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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
二人の卒業編
337/518

・夢幻の隣人

今回長いです。

・夢幻の隣人



 アガタの店『日鬼楼』での送別会は盛大なものとなった。愛同研の他にバイク部、オカルト部、漫研、料理部、電機部、衣装部、運動部、軍事部、園芸部と九つの部が集まり、それぞれの出会いと分かれ、今日までの学生生活を振り返ったり明日からの暮らしを語り合ったりした。


 見知った顔、知らない顔がぎゅうぎゅうに詰まった店内には、制服のまま来た奴もいれば、私服に着替えて来た奴もいる。俺と先輩と南も制服のままだった。南だけブレザーだから別の学校の生徒みたいだったけど。


 教師抜き、生徒のみで行われるはずの宴会だったのだが、OBやOGも駆けつけて座って食うのはほぼ無理になり立食形式となった。大量に出された食事も豪勢の一語に尽きて非常に美味しかった。なんていうかな、語彙が追いつかないんだけどとにかく綺麗で美味かったんだよ。


 レパートリーも多くて全部アガタの親父さんと奥さんの二人で作ったらしいから超人的。会費を出した甲斐があった。食べることに関しては文句なしの満点だった。


 ただその反面トイレの数が圧倒的に足りなくて、バイク部に二人乗り、サイドカー有りなら三人乗りで近場の公園なりスーパーなりに駆け込むなどのトラブルもあった。


 店のお酒以外の飲み物も飲み干してしまい、コンビニまで買い出しに行くこともあった。何分初めてのことだったので、やってみないと分からないことがいっぱいあった。


 でも楽しかった。先輩が会の音頭を取って、馬鹿みたいに盛り上がって、でも特別な話なんか誰もしてなくて、普段はあまり話さないようなのとも話した。


 会は六時前に始まって、九時前に終わった。保護者に迎えに来てもらう奴、自分の足で帰る奴、二次会に繰り出す奴など様々で、建物を内側から破裂させかねないほどいた集団が去った後は、散らかりようとは裏腹に非常に静かだった。


 俺は四月から『日鬼楼』で働くので片付けを手伝った。およそ五十人ほどいたのだが、そんなイレギュラーな増員を以てしても食べ切れなかったくらいクレイジーな盛りをしていたようで、手付かずになった料理は包んで頂いた。これで明日のおかずもばっちりだ。


 先輩も栄も既に帰宅しており、アガタとも分かれ、お土産を片手に家路に着く。誰かに会うんじゃないかって周りを見ながら歩いたけど、不思議と誰も見かけなかった。


 今日が終わろうとしていた。色々なものを終わらせた今日という日が。


「しかしまさかお前まで店に入れてくれるとはな」

「めでたい日らしいからね」


 自転車のカゴの中で丸くなっている物体に話しかけると、彼はむにゃむにゃと返事をする。大分疲れているようだ。


 猫と化したミトラスを連れて行くのは躊躇われたが、アガタが許可してくれたので同伴した。そしてその恩を返すべく、今度は接待する機械と化して生徒たちの精神的なケアに奔走した。


