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・避けて通れぬ野球回

今回長めです。

・避けて通れぬ野球回



 遂に終日授業が始まってしまった。とはいえ俺ももう三年生で、クラス替えの結果、初めて穏当な担任と当たった。


 校長室の水槽係である数学の先生だ。白髪頭の五十路ながら、背筋をピンと伸ばした眼鏡族。


 教え方は普通だが、苦手意識を取り除くのが上手いことに、定評がある。


「とまあ学生生活で初めて担任が当たりだったんだ」

「良かったですね先輩」


 現在は昼休み。

 部室で一緒に飯を食ってるのはアガタだ。


 自分の美貌を自覚したのか、小さな伊達眼鏡を掛けシニョンという野暮ったさを、敢えて取り入れるようになった。


 元が良すぎるのでダサくすると、逆に効果的なのを本人も分かってやっているから、言わないでおこう。これはこれで新鮮だ。


「くじ引きに当たりなんて本当にあるんだな」


 いつぞやの福引きでは誰かさんが猟銃を当てたが、アレを当たりに数えたくない。


「人間の当たりはお金より大きいですよ。人生に関わりますから」


「……そうだな」


 今日までの人生を思い返すととても言い返せない。


 ミトラスに召還されたあの日から今日まで、俺の人生は逆転とまでは言わないが、恐らく本来の俺の人生の限界を超えて、好転している。


 そして三年目に突入したこの学生生活も、目の前の後輩や、先輩がいたからまんざらでもなくなった。


 金銭的には親の金で暮らしてたときより貧しいが、あの頃よりは幸せだ。


「そういやアガタ、お前なんか欲しい物あるか」

「え、なんですかいきなり」

「実は卒業制作が、何も決まってないんだよ」


 別にやらなくてもいいけど、どちらかといえばやっておきたい。


「ああそういうことですか。うーん、レジンや粘土で装飾品とかどうです、カメオとか」


「一年かければ作れなくはないか。小物だし、やってみるか」


「じゃあ一緒にやりましょうよ。私も一度はやってみたかったし」


 欲しいんじゃなくてやりたかったのか。とはいえ、あまりお金が掛かるなら見直す必要がある。候補には上げるが、後々調べて置かんとな。


「本職が一緒だとやる前から形無しなんだけど」

「じゃあ私抜きでやりますか」

「ごめんなさい、一緒に練習してください」


 アガタは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。畑は違えど美術の系統だし、やる気もある。


 俺より飲み込みが早いことは間違いないので、先を行くこいつから、教えを乞うのは正しい。


「装飾品の創作は手応えがあります。きっといい刺激になりますよ」


「嬉しそうだな」

「先輩も一つは美術的なことを、覚えたらいいのに」


 そういうもんだろうか。俺としては風景を描くと、背景になってしまう手癖で、もう十分なんだけど。


 音楽方面はネット上の、フリーの音楽を漁るので、忙しいし。


 などと考えていると、部室の入り口に人が立っているのに気が付く。俺たちが話しているのに気を遣い、黙っていたのだろう。奥ゆかしい奴だ。


「あれ、東条お前いつからいたの」

「『卒業制作が何も決まってない』くらいからです」

「東条先輩こんにちは」


 アガタが嫌な顔をせずに挨拶をしたのは、三年軍事部部長の東条だった。下の名前は知らない。


 一年生のときは昭和風ハンサムボーイだったけど、今ではゴリラ体型の偉丈夫と化した。弛まぬ訓練の賜物である。


 彼は勢いよくお辞儀をしてから、こちらへとやって来た。


(こう)女史もお久しぶりです!」


 心なしか嬉しそうだな。まあアガタは美人だしな。それとも好みに合ったのか。


「アガタは男苦手じゃないのか」

「基本的には嫌いですが、この人は同じ味方ですし」


 なんだろう。君は彼を異性としてではなく、戦友として見てやしないか。それだと目の前でときめいているゴリラが、ちょっと可哀想だぞ。


「へー、で、今日はどうしたん。軍事部がうちに来るなんて珍しいじゃない」


「はい。実は事情というか、急な話なんですが、折り入ってお願いが」


「人払いが要るか」

「いえそこまでは」


 とりあえず手近な椅子を引き寄せて、東条を座らせると、彼は顔を僅かに赤くしていた。


 曲りなりにも両手に花だぞ青少年。良かったな。

 花だと思えよ。俺を。


「……部の統廃合の話はお聞きですか」

「統廃合っていうか、一方的な整理というか廃部な」

「ええ、それです」


「生徒同士で話し合えってことだが、誰も応じないし何も言い出さないんじゃないか。そんなことをしても恨みを買うし、学校に居場所がなくなるだけだ」


「仰る通りですが、言い出す所が出始めまして」

「言われたのが、東条先輩のところなんですか」


 アガタに問われて彼は頷いた。真面目な顔つきは、即座に弱ってしまう。


「つまり何処からか、廃部してくれないかと、言われたんだな」


「はい。野球部です。ただうちも当然、拒否はしたんですよ。したんですが」


「大方顧問同士の力関係で、突っ撥ねらんなかったんだろう」


 東条は深い溜息と共に頷いた。口数が減って動きが増えている辺り、精神的にかなり参っているらしい。


 こいつは戦争ものが好きなくせに、打たれ弱いんだよな。


「念の為聞いておくが、顧問を首にしたら部は会として存続できるとか、そういう話はないのか。元々望んでないものを、押し付けられた身の上じゃないか」


 先日クラブ主任に同じことを聞いたら『そんな勝手が通ると思うのか』と勝手なことを言われた。


 死ねって思った。


「落伍者を切り捨てるのは、軍事では甘えです。いいですかサチコさん。基本的に軍隊はね、競争をする場ではないんです。だからこそ厳格さと包容力を、併せ持たないといけません。でなければ不正腐敗が横行するようになり機能不全に陥ります。いじめをするようになった組織は、戦いそのものができなくなります」


