・幼年期の終わりに
・幼年期の終わりに
気にしないようにと思ったものの、ずっと気になってとうとう寝られなかった。
そして朝になってしまった。今日は皆の卒業式だというのに、この体たらく。
朝の新聞配達が家を素通りした頃には、寝巻きから制服に着替えてしまった。まだ朝飯もまだなのに。
時刻は朝の六時前。
まだ家を出るまでに二時間もある。アホだ。
「ねえサチウス。そんなに気に病むこと、ないんじゃないかな。目の下にクマできてるよ」
「俺も自分の気の小ささに、ほとほと難儀してる」
ベッドの上にあぐらをかいて、そこに乗ってくる白黒猫を雑に撫でる。体力は有り余っていたはずなのに気疲れを起こしている。生あくびが出ては引っ込み、柔軟をして眠気を強めても寝付けない。
二人に全部話したとき、所々ぼかしたり嘘言ったりしないほうが、良かっただろうか。それならいっそ、最初から言うなってことなんだけど、そこは伏せておけなかった。
ゲーム的に考えれば俺が黙ったままだと、ベストとかハッピーとかトゥルーなエンディングには至らないのでは、フラグが立っていないのではと、疑われるのが自然である。
そうだね。現実が見えてなかったね。
「こんなことなら、俺の卒業後のことを、もっと真剣に誤魔化すべきだったのか」
「言い方は悪いけどそうだね」
「でもなあ、それって確かめようがあるだろ」
誰々なら遠くへ行った系の話は俺も考えた。でもこのご時勢調べはつくし、もっと言うと南っていうある意味で、一番遠くにいるやつに確認されたら、一発でアウトなのだ。
この二人を相手にして、何を誤魔化せるかって聞かれたら、確認できないことを盛るくらいしかない。
「まあでも二人ともさ、異世界に興味がなかったし、先輩として頑張ってきたのが、実は自分のほうが年下だったってことにさ、騙されたと思って、プライドが傷付いただけだし」
「騙してはいないし、学校では君のが後輩なのは変わらないのにね。それこそ社会に出たら目上の後輩なんて幾らでもいるじゃないか。うちの役所だって、君とディーを除けば皆年上だったよ」
魔物基準でもお前は坊ちゃんだったろうが。子ども社長とか没落貴族の令嬢みたいなもんだよ。
それとこれはとケースが違う。
違うけど、それを言ってもなあ。
「とにかく今日は二人の機嫌が治ってるのを祈ろう」
「祈るって誰に」
「誰でもいいよ。願いを曲解したり屁理屈で邪魔してこなければ、何教の神でもいい」
「あ、じゃあ入信して欲しいのが、あるんだけど信者になってくれる」
「やっぱりいいです」
「えー、ひどい。檀家さんになってもらえると思ったのに」
猫がもぞもぞと動きながら抗議してくる。どうせのお前のお師匠がやってるガス抜き用の冗談宗教だろ。生憎と俺はバラドル路線に、足をを踏み入れた覚えは無い。
「しかし、暇だな。何も手に付かないし、今から寝ることもできない」
「朝ご飯の用意しておこうか」
「今日はシリアルでいいだろ。式の最中に、催しても困るし」
などと話していると、家のインターホンが鳴った。まだ六時半にもなっていない。
こんな時間にここを尋ねる人間がいるとは思えないので、俺はミトラスに目配せをして玄関に向かった。
「はい、おはようございますって」
玄関の戸を開けると、道路の離れた場所に見知った人影が二つあった。
どうしてそんなに離れているんだろう。南と先輩がいた。
「おはようサチコ」
「おはようございます、ね。サチコ」
俺と同じく制服に着替えた二人が、朝の挨拶もそこそこにやってくる。なんだろう。居心地が悪い。
逃げ出したいがここ俺の家だし。もしや昨日の件で怒ってるんだろか。
「あんたその格好どしたの」
「いや、寝られなくって」
「だからさあ、気にし過ぎなんだってば」
先輩が物分かりの悪い奴を、相手にするときの苛立ちを声にする。こればっかり性分なので、中々変えられない。とはいえ、俺の家にこいつらが来るのも久しぶりだな。
「まあ上がっていきなよ。殺風景なままだけど」
「ここでいいよ。少し話して帰るから」
見れば俺と同じく制服姿だ。
流石に寝てないとこまで、一緒じゃないようだが、かなり眠そう。特に南の機嫌がとても悪い。
別に低血圧じゃなくても、寝起きが良くない人間はいるんだな。
「あんた勝手に傷付いて逃げんじゃないわよ面倒ね」
「うるせえな。それはもういいだろ」
「良くないからこうしていっちゃんと朝早くからやって来たんでしょ馬鹿」
