしがみ付いてもらったり体を擦り付けたりすることで、その成分を経皮吸収することができる。
平たく言えば房中術だがこれは思い込みの類などではなく、下腹が熱くなったり全身からホルモンが出ている実感がある。これをやるとぐっすり眠れて朝には頭がさっぱりしているのだ。
ふふ、俺リア充。
「ねえ聞いてる」
「続きがしたいよ」
「後でね後で!」
お、頬が少し赤くなった。こういう反応は嬉しい。どんなことでも慣れてくると平気になってしまうからな。初心は大事だ。
「本当に元気なんだからもう。ほらこの前、野球部との勝負に勝ったでしょ」
「ああその話か」
日曜日は目出度く野球部に勝って、軍事部と愛同研は束の間の平和を手に入れた。当面の間は廃部の危機を免れたことに安堵した俺たちは、こうして日常へと帰って来たのだが。
「結局相手の部は潰れないんでしょ」
「そうだな。連休挟んで有耶無耶にされる可能性が高い」
書類を交えた上でお互いの部の存続を賭けて戦ったのに、蓋を閉じようとしたら何処からともなく『学校に野球部は必要』だの『生徒たちが恥ずかしい思いをする』だのと何処に潜んでいたのか、老人会や保護者会が出しゃばってきた。
そういう『いちゃもん』で俺たちの勝利は汚されてしまったのである。
「あんまり理不尽だから、いつものように頭越しとネットに拡散することに決まったけど、果たしてどう転ぶものやら」
学校の問題は学校外に周知することが必要不可欠にして最低限だ。教育委員会に事の次第を奏上しつつ、SNSを始めとしたあちこちに言い触らして回ることで偉い人を召還する。
なんというかこれはもうそういう儀式だ。村八分を食らってる身としては、山に火を放つ以外に助けを呼ぶ手段がないし、これがまた結構便利と来たもんだ。
禁止される気配もないので、学校で不祥事があるたびに炎上を狙うのが賢いスクールライフの送り方である。ビバ焼け太り。それでも野球部信仰は強力なのだけど。
「僕は君が負傷したとき結構気が気じゃなかったんだよ。危うく正体を現すところだった。ああまでしてもぎ取った君たちの勝ちが汚されたのも腹が立つし」
「ご心配をおかけしましたね。でもまあ、俺としては無事に試合を終わって良かったよ」
「君は無事じゃないでしょ」
「俺はいいんだ俺は」
試合ではストレートを取り損なうという凡ミスであわやという事態を招いたが、後で測った飯泉の球速は140km/h代の後半という、肝を冷やす数値を叩き出した。
電機部制の玩具みたいなヘルメットの防御力が、防具中で一番低かったことを踏まえても破壊力がある訳だ。そんな速さの硬球ぶつけられたら死んでしまう。
「今回は皆の支えがあったから事無きを得たけど、本音を言うとな、年上風吹かすの相当きついぞ。なんとか指示を出したり励ましたりして」
「僕の苦労が分かったかな」
ミトラスは異世界で役所の区長を勤めていた経歴がある。今は俺に付き合ってキャリアが中断しているが、戻ったら職場復帰をするだろう。
「お前仕事大好きじゃん。全然平気だろ」
「僕は仕事が好きなだけであって人の上に立つのが平気な訳じゃないよ」
四つんばいになってベッドの上を這う彼にタオルケットをかける。本物の猫みたいにもぞもぞと動きながらこちらへと顔を出した。
「部長になったはいいものの、これからもこんなことが続くなら荷が重いよ」
「それでも君は年長者なんだから、所帯が困らないようにしていかないと」
「分かっちゃいるが、向いてないのも分かって欲しい」
泣いても笑っても任期は一年で済むからまだいいけどさ。ミトラスは未だに区長を続けてるけど、俺や他の魔物たちが合流するまでずっと苦境に立たされていた。これからもあの仕事を続けるだろう。
こいつ自身は人の上に立てるだけの資質とか才覚はあるんだろうけど、俺にはない。先輩みたいに人を率いることにそこまで気後れしないような大器でもない。
「いざって時に限定してもだ、人を率いるのは気分が良くない。信頼できる人に指図されてるほうがずっと安心できるし、仮に誰もいなくてもそれはそれで不安にはならないし」
