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353/518

・大丈夫の意味

今回長いです。

・大丈夫の意味



 九回表の点差は5-4。打者は五番東条から始まり、チームが堅実な試合運びをしたことで、またも追加点を上げ6-4となる。


 一方で野球部の新入生たちは、ろくに打ち合わせをしておらず、連携もままならない様子。アウトを取り零すような場面が目立つ。


 打者は九番でスリーアウトとなり一巡、次があればまた一番の飯泉から始まるが、奇しくも全員の打撃が終了したような形である。


 そして九回裏。敵にとっては最後の攻撃、俺たちにすれば最後の守備、となるかも知れない場面で。


「あのキャプテン」

「駄目です」


 俺の出番は終了した。


 ここまで来てベンチから、チームの皆を眺めることになってしまった。主人公失格だ。いや、主人公じゃないけど。


 野球ものの話で、こんな終わり方を迎える奴なんてそうはいない。


「ストライク! バッターアウト!」


「すごいね、あの子はリーダーを支えて、導く才能があるんじゃない」


「おうみーちゃん。いつからいたの」


 聞き覚えのある声に隣の席を見ると、家で留守番をしているはずの、お猫様がいた。ゆらゆらと太長い尻尾を振りながら、膝に上って来る。


「ついさっき」

「そっか」


 俺はみーちゃんことミトラスを抱っこすると、試合観戦に戻る。二人目の打者も三球三振に打ち取られている。他でもない飯泉が目を見張るくらい、栄の指示は正しかった。


 七番という下位打線から始まった敵の攻撃に、野球部の監督は、なり振り構わず代打を出した。


 しかし相手をしているのは、スケッチブックを見なくても、選手のデータが頭に入っている、正真正銘の正捕手だ。


 まぐれさえ許されない状況を見れば、それが逆効果だったのは火を見るよりも明らか。


 分かってはいた。

 アガタも栄も、こんなに頼もしい。

 分かってはいたんだ。


「まいっちゃうよなあ」

「サチウス」


「本当は知ってたんだ。最初から栄に任せていれば、試合の最中にもどんどん学習して、もっと危なげない試合展開に、なってだろうって」


 俺と飯泉の練習は、飯泉を試合に引っ張り出す以外の意味を、持たなかった。人に任せて勝てるという流れに、自分を預けられる存在に、ここまで伝わってくる彼女の興奮を思えば、あれこそが最善だった。


「俺の練習は、あそこに割り込ませてもらうための、条件だったんだな」


 悔しくはない。そんなものはおこがましいんだ。


 軍事部も運動部も、いや、このチームに俺より下手な奴はいなかった。


「気付くのが遅かったのか、自分でも気付かないふりをしてたのか。あいつらにも、一年や二年って時間があって、成長してるんだ。そう、立派になっていく」


 思えば、他の部は俺が二年生になるときに、三年生が卒業している。俺は三年になって、初めて先輩がいなくなることを経験したが、他の連中は二度、後輩たちだって別の部にいるから、別れを知っている。