 モラルの低い兵隊なんか、ただの不穏分子の集まりだからな。とにかく前線に送って死んで貰わなきゃ、ということになりがちだ。


 そんな状態の部隊が幾らあった所で、物量として数に入れるものではない。民間人への弾圧くらいしか、できることはないが、そんなものを国内に置いておく理由も無い。


「好き嫌いはともかく見捨てるつもりはないと」

「その通りです」


 言い切った。この辺は年長としての風格が出始めたと言って良い。成長したな東条。


「お前の主張は分かった。話しを戻そう。それで? 先生方はなんて」


「生徒同士で勝負をして、負けたほうが退部、ということに」


「まさかそれでおめおめと、野球をやらされる羽目になったんじゃないだろうな」


「そのまさかですよ。部員総出で反対したのですが、今度はは責任者同士の判断、ということになってしまいまして。こちら側からも、なるべく相手と公平になるような競技を提案したのに……」


「例えばどんなのですか」


「野球部でもやる短距離走とか、グラウンド外周とかの基礎体力分野ですね。よりちゃんと鍛えているほうが勝てるようにと、思ったのですが」


「数の暴力が活かせないから却下されたんだな」

「あの、軍事部って野球できるほど人いましたっけ」

「いません」


 アガタの質問に答える東条だったが、今回は浮かれることなく落ち込んでいる。というかお前を見たら、弱小野球部の連中が体力勝負挑む訳ないだろ。


 客観的に自分を見ろ。

 今からでもエースになれるぞ。


「当然ですが人数不足で試合なんかしたら、不戦敗になってしまいます」


「ちなみに野球には反則負けはないらしいですよ」


 へー初めて知った。たぶん違うんだろうな。どうでもいいや。


「ただ人数不足について抗議をしたら、一つだけなら部を選んで、助っ人を頼んでもいいと言われまして」


「だったら運動部に、行けば良かっただろ。延清辺りなら即戦力のはずだ」


 延清というのは運動愛好会の現部長であり、先代部長の後輩で彼氏で好青年の非童貞である。苗字は知らない。


 戦ったことはないけど、防具を装備していれば銃弾も殴り返した先代の部長が、ファイターとして認めたパフォーマーである。


「それも考えましたが、不測の事態を考えれば、女子がいたほうが、いいかと考えまして」


「どういうこと。それなら他の部の女子でも別に」

「……反則対策です」


 額にじっとりと汗を浮かべながら、東条は零した。反則対策。男子野球に女子が混ざるのはいいのか。


 公式じゃないからいいのか。中学一年までなら男女混ざって、球技やることはあったけど。


「女子が試合しても反則にならないんですか」


「なります。ですがそれで反則負けにはなりません。特には罰も」


「ああ、あるよなそういうの。違反とはいうが、何も咎められない奴」


「自分が言っているのは実際に行われるほうです」

「ラフプレーって奴だな」


「はい。女子が混ざっていれば一方的かつ執拗な暴力は振るわれ難いと」


 それは暗に、女子を盾にすると言ってるようなもんだが、しかし現実に女子がいなかった場合、いた場合よりも酷い目に遭わされるであろうことは、想像するに難くない。


 学校とはそういう場所だ。


「なるほどな。その上で俺を呼ぼうと」

「はい。恥を承知でお願いします」


 性別は女子だが、俺のこの身は最早人間を辞めつつある。オスのチンピラ共を威圧するには十分だろう。それに他の女子が暴力を受けるより、遥かに安全だ。


「分かった。受けよう。日時は」


「ありがとうございます。日程はまだです。うちの人数が足りてから、という話なので」


「いっそずっと足りないままで年跨げばいいのに」


 アガタの発言に俺と東条は苦笑いを浮かべた。それが出来れば一番良いのにな。締め切りを破ることは、神話の時代から許されてない。


「で、他にあと何人必要だ」

「三人いれば一人欠員が出ても試合ができるかと」

「私とさっちゃん入れてもあと一人足りませんね」


 その場合は九人野球待った無しだな。


 廃校が決まった学校の野球部じゃあるまいし、まるで少年漫画だ。とうしてこう毎度毎度、面倒なことになるのか。


「他の部に臨時でいいから、兼部って線で引っ張るしかないな。残すは練習だけど、俺もバイトの無い日は参加するから、なるべく声をかけてくれよ」


「はい、お二人とも、今日は本当に、ありがとうございました」


 東条はようやく表情を明るくすると、勢いよく席を立って、大股で部室から去って行った。


「軍事部大丈夫ですかね」


「心配するなら野球部の反則だろう。うちのははっきり言って、評判悪いからな」


 弱小校の野球部など、不良と同じだ。試合ができるとが分かれば、要らぬちょっかいをかけられる恐れがある。これだから体が丈夫なだけの人間は嫌だ。


「それにしても、良かったんですか先輩、二つ返事で手伝うなんて決めて」


「揉め事はまごついた分だけ追い込まれるぞアガタ」


 非戦を唱える奴は、だいたい逃げ支度が済んでいるからな。当事者としての目線と、意識に欠けている。


 顧問の切り捨ても出来ない以上、俺たちは愛同研という集団として戦うしかないんだ。


 何故かっていうとだな。助け合わない互助会なんてものに、俺も皆も留まる理由は無いからだ。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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