・鞘チェンジ
今回長めです。
・鞘チェンジ
「おーん、で? お前ら何しに行ったの」
「止めろよサチコそういう反応」
「そうよ地味に傷付くわ」
日もとっぷり暮れた放課後の東雲。レジ真横の席に座った先輩と南が、体を小さくしている。ささやかな反抗は蚊の鳴くようなものだ。
この二人が俺を置いて、アガタの後を追ったのは、昨日の話。五時頃になって戻って来た二人は、アガタのことは後で話すと言った。
俺もアガタのお袋さんに、フォロー入れ続ける作業がしんどくなっていたので了承。解散となった。
帰り際に出くわした件の後輩は、幾分スッキリした顔をしていたので、これは上手く物事が運んだに違いないと、胸が軽くなるような気持ちだった。
そして今日、話を聞きたいからと言うと、二人は珍しくこの店で落ち合おうと、提案したのだ。
今にして思えば、俺が勤務中で海さんもいるから、強く怒れないだろうという計算が、働いてたんだな。
「俺より馬鹿じゃないの」
『ぐっ!』
二人の肩が屈辱と焦りにびくりと震える。煽るために自分を引き合いに出したが、こういう反応をされるとむしろこっちが傷付く。
「だってカトちゃん日本語で話してくれないもん」
「ブラジル語圏の言葉なんて習ってないし」
先輩と南はアガタと親父さんの会話を、遠巻きに見聞きしていたらしい。しかしながらアガタは国籍はともかく、実態は外国人である。
外国人の親と話すのに、わざわざ日本語を使う理由はない。
そのため、二人は英語が分からないのに、洋画を字幕オフで見た人間の如く、雰囲気だけ味わって帰って来たのだった。
「馬鹿じゃないの、お昼ご馳走様でした」
『うっ!』
二人が注文したホットココアと、堅やきそばパンをテーブルに運ぶ。俺の飯代を立て替えてまで、出歯亀しに行ったのに、何だその体たらくは。
「俺だってアガタのこと見たかったのになあ」
「そういうあんたは店でどうしてたのよ」
「娘さんは学校で良くやってますよって、二時間近く褒めてましたねぇ」
仲があまり良くないのか、アガタは母親のことはあまり話さないし、家では学校のこともあまり話さないらしい。なので心配は無いと言ったのだが。
「あまりアガタを褒めると、その内機嫌が悪くなって来てな、労いの言葉をかけると、露骨に見下してくる上に、愚痴の中身が典型的な家庭への不満で、はっきり言って面倒臭かった」
「典型的って」
「自分の評価が低いとか、子どもが自分に懐かないとかそんなの」
「だいたい自分のせいに落ち着く奴ね」
「見た目は娘にそっくりだが素直さや謙虚さが微塵も無い。他人でいるのが一番いい人種だ。気を許すと高飛車になるから、人間関係の距離が近付いてもちっとも嬉しくない。アレとくっつく男は相当なスキモノか好漢に違いない」
「あのサチコさん。今仕事中だし、人のご家庭のことをあまりとやかく、言わないほうがいいよ」
「はいすみません」
聞き咎めたのか、レジの奥から海さんの注意が飛んでくる。うん、今はもういつもの彼女に戻っている。俺が首になったって、この店の日常は続いて行くんだよな。それはそうだな。
「まあ、上手く行ったようならいいけどさ」
「でも、これでサチコの次の就職先は、ご破算になっちゃったのかな」
「そうね。ファンさんにはもう、あんたを雇う理由がないものね」
アガタの弱みに付け込んだ、俺の再就職は白紙へと戻った。でもいいんだ。後輩に身代わりのような物として扱われ、微妙にヒモっぽい関係になるよりかは、ずっといい。
とはいれこれからどうするか。
ミトラスの呪いのおかげで死なないとはいえ、そのミトラスにひもじい想いをさせたいかと聞かれれば、当然そんなことも無く。
「ねー海さん、やっぱりサチコの更新って無理かな」
「別に人余りって訳じゃないんでしょ。新しい子を探すよりいいじゃない」
「止せ。お前らまで海さんを、困らせるんじゃない。こっちも納得してるんだから」
二人に言われ海さんは一瞬表情を曇らせたが、恨まれていないことを知って、ほっとしたようだ。
従業員の首を喜び。勇んで切るような女性に懐く、俺ではない。
「この話はもう確定してるし終わってるんだ。ほら、そんなことよりお代わり頼めよ」
「えーじゃあ、ホットミルク、サイズは普通で」
「えーじゃあ、ホット珈琲、サイズは普通で」
混ぜて半分こする気満々。カフェオレ二つ頼めばいいだろ。変な所で仲良しするんじゃない。
伝票に注文を書いて店の奥へと伝える。
ちなみにミルクが先輩で珈琲が南だ。
「それとレモネード一つお願いします」
「レモネードねえ、珍しいもん頼むなって」
先客の二人とは反対方向からした声に振り向くと、そこには髪の長い、切れ長の目を持つ、中華風美少女の姿。
厚ぼったい服を着てもスリムと分かるその人物は。
「ようアガタ」
「昨日はどうも、ありがとうございました!」
そういって彼女は笑うと、勢い良く頭を下げた。
俺と先輩と南は、その動きに呆気に取られた。
何だろう、まったく『らしくない』のだが、それが不安を引き起こさない。憑き物が落ちたっていうか、屈託が無くなったというか。
「お、おう。その、なんだ、とりあえず座んなよ」
「はい!」
まるで今年から高校生になった、子供のような軽やかさで、彼女は南の隣に座った。