喉の奥から、吐き捨てるような語調で言う未来人。普段なら食ってかかるとこだけど、色々無理してるんだなと伝わってくるので、怒るのは保留しておく。
「サチコ、私たちは昨日の言葉を取り消したり誤ったりしないし、別に悪くないから、悪いとは思わないんだけど、誤解だけは解いておきたくってね」
誤解。どういうことかと思ったけど、それは続きを聞かされて判明した。
「私らあんたに傷つけられてなんかないし、あんたのことも怒ってないわ」
「それくらい別にって感じでごめんだけども。本当に異世界とか、興味も意味もなくてさ」
「言い方が気に入らなかったんでしょうけど、私たちなりの強がりよ。分かるでしょ」
先輩が弱ったような笑みを浮かべ、南は腰に手を当てて踏ん反り返る。
とても強がりには見えないし、怒っているようにも見えるが、空気を呼んで黙ってよ。
「そりゃちょっとはね、先輩風吹かしてた自分のピエロっぷりが恥ずかしくはあったよ。でもそんなことでサチコを恨んだりしないし。ただね、振り返って見れば、お前にだいぶ守られてたなって。だからそれも終わりにしないといけないからさ、きつい言い方だったかな」
「そんなことはありません。俺はただ、自分が余計なことをしたんだなって思って」
「余計とまでは言わないけど、意味は無かったわね」
南が鼻息を荒くしながら髪をかきあげる。良く見れば亜麻色のゆるふわ髪が、ゆるふわしてない。こいつの性格を考えれば、それよりもこっちを優先してくれたんだな。
付き合いが長くなって、ある程度お前っていう人間が分かってくると、段々腹も立たなくなっていって、不思議な気持ちだったよ。
「そっか、ありがとう。安心した」
「良かったー。今度はしくじらずに済んだみたいで」
先輩が眼鏡を外すと、制服の裾でレンズを拭いた。そのときに目が合ったけど、直ぐに照れたように笑って掛け直してしまう。
素顔をちゃんと見たのって初めてかも。
「でもよ、何も今じゃなくても良かっただろ。それこそ式の後でだって」
「私もそう言ったんだけどさー、みなみんがどうしてもって」
「あんたが心配してるかもって思ったから、わざわざ来てやったのよ」
きっぱり言い放つと、南はひたと俺の目を見つめてきた。真っ向から微動だにせず、曇り一つない。力強い輝きを秘めた視線だった。
「あれから私らも考えんだけどさ」
「心配するかも知れないって心配するなんて、分かり難いのよ」
どんな感情でもない。たぶん無心でものを、言っているんだと思う。一人の人間として話しているのが、ひしひしと伝わってくる。
すっかり立派になったな。
「うん、えと、ありがとう……」
頭が上がらんし、なんか顔が熱くなってくる。
ちょっと頭が回らなくなってくる。
でもなんだろな、嫌ではない。
「よし。じゃあ後はアレやって引き上げようか」
「そうねいっちゃん。いっせーのでやりましょうね」
二人はそう言ってちょっと離れると、息を合わせて何をか言おうとした。
何度か恥ずかしがって失敗したが、ミトラスが急かすように鳴くと、咳払いをした。
気を付けの姿勢をとり、声を揃える。そして。
『サチコ! 私たちのことをいつも心配してくれて、どうもありがとう!』
……。
…………。
………………。
「ま、そういうことだから、また学校で会いましょ、サチコ」
南は笑って去っていった。残った先輩は、こっちに来ると、ぽつぽつと話し出した。
「愛同研はさ、皆して同じ目標を目指してるんじゃなくて、同じ目標の人たちが、集まってるだけなんだ。だから本当は、集団じゃない。一人一人の独歩独立。そんなだから、サチコみたいにしてもらうと、私みたいなのは、何だか戸惑ってしまうよ。でも、今はそれが良かったって、嬉しかったって感じるよ」
見上げながら、そう話してくれる先輩は、真っ直ぐに言葉を、投げかけて来た。
「私が勝手をやってるだけだと思ってたあの場所が、お前を守れていたのなら、良かったって、思うんだ。それじゃあサチコ、また学校で会おう」
ぽんぽんと腕を軽く叩かれた。
先輩は、ずっと大人びて見えた。
いや、もう大人なんだろう。
励ますような笑顔を浮かべ、去っていった。
「サチウス」
「ごめん、もうちょっと、したら顔、洗うから」
今日は卒業式なんだ。二人の。
早く支度をして、行かないといけないのに。
顔が熱い。
心臓の鼓動が速くなってるのに、それなのに。
俺は今、すごいほっとしてる。
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