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出戻りサチコのやり過ごし  作者: 泉とも
二人の卒業編
331/518

・優しくする相手は選ぼう

今回長めです。

・優しくする相手は選ぼう



 部室に戻って来たのが午後四時。


 皆の姿は既に無く、俺の荷物と『先に帰りますので戸締りよろしくお願いします新部長』という、栄の文字らしき書き置きだけが、残されていた。


「いやまあいいけどさ」


 俺が部室に最後まで残っていることはあまりない。だいたいが顔見せしてバイトに行くか、一足早く下校するかのどちらかだ。


 ミトラスがいるとは言え、家事の当番制は存続しているのだ。


「静かだな」


 ぽつりと呟いて見ても、返事は無い。三月になったとはいえ、まだまだ日は短い。校舎にあとどれだけの生徒が残っているだろうか。


 廊下と部室の電灯は点いているけど、無人の教室は暗い。明暗が人の有無とイコールであったら、安心感はあったろう。


 暗がりに怪物が出るから、明るい場所にいようというのは、本当に親切な話だ。


 他に怪物が出ない場合でも、出てくる怪物が人間だから、それを警戒する仕事となると、気が重い。


 先輩の場合は人間関係が、概ね良好だからそんな心配とは無縁だったが、俺の場合は関わり合いになったろくでなしから、逆恨みされてる可能性が高い。部員への嫌がらせや、お礼参りには十分注意が必要だ。


「ロッカーよし。机よし。ボードよし。私物よし。後は窓の鍵、よし」


 指差し声出し確認して部室内の点検を終える。このまま明りを消して、鍵をかければ、もう家に帰ってもいい。六時過ぎまで粘ってもいいが、一人で何をしたらいいのか。


 振り返ってみれば他の連中の手伝いをしたり、用事に駆り出されたりすることもあったが、俺はこの部で俺だけの用事というものを、持ったことが無かった。


 自分のためだけの、趣味的な行動というか、遊びや熱中するものへの取り組みが。


 いまいち私欲に乏しい。具体的には他の部員たちのように『自分はこれが好きだし、やりたいからやる』というものが、欠如している。


 没個性的、一昔前の周りがイロモノだから、普通が個性として成り立つ主人公というか。いや、流石にそれはおこがましいな。


「うーん、やりたいことが何もない」

「あのすいません。ちょっといいですか」

「うおっああはいはい、どちら様でしょうか」


 廊下側から一人の女子に、声をかけられた。ノックくらいして欲しい。見ればその相手はオカルト部部長の蓮乗寺桜子に、眼鏡を足して不健康にしたような感じの子で。


「あ、私です私。ほらこれ」


 そう言って彼女は鞄から、ハンチング帽を取り出して被って見せる。瓶底眼鏡にハンチング帽、石膏みたいな肌の色と、対象的な目の下の深いクマ。


「あ、漫研の、ご無沙汰してます」

「お久しぶりです」


 頭を抑えながらぺこりとお辞儀をする彼女は、愛同研連盟部の一つ、漫研の部長だった。


 一昨年はまだ大人しかったが、去年からエロを描くようになって、性格もガラっと変わった。そういえばこの人も、三年生だったな。


「先輩たちならもう帰ってて、生憎俺一人ですよ」

「あ、いーのいーの。そのほうが好都合だし」

「どういうことです」


 訝しむ俺に、彼女は軽く手を振る。


「私今ね、学校の中を描いてるんです。それもなるべく無人の」


 彼女が言うには、卒業する前に人のいない校内を、できる限り描いておきたい。それで他の部に『戸締りは最後に自分がするから、中を見せて欲しい』と頼んで回っているとのことだった。


「そういうことならどうぞ、外で待ってますから」

「え、帰ってもらって大丈夫ですよ」

「言い難いんですが、特にすることもなく。どうぞ」


 中へ入るよう促すと漫研部長は小さく相槌を打つ。そして鞄に雑に突っ込んでいた、スケッチブックを取り出すと、部室の入り口から中を描き始めた。


「早いですよね、もう終わっちゃいました」

「え、まだ五分も経ってないけど」

「学校のほうですよ」


 喋りながらスケッチを続ける漫研部長。


 ラフにラフを重ねては、消しゴムで消して形を整えていくやり方で、正直細々とした物が多い、うちを描写するのに、相性は悪いと思った。


「ああ、最初に会ったときは、漫画のネタ出しにつき合ってくれ、なんて言われましたっけ」


「そうそう。あのとき怪奇幻想がどうこうって言ったけど、描いてみたらあんまり面白くなくて」


 唯一完結させられた家庭崩壊ものの長編の作風を、何故かは知らないがファンタジー路線に使い回したいという、けったいな理由がスタート地点のアレ。


「去年は寝取りの講義を後輩たちにしてたけど、随分雰囲気が違ってて」


「あんなの素で話せるほど精神丈夫じゃないですよ。でもえっちなのはいいです、NG避けるだけでいいから話をあんまり考えなくていいし、そこそこ儲け出せて読者も優しいですから、人間の絵もどんどん上手くなれます。自分が褒められる環境を用意したいなら、避けて通れないですよ」


 なんて物悲しい互助なんだ。


「人以外は」


「こうして地道にやるしかないです。背景は才覚に直結しますから、サボれないですよ。知識と経験、感性と練習量、全部が正比例になって出てくる。自分にない分野の才覚は、真似れば幾らかは身に付きますし、後は引き出しと中身の数です」


 漫研部長は淡々と部室内を模写していく。本棚には愛同研全体の発行物が並び、床には様々な中身の紙袋が置かれ、机の脇には鞄やキーホルダーが引っ掛けてあり、ロッカーは半開きで誰の私物か忘れてしまった物が、溢れ出している。


