・旅に出るぞと言うときは
・旅に出るぞと言うときは
安全の確保されてない高い所で、延々と惚気話を聞かされる状態から、ようやく解放されたのは、午後も三時を回ってからだった。
ただ突っ立っていただけなのに疲労が凄い。自分でもげっそりしてるのが分かる。
「なんだよ自分の強さに付いてこれるのがあいつだけとかふざけんなよ」
流石にくたびれているせいか、独り言が口から零れ出す。馴れ初めはライバル関係だったけど、後年異性として好きになったから、自分から告白したとか知らないよ。聞いてないよ。
「こういう話はさ、こっちが聞きたいときに聞いて、初めて面白いんだよ。もののついでに垂れ流していいものじゃないし、何より安全を確保してから話せよ。なんで高い所に上らせてからすんだよ。高所とお前の恋愛に何の接点もなかったじゃねえか」
地味に手摺り一つない場所で、他人を担ぐのは非常に怖い。責任も人一倍だ。運動部の部長こと風祭は、全然気にしてなかったけど、冗談じゃない。俺のほうは今にも泣きが入りそうで、実際に今入ってる。
「もうしばらくあいつとは口利かない。街で見かけても見なかったことにする」
そうして俺は一度校舎を出て敷地内を歩いた。高い場所で怖い目に遭ったことで、自分を落ち着かせるために、低いほうへと逃げた。
胸をドンドンと、やや乱暴に叩きながら、深呼吸を定期的に行う。
早鐘のように落ち着かないのに、すこぶる冷えてる心臓の調子が、自分でも分かるくらいおかしい。一度横になったほうがいいかも知れない。
こういうとき誰かと、他愛ない話をして、気を紛らわせたい。
誰かいないか、そう思いながら彷徨っていると見慣れた駐輪場へと出た。ここから少し先に行くと、園芸部の花壇がある。
彼らの大半と面識はあるが名前を知らない。お互い名前を呼ばなくても、部活動や人間関係は損なわれないので、不自由はない。
そうだな、卒業式に何の花を送るかとか、そういう当たり障りのない話をして、気持ちを落ち着けよう。やはり暮らしに花とか緑があるのはいい。
もっと言うと、それらを管理してくれる人々のいる生活が良い。
――などと思っていたのにだ。
「お、サチコさん。こんにちは」
「おうコンニチワ」
園芸部の手前で、バイク部の部長に声をかけられてしまった。こいつらはバイクのメンテナンスや、その勉強をするために部品を持ち寄り、駐輪場でごそごそしていることがよくある。
現にこうして足元に広げられたブルーシートには、計器類の部品らしきものが並べられている。
そして目の前にいるのは、規律に厳格そうなオールバックの青年、バイク部の部長だ。鋭い目付きは作業用の物らしき眼鏡で、封印されている。
「珍しいな一人か」
「私事ってやつでしてね」
内輪のノリという共通項の下、体育会系と文化部のメルトダウンを起こしている彼らは、普段は他の知り合いを見かけても、会釈する程度に済まし、直ぐ様また自分たちの好きなこと、即ちバイク弄りに精を出し始めるのだが。
「なにやってんの」
今日に限ってどうしてお前一人だけ、こんな場所でタコメーターを弄ってるんだ。
「いえ、オレも卒業ですんでね。したらバイクに乗りますよ」
「ああ、いよいよ組み上げんだな」
バイク部の連中は学校にこそ乗って来ないが、だいたいは原付免許を持っている。そして卒業時には自分が組み上げたバイクを、OBに持ってきて頂き、それに乗って帰るのだそうな。
何気に他の部に比べて、明確に文化形成してるんだよな。
「でもよぅ。今時タコメーターって積む必要有るか」
「ふふっ、良んです。自分の机の上は、自分にだけ分かるよう、散らかしたいんです」
分かるような分からんような言い方だ。ただ一つ確かなのは、バイク部部長の笑みが、余裕ある苦笑だってことだ。
たぶん他の部員からも同じようなことを言われたんだろう。
『分かってるんだけどオレはこれが好きなんだ』とでも言うような、照れの入った弱り。弱ってるのに何故照れるかって、それは自分の好きって気持ちに曇りが無いからだ。
トレンドじゃないのは知ってるし、並んで走れば仲間が恥ずかしい思いを、するかも知れないが、自分に譲る気はない。そういう誇らしさ。
信仰心や忠誠心のような、所属や帰属によって培われる精神が、こいつには既にある。バイクに自分の居場所を見出しているのか。
「うちの部活っていうか、この学校じゃお前らが一番男の子してたな」
「そうですか」
「好きなことに一生懸命っていう点では」
バイク部の部長は小さく笑ってから、無言で足元の部品を手に取った。
「自分たちにとっては、お洒落や遊びに熱中するようなもんです。大したことじゃないですよ」
「大したことないのに毎回本気だったよな。傍で見てても、お前ら馬鹿ばっかりしてたぞ」
笑いが少し大きくなる。どうやら彼は、メーターのレイアウトを考えているらしかった。
数字の形、針、土台の色、レンズ、一台に組み上げるための選択を、どうにも悩んでいる。
「そうですね、原付を無理矢理バイクにしようと三輪車にしたり、半裸になったり農機を改造したり、脱法してから保険に入る手段を模索したり」
ろくなことしてねえなこいつら。
「金掛かりますが、一生やってたいって思いますよ」
「金掛かるのにな」
「一生を生きていくのなら、一生働くもんです。その中で稼いだ金を、どう使うのかって聞かれたら、自分たちはたまたまそれが、バイクだったってだけなんですよ」
彼は数字のセットを選び取ると、他の文字を小さなケースへと仕舞った。
「勿論、どこかで所帯を持って、バイクから車に乗り換える日が来るかもしれない。そうでなくともバイクに乗った奴は、いつかバイクを降りる日が来る」
「お前らに人間の彼女が出来るとは思えんな」
「バイクに惚れたんだから、人間だって好きになるでしょ」
すげえ理屈だな。
しかも確固たる口調で言われたぞ。
「でもそれの何が悪いって訳じゃないんです。ただそれだけ。大方の節目は寂しいもんなんです。どうして寂しいかって言ったらね、行ったら行きっ放しじゃ、ないからです」
バイク部の部長は次にオレンジ色の針を選んだ。両手を合わせて閉じ込めると、針は暗がりの中で、白と黄色の中間ほどの色で光った。蛍光のようだ。
「帰ってくるし、仮に行きっ放しだとしても、行き先は告げるんです。相手は人によって違いますが、自分が何処かへ行く。それを言うと、無性に寂しくなる。心細いのかも知れないし、気持ちが揺らぐのかも知れない。でも始めるときは言うんです。そんなときバイクがあると、歩き出せるんです」
そう言って今度はメーター本体を掴む。黒色の本体は柔らかな質感をしており、文字盤の土台は何処にでもある白、ここにさっきの数字と針が並んで行くのだろう。
「バイクで歩き出すのか」
「ええ、意外とそんなもんです」
「卒業したらどうすんだ」
「進学します。エンジン周りの量産方式※に、就けるくらいにはなりたいですしね。もっとも、いつか自分専用のフレームを組みたいとも思ってるから、旋盤にも手を出さないと、いかんでしょうね」
※ライン作業のこと。
「指を飛ばさないで済む安全具を先に作れよ」
「そうですね、ハンドル握れなくなったら、元も子もないですからね」
二人で声を出して笑うと、彼は最後に磨き抜かれたレンズと、パーツを固定するための、銀色のフレームを選んだ。
「勤めてみれば、良い三年間でした」
「一度もバイク走らせてねえだろ」
「その代わりみっちり勉強しました。これまで乗らなかった分は、これから毎日乗って取り返しますよ」
そう言ってバイク部部長は片付けを始めた。
こういうのは手伝ってはいけない。
せいぜいできることと言えば、風で細かい部品が飛ばされないように、することくらいだ。よって夕日を遮らないようにして、風上に立つ。
そうか、もう三時過ぎてるから、日も落ちて来るんだった。
「ありがとうございます。卒業式、楽しみにしてて下さい」
「締め切りも大事だけど、寝不足で運転すんなよ」
苦笑で会話を締めくくった後、俺はその場から校舎へと引き替えした。彼はもう少し残るだろう。
何となくそんな気がする。
……俺より三つは年下なのに、どいつもこいつも、すっかり大人びている。もう子どもじゃないってことを皆薄々気付いてて、最後にそれをやり遂げていく。
「行き先を告げると寂しくなる、か」
独り言が口から零れる。
帰るにしても、行くにしても、それを誰かに告げるから、始まりもする。
そういえば俺も、行き先を言わなきゃいけない奴がいたっけな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