そして自分のテーブルを二人の所に横付けし、四人掛け席を作る。戸惑う俺たちを他所に、嬉しそうなアガタ。
「はい御注文の品です。随分と機嫌が良いな」
「ええ、まあその、おかげさまで」
顔を赤らめて笑う後輩に対して、自然とやに下がる我々。日頃とのギャップで十歳くらい年下に見える。
いやむしろ別の生物に見える。
「あら、私らさっきまでそれ気にしてたのよ」
「カトちゃんさえ良ければ聞かせて欲しいな」
「はい! いいですよ!」
元気いっぱいに返事をするアガタ。さながら自慢話を聞いて欲しい幼年期の生物。
取り繕ってるとかそんな感じじゃないから、案外元からこういう面を、持ってたのかも。
「私がお父さんを追って、店を出た後にですね……」
彼女の口から語られたことの顛末は、考えて見れば至極もっともな話だった。娘以上に直接被害に遭っているし、父親という立場もあって、誰より苦しんだことだろう。
それを知って、本当に自分のことばかり考えていたことを痛感したアガタは、親父さんに謝った。
誘拐されたとき助けに行ったのに、本人そっちのけで戦いを優先したこと、そして今まで苦しんでいることに、気付かなかったこと。
相手に便乗した形ではあるが、娘に悩みと気遣いを打ち開けられて、親父さんも気を持ち直したらしい。何にせよ、こっちの二人は元の鞘に戻ったようだ。
めでたしめでたしということだな。
「余裕がなかったと言えばそれまでですけど、もう少し人のことを、見ないといけないなって」
「それは分かったけど妙に嬉しそうだったのは」
「ああ、それなんですけど、お父さんがその、私にごめんねって言いながら、ぎゅってしてくれて」
余計なのろけが二十分ほど追加され、俺たちは三人ともオチがついたとばかりに苦笑していたが、アガタの話はまだ終わらなかった。
「先輩、うちでバイトして貰いたい話なんですけど」
「分かってるよ。無理しなくていい」
「いえ、やっぱりうちに来て欲しいんです」
「え、なんて」
「私もそろそろ、実家から少し離れるべきだなって、だから」
そりゃ願ってもないことだが。
東雲と違って日鬼楼は既に、不良との抗争と関係大有りなので、俺がいても特に状況は変わらないし。
しかしなあ。
「お前はどうするんだよ」
「私もバイト探します。そこで先輩のバイト代を稼いで来ますよ」
笑顔で言い放つ後輩に眩暈がする。遠回しに養ってやると宣言されたようなものだ。
「いいのか」
「先輩はお父さんとは違うし、お母さんよりもずっといいし」
答えになってないが意思は固そうだ。
どうしてこうこいつは、すんなりと事を済ませることが、出来ないのか。暖房が効き過ぎてる訳じゃないけど、汗が沢山出てくるよ。
「カトちゃんはバイト先決めてるの」
「それは、まだ」
「あ、じゃあサチコの代わりにあんたここ入ったら」
先輩が聞いてアガタ答えて南がおばちゃんみたいなことを言う。お前ら人が返答に窮しているんだから、気にせず話を進めるのは勘弁しろ。
「え、ここですか」
「海さんどーお」
「え、う、うーん、両親に聞いてみないことには」
「ほら見ろ、海さん困ってるじゃないか」
「でもそういうことならきっと大丈夫だと思うわ」
え?
「うちもサチコさんを切るのは本意じゃないし、人の補充もしないといけないから、いい子を紹介して貰えるなら、ありがたいわ」
じゃあ何か。俺は四月からバイト先が日鬼楼になるだけじゃなく、アガタが東雲に入って、その稼ぎが俺に支払われるというのか。
え、なんだこれどういう状況だ。
「やーよかった。これで心配事が消えたよ」
「そうね。本当に良かったわ!」
「おいまて、勝手なことを言うんじゃ」
「新年度から宜しくお願いします先輩、海さん」
「宜しくお願いします、アガタさん」
え、あ、お?
理解が全く追いつかない中で、事態が進展して完結してしまった。俺はこういうのを避けたかったのに、どうしてこうなってしまったんだろう。
ーー新しいバイトの子だって。
ーー補充早かったなあ。
気が付けば、店の他の客たちまでも、こちらを見ている。気が早いもので中には小さく拍手を送ってくる奴がいて、友人たちは安堵の笑みを浮かべ、海さんの目は潤んでいた。
どうしていきなり祝福ムードを漂わせるのか。皆が俺を見てないのが、そしてそれはこの場において重要なことじゃないのが、伝わってくる。
いかんな、ここで場の空気に負けてしまえば、俺は後輩の従業員になってしまう。
それだけは回避せねば。
「ほらサチコ、いつまでもぼーっとしてないの」
「そうだよ、ちゃんとファンさんに挨拶しないと」
俺の返事を心待ちにしている友人二人が何時に無く綺麗な目でこちらを見てくる。
あ、駄目だ。もう負けてるわこれ。
「ああ、うん。じゃあアガタ、その、四月から、宜しくお願いします」
「はい! よろしくお願いします、サチコ先輩!」
店の中に、目上の雇用を喜ぶ後輩の、元気な声が響き渡る。最初からこうならばきっと、温かい気持ちで受け入れられたんだろうな。
それだけに無性に虚しい。
店内が幸せそうな空気に包まれる中、俺は脳裏の片隅で、元通りと元の木阿弥の、意味の違いに見る日本語の不思議さに対して、只々思いを馳せることしか、できなかった。
誤字脱字を修正しました。
文章と行間を修正しました。