「今は何か描いてるんですか」

「はい、高校生女子三人組の学園生活ものを」


「ああ、あの一人では主役を張れないようなキャラの集まり」


「水槽とかビオトープ眺めるようなものだから、主役が云々っていうのは違いますよ」


 要するに昆虫観察みたいなもんか。気持ち悪いな。


「そういえば俺、漫研の漫画ってあんまり読んだことないんですよね」


「だいたい完結しないし印刷もしませんからね」


 漫研の漫画が存在するのは、文化祭で頒布されるときくらいだ。形にできる部員は少ない。いや、エロに転向してるから、出す訳にいかないのか。


「先輩は卒業後どうするんです」


「進学するけど、目標は同人誌で生きてける様になることね」


「雑誌連載じゃないんですか」


「このご時勢一緒に仕事ができる出版社なんて、ほぼ無いから、それなら自分でウェブ漫画の出版社を立ち上げたほうが、まだいい」


 この人もこの人で考えが無いではないんだな。


 しかしさっきから立ちっ放しなのに、座って描いてるのかってくらい、正確に手を動かしてるのは凄い。


「編集者になりたいんですか」

「まさか、生涯現役でいたいですよ。よし描けた」

「速いなまだ三十分くらいなのに」


「清書は後でやりますから、原稿だって進めないといけないし」


「それって何処で見られますかね」

「最新話の下書きなら、ここにありますけど」


 漫研部長が鞄の中から、オレンジ色のファイルを取り出して、こちらに差し出してくる。中には古式ゆかしい漫画の生原稿が入っていた。


「読んでも」

「どうぞ」


 俺はファイルを受け取ると、彼女の分の椅子と机を引き寄せてから、自分の席に座った。


 しまった、さっきまでの風景を崩してしまった。

 まあいいか。


 漫画の中身はさっきも言っていた通り、女子高生三人組の学園生活ものだった。


 背が低く行動力溢れる天才少女と、逆に背が高く体力自慢だけどあまり動かない大女と、コミュ力の高いバランス型の美少女という、どこかで見たような組合せだった。


「思えば以前もこんなふうなこと、してましたね」


「あの頃はしどろもどろになってて、ご迷惑をおかけしました」


 会話をしながらも漫画を読み進めていく。


 ほとんどは白紙にコマ割りや、吹き出しが置かれている程度だったが、三人がこれから自分たちの部活を作ろうと、何やら頑張り始めることは分かる。


 この三人は、これから始まるんだな。


「面白そうだからまとまったら読ませてって、ああ、そっか」


 漫研部長は少しだけ悲しそうに笑った。この人は卒業するから、この話はこの学校ではもう、読めないんだな。


「まだまだ資料も足りないけど、頑張って描くから」

「資料ですか」

「背の高い人なんかほとんど想像で描くしかないし」


 そりゃそうだろう。俺みたいに背が190cmに届かんとしている奴なんて、そうはいない。


 うーん、そうだな、恥ずかしいけど餞別代りと考えることにしよう。


「先輩、それなら俺も、少しはお役に立てるかもしれませんよ。答えられることがあるかも知れませんし、実際にモデルがいると、話も考え易いと思うし」


「え、そりゃ願ってもないことですけど、本当に良いので」


「一足早い卒業祝いとでも思って頂ければ」

「ありがとうございます、言質取りましたからね!」


 アレなんか今不吉なことを言われたような。


「じゃ、じゃあ早速うちの部室に行きましょうか! 映像資料として撮影もしますからね!」


「それってただのインタビューですよね」

「途中で止めるは無しですからね!」


 こうして俺は迂闊な施しをしたばかりに、漫研の部室へと流されて、自分の発言の責任を、果たすことになってしまった。


 最初は当たり障りのない質疑応答だったのが、次第に動きを撮るようになり、そこに漫研部長も参加するようになり、やがて蝉のように抱きつかれたり、マットの上に肌着で寝転ぶ彼女の上に覆いかぶさったり、クソ寒いのに水着撮影をしたり、魔法少女のコスプレをさせられたときに浮かべた、嫌そうな顔を撮影されたりと、段々本性を隠さなくなっていった。


 斎が以前に俺をモデルにしたエロ同人を出した際は頭を思い切り掴んでやったが、こいつの場合はどうしようか。取材と称した淫行紛いが続く間ずっと考えていたが、アイディアがまとまらない。


 外がすっかり真っ暗になった頃、瓶底眼鏡のゴロ女は上気した顔面に、弛緩した笑みを貼りつけながら、その実獲物を見る動物のように、爛々とした光を両目に浮かべていた。


「あの、最後に胸の重さを、その、量らせてもらっていいですか」


「……金取っていっすか」


「幾ら欲しいの、言ってください!」

「いや、なんかもう、もういいです」


 あのままこの人を放置しておけば、こんなことにはならなかっただろう。これは俺がやらないほうが良いことを、やってしまったことに対しての、罰とか何かなんだきっと。


 世の中には、関わらないほうがいい手合いがいる。そんな当たり前のことを、この人は思い出させてくれやがって。綺麗に終わらせたかったら、終わりにしておくのが大事なんだな。


「ウヒョー!」


 捧げ持つような姿勢の手に、両方合わせて1kgの重量を越える乳をどしっと載せてやると、漫研部長は嬉々として揉み始めたが、十秒かそこらで息を切らせ始めた。


 体勢に無理がある上に筋力が無さ過ぎる。持ち上げていた腕が、ぷるぷると震え始めた。


「あれ、お、重くない?」

「そりゃどーも」


 なんだろう、これと全く同じような状況が、前にもあったような気がする。


 嬉しくないデジャヴだな。

誤字脱字を修正しました。

文章と行間を修正しました。

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