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・強がれキャプテン!

・強がれキャプテン!



 七回が終わって点数は4-3。


 交代した一年生のデータが手元にないので、一年生の球を絞ることが出来ず、点を取れない。


 それだけならまだしも、上級生に対して実力で劣る連中に、同じ草野球チーム出身で、手の内を知っているはずの飯泉が、連打を浴びた。


 相手側は彼女をハブ(仲間外れ)にしていたので逆は考え難い。では何故こんなにグイグイ追い上げられているのかと言うと。


「飯泉こっちを見ろ」

「……すんません」

「うるせえ俺の顔見ろ」


 明らかに当人の精神的な動揺が原因なのは、誰の目にも明らかだった。


「先生とのやり取りじゃねんだ。それでは済まんぞ」

「すいません、いぎ!」


「サチコ先輩ちょっと」

「ごめんなアガタ。俺が先だから」


 飯泉の胸倉と髪の毛を掴んで、こっちを向かせる。幼稚なメンタルしやがって。この大事な場面でそんなステレオタイプの閉じこもり見せたって駄目だよ。


 彼女は俺と目を合わせようとしない。小刻みに瞳が震えているが、この動きを追ってはいけない。でないと相手に『自分のほうが目を逸らしている』と、言い掛かりを許すことになるからだ。


 逃げ回る相手の目を無視して、真っ直ぐ見るのって意外と難しいんだけどね。


「飯泉。お前余計なこと考えてるだろ」

「そんなことは」

「嘘吐いたらお前をマウンドから降ろす」


 血色を悪くして、不機嫌そうにして、それでいてどこか、怯えの混じっている彼女の顔に、赤味が戻って来る。


 こちらの目に焦点が定まった目には、先ほどのような煮え切らない苛立ちよりも、はっきりとした怒りが見える。


「言え。どうしてだ」


「……知ってるでしょ。あたしがあいつらからチーム追い出されたの」


「そうか。だから色々と頭に来て集中できないか」


 頭と胸倉から手を離す。


 飯泉は頷きこそしなかったが、顔を俺に向けたままだった。


「じゃあ相手の顔を見るな。俺が見るから。お前は俺のミットを見ろ」


「あたしに任せてくれるんじゃないんですか」


「お前に期待してることはチームを勝たせることだ。だからこの回は捨てる。九回がお前にとって最後の機会だ。勝利の機会だ。最後まで立っていたいなら立て直せ。それともここで延清に代わるか」


 青空の下のベンチでは、誰もが固唾を飲んでこの場を見守ってくれている。軍事部を見れば、皆険しい顔をしているが、誰も彼女を降ろそうとはしない。


 運動部の助っ人たちも、飯泉のチャンスを奪おうとはしない。アガタも栄も、辛抱してくれている。


 今はまだ、誰も。

 誰もお前以外のエースを、必要としていない。


「やります。野球は九回さえあれば、勝てますから」

「分かった」


 ぐるりと周りを見回せば、安堵の息が漏れ出す。

 方針は決まった。


 この回で何が難でも飯泉の調子を戻す。

 そして最終回に備える。これだけだ。


「ごめんアガタ。用事はなんだ」


「もういいですよ。私はてっきり手が出るんじゃないかって心配しただけで」


「優しくなったなお前も」


 アガタは不愉快そうに鼻を鳴らすと、黙って打席へと向かった。後ろ姿から去年よりも、背が伸びたことが分かる。今年も伸びるのかな。段々と角が取れて、今は人の心配が、できるようにまでなって。


「栄」

「はい先輩」

「次は頼むな」


「あ、はい!」

「皆も、遅くなったけど、飯泉を宜しく頼みます」

『はい!』


 長い打ち合わせが終わり、八回の攻撃が始まった。野球部側には関係のない生徒が、野次馬として湧いて応援をし始めている。こちらもせめて知り合いを呼べば良かっただろうか。


 いつもいつも、自分たちでやってばかりいるから、当事者として行動する以外のこと、人を呼んだり集めたりすることに、どうしても鈍感だ。


 デバフに強いがバフの効果も薄いのが、俺たちの悲しい特徴。


「プレイボール!」

「どんどん投げてけー!」

「相手今日打ててないぞー!」


 今日何度目か審判の合図と共に、俄かに敵のベンチが騒がしくなる。この敵意や敵意に満ちた音が、気を散らすのだが、手を出してはいけない敵がそこにいるというストレスは、計り知れない。


