・心理戦、ではなくいやがらせ
・心理戦、ではなくいやがらせ
試合は進み現在五回を終えて点数は3―1。二回は五番打者から始まり、一回と同様打って走って転がして追加点を獲得した。
三回は九番から始まり敢え無く三者凡退。正確には飯泉出塁も二番の打ち損じにより、二人纏めてアウトとなった。いわゆるゲッツー、ダブルプレイである。
しかし飯泉は『こんなのは良くあることなので一々気にしてはいけない。毎年四月から十月までいい年した大人たちが、毎日試合をして、何度も同じ失敗をしているのだから』というようなことを言って、部員たちを励ました。
ちゃんとキャプテンしてるようで何よりだ。今のところ差し引きすると、不味いようなことは起こしていない。
続く四回も三者凡退、変化球が想像以上にお辛い。今思えば飯泉相手に、打撃の練習もしておけば良かったのだろうか。いや、変に打たれるイメージ付いても良くないし。
というか俺は今回ヒットを打ったんだよ。ベースを踏み忘れた※だけでさ。
※走塁時に塁を踏み忘れた場合、先の塁を踏んでいても踏み忘れた塁を、ボールを持った守備側が踏むとアウト。
それとまた一つ気付いたがグラウンドが、というか塁と塁の間が短く、狭い。走り出してから止まるまでが早過ぎて良くない。これではまるで俺が鈍足のようではないか。
適正なスケール感というものを、はみ出している。もっとこう、別の競技なら活躍し易かったんじゃないかな。ともあれ五回は六番延清が初級をホームラン。
今試合初の本塁打を叩き出し三点目。残りは凡退となり、打者は六回に再び一番飯泉に戻る。
「そろそろ疲れて来たろ。うちが勝ってるから見送ってもいいぞ」
「平気っす、あざっす」
野球は三の倍数の回が節目だという。試合の流れが決まり出す三回、投手が疲れ出す六回、そして試合の終わりを決める九回。飯泉も女子には違いないから、可能な限り時間を稼いでおきたい。
現状は野球部との地力が出た形で納まっている。
同じ場所にぴったり投げ入れ続ける飯泉の制球力は大したものだが、加えて表情を抑えることで『自分が苦手なコースを打てないと負ける』という勝負相手のズラシを行っている。上手い。
野球を全く知らない俺でも、名前くらいは聞いたことのある監督がいる。その人は最初の試合は負けてもいいから、相手に苦手意識を植え付ければ、後々勝ち易くなるということを言っていた。
配球の根拠も分かる。
相手が苦手な場所を、克服しそうになりファウルを連発し出すと、彼女は容赦無くボール球をきっちり三度投げる。手応えを薄れさせる。
全員で打つのは無理だと踏んだ野球部が、うちと同じく打者を犠牲の上に、本塁に帰らせるようになったのは四回の裏。
しかしそこから敬遠を入れて満塁から七番を打ち取りチェンジ、五回裏で八、九、一を撫で切りにして、退ける。打たれてもろくに動揺しない。
明らかに飯泉だけ、選手としてレベルが二つも三つも上。このまま行けば順当に勝てそうなのだが。
問題があった。いや、問題になりそうなのが、ベンチにいる。
「そうか~、君たちは趣味で兵隊さんごっこしとるんか~そうか〜」
「ええ、そうなんですよ」
三回辺りから、うちのベンチに老人会の爺が居座っているのだ。
「もう二年生だろ、三年? 将来のこと考えないの」
「それ野球部に言ってやれよ」
「野球はいいんだ。高校三年間を全部使っていい」
「あに言ってんだこの爺」
「先輩、言葉遣い」
「野球は良くてうちは駄目なんて言うんなら、あっち行けよ」
「いいかね、野球は野球そのものが、伝統であり文化なんだ。野球は就職にだって有利だし」
「東条、俺の荷物から木刀持って来て。玉虫色の奴」
「放っておきましょう。ほら、うちの攻撃ですよ」
こんな感じであしらったりあしらわれたりを、ウダウダと繰り返している。寂しい年寄りに絡まれ、皆の試合中なのに調子が下がっていく。緊張感が削がれ、逆に不快感が溜まる。
「女子が野球の場に出てくるってのもなんかねえ」
「うるせえな、野球部より上手いんだからいいだろ。見ろよ」
指差せば本日猛打賞を達成、つまり安打を三本記録した飯泉が、一塁を踏む所だった。汗を結構かいているので、戻ったら給水とトイレ休憩を提案しよう。
あまり知られていないが、野球は試合中にトイレに行ってはいけないという、ルールはない。
というか長丁場やる運動でそんなことしたら、絶対漏らす奴が出るだろ。
「草野球のチームじゃ女ってだけで男共から追いやられたらしいがよ、それがこうして戦えてる上にしかも勝ってる。立派なもんだろ。何処に文句があるんだ」
「なんだあの子いじめられてたのかい」
「らしいぜ。もっとも二年や三年が主力なんだから、あいつと同じ一年生たちに、出番はないがな。出ても通用しないだろう」
