・二年生最後のレベルアップ
新章開始です。
・二年生最後のレベルアップ
淹れたばかりの緑茶の香りが、リビングにほんのりと漂う。ガラスのコップに要れると割れる恐れがあるので、陶製の白い湯呑みに注ぐ。
急須と合わせて婆ちゃんの持ち物だが、捨てずにおいて良かった。
「もう三月かあ、早いなあ」
「それちょくちょく言ってるよね」
不本意な季節の移ろいを前にしたとき、人間は必ずこう言う。何故って今までを振り返るのが辛かったり億劫だったりするからだ。
もっと言うと単純に時の流れを認めたくない。
「今年度はとみに忙しかったし」
「一般的なの女学生は今年度とかいう単語を口にしないんだよサチウス」
麗らかな陽光に目を細めているのは、ファンタジックな緑髪をした、ネコ耳のショタ。魔王の息子で最早俺のカミさんになりつつある、ミトラスだ。
今日は三月最初の日曜日。珍しく朝からレベルアップをしようということになった。
庭に面した窓の外から、差し込んでくる日の光は、春の訪れを主張するかのように柔らかく、温かい。
これなら部屋の暖房の温度を下げてもいいかな。
「俺も来月から三年生か、これは本当に卒業できるかも知れないな」
「え、どういうことそれは」
「いやな、問題を起こすか巻き込まれるかして、その内に退学するんじゃないかなって、内心ずっと思ってたんだ。それが世の中の流れに、歯向かったり流されたりしているうちに、ここまで来てしまった」
乗れたためしは一度も無い。
「もし学校を退学になってたら、どうするつもりだったの」
「そのときはお前が犯罪者に追剥でもして、逆に俺が家のことをしていたかも分からん」
ぶっちゃけるとミトラスを、そういうのがひしめく場所に放り込み、中の人々を全滅させて貰えば、単純な物盗りだけでも、生計を立てられる気はする。
「まだ後一年あるから油断はできないけど、いよいよ現実味を帯びてきたな」
「そこは最初から帯びていて欲しかったよ僕は」
目を細めたまま眉間に皺を寄せる彼の表情は、不機嫌な猫そのもの。今にも怒って鳴き出しそうだ。
そんなにむっとせんでもいいだろ。本当に我ながら意外に思ってるんだもの。
「自分の人生に目標は立てられるが、それに自信や確信を持つのは、却って見通しが立たなくなるぞ。上を見るよりも、前や下を見るほうが階段は登れるんだ」
先にミトラスの分のお茶を淹れてから、次に自分の分を用意する。
白地に梅の花が彫られているのが俺の、藤の花が彫られているのが、ミトラスの湯呑みだ。
二人分あるんだから、たぶんどちらかは爺ちゃんの物だろう。俺も祖父のことはほとんど知らないが。
「無心で臨むようなことではないと思うんだけど」
「大概はそうだろうな。さ、レベルを上げよう」
問答もそこそこに切り上げて、テレビのリモコンを手に取る。画面を操作していつものように『サチコ』のチャンネルへ。
あまり真面目には取り組まなかったこの作業だが、それでも一つ一つ取得していったことで、体は確かに丈夫になった。
それに伴い腕っぷしも幾らかは強くなった。まず間違いなく、異世界時代の頃よりはフィジカル面でも、マジカル面でも成長した。いい加減な伸ばし方でも、伸ばした分は無駄じゃなかったってことだな。
「今回が終われば成長回数は残すところ十二回か」
「サチウスって何気に、ディーがくれたクリームを、欠かさず塗ってきたよね」
異世界の友だちが帰郷の餞別にくれた、己の限界を引き上げるという、肌に塗るクリームも大分減った。
回数的には千と百日分ほどありそうなので、異世界に戻っても数日は、使うことになりそうだ。
「これがなければ今頃この作業も、終わってたんじゃないかな。よし、今回の肉体はこれだ」
『出血抵抗』:皮膚及び粘膜組織が裂け難くなります。また出血性によるショック状態に陥り難くなり、止血能力が向上します。
「血が渇き易くなるのかな」
「後は粘りが出るね。単純に切り傷や裂傷に対して、回復能力が上がると思っていい」
「つまりこれからは、転んでも血が出難いということだな」
「でも骨折とか内臓へのダメージは防げないからね」
「血が減らないだけいいか」
人間なんてうっかり傷付けたら、致命傷になる血管や神経が多すぎるんだ。こういう小さな特典を積み上げて行くことは、無意味じゃない。
当たり所が悪いなんて死因が、何千年も絶えない生き物だからな。
「次は知能だな。『マインドコントロール』を三段階目まで取るぞ」
「新しいのじゃなくていいの」
「うむ、そうすれば一晩くらいは保つかなって」
ミトラスが頬を赤らめる。先月『覚醒』と『暴走』を取得した俺だが、正直使い道というか出番はないだろうと踏んでいたのだが、これまた意外な発露があったのだ。
夜の営みである。
最初に暴走が入って次に覚醒となるのだ。暴走は精神を肉体が飲み込む。平たく説明するなら、限界の枷を外すのだが、覚醒は自分の思うままに体を動かせるようになる。
世に溢れる主人公たちは覚醒一本で体のリミッターまで外すからピンと来ないが、少なくとも俺の覚醒では体に120%の力まで出させることはできないのだ。
覚醒は100%の力を十全に発揮できる力、暴走は肉体に120%の力を発揮させる力。
ただここに数値上20%の差があるので、おつむがそれを把握できてないと、増幅された分は無駄になるので要経験である。
話が逸れたがミトラスくんとえっちしてるときに、気分が乗ってきた際に暴走のスイッチが、入っちゃったんだよな。
で、最初は上がった感度で彼を貪っていたんだが、次第に俺だけじゃなくて、相手にももっと悦くなって欲しいと思ったとき、覚醒のスイッチも入った。
いやあ、世界が変わっちゃったね。
自分本位のときは暴走して、相手を求めるときに覚醒した訳だ。一人では一生覚醒できなかったと思う。
男のやるR18のゲームみたいなアレコレが、出来たり感じ取れたりするようになって、成長を感じたが、如何せんまだまだ時間が続かない。消耗も大きい。
「ミトラスも分身するくらいしてもいいんだぞ」
「え! ああ、うん。考えとくよ……」
後は経験を積んで、両方の持続時間を伸ばし、負担を軽減できるようにならねば。
「ほら、次魔法でしょ、次々やってかないと」
「あ、うん。魔法は、なんだこれ」
『予想内超耐久』:予想内の攻撃であれば痛みやダメージの度合いに関わらず集中力が途切れず、直接的な妨害をされない限り行動を中断しなくなります。
つまり腕を押さえられなければ、撃たれたって拳を出せるし、口を塞がれない限り呪文は唱えられるし、滑ったり足を払われなければ、転ばないってことだ。
「要するに腹を括るということか、魔法の枠なのに脳筋過ぎない」
「魔女って精神力にも長けてるから、根性だって人一倍あるよ?」
「説得力あるけど受け入れたくないなあ」
ともあれ取得。
ファンタジー系の物語では魔法使い系のキャラが、痛みに堪えて魔法を使うのは最早鉄板、お約束の展開である。俺にもそういう展開が回って来ないとも限らない。
ただこれ、不意を打たれると効果が無いのが、弱点だな。常在戦場がモットーである、ミリタリー映画の主人公とかなら、遺憾なく能力を発揮出来ただろう。
「最後に特技なんだけど」
「僕はあれを取ったほうが良いと思う」
ミトラスがそういうのでリモコンを貸してみると、彼は一枚のパネルを指し示した。
『睡眠』と書いてある。
『睡眠』:睡眠による疲労回復の効率が向上します。またごく短時間でも仮眠を取ることと、その間に回復効果を得ることが可能になります。
ごく短時間がどれ程なのか知らないが、寝ることが特技になるとか。ていうか今までこんなの、なかったような。
最近生活の粗を、体力にものを言わせてやっつけてたせいか、睡眠時間が減っていたし、それが引き金になって、このパネルが現れたのかも。
ともあれ取得。
「自分が鍛え抜かれた人間か、或いは野生動物のようになって行ってるのか、たまに分からなくなるけど、どう思う」
「間違いなく後者じゃないかな。僕は別にそれでもいいけど」
俺も自分の感性とか品性が、野人寄りであることは否定しないが、まあいいか。そこまでこだわりがある訳でもない。
フリーの成長点は久々に溜めた結果15,000点に返り咲き。四月の健康診断過ぎたら、人間辞める準備もしないとだし、足も伸ばすし。
まだまだやることはあるんだ。
「ならいいや。よし、レベルアップ終わり」
「え、いいの」
「いいよ別に、それよりこの後どうする」
ミトラスは何故か不満のある顔をしていた。
もうちょっと自分の種族に執着したらとでも言わんばかりだ。でも種族で言ったら、俺は間違いなく人類より魔物のほうが好きだし。
「いいならいいけど。そうだなあ、たまには足を伸ばして、遠出してみる?」
「今日はシフト入ってないから大丈夫」
「じゃあ何処か遊びに行こうよ」
お茶をちびちびと飲みながら、今日の予定を立てていく。結論としては学生割引と子ども料金が使える、映画を見に行こうということになった。
仕事ばっかりしているから、ミトラスと遊びに行くことが随分と減ってしまった。
向こうへ帰る前に彼を連れて、遊びに行きたい場所は結構ある。
うん、三年になるとはいえ、まだまだやりたいことは残ってるな。全部消化できればいいんだけど。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




