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・逸脱と独立の狭間で

今回長めです。

・逸脱と独立の狭間で



 放課後の部室。椅子に座って爪先を地面に着ける。次にふくらはぎに力を込めて、その状態を数秒維持してから脱力しこれを繰り返す。


「サチウス、それはさっきから何をしてるんだい」

「ミトラス、これはふくらはぎを鍛えてるんだよ」


 机の上の猫と語らう私。彼は今日もふかふかだ。


 前回の練習から二日後。俺は飯泉から言い渡された訓練のメニューをこなしていた。その内の一つがこのカーフレイズとかいうものだそうだ。種類がめっちゃある。


 かかとの上げ下げが、鍛え慣れていない筋肉を刺激しとても気持ち悪い。この鈍ってる部分が意識されるから、筋トレは嫌いなんだ。


 ちなみに今日は軍事部が、他所との練習試合の打ち合わせに出かけちゃってるので、合同練習はお休みである。ちくせう。


「どういう効果があるの」

「脚の裏側の筋肉を鍛えて持久力を向上させる」

「筋肉の維持費は人生っていうから大切なことだね」


 飯泉曰く、あまり鍛えてない部位は、直ぐに効果が出る。素人が短期間に結果を出したいのなら、一つを突き詰めるよりも、浅く広く筋肉を付けたほうが総合的に見て、効果があるそうだ。効率的。


「不要な筋肉は絞るというのが、アスリートの常識だけど、俺たちはアスリートじゃねえからな。全身絞るとこまで到達してねえ。とはいえ引き出しは多いほうがいいし、装備も無いより有るほうがいい。レベルも1より2のほうがいい」


「つまり、短期的に効果のある訓練で、全身の筋肉を増やそうってことだね」


「二週間で一箇所に増やせる筋量の、たかが知れてるなら、箇所を増やすしかない」


 理に適ってる。飯泉はとにかく短時間でこなせる練習をわっと出して来た。恐らく自分がやってきたことなんだろう。


 ごく短時間に数セットというメニューが脚、腿、腰、胸、腕と来て、柔軟まで入れるとだいたい三十分ほどで終わる。


 しかしこの三十分が曲者だった。全身を三十分間も全力で動かすとなると、体が疲労でバラバラになりそうなのだ。昨日はバイトが終わって家でやったけど、非常に疲れた。


 風呂に入った後でやっていたら、もう一度汗を流さなくてはならないところだった。


「ただ、こんなものを二週間も続けたら、確かに体は鍛えられてると思うよ」


「君の体がムキムキになるのは嫌だけど、仲間の為の戦いだから、目を瞑るよ」


 そんな悲しいことを言わないでくれ。練習時に腹筋やらされて、バスケットボールをドゥムドゥムやられたときは、俺も内心焦ったんだから。


「頼んだ手前、こんなこと言っちゃいけないけどさ、本格的過ぎるだろ」


「うーっす先輩やってますかー!」

「おわ!」


 勢い良く乱暴にドアを開け放たれる。満面の笑顔で飯泉が入ってくる。既にジャージ姿で、やる気満々である。その後ろには川匂と清水。


「あれ、今誰かと話してませんでした」

「猫」

「はい? あ、猫だ!」


 三人は机の上のミトラスを取り囲むとそれぞれに異なる反応を見せた。


「キンタマ付いてるからオスか!」

「私小動物って苦手なんですけど」

「おーこれは結構なお手前……」


 飯泉はいきなりミトラスの足を持ち上げて確認し、清水は批難するような視線を寄越し、川匂はいきなり揉み揉みし始める。


 どうでもいいが『かわわは』って、止そう天丼は。芸人じゃないんだから。


「先輩の猫っすか」

「そう」

「ていうか猫と喋ってたんですか」


「え、おかしいかな」

「おかしいっていうなら猫がここにいることですね」

「ついて来ちゃうんだよ」


 みーちゃんことミトラスの扱いは野良なので、俺がどうこうする理由は無い。これがペットだったら学校側から、どうこう言われるだろうが、あくまでも俺の飼い猫などではない。むしろ保護者である。