少しは野球部を見る目が変わればいいが、相手は老人だしな。生涯成長するような人間でないなら、とっくに知能は頭打ちから退化してるものだ。
野球部に肩入れして、前時代的な難癖を付けるような輩だから、難しいか。
「そうか」
爺さんはようやくうちのベンチから離れて、相手側へと向かった。試合はというと二アウト三塁で、俺の番になってるではないか。いかんいかん。
「先輩せんぱーい、あたしの真似してください!」
声がしたほうを見れば飯泉が、バットを振る真似をする。彼女自身のスイングではなく、腕の振り方がかなり変だ。横ではなく下からかち上げるような。いや違うな。
足を前後に開いてから、片足を上げて、手を腰より下までグッと下げて振る。スピードは出るがこれじゃ球を上から叩くような形になっちまうぞ。
これ体の捻りと背筋の伸ばし具合で打撃を調整するのか。
斧で殴るようなスイング。名付けて鉞打法ってか。俺にお誂え向きだな。
「君、早くバッターボックスに入って」
「すいません」
審判に謝ってから打席に立つ。一つ深呼吸して先ほどの構えを採る。構えとは不思議なもので、体が固まる窮屈さがある。それなのに結果が伴う。
無目的な自然体より、狙いに対して正しい形ということなのだろう。
この違和感に慣れて最適化していくことが、鍛錬を積むということなのか。
「ストライク!」
一球目は高め、体の内側に切り込むような。バットを短く持つか。俺の腕の長さならどこでも届く。
「ストライク!」
二球目も同じ。怯んで外側に放ってくれれば楽だったんだが。固まってるときに腕の力を抜いて、少し揺らしておくといいか。大丈夫だ、飯泉の選択は合ってくれている。
三球目が、来て。ここ!
「当たった、走って!」
ベンチから栄の声が届く。自分でも強い打球が守備を抜けていくのが分かった。二塁打くらいはイケるんじゃないかな。一塁を踏んで飯泉が帰還。四点目。よし、このまま二塁を。
「タッチアウト、スリーアウトチェンジ!」
「……え?」
俺は二塁に駆け込むと、守備にボールを持った手で触られてアウトとなった。早すぎないか。確かに強い当たりだったと思うんだけど。
「思ったより浅かったのかな」
「打球が強すぎて外野が直ぐ取れたんですよ。それで間に合ったんです」
「そんなことってあるかよ……」
ベンチに戻って呟くと飯泉が説明してくれる。中々上手くいかないな。
でもそろそろ慣れてきたから、次はがっつり三塁打くらいの奴決めてやる。そう意気込んだ裏も無、失点に抑えられた。
4―1の三点リードで迎えた七回の表。このまま押し切れるかと思いきや。
異変は起こされた。
「タイム!」
審判兼野球部顧問が手を上げる。どうやら誰か交代するようだ。恐らく投手を三年から他の誰かに変えるのだろう。
練習を見学したときはもう一人いたし、流石に二人しか投手がいないこともあるまい。
などと考えていたのが甚だ甘かった。
「え、あれって」
「皆一年生ですね」
野球部は二年生と三年生を全て引っ込め、代わりに一年生を出してきた。
何が狙いなのかは直ぐに分かった。向こうのベンチに老人会の爺がいて、顧問や部員たちと、何やら話し込んでいた。
「一年生、まさか」
俺は飯泉の顔を見た。
閉じた口の中で歯を食いしばり、さっきまでの陽気さが消えた目で、彼らを睨みつけている。
七回の表、これからまた、俺たちの攻撃が始まる。
そのはずなのに、急に不穏な空気が、彼女から溢れ出す。誰の目にも流れが濁っていくのが分かる。
「先輩」
「栄、出る準備をしといてくれ。たぶん必要になる」
「分かりました。でも」
「俺が口を滑らせた。俺の責任だが、この先は恐らく俺の手では収まらん」
まさか何十歳も年下の女子に対し、たかが野球なんぞのために、追い討ちをかけるとは思わなかった。
想像力が足りてなかったな。
くそ、言い訳がしてえ。
「飯泉、すまん」
「何がっすか。あたしなら全然大丈夫ですよ」
そういう彼女だったが、こちらを振り向かずにずっと相手チームばかりを見ていた。風がグラウンドの砂埃を巻き上げても、微動だにしない。
「東条、延清。もしものときはごめんな」
「お構いなく。戦えるようにしてもらっただけ、十分です」
「まだまだ勝負はこれからですよ、サチコ部長」
見れば荒れ出した空気を察したのか、皆の顔が引き締まる。
こういう言い方も何だが、いつもの愛同研だ。これなら途中で挫けはすまい。
時間はまだ十一時半を過ぎた辺りだ。もう七回で、まだ十一時半。
どうにもこのまますんなりと、終わってくれそうな雰囲気ではない。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