 先輩がいなくなったのに、彼らは大丈夫なんだ。


 俺を抜いても自分たちの力で立ち直れるし、やっていける。困難を乗り越えて、自分たちでいられる。


「少し寂しい。俺の立場なら喜ばないといけないが」


「あの中にいたいなら、いられるくらいには、頑張らないと」


「そうだな。大変だな」


 手の掛かるような、掛からないような。ちょっと前までは自分が、先にいるような感じだったのに。


 こうして横から見ると、それは彼らのほうだったんだなって。


「ボール、フォアボール!」

「あれ、どうして三振を取らないんだ」

「あの子何かやる気だ」


 栄の指示で飯泉が立て続けに敬遠球を投げる。既に二アウトを取っているのに。これで勝ちなのに。頭に湧いた疑問は、程なくして解消した。


「フォアボール!」


 押し出しの一点により点差は6-5。マウンド上の状況は加えてフルベース。打席に四番打者が立つ。


 これは、まさか。


「……栄の奴正気か」


 八回裏の再現。俺がやったのと同じ満塁策、押し出しをしてまでの。あいつは俺の失策を再現して、それを勝ちに塗り替える気だ。


「嫌味かな」

「そんな奴じゃない」


 グラウンド全体がざわめく。明らかな意図。それでいて異常な選択。


 そのための挑戦だということは、静かにこちらを見つめる、栄の視線から伝わってくる。俺は今日までの人生で、これほど苛烈な擁護を受けたことはない。


「たぶんフォローのつもりなんだ。エラーをしたのは俺なのに」


「それ以外のことも、あるだろうけどね。でもそれが一番だと思うよ」


 アガタとはまた異なる形の強い意思。揺るがぬ自信が輪郭を強調する。今だけは、栄がこの場の誰よりも存在感を放っている。


「ストライクツー!」


 飯泉の白球はいとも容易く打者を追い詰めた。元々無理のあるバッテリーだったんだ。


 俺と彼女の体格差は男子が相手の場合よりもある。


 こっちに合わせつつ、打たれないように擦り合わせて投げるのは、かなりの負担をかけたはず。二人して無理をし合っていたときと、現状は全く異なる。


 女子同士の背丈で投げられる上に、栄が捕手としてリードをしている。


 もしかすると、飯泉にとって生まれて初めて、自分と釣り合う味方を得た瞬間、だったりして。


「ボールスリー!」


 敬遠を続けて三球。九回裏ニアウト満塁、打者は二ストライク三ボール。


 これで全てのカウントが点灯した。


 誰もが絶体絶命の状況を作り出しやがった。

 本当に、これを乗り越えるつもりなのか。

 捕手は一度立ち上がると何やら投手に指示を出す。


 そして今度は投手が守備へと指示を出す。外野が中央一人を残して前進。遊撃手は一塁側へと移動する。到底寄せ集めの連中とは、思えない光景だった。


「測った」

「え、何を」

 

 守備の配置を確認し終えると、栄は腕を伸ばし人差し指を立てて、自分と投手との距離を算出する。


 改めて屈み、腰を引いてミットを構えたが、その位置は中央よりやや高く、僅かに右より。さっきの俺を修正した形。


 全力で真っ直ぐ投げるということは、基本的に真っ直ぐにしか、投げられないということだ。それ以外の場所に投げ込む時点で、角度が付き、別物と化す。


 飯泉の球がコースから外れたのも当然のこと。あいつは本当に全力で真っ直ぐ投げた、だから球も然るべき軌道で、飛んできただけ。


 それを失念したから、俺はこの様となった。


「あそこが飯泉のボールが来る場所なんだよ」

「ということは」


 こうして横で見てると気付くが、八回のエラーは、俺が投げ込まれるコースに合わせて、ちゃんと屈めなかったことに、原因があったんだ。


 そして今、栄はミットを『三回』叩いた。ここまで来れば最早意図は明確。『完全な八回裏』で以てこの試合を、終わらせる気なんだ。


 飯泉が首を何度も横に振る。それはそうだ。俺にぶつけたばかりなのに、もう一度同じことやれと言われても難しいだろう。


 しかしあの新しい女房役は頑として譲らない。


 煽るようにミットを叩き続けた。堪りかねた様子で若きキャプテンがこちらを見た。助けを求めている。


「どうするの」

「どうしようか」

「言っとくけどね、言わないと分かんないよ」


 個人的には勘弁してあげたいけど、俺のエラーのせいで飯泉がトラウマを抱えても困る。それを解消する機会も、この先巡ってくるかというと。


「飯泉! 大丈夫だから頑張れ!」

「はんちゃんがんばってー!」

「そうだぞ頑張れ、あと一球だろ!」


 ベンチの外からも声援が飛ぶ。ああ、嫌なのに外圧によって、やらなくてはいけないという、追い込まれた顔をしている。


 あいつが期待されると二倍働いて、倍以上しくじるのは、これが原因なんじゃ。


 最初こそ勢いは良いけど、躓くとジェット噴射が切れないまま、転び続けるというか。


 メンタルが弱るとズルズル引き摺って、終わりまで行くのだとしたら。


 そら負け癖付くわな。まるで去年ミトラスと破局しかけた俺のようだよ。


「マウンドを見てみろ! チームの誰も止めろなんて思ってないぞ!」


 口から出任せを言って見る。


 こんなときだし一人や二人は、冷静な奴がいるはずだが、場の空気で誤魔化す。緊迫してるけど悪い空気じゃない。この短時間で気力は全員回復してるんだ。勝ち切るための応急手当と考えるなら大したものだ。


 負けのムード、気まずさが逆転を許し、本当の敗北を招く。


 栄は勝つか負けるかを意識させた時点で、場の雰囲気を刷新したのだ。後は飯泉を巻き込むだけ。


 考えろ。言い方を考えるんだ。俺だって中学出てから伊達に三年間も人生を療養して、二年間も高校生をしてない。そろそろ人に応じた接し方を弁えてもいい頃だ。


 また期待をしてもお腹一杯だし、そろそろ肩も重いだろう。煽るのは当然駄目。あいつ結構打たれ弱いんだから。かといって励ますなら川匂たちがしてくれている。


「ここまでお前投げて来て、打たれても結局勝ってるだろうが! 見てみろ! 6-5って書いてあんだろ!確かに俺はエラーをしたけど、それは俺のせいだし!それだってアウトは取れた! 落ち着いてやればお前は勝つんだよ!」


「……!」


 む、飯泉の思い詰めた顔から、思い詰めっぷりが、薄まったぞ。


 そうだ、実力差で言えばお前は勝ってるんだ。

 思い出せ、その道理を。


「お前だってここで降板したくないだろ! 川匂たちからいっつも失敗するって聞いたけど、今は八人で守備に着いてるし、失投くらいじゃびくともしないから平気だって! むしろ失投してないときしか点取られてないし、知らない二年生や三年生を打ち取れてるんだから、自分のほうが上だって分かるだろ! 格下相手に嫌いっていう気持ちだけで負けるんじゃないよ!勝ってトドメを刺して来い!」


 心臓がばっくんばっくん言ってる。頼むから言葉の選択肢を間違えませんように。飯泉のルートから外れませんように!


「ここでマウンド降りたら、この先ずっと負け癖付いたままだぞ! お前もう高校生なんだからそんなもんここで捨てろ! 甘える相手が違うだろ!」


 どうだ。なんとか言ってやったぞ。道理で説明して感情で揺さぶりかけて、最後にちょっと脅かすという道筋で話してみたけど。


「はんちゃんがんばっ」


「てめーもうじき勝つっつっていつまで待たすんだ!私野球嫌いなんだから早投げろ馬鹿! 私らもうお昼食っちゃっただろうが!」


 途中でだいぶ柔らかくなっていった飯泉の表情は、清水の罵声により、一瞬で真っ赤になった。


「うるせえぞ清! 今終わらせるから待ってろ!」

「はんちゃん頑張れー!」


 川匂も負けじと、途中でかき消された応援をもう一度し直す。すると刈り上げ頭の萎れていたツリ目が、急速に角度を取り戻して行く。ボールを数杪見つめてから、飯泉は栄に向き直った。

 

 最後の最後でに頼れる相手に、美味しい所を持っていかれたな。


 じゃあ、試合に戻すか。


「どうもお騒がせしました!」


 審判に頭を下げると、皆も姿勢を正して礼をする。もうすっかりそういう雰囲気ね。


 これが公式の試合だったら、何か罰でもあったんだろうけど、幸いにしてお咎めは無かった。


「プレイ!」


 掛け声と共に全員が止めていた時間を再開させる。栄が屈み、もう一度ミットを三回叩く。今度こそ飯泉が頷く。待ちに待ったその一球を。


 大きく振り被って、投げた。


 白球が、目にも止まらぬ速さで、突き抜けていく。振り遅れたバットと、響き渡るミットの音。


 九回裏、二アウト満塁、三敬遠、そして。


 奪三振。

 

「ストライクスリー、バッターアウト! ……ゲームセット!」


 球審でもあった野球部の顧問の心境如何ばかりか。試合終了の宣告をし、グラウンドには静寂が訪れた。


 軍事部対野球部の、廃部を賭けた部勝負は、6-5で軍事部の勝利に終わった。

 

 そして。


 飯泉は、勝利投手になった。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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