「あるある。あたしも犬飼ってたとき脱走して、お迎えが来たみたいになって」


「はんちゃんは犬派ですけど猫も好きです」

「清水は」


「植物派です」

「かわやんは鳥派です」

「そうか。で、今日はどうした」


 ようやく話を切り出すことができた。

 まあいいだろう。


 かの有名なデーブ・スペクターも、打ち合わせの前には必ず軽いトークを挟んだというし、緊張が解れたと思えば。


 そんな緊張することないけど。


「そうそう、オーダーが決まったんすよ。ユニフォームは無理だったけど」


「そりゃだって、一回きりの試合だし。ていうかもう決まったのか」


「こういうのは決め撃ちして、伸ばしたほうがいいんです」


 飯泉は断言すると、みーちゃんを机から下ろして、代わりに選手の打順とポジションを決めた、プリントを広げる。


 歴史改変で英米圏が壊滅してるけど、スポーツ系の用語は残ったようだ。そもそもベースボールは日本語じゃないしな。


「俺が外野手で真ん中、アガタが二塁で栄がショートだろ。お前らが来る前に、運動部の連中が入部届けを出していったけど、よしよしいるいる」


 運動部からは三人、二人が俺と同じく外野、一人が部長の延清で投手。あいつ投手も出来るのか。


 格闘から野球からパフォーマンスから何でも卒なくこなすな。


「残りは軍事部で一、三塁と捕手。捕手は東条」

「三つの部から三人ずつ出るっす」

「形の上じゃあ一応愛同研から六人ってことだがな」


「あれ、めしずみ出ねえの」

「はんちゃん足速いのに」

「いや、ほら、私は監督だし」


 川匂の言う通り飯泉は足が速い。弾丸の様にとは良く言ったもので、バントで本塁と三塁の間に転がせば送球する時点で、もう一塁に間に合っている。


 かといって非力でもなく、平凡なストレートならある程度余裕を持って、方向を打ち分けられる。長いことやってるだけあって、随分な戦力なのだが。


「いや出ろよ。お前が一番上手いだろ」

「いやでもそれは」


 飯泉は急にそわそわとし始めた。


 落ち着かない様子だ、育ちの悪い奴特有の、今すぐ逃げ出したいという兆候。高速挙動不審。


 しかしこいつ自身は野球好きだろうし、体も鍛えてるし、一昨日あんなにはしゃいでたんだ。


 これは不自然。

 となるとだ。


「さてはうちか野球部に嫌いな奴がいんだろ」


 顔に笑顔を貼り付けたまま、飯泉はぴたりと動きを止めた。キョロキョロしていた頭部と目が、怯えと威嚇がない交ぜになったような顔で、こちらを向く。


「どっちだ」

「野球部ですね」


 横から言ったのは清水。口を半開きにして面倒臭そうにしている。


 野球好きが野球部と、野球の試合をするのを嫌がる理由なんて、幾らもないだろうが、聞こう。


「何があったんだ」


「いや、めっちゃ普通ですよ。学校じゃないほうの野球部にいたけど、こいつ女子だからって途中からハブにされて。自分より野球下手な奴らに、偉そうにされたから、たぶんヤなんでしょ」


 なるほど分かり易い。飯泉も違うとは言わず、俯いてしまった。なるほど分かり易い。


「だったら最初にボール打つけて、追い出せばいいんだな。ポジション変えろ」


『え!?』


「デッドボールは反則じゃないだろ。早く俺を投手にしろ」


 三人は俺が何を言っているのか、よく分からないみたいだった。


 学校は暴力が支配する場所だということを、早めに教育してやらないといかん。でないとこれから三年間の学生生活に、支障を来たすだろう。


 年長の俺とて、新入生に施せる教育は少ない。押し付ける訳ではないが、そういう選択もあることを教えるのは、意義のあることだと思う。


「何も銃撃しようってんじゃないんよだ。相手のピッチャーと数人の選手を潰せば、試合終了なんだ。簡単じゃないか。それにだ、連中は軍事部を潰しにかかってるが、負けたら自分の所が潰れるなんてこと、一言も言ってない。ああ、そうだな、東条に言って向こうが負けたら、ちゃんと廃部になるよう、話してもらわないといかんな」


「いやでも、故意にぶつけるのは違うかと。それにその後の野球人生とか、そういうの」


「そんなものは、お前が心配してやることではない。ここで絶やしてしまえばよい」


「悪魔みたいなこと言ってる」

「いやでも分からなくもないよな」


 飯泉。お前は自分と同じく野球が好きだから、自分を蔑ろにした連中でも、心身とか将来を案じてしまうのだろう。


 チンピラみたいな同族意識と、良心だけど有るだけマシだ。評価できる。


 でもそれはお前に限った話だ。


 ぶっちゃけると他の全員にとって、現在野球部は外敵以外の何者でもないんだよ。そして野球部に勝つのが俺たちの目的なの。


「全員の頭に石を当てたりしないよ。飯泉が出られるとこまで減らしたら止めるよ。な、いいだろ。そうしたら、うちが勝てるんだ」


「……勝つためなら何しても良んすか」


 俺は接客業で培った営業スマイルを浮かべた。三人が何故か怖がったのでとても心外。


「……分かりました、あたし出ますよ」

「ありがとう飯泉」


 そして何故か顔色が白くなった飯泉が折れた。


 良かった。改めて組み直されたオーダーでは、栄と入れ替わる形となり、打順は一番が飯泉、四番が俺、五番東条、六番延清、八番がアガタで、他がそれ以外となった。


「あれ、はんちゃんこれでいいの」

「お前って確か」

「いいんだこれで」


 どうも納得してないというか、含むものがあるが、先ずはマウンドに上がってくれるようになっただけ、前進か。


「これで心配ごとが一つ減ったな」

「あの先輩、聞いていいですか」

「何かな」


「軍事部の部長から先輩の名前はサチコって書くよう言われたんですが、どうして先輩だけ苗字じゃないんですか」


「俺は親が存在してないんだ。学校に登録こそしてあるが、居もしない親の苗字を名乗るのは、おかしいだろう。だから俺はサチコでしかないんだ。たぶんこれからも」


「あ、はい。分かりました。なんかすんません」

「どういたしまして」


 そうして話が終わると、この日は三人共口を利いてくれなくなってしまった。部のためとはいえど、半ば無理強いをした形だからな。


 なるべく人には、あれこれ押し付けないでいたかったが、現実は厳しいな。


 自分と他人のズレが大きいのも知っていたが、やはり目の当たりにすると少し寂しい。


 今更だけど、苦しい立場になったもんだよ。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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