「サチウス、君の気の持ち方ってかなり極端だからね」
「そうなのか」
「大抵の人はもう少し気が大きくなったり、孤独を恐れたりするものだよ」
一人が寂しいっていうのならまだ理解できるんだけどな。軍団の一員になるのはいいけど自分の軍団を持つのは嫌だというこの感覚、いや愛同研は俺の軍団なんかじゃないけど。
「最後までボールを投げ切った後輩の子がいたでしょ」
「飯泉な」
「あの子だって元は他の子たちから爪弾きにされて、そういう辛さがあったはずだよ。九人の中から、或いはもっと大勢の中から締め出されて。皆が敵になったらって考えたら僕は怖いよ」
「何人でいようが怖いものは怖いだろ」
もう一度横になってタオルケットを被ると、少ししてくすぐったい感触がする。見ると自分の胸の谷間からネコ耳と、ファンタジックな緑髪がにょきりと生えていた。頭を軽く撫でると彼が顔を持ち上げる。金色に輝く瞳と目が合う。
「僕といても変わらない」
「大切な人と一緒なら怖さは薄れるだろ。聞き方が変だぞ」
「じゃあ、大切な人がいなくなるのは怖くないの」
「お前と別れるかもって思ったときは、流石に怖かった」
そう言うと、彼は胸に顔を埋めて俯いた。心臓の上の皮膚から伝わってくる体温が、熱い。肌に密着するもう一つの体に抱き締めてきたから、俺も背中に手を回して、あやすように髪や背中を撫でる。
「怖がる気持ちは有るんだ。色々な失敗するかもって考えがあって、だから大事な人が幸せそうなら放っておこうとも思って。自分から関わっていこうってのも、あんまり性に会わないし」
「でも今回は自分から動いたじゃない。今回もかな」
「そりゃな。放置しとく訳にはいかない事件ばっかりだし」
でも今回の件は本来なら軍事部を助けるはずだったのに、逆に飯泉のトラウマ克服のダシにしてしまった。結果として彼女の為にもなったが紙一重もいいとこで、本当に反省すべき点が多い。
俺は最終的に後輩、自分の部を取った。先に東条たちを助けるという話があったにも関わらず。不義理や不誠実に目を詰むって貰うばかりか、巻き込まれていたはずなのに、気付けば私情に巻き込んでいた。
しくじっていれば飯泉の心にはもっと深い傷が出来ていたかも知れないし、軍事部も当然廃部だった。ハイリターンの裏にハイリスク。この調子でいったらその内空中分解を起こしかねない。
「とはいえ君はもう部長だから、いつまでも北さんに率いられてた頃のノリを引きずってたらいつか死人を出すよ。アガタさんと栄さんが成長してるけど、だからと言って安全までアテにしちゃ駄目。人を纏める立場で勢いは最後に持ってくる物だよ。考えられる内は考えるのが基本」
真っ裸で抱き合ってるのに説教は止めて欲しい。しかし道理で先輩が部長に向いてた訳だ。性格と能力がばっちり噛み合ってたんだな。
「上司の経験は僕が先輩だからね。困ったことがあったら何でも聞いてよ。ただしそのときは僕をミトラス先輩と呼ぶこと。いいね」
「分かったよミトラス先輩」
一見うだうだしているだけの部活だったけど、それでも部長は部長だ。顧問もいないから丸投げも出来ない。今更だけど本当に大変なことになったな。深く考えずに就任したことをちょっと後悔する。
いかんな、流石に考え過ぎだ。汗も流してないし。
「あれ、どうしたのサチウス」
「風呂入る。ミトラスも来るか」
「うん!」
俺は脱ぎ散らかした下着を拾ってから立ち上がると、一拍遅れてミトラスが慌ててパンツを穿く。直ぐに脱ぐから別にいいのに。
南はいない。先輩もいない。それでもこれから一年やっていくのが俺の今年の務めだ。反省点は多いがいつまでも落ち込む時間はない。
今日のところは汚れと一緒に心配事を洗い流してしまおう。でも、部長か。
できればずっと、その名を呼ぶほうの立場でいたかったな。
<了>
この章はこれにて終了となります。
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