 だが今うちが抱えている問題は、部外者たちとは無関係だ。それが不幸中の幸いと言える。


「ストライクツー!」

「もう二つ目です」

「この回はいいんだって、む」


 早々に追い込まれたアガタだったが、審判と何やら話してこちらを、いや俺を手招きした。何かまた別のトラブルが発生したのか。


 それとも馬鹿が、無謀にもあいつを挑発したのか。バットを手にしているのはあいつだぞ。


「どうした」

「先輩、この眼鏡預かってもらえますか。邪魔で」

「でも危ないぞ」


「いいから。そろそろ私の言うことも聞いて欲しいんです」


 静かながら有無を言わさぬ口調で、アガタは伊達眼鏡を押し付けてきた。封印されていた、いつもの切れ長の目と、勝ち気に見える眉、長い睫毛が姿を現す。


「さ、行ってください。すぐ戻りますから」

「あ、ああ」


 風格に気圧されて慌ててベンチに戻ると、アガタは更にヘルメットを脱いだ。強引に押し込められていたシニョンを掴むと、結び目を解いていく。


 頭を一、二度振って、全てが曝け出されたとき。


 ――人の声が、消えた、


 解かれた長い黒髪が、風に棚引く。十七歳の美貌というカリスマが、マウンドを席巻する。


 時間をも飲み込まんとする迫力がバットを構える。審判は合図も忘れ、相手の投手は導かれるように球を投げた。あまりにも柔らかく遅い球を。


 そして夢から覚ます一振りが、一発となって場外へと消えた。ホームランだと皆が気付いたのは、アガタが塁を一周して、ホームへと戻ってからだった。


 点数は5-3となった。


「ただいま」

「お、おかえり」


 戻って来た若き女傑は、そのまま飯泉の元へ行く。そして今の活躍に、ぽかんとしていた彼女に指を突き付けた。笑った笑顔は少女からお姉さんといった趣。


「私が黄縣蘭。次はあんたが打ってね」

「え? あっが、頑張ります!」


 満足そうに頷いてアガタは席に座った。今初めてこいつの実力というか、本気を見た気がする。


 飯泉の沈んでいた気持ちを吹き飛ばしてしまった。絶対俺より部長に向いてる。


 ただ、この美しいものを見たことによる余韻は味方にも悪影響があった。


 残念ながら飯泉は空振り、エラーによって二番が出塁するも、三番が打ち損じ、結果ツーアウトで打順は俺へと回ってきた。


「おーし気を引き締めろー!」

「ぶつけるつもりでいけー!」


 やめろ。俺で正気付くんじゃない。


 まあいい。この点差なら二点くれてやっても、まだ大丈夫だ。飯泉も連打を浴びて体力が落ちてるから、ここで一つ粘って時間を稼ぐか。


 バントは失敗すると問答無用でアウトだが、バントの構えからバットを振って、ファウルにしてしまえばそれはファウルだ。


 ファウルは幾ら詰んでもアウトにはならない。余談だが球団によっては、相手投手への嫌がらせ度合いとして、査定の際にポジティヴな成績に数えてもらえるらしい。


「ファウル!」

「あのデカいのファウル何個取るんだよ」

「フルカウントから数えて今七つだぞ」


 できればあと三つくらい取りたいところだな。当てること自体は難しくないし、やっと俺の長所が分かってきたな。


「ストライク! バッターアウト!」

「先輩、お疲れ様です!」


 最終的にファウルを打ちも打ったり十一回。栄が飯泉の右腕や肩を、揉んだり擦ったりしながら、労ってくれる。


 こういう地道な援護をさせると、本当によく気付くし働くのが、北宋という人間だ。


「うん、飯泉はいけるか」

「今から三点取られても九回裏投げられます」


「よし。じゃあこの回は二点までな」

「はい!」


 元気や闘志がだいぶ回復している。後は実際の崩れた投球の感覚をどこまで直せるか。


 飯泉の調子が上がると、全員の調子が上がってくるのが実感できる。案外お前には、大将というものの適正があるのかもな。


「先輩楽しそうですね。さっちゃんなんかずっと冷や汗かいてるのに」


「この状況を楽しむのは無理じゃないかな。もうずっと落ち着かないよ」


「いやな、今年も後輩に恵まれたかもって思ってさ」


 そう言うと二年生コンビの片方はむっとして、もう片方は照れたように笑った。


「『今年も恵まれた』ってことは、私たち優良株ってことですよね、えっへへ」


「『今年は恵まれない』ほうが、特別感あったんですけど」


 お前らちゃんと優良だし特別だろうが。


 昔の俺なら絶対無理なことにも、こうして参加できるくらいには。こんなことにまで付き合ってくれ、て本当に頭が下がる。


「早く守備位置について」

「はい。じゃあまた後で」


 手を振って二人と別れたなら、今日八回目のキャッチャーボックスへと入る。ここを凌げば残すは九回。できることなら延長戦は避けたい。


 前を見れば飯泉と目が合った。向こうから合わせてきた。初めて、明確に、誤魔化しようもなく、人に指図をしなくてはならない。


 ここまで後輩に預けっ放しだった責任が、今から俺に牙を剥こうとしていた。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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