・遠ざかる日はまやかしになるのか
今回長めです。
・遠ざかる日はまやかしになるのか
「ほーらほらほらほらほら!」
「もっと! もっとブンブン振って!」
二月の最終日、夜も遅い我が家にて、俺はミトラスと遊んでいた。いや、逆だな。俺が構って貰っているという言い方が正しい。
それというのもこの数日のごたごたで、すっかり気持ちが疲れていたからだ。
学校行って働いてクビが決まって再就職先探して後輩の人生相談っぽいものに無理矢理に乗りかかって挙句そいつの店に雇われることになって。
どっと疲れた。
「うおー!」
「うわー!」
猫姿のミトラスを、揉みくちゃにしたり転がしたりして遊んだ。彼は特に文句も言わずに付き会ってくれている。
そろそろ付き合いも六年目に差し掛かっているので俺の顔や体から発散している空気とかから精神状態を察せるようになっているのが心に染みる。
こういう言わずとも良い仲というのもありがたい、ありがたいが。
「はあ」
「サチウス、空元気は途中で素面に戻っちゃ駄目」
「うー、そう言われてもやっぱり無理だよ」
生活のためとはいえ、アガタとご両親が許してくれているとはいえ、なんていうか、なんていうかこう、しんどい。とてもしんどい。
「上手く言えないが、なんだか情けない気持ちでいっぱいだ」
「なんで。八方丸く治めたじゃないか。すごいよ立派だよ」
「でも俺の意思は通せなかった訳だし」
結果を見ればベストもベストである。俺は四月から再就職先が無事見つかったし、東雲にも人員の補充と引継ぎができるし、アガタのお悩みだって解決した。
でも俺としてはここで、日鬼楼からのお誘いが白紙になったほうが、損はするけど綺麗な終わり方だと、考えていたんだ。
「最後に後輩は何とかなったけど、俺は損したとか、その、得はなかったみたいな展開だったらだよ、俺がそこでやせ我慢して見せたら、威厳というか立派な先輩というものを、演出できたと思うんだよ」
「君は現状でも十分立派な人だなって、思われてると思うよ」
「分かる。だからこそ余計に悔しいというか、思った通りにことを運びたかった」
「まあ目論見通りにはいかないものだよ」
フローリングの床に寝そべると、ミトラスが顔を覗きこんで、フンフンと匂いを嗅いでくる。すっかり猫が板に着いてきたな。
でもあえて横向きになってるときに、脇腹を踏んでいくことまで、やらなくていいんだよ。
「うーん、分かるけどなあ」
「君ってあの子に随分入れ込んでるよね」
「誰だ、アガタか。俺が」
寝返りを打ってミトラスのほうを振り向くと、彼は即座に脇腹を踏んで反対方向へと移った。これたぶん振り返ると、同じことされるな。
「うん、僕としては、放っておけばいいのにって思うこと、結構あるよ」
「言われて見ればそうかもな」
あのブラジル系中国人のマルチリンガルにして武闘派の美少女である黄縣蘭ことアガタ。
初めて会ったときは、孤独な絵描きのような印象を抱いたが、蓋を開けたらとんだ猛犬だった。
「危なっかしいんだよな。放置すると、愛同研を巻き込んで爆発するようなケースもあったし、事件に巻き込まれがちだし、気持ち以上に現実的な問題で、放っておけないんだよ。トラブルを解消する度に、懐いてくれるのは嬉しいけど」
現実的に考えると、懐いてくれたところでちゃんとしてくれる訳ではない。
だから距離が近付いた分だけ、あいつが何かやらかした際、降りかかる火の粉が増えていくという、悪循環なのだが。
「そうじゃなくてさ、あの子とあまり仲良くしても、もしものときは辛くなると思うんだ」
「もしものときとはどういうことだ」
「今は安定しつつあるけど、ここって改変された歴史から伸びてる世界なんだよ」
思い起こせば高校くらいは出ておこうと、異世界から帰ってきた翌日、テレビの天気予報に満州の二文字を見かけたときから、この生活は始まったんだよな。
「それは知ってるよ。だから俺もこの世界のために、異世界転生をする予定だった連中の人生に関わって、死なないように一年間頑張って、パラレル起こし続けたんじゃないか」
原因は異世界に転生してきた、この世界出身者の仕業だった。というのも首謀者である転生者の、自分が死ぬ前に戻りたいというか、自分を死なせずにいたいという、切実な願いがあったから。
本当ならそれも叶わないはずだったのだが、世界が歴史改変から元通りになる前に、俺とミトラスが帰還して、つまり改変後であるこの世界に乗っちゃってるから、そのままになってしまったのだ。
だから俺たちがいなくなっても、歴史を改変されたままにして置くため、他の転生予定者たちが死なないように、オカルト部の部長らと、緊張感に欠けた泥臭い活動をしてきたんだ。
しかし改めて振り返ってみると、未来人である南がこの時代に来た時点で、この世界が結構先まで続いてることは、未来側で観測されてたんだろうな。
「うん、でもさ、何かの拍子に、この世界が戻ったりなんかしたら、あの子消えちゃうんじゃないかって、僕は思うんだ。この世界だからこそ、存在できてるんだろうって。あまり仲良くしてたら、消えたときに辛くなるよ。死別とはまた違って、いなかったことになるんだから」
頭の後ろから聞こえてくる、ミトラスの声の位置が変わった。どうやら人型に戻ったらしい。