 飲食店に動物がいることに難色を示す人っているけど、猫と水槽は許されるっていう空気、本当ありがたい。


「今日はもうお腹いっぱいだから晩ご飯はいいね」

「そうだな。帰ったら寝るか」


 などとお喋りしながら駅を越え、学校近くを通り過ぎて二十分以上走った頃、俺たちは帰宅した。自転車を降りて玄関へと進もうとして、気が付く。


 そこには先客がいた。雲一つない夜空、月明かりの下に浮かび上がる亜麻色の髪、見知った顔。


「お帰り、遅かったわね」

「南……」


 俺はハンドルに釣り下げていたお土産を持って歩く。穏やかな、自然体で笑みを浮かべている女の前で、何故だか足が止まる。中へ入ろうという言葉が出ない。


「ちょっと付き有ってくれない、荷物置いてきていいから」


 ん、という音が自分の喉から出す。首を立てに振って一旦家の中へ。荷物を置くと、回り込んできたミトラスと目が合う、彼は鳴き声を一つ上げたので、頷いて引き帰す。


「何処行くんだ」

「学校まで」


 歩き出した南の後を追って、並んでからは歩調を合わせる。見れば向こうも制服から着替えていなかった。何時からここにいたんだろう。


「お前さ、送別会終わってからずっといたのか」

「うーうん。アパートの片付けしてた」

「そっか。そういやお前も帰るんだっけ。何時だ」


 南はこの時代の人間ではない。学生やりたさに過去に飛んで俺たちの中に紛れ込んだ未来人である。元の時代に戻れば大学生だ。


「今日」

「急だな、先輩や海さんは知ってるのか」

「うん。言ってないのは、あんただけよ」


 自分の見慣れた道を、通学路を、二人で一緒に歩くのはこれが初めてだな。


「本当はあんたが異世界とか言い出さなかったらそこで言う予定だったのよ」


「そうなのか」

「そーよ。しかもあんたにフォロー入れるために海さんに相談までして」


 二人は『東雲』の海さんにああいうときどうすれば良いのかを聞きに行き、ついでに南は帰還を打ち明けたらしい。


「ごめんな出番食っちゃって」

「いいわよ。これで言うべき人間には言えたんだから」


 言うべき人間。


「いっちゃんと海さんとあんたよ」


 何も聞いてないけど南が答えた。この三人か。


「そういえば、海さんに渡したピカって光る機械、アレ持って帰るのか」


「インスタント洗脳機は前の会社の物だから置いてくわ。これからも必要になるだろうし」


 インスタント洗脳機とはペンライト式の記憶改竄装置である。ボタンを押すとピカッと光ってその光を視た者は放心状態になる。このときくだらないことを吹き込んで信じ込ませることができるという、映画に登場しそうな便利アイテムである。


「下手な銃よりよっぽど身を守れるでしょ」

「従業員の教育と迷惑客の再教育には必要だろうな」


 結局アレは海さんの手元に残るのか。一年に二人も重犯罪者が客としてやってきたからな、あの店には悪い意味で引力があるみたいだし、有事の備えには打って付けだろう。


「思えば色々あったわ」


 南が髪を掻き上げると夜風が流れた。何処にでもある埃を被った石畳みの匂い、街の匂いだ。風上を振り向いたところで誰もいないが、俺たちが学校にだいぶ近づいていることは分かった。


「新卒社会人として重要な仕事に就いたと思ったらそんなことなくて、スピード退社した後はこの学校に通うために、必死になって未来の学校に通って、一年経って戻って。高校生をやり直したいって一心で随分無茶をしたわ」


「俺としては見たかったようなそうでもないような」

「頼まれたって見せない。恥ずかしいし」


「お前の頑張りようで恥ずいなら俺なんか恥の塊だろうが」

「恥インゴットね、あたっ」


 軽く頭を叩くと外れのスイカみたいな音がした。おかしいな。中身が入ってないのか?


 頭が良すぎると脳の圧縮が起きてしまうのだろうか。叩いたこっちが不安になる。


「冗談よ。でも正直ね、いっちゃんみたいな状態になってたから見せたくないのは本当。思えば私たちの騒動ってあの子が起点か中心だったわね」


「肝試しが二回とも当たりっていうのマジでないと思う」


 そして毎回最後は命がけになるの。あの人自身はそこまで被害出てないのも含めて本当度し難い。


「三人でストーカーと戦ったり、先生やいじめとも戦ったりしたわね」


「戦り過ぎなんだよなあ。何故こんなに敵だらけなのか」

「三年生になって落ち着いてきたって訳じゃなかったし」


 俺が異世界転生青年団の件で奔走してる裏では普通の三年生として部活動をやっていた南と先輩。あれだけの集まりのような何かが不祥事を起こさなかったのは、二人が周囲と良好な人間関係を築いていたからだ。


