・let’s play
・let’s play
高校野球の強豪校とは何か。
甲子園大会出場と優勝、果てはプロ入りという荒唐無稽な目標が、現実として存在する組織である。
連綿と続く部の歴史は、一定以上の才能を持つ選手たちを、一定以上の水準に鍛え上げるためのノウハウを持ち、プロ野球選手を輩出した名門校という地盤を持ち、風土と地域性によって形は異なるものの、思考さえ統率された、職能集団を形成する。
戦勝国の国力を思わせるような、厚みを持った選手層には、いずれ全国にその名を轟かすであろう、花形選手たち、そして誇りと共に気炎を上げ、喝采を浴びせる応援団。
明らかに住む世界が違う。
肉体の最盛期に異なる年齢、異なる部活、異なる性別等々が、一丸となって行う諸々は、当事者たちを途轍も無い早さで、磨き上げる。
それこそ正に、荒唐無稽な目標が、現実に成り得るほどの力を、作り上げるのである。
しかし、世の中何もそんな人たちばかりではない。
ただ皆で集まって何となく野球をするのが、好きなだけという人々もいる。
彼らは別に不真面目ではない。熱量や目標、満足感の違いがあるだけ。
競技化した種目に血眼になっている人の横で、競技とは関係無しに、ごく日常的にゲームを楽しむ人々がいるだけ。
では、現在俺が見ている彼らは、果たしてどちらなのかというと。
「うちの野球部は駄目っすね」
隣の飯泉がぼそりと呟いた。ここは米神高校野球部の練習場、その防護フェンスの裏。
敵状視察をしに来たところ、一人でぶらぶらしていた彼女を見つけ、一緒に練習風景を眺めることにしたのである。
「うーん、ハツラツって感じじゃないな」
野球部の男子たちは、傍目にも野球を楽しみたいという表情ではなく、他に行き場もないから惰性で続けているという、気だるさがひしひしと伝わってくる。
そう、真面目に練習をしていない。声ばっかり大きいが、動きがずっとウダウダしてる。
一応ランニングとキャッチボールはするし、守備練習もするけど、球は全然打たない。打撃の練習をしてない。うちとおんなじ。
「ボールもろくに買い足してないし駄目だな」
「駄目か」
「駄目っすね。うちでも三回に一回は勝てますよ」
――おーい声だしてけー。
――うおいさー。
声はそこそこ大きいが気合が全くない。グラウンドの半分近くを使っている上に、素振りやピッチングのために、奥のほうにはまだスペースがある。持ち物を全然活用してない。
「なんていうか、流行りに飛びついたけど、全く使い方が分からなかったり飽きたりして、そこら辺にうっちゃってた物が生きてると、こんなふうになるんだろうな」
場所を少し移して歩くこと一分未満。ベンチの外れではピッチャーが二人いて、投げ込みをしている。
片方は上級生なのか結構な速さ。
全国の平均レベルは、年々上がっているらしいが、ここもそうなのか。変化球も投げられるようで右投げで落ちるのと、綺麗に左に曲がるのと。
アレだ、フォークとスライダーって奴。現実だとだいぶ曲がって見えるもんだな。
「体は結構丈夫そうだけどな」
「そりゃやる気なんか無くても、毎日体動かしてたら丈夫にはなりますよ」
違いない。俺も毎日謎の白いサプリメントで、ドーピングしてるけど、二年もやると色んなものが違って来たからな。繰り返しとは力だ。
目の前の男子たちも、二年三年と余った時間を外で動かすことに費やしてきた分、体自体は出来ているだろう。
「でも体だけなら軍事部の人たちや、運動部の人たちのほうが、随分しっかりしてました。今やってる特訓でもっと差が出ますよ」
少なくとも女子以外は身体能力で勝っている訳か。俺はどうだろう。別に鍛えてはいないから、幾らなんでも彼らより弱いはずだよ。
たぶんそう、きっとそう。
「競技は体が出来上がったら、後は慣れと才能です。気持ちの切り替え、思い切りの良さ、勝負の勘所に、踏んだ場数、これらがまとまって勝ち方、戦い方ってことになるんです」
「流石に野球部のほうが慣れてるだろ」
「この程度なら皆もうちょっと慣れただけで、三回に二回は勝てるようになります」
飯泉は憎々しげに吐き捨てた。三人組でいるときの調子の良さは、鳴りを潜めている。熱心というか真面目というか、野球好きだったんだろうな。
こんな低レベルな奴らに勝っても嬉しくはないし、こんな奴らに性別のことで、弾き出されたというのも悔しい、心情としてはこんなとこかな。
余裕を持って勝てそうというなら何よりなんだが、それだと飯泉の溜飲が下がらないか。チームスポーツなんて格好つけちゃいるが、要は因縁製造工場だし、汚れが人間関係として染み出る。
「勝てるならいいじゃないか」
一応言って見たものの、目の前の球児ならぬ球女は『そうなんすけど』と言って首を傾げて、手も何かを投げる動作をする。ん?
「お前それ手どうした」
「え、何がっすか」
「ボール投げるみたいに手首を振ってるから」
「ああ、真似してただけっす」
顎先で示した先には、引き続き男子がボールの投げ込みをしている。
いまいち意味が飲み込めずにいると、飯泉は奇妙な形に握った手をこちらに翳して見せる。
「これね、変化球投げるときの握りっす。ストレートがこうでしょ。で、スライダーがこう、フォークがこうで、カーブがこう」
ボールの握り方を順番に繰り返していくと、確かに違いが分かる。一般的な持ち方から鳥の足が掴むような持ち方、そして手首の捻りがそれぞれ異なる。
「お前投手だったのか」
「高校じゃ通じませんけどね」
どこか疲れたような笑みを浮かべた飯泉に、彼女の不満や苛立ちの正体を、見たような気がした。
野球部に草野球時代の嫌いな奴がいるのは、たぶん本当なんだろうし、私怨もあるだろう。
ただそれとは別に自分を客観視して、限界や実力というものから、目を逸らせない辛さがあるのだろう。こういう場合、どうさせてやるのが良いのか。
――
――――
――やるだけやらせるしかないよな。
「飯泉、お前投げて見ろ。急拵えのにわかピッチャーより、よっぽどいい」
「え、やですよいきなり」
「なんでだ」
「いやだって……」
「お前を見てると、実際に挑んで見て、勝ち負けを付けるのが必要だと、俺は思う」
「でも負けたら人の部が潰れますし」
「五月蝿いあんなものはどうだっていいんだ。助からなかったから残念ってだけで、俺たちが全責任をおっ被るような必要はどこにもない。黙って投げろ」
「あ、あたしが監督だって言ったくせに!」
「じゃ部長命令でお前の監督辞めさす。今から投手」
飯泉は目を白黒させたり顔を赤くしたり青くしたりと忙しい。案外打たれ弱いな。それでもキレるとか不貞腐れて逃げ出さない辺り、攻めるところは間違ってなかったようだ。
「勝つも負けるもお前が投げるのが一番なのにそんな嫌か」
煽ってはいけない。実戦離れてコンプレックス拗らせてる奴に、そんなことしたら杪で逃げ出す。発破をかけて持ち直すなんて話は嘘だ。
持ち直した奴の景気付けに発破をかけるのである。
「その、ほら! あたしのキャッチャーいないし」
「俺がやったらいいだろ」
「え」
「お前が試合までに仕込め。俺はバイトから帰ったら基本的に飯食って寝るくらいしかすることねーから、難だったら家まで来ていい。グローブは買わないといけないが、防具はあるから大丈夫だ」
今年も俺宛に、衣装部の迷作『体育の鎧』が届いている。何故だよ。
「俺がお前の球を受けるよ。今月中に分かれる女房にものを教えるのは、馬鹿馬鹿しいと思うが、お前さえそれで良ければ、お前の捕手は手に入る」
しどろもどろだった飯泉が、少しずつだけどこちらを見るようになる。
やる気になっている。火が点きつつある。やはり、やりたいんだな。燻る体力派の望みはいつも一つだ。
「でもそんないきなりは、周りだって納得とか」
「じゃあお前を監督に戻す。監督の指示なら皆従う」
「ず、ずるい……!」
諦めるがよい。お前が敗北は認めるのは、あくまでこの駆け引きであり、やりもしない勝負の結果などではないのだ。
「俺だって人の自由を侵害したり何かを押し付けたりするのは嫌だ。でも今の飯泉じゃ自分からやるぞって感じにならないだろ。大人しく俺に無理矢理言うこと聞かされたほうがいい。それとも何か、チームを背負いたくないっていうお前に、期待したほうがいいか」
川匂たちが言っていたことを思い出す。こいつは期待されると馬力を出すタイプだ。失敗もするが、発奮すれば反面、共に良い面を現すということだ。
「飯泉」
「はい」
「部長にキャプテン任されてんだ。断る奴がいるか」
それまで張りの無かったツリ目が大きく開かれた。彼女は押し黙ると夕日を受けて赤くなった、刈り上げ頭をしきり掻き上げた。
どれほどそうしていただろうか。
飯泉はやがて、大きく息を吸い込むと『よし!』と叫ぶなり、走り去ってしまった。
そして。
俺がアガタの店でのバイトを終えて帰ってくると、玄関には野球用具を一式揃えた、飯泉が待っていた。一緒に三十分ほど練習をしてから、彼女を家へ送り届けてご両親に平謝りもした。
苦情とか苦言を頂戴することにはなったが、そのときにはもう飯泉は、三人組でいたときのような雰囲気に戻っていた。
調子に乗っていて、どこか嬉しそうだった。
やったらやる気になるという言葉があるが、どうやら嘘じゃなかったらしい。
ちなみに、後日彼女を投手に起用し、俺を捕手にポジション変えすると伝えられた、軍事部の部長こと東条は、自分の方針を引っくり返されて非常に不機嫌になったが、監督命令ということで、渋々ながら従ってくれた。
本当はそんなもの無いのだが、この辺りはまあ方便である。
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文章と行間を修正しました。