歴史が変われば当然だが、そこにいる生き物は違ってくる。生きている奴、死んでいる奴、生まれて来る奴来ない奴。
例えガワは同じ人間であっても、魂が別人ということも有る。存在の有無は否応無く、揺るがされるのである。
俺がそのままなのは、世界の変化が異世界にまでは恐らく及んでいないから。絵でいえば塗り残しみたいなものだ。
高校に入るまでは、こっち側にいい思い出が無いので詮索しないが、もしかしたら中学から前までの人生には、何か変化があった可能性はある。
もっとも、改変された自分の人生に触れた瞬間に、意識や記憶が書き変えられたり、二つの歴史の記憶がダブったりして、薮蛇になっても嫌だ。重ねて言うが自分で自分を調べるつもりはない。
「もしも世界が元通りになって、アガタがいなくなったら」
「彼女だけじゃなくて、君の部活の人たちもだよ」
そうか、あの憎めないトンチキ集団の存在が、愛同研か無かったことにも、成り兼ねないのか。
「俺にとっては死んだも同じだそんなもん。ただな」
寝返りを打つと、そこには正座して心配そうにしているミトラスがいた。幻想的な緑髪はそのままだが、ネコ耳はぱたりと閉じている。
「ただ、もしも仮にそんなことが起きたら、誰がアガタや皆を殺したかってことだけは、必ずはっきりさせるよ。必ずな」
目と目が合う。曇っていた金色の瞳は、輝きを取り戻して、再び俺の顔を映し出す。
「ミトラスは自分の大切な誰かが、幻かも知れないって思ったら、付き合うのを躊躇うのか」
「そうじゃないよ、そうじゃないけど」
「俺に気を遣ってお前が弱気になってどうする。嬉しくないぞ、そんなの」
手招きをすると彼は寄って来た後、反対側を向いてこちらへと倒れ込んできた。素直じゃない奴め。
不幸な将来を想像することは、現実的なことだ。
でも、これほど薄っぺらい現実なんだ。
それならせめて、そんな妄想はしないに越した事はないんじゃないか。
「知ってるか、世界って凄くデカくて広いんだって。でもここは一個人がひっくり返してさ、ちょっとした小人数の偶然と、努力からそのままになってるだけ。世界がだぞ。軽くて薄っぺらいんだよ。だから元の世界と比べて、どんどんズレていくし、ズレもそのままになっていくよ」
「吹けば飛んでいくようなことも、あるかもよ」
「飛んでいくだけさ。無くなったりなんかしない」
世界とか歴史とか時間とか世の中とか。
そういった動きが何処かへ飛んで行ったって、そんなの当たり前のことだ。何処かへと向かって行く。
それが何処かは誰も知らない。
「違う道を歩いただけ。少なくとも、違う道には俺の人生が、まだあったよ」
胸元の辺りにある頭を撫でると、彼は小さく溜息を漏らした。たぶん忠告を受け入れられなかったから、納得しかねるし、気分にケチが突いたんだろう。
申し訳ないが、こればっかりは性分の違いだと思うから。
「きっと大丈夫って、俺たちはそう信じることくらいしか、できないんだ」
「そうかな。僕は、僕たちはもっと色んなことができると思いたいけど」
本当に前向きな奴、まるで俺のほうが彼を堕落させようと、しているみたいだ。仮にもこいつは魔物で、俺は人間なんだけどな。
「仮にそうだとしても後一年は、今の暮らしを続けたいと思うよ」
「この世界に残ったりはしないの」
ミトラスが寝転がったまま顔を上げる。
こいつはきっと、俺がこの世界に残ると言ったら、一緒にいてくれるんだろう。
でもお互いのためを考えて、別居しようって言い出したら、どうだろう。
「別に。お前だけ向こうに帰ってもいいんだぞ」
「ヤダ」
「即答すんなよ」
「君のことだから、僕までこの世界に残らせるのは、悪いとでも思ってるんでしょ」
完全に見抜かれている。
「僕はね、君の気持ちでどうであれ、幾らか自分の気持ちを、優先することにしたんだ」
「そうか。じゃあ俺もそうするよ」
「え」
「お前と一緒にいるよ。別居なんて年寄り臭いこと、俺たちにまだ早いよな」
そう言うと、ミトラスは向こうを向いたまま、胸に頭を押し付けてきた。尻尾があったらきっと振り回していたに違いない。
やっぱりこの時間が俺にとっては一番だ。
でも、彼が言う通り、ある日歴史が変わっていたように、この日々が突然失われる時が来たら、俺はどうするだろう。どうすればいいのだろう。
それどころか遣り様はあるのか。
俺たちの毎日が揺らぎの産物だとして、こいつらが全ていなくなったら、喪失感や苦痛しか残らないのだろうか。辛いだけなのか。
違う。俺はミトラスや南たちのおかげで、もう十分幸せだった。例えそれが夢や嘘になって、取り上げられたとしても、そのことだけは変わらない。
「本音を言うとさ、あいつらの毎日も、続いていけばいいなって思ってるんだ」
「じゃあ、続けられるようにしていこうよ。せめて君が卒業するまではさ」
保護者でもある年齢不詳児がはにかむ。俺たちの毎日を続けてみる、か。
具体的な手段は分からないけど、特に目標もないんだし、目指してみるのも良いか。
――しっかし『俺たちの毎日』か。随分と、大きな言葉になったものだな……。
<了>
この章はこれにて終了となります。ここまで読んでくださった方々、
本当にありがとうございます。嬉しいです。
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文章と行間を修正しました。