 人付き合いとかロビー活動とかそういうの。あまり人前に出ない俺だけど、面倒臭いだろうなっていうのは何となく分かる。


「学校なんかでイキイキしてるから妬まれたのよきっと。ん、到着っと」

「もう学校か。早いな」


 もっとゆっくりしていたほうが良かっただろうか。俺たちは米神高等学校に着いてしまった。


「見て、サチコ」

「あ、桜……」


 昼間は開花がギリギリ間に合わなかった校門の不甲斐無い桜が、今は惜しげもなく咲き誇っている。


「ゴールだからね、特別にしたかったの」

「確かに出来過ぎだな。似合ってるからいいけど」


 月明かりの下で春の夜風が吹いて、満開の桜が散っていく。これで鳥でもいればな。いや、あながちそうでもないか。


「まだまだやりたいことは沢山あったけど、これが私の高校生活ってことで」


「終わりか」

「ええ」


 木々のざわめきが聞こえる。校門は閉ざされているが、俺たちは隣のフェンスをよじ登って中へと入った。南はグラウンドへ向かって歩いて行く。


 そしてその真ん中まで辿り着いたとき、南は少しだけ前に出てからこちらを振り返った。


「じゃあ、帰るね……」

「先輩たちは呼ばなくていいのか」


「うん。本当は誰も呼ばないつもりだったけど、あんただけは、また不安になるかも知れなかったからね。手のかかる後輩を持つと苦労するわ」


「面目ない」


 南は笑っていた。本心でもあるし、もっと別の気持ちもあるみたいで。


「なあ」

「なに」

「また来るのか」


 自分でも素直じゃないと思った。また会えるのか、そういうつもりで聞いたけど、それを分かった上で向こうは首を振った。笑顔が少しだけ曇った。


「たぶん無理よ。この世界にはもう戻って来れないと思う」

「どういうことだ」


「今はまだ私たちのいる場所に繋がってるけど、それもたぶん消えていくから」


 この世界にアメリカは存在しないが、南はアメリカ出身である。歴史が改変される前の世界の名残というか、その時点ではあった未来から観測していた過去、つまり今を元に戻すために時間を越えたのがこいつの当初の目的だった。


 この世界のこれからに、アメリカが生えることは恐らくないってことなんだろう。お互いに違う道を歩き始める。


「この世界がいよいよ戻らなくなったら、そうでなくても、違う歴史のまま進んで行ったら違う未来に行きつく。歴史を監視している場所は歴史から切り離されているけれど、先ずは未来に出て、そこから繋がっている昔へと向かわないといけないから」


「脈絡もない過去に飛び込んでも戻りようがないか」

「ええ、接点の失われた過去なんて異世界と同じよ。本来の未来と何の関わりも持てない。逆もそう」


 そこまで聞いて、答えが浮かぶ。


「じゃあ本当にお別れなんだな、南」

「そうね」


「なあ、そこまで分かってるんなら、歴史を元に戻そうとは思わないのか」


 南がいる未来を取るか、それとも今のこの世界を取るか、あまりにも大きすぎる排他。でも彼女は全然気にしたふうでもなく、首を横に振った。


「覚えてる。サチコ前にこう言ったわ。『俺は、お前の人生を束縛したりしない』って。それは在るはずの無いあんたたちの責任を私に負わせないことなんだって。あのとき私、あんたの言葉に返せなかったけど、今なら言えるわ」


 南と目が合う。月の光だけが照らし出す、紛れも無い一人の人間の姿。


 等身大の、十八歳の女性の姿。息を吸って、言った。


「私は、あんたの人生を自由にする。それはあんたに、在るはずのない私たちって未来を押し付けないってことなのよ、サチコ」


「……かっこつけすぎだな」

「あんたに言われたくないわよ」


 からかうような意地の悪い笑みを浮かべて、南は下から顔を覗きこんでくる。どちらからともなく吹き出して、おかしさを感じるけど、何を言うでもなく。


「……私、もう行くね、さようならサチコ」

「ああ、さようなら」


 南はそういうとブレザーのポケットから小さな銀色のカードを取り出した。いつか見た野暮ったい携帯電話のような外見ではない。それを指で数回なぞると、彼女の足元が眩しく輝き、風が吹き始めるのと同時に、体が空へと浮かんでいく。


「サチコ! あんたたちと女子校生やったの! 楽しかったわ! ありがとう!」


「俺もだ。元気でな! 南!」

「じゃあね!」


 その言葉を最後に、南は光の中へ消えて行った。月よりも高く飛んで、この時代と、世界と、学校を巣立っていった。


 後には真っ暗な校庭と、耳が痛いほどの静寂が残った。振り返れば夜で真っ黒になった建物と、遠くに離れた電柱の灯りが見えた。


 人の消えた校舎からは、誰の声もしない。


「終わったな」


 寂しいけど、悲しくは無かった。最後に南は笑っていたし、それが嬉しくもあった。目を閉じると、これまでのことが何度も思い出されて、それが今は、本当にあったんだろうかって気持ちにもなって。


 ああ、これが思い出か。俺も楽しかったよ南。色々あった俺たちだけど、悪い終わり方ではなかったと思う。



 ――帰ろう。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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