・人間という名のレガリア
今回長いです。
・人間という名のレガリア
桜の開花が当日間に合うか怪しい今日。三年生は卒業式の練習を済ませ、俺たち在校生は、最後の授業を終えた。
試験に出ないからか、教科書の後ろのほうがかなり残っているが、この件で教育カリキュラムの見直しが迫られたことは、ない。
愛同研では今日も変わらず、居場所が有るのか無いのか分からない面子が、うだうだとしていた。
「平和ね」
「最後くらいは大人しくするものだよ」
「その言い方だと悪役っぽいですよ」
先輩と南と栄が会話をしながら、基盤のような物を製作している。よく分からないチップをハンダ付けしたり、カタログで見かけるコアやらメモリーやらを、組み上げたりしている。
「それ何してるんです」
「パソコンの自作だよ。今回は市販品をね、模造してみたんだ。それを組み込んでみる」
「手作りのパチ物とはいえ、一応はそれぞれ動作確認済みよ」
「まだ問題は出て無いので、出るとしたら組んでからですね」
こいつらは相変わらず、何処を目指しているのか皆目見当も付かない。
いや、気の向くままに無軌道なのが、うちの正常な有様なのかも知れない。
「外枠はどうするんですか」
「基盤を組み終えてから考える」
肥大化して、デスクトップになるオチが見えるな。こいつらはこれに熱中してるし、今日は特に用事もないから、どうするかな。
早めに帰ってミトラスと過ごすのもいいけど、折角だし静かになった校内でも、見て回るか。
「ちょっと散歩行ってくる」
「別にそんなこと宣言しなくたっていいわよ」
「なんだか家みたいですね」
強ち間違いじゃないな。そんなふうに思いながら、俺は部室を後にした。
「さて、ああ言ったものの、何処へ行くかな」
廊下に出て一人言を呟く。誰もいない。大抵の生徒は帰るか、街へと繰り出しているんだろう。
用も無いのに学校に残るなんて奴は、あまり見かけない。そもそも学校が子どもにとっては、安全な場所じゃないからだ。
まあ、それを言うなら、じゃあ俺は何だって話になるんだけど。いいや、四階から順に回って、愛同研に連盟してる部でも、覗いてみるか。
目的を決めて足を動かすと、幾らもしないうちにいい匂いがしてくる。理由は一つ、料理部の部室があるからだ。
家庭科室のような調理施設も無いのに、当たり前のように飯を作っている。もう授業は終わってるのに、今日も変わらず営業してる。
「あれ、今日はあんただけか」
「ん、おう。確か北さんとこの」
暖簾代わりに教室のドアを開けて、中にいた人物に声をかける。あまり面識のない男は、料理部の三年生で部長の男。
先代は大仏のような人物だったが、こいつは鬼瓦である。名前は知らない。
天然パーマで顔が分厚く、人相もおっかないが立派な料理人だ。制服姿が似合わないこと、この上無い。
「サチコ。他の部員はいないのか、飯作ってるのに」
「ああ、流石にな。これは癖みたいなもんだよ。三年もやってるとな」
空き教室の一角を整理して、机にはカセットコンロと材料、床にはクーラーボックスが置かれている。
中には水が入っているから、流し台みたいな扱いなのかな。そして教室のコンセントに繋がれた炊飯器。いいのかこれ。
鬼瓦はコンロの上に置かれた鍋で、何かを煮込んでいるようだった。黙ればくつくつという音が聞こえ、中を見れば白菜と、お豆腐の姿が確認できた。
「おっと鍋か。邪魔したな」
「いいよ、つっついてけよ」
鬼瓦が実年齢にそぐわぬ皺に満ちた顔に、小さな笑みを浮かべて誘ってくれた。お言葉に甘えて向かいの席に座る。ああ、湯気から立ち昇る出汁の匂いが胃を清めていく。
「さっきまではさ、一人鍋しながらしんみりと三年間振り返ってみようって、ちょっと感傷的なことを考えてたんだけどよ、客が来たなら仕事をするさ」
「じゃあほれ五百円。客だから代金だぞ」
財布から取り出した硬貨を、鬼瓦は合掌してから恭しく受け取った。そして鞄から豚肉とうずらの卵を取り出して鍋に投下していく。
「なんだよ五百円にしては随分気前がいいな」
「もっと寄越したらもっと入れるよ」
ニカっとさっきよりも、格段に眩しい笑みを浮かべて言う。もう五百円渡そうかな。
そうして新たに足された具が、よく煮えるのを待ってから、彼はコンロの火を落した。
鞄の中から二つの茶碗としゃもじを取り出し、炊飯器から白米をよそって、一つは俺に差し出してくる。受け取ると今度は、お玉と割り箸を渡してくる。
「お前その鞄に勉強道具入ってねえだろ」
「当たり前だろ。もう授業はねえよ」
そういう問題ではない。こいつは日常生活でも絶対学校の教科書や、ノートを持ち歩いていなかったに、違いない。
「まあいいけどよ。食べてもいいのか」
「勿論どうぞ」
手刀を切って、お辞儀をしてから頂きますと言う。向こうも同じことを言ったのを聞いてから、俺は割り箸を開いた。
取り皿やお椀は無いので、鍋から直接具を摘む。
「どうかな」
「普通だな。誰も嫌いにならない味だ。頭ん中が平たく空いていく奴」
「今回は好き嫌いとか考えてないからな」
鬼瓦はそう言って自分も食べ始めた。俺が控え目に白菜を食べたのに対し、こいつはいきなり豚肉を食い始めた。ずるい。
「そういやあんたって、好き嫌いの別れる味付けばっかり、してたんだったな」
「相手のことを考えて作るなら、相手の好きな味を考えて作るもんだしな」
好みの合う合わないを人に任せるのではなく、最初から合う人間にだけ向けて作る。この方針が先代と対立してたそうだが、これはこれで一本芯が通っていると俺は思う。
「でもよ、自分の料理が好きな人間にだけ向けてってのは、料理人としちゃ危うくないか」
「先輩にも言われたよ。いつかそれで目が曇るときが来る。そのときがオレの壁だってな」
お玉で汁を白米にかけ、さぶさぶとかき込む鬼瓦。こいつら本当に高校生らしからぬよな。
「自分が飯を食わせたい人を選ぶ、それがいつしか自分の飯を食ってくれる人を、探すようになる。自分のためだけに。料理人としての自負や自信を失くして」
「自分の力でいるんじゃなくて、いさせてくれる相手を探すってことかい」
相手あっての料理人だが、難しい塩梅だ。
「そう。自分が作ってやるんだって、仕事の上に立つ腕前や、気持ちを忘れるなって、あの人はそう言いたかったんだろうって。いなくなった一年、厨房に立ち続けて気付いた」
教室は厨房じゃないけどな。豚肉とお豆腐を取って食べる。味付けもあまりしてないのだが、喉越しと食感で飯が進む進む。
「というと」
「資格も職業も蓋を開ければ『人間ができることと、知ってること』に名前を付けただけだ。取柄を説明するのが面倒臭かったり、アレとかコレで済ますには数が多すぎるから、付けただけ。だけどな、名前は意味のためにあるけど、記号に過ぎない訳じゃない」
うずらの卵を二つ茶碗に移して潰す。汁を注いで黄身を溶く。啜る。舌の根にまろやかな苦味が広がっていく。鬼瓦は続けた。
「料理人の意味は、料理をするための動きが、できる奴だ。でもオレたちがその字面だけの生き物なのかって考えたら、違うだろ」
「そらまあな」
料理を食べてくれる相手に料理を作ってやる。
料理人を食わせる相手に料理を作らせて貰う。
違いはあるだろう。
「人間なんだ。工場で世界中の料理を、人間よりも上手に、大量に作れても、それを料理人とは呼ばない。オレの好き嫌いに対する方針は、一歩間違えればオレから、料理をする人間というものを、消してしまうものなのかもって」
「よく分からんが、なんでそう思ったんだ」
「うちによく昼飯を買いに来る生徒がいるんだけど、結構な偏食でさ、見てるうちに自分の好きなものを、出してくれる相手を探してるだけだって分かってな。そこに相手は有って無いようなものなんだと、気付いたんだ。人間に対する仕打ちじゃないだろ」
極論そいつは給餌機から飯が出ていても、良い訳だからな。俺は無言で頷きながらお豆腐の塊を掬った。やはりお鍋は絹越し。
「結局さ、資格や職業っていう肩書は、人間にできることって意味しか無かったはずなのに、そこにそれができる人間っていう、意味もあったんだ」
「人間自体にも意味があるのか」
「そりゃそうだ。人間っていう生き物だけで良かったなら、学名かヒトだけで良かったんだから。でもオレたちは名前があって、職業を持って、やがて自分たちの意味にしていく」
立場が人を作るという言葉がある。
名前と職、取柄、資格、性格や付き合い、それらの集まりの中、記号の一つにしかならない人もいれば、逆に自分という意味の、一要素にする人もいる。
別に何の根拠も取柄もなくたって、自分は自分だと思えば良いだけのように思うが、こいつも色々と考えて生きていたんだな。
人間であることに、ヒトという生き物で終わらない意味がある、か。
「なんだか象徴的な話だな」
「的というかそのものなんだけど、とにかくオレはそれで改めて、料理人を目指そうと思ってさ」
「結論に対して偉い壮大な前振りだった」
「へへ、大袈裟だよな」
鬼瓦が苦笑する。幾らかすっきりした顔だ。彼は残りの飯を平らげて、鍋の残りの具も拾い出す。俺も慌てて他の具を拾う。せめてもう一枚豚肉を食いたい。
「それで、人間にできることと掛けて、料理人と説いたなら、その心はなんだい」
「答えは出さん。答えの出ない問題を覚えていれば、自分を見失うことは、避けられそうだしな」
「ええ何それ……」
お互いに鍋も白米も食べ終えると、鬼瓦は鞄から水筒を取り出し、こっちの茶碗に注いでくれる。ほうじ茶だった。
「すまんな、変な話聞かせて」
「お前ら三年間馬鹿しかやってないように見えたけどちゃんと考えてたんだな」
我ながら失礼な言い種だと思ったが、相手は噴き出して、しばらく間肩を揺らして笑っていた。
こういう真面目な話は聞くときは、真面目に聞いて終わったら、空気を霧散させないといかん。終始真面目な空気を、通していい間柄ではないんだ俺たちは。
「違う違う。今はちょっと休んでただけだ。その内また馬鹿を再開するよ」
軽く手を振る鬼瓦の顔には、最早さっきまでの深刻な色は見受けられない。この話はこれで終わりと見ていいだろう。
そうか、こいつは料理人という人間を、目指しているんだな。
意味のある人間を目指すか。なんとも哲学的だな。アホの集まりみたいな愛同研と、連盟員たちだけど、こうして話してみると、根は相当にストイックだ。
「今の方針は、節目を迎えるまで続けるかな」
たぶん先代の料理部部長のことだろう。今の好き嫌いに迎合する路線で、かつ自分を見失わずに続けてみようということか。意地の張り方がなんとも男の子。
「そうか、それはいいんだが一ついいか」
「なんだ」
「残ってる米で雑炊はしないのか」
それを聞いた鬼瓦は、何も言わずに炊飯器に残っていた米を、全て鍋へと解き放った。心なしか怒っているように見える。だが待って欲しい。
お前は行きずりの人に想いを打ち明けて、気持ちの整理がついたかも知れんが、俺からしてみれば『何か始まったな』程度のことでな、堪ったものではない。話を振ったのはこっちだが、こんな深みにはまるとは想定外である。
「あ、そうだ。調味料とかある」
「……醤油と胡麻ダレと豆板醤」
「なら豆板醤と胡麻ダレ入れてチゲ鍋風にしようぜ」
白米の白と透明な出汁を調味料で汚し、澄んだ塩味を甘くもあり、辛くもある味で濁していく。鬼瓦は釈然としない様子であったが、俺が雑炊を黙々と食べていると、その内自分も食べるようになった。
最後には若さが似合わない、元の彼に戻っていた。
図らずも卒業生の気持ちの整理に、付き合うという大仕事になったが、それはどうやら無事に、やり遂げられたらしい。
しかし人間の意味か。案外、皆一度は気にしてしまうものなのかも知れないな